2-26 商工大臣視察(3)
応接室のドアが開き、大臣一行が出てきた。先頭のレオン会長は上機嫌だ。
「アイリス、案内の準備はできてるかな? あ、そうそう! 大臣、先ほどのおしぼりもアイリスが考案したんですよ」
商工大臣のグレイストーン侯爵は、びっくりした表情でこっちを見ている。きっと私の笑顔は引きつっているはずだ。余計なことを言わないでほしかった。
「ほう、あの心地よい温かいおしぼりですか? 実に良いものでした。顔も首も、とてもすっきりしましたよ。爽やかな森林のような香りも素晴らしいね」
大臣までが、おしぼりで顔を拭いたのね......うん、忘れよう。遠い目をする私の横で、レオン会長が勝ち誇ったように胸を張っている。
「お気持ちよくお過ごしいただけたのであれば、何よりです。暑い時期は、冷やしたおしぼりも、とても気持ち良いですよ。おしぼりで拭いた顔を扇子で仰ぐと汗もすぐにひきます」
レオン会長の目がキラキラ光っている。もちろん幻の尻尾もぐるんぐるんだ。夏になったら、きっとお腹や背中も拭くんだろうな、この人は。
一階フロアに降りると、大臣御一行の八人の事務官と一人の秘書官が、興味深そうに辺りを見回している。館内の雰囲気は、普段より少し緊張が走っている。従業員たちが、背筋を伸ばして立っていた。レオン会長や事務長は、夜の会食の準備に一時戦線離脱だ。一応、受付の女性と、事務長補佐の男性はついているが、後方の事務次官の近くから動かない。17歳の小娘が侯爵大臣様担当なの? どゆこと??
『アイリス様、まずは一階の概要説明を。各売り場を説明してから、当商会オリジナルの工夫の説明をする流れです。1・2階で1時間を予定しています』
食堂でみんなに応援してもらったし、やるしかない。私にはテオがいる!
「皆さま、当商会の一階は、一般のお客様向けの売り場となっております。お客様のニーズに合わせて、各所に工夫を凝らしております」
各売り場の珍しい商品を説明した後、まずはラッピングコーナーへと案内する。ちょうどミリアムさんが接客中だ。彼女は私が前世のコンサル時代に学んだラッピング技術を、一番早く習得してくれた販売員だ。今日は普段にも増して、凛とした立ち振る舞いを見せている。
「例えばこちらのラッピングコーナーでは、お客様の髪や目の色に合わせた包装紙やリボンをご用意しております。青や緑、茶色などの色味を、それぞれ10種類以上ご用意し、贈り主様の印象が残るようなラッピングを心掛けております」
説明に合わせるように、ミリアムさんが見事な手さばきを見せ始めた。まず机の上に柔らかな銀色の包装紙を広げ、光の加減で微妙な輝きの変化が見えるよう、角度を意識して折り目をつけていく。両端を合わせる指先が繊細で、糊の塗り方も完璧だ。
「このように包装紙には一筋ごとに異なるシルバーのラインが入っており、光の加減で微妙に輝きが変化いたします。包装紙は色味だけでなく、手触りや光沢感も重要な要素です。銀色一つとっても、光沢のある物から艶消しまで、6種類を取り揃えております」
事務官たちが興味深そうに包装紙を手に取る。一人が思わずスケッチを始めた。ミリアムさんは商品の包装を終え、次は深い蒼のリボンを選んだ。これは商会のコーポレートカラーと同じ色合いで、ここ最近、特に人気の色だ。
「リボンもシルクからサテンまで、素材感の違いをお楽しみいただけます。その上から施すリボンもたくさんのお色味や幅から、贈り物にふさわしい組み合わせをお選びいただけます。また、結婚式や大規模茶会のお土産のように大量注文を頂いた場合は、リボンにメッセージを印刷することも可能です」
まるで踊るように素早くリボンを花の形に結んでいく姿に、大臣の秘書官が感心した様子で見入っている。
「この結び方、実に美しいですね」
「はい。他にも柄物の包装紙、カード類も豊富に取り揃え、お客様のお好みに合わせて組み合わせをお選びいただけます。例えば最近では、髪が金色のお客様には、金箔を散りばめたカードに深い紫のリボンを合わせるなど、贈る方の印象が残るようなコーディネートもご提案しております」
『アイリス様、大臣もかなり興味を示されています。続いて、休憩スペースの案内へ』
次は各売り場に設けられた休憩スペースを案内する。明るい陽射しの入る窓際には、深い蒼の生地を使ったソファが並んでいる。
「各売り場のスペースには、その売り場の客層に合わせた座り心地の良いソファを配置しております。例えば、服飾売り場には、ドレスを着た方でもゆったりとお座りいただける幅広のソファを。眼鏡売り場には、姿勢を正して座れる背もたれの高いソファを用意しております」
一人の事務官が、試すように座ってみる。その表情が、途端に柔らかくなった。
「新聞などもご用意し、有料ではございますがドリンクも承ります。お買い物の合間にひと息つけるだけでなく、ご主人様がゆっくりお待ちになれる空間としてもご好評いただいております」
「なるほど。細君の買い物に付き添う者への配慮か。素晴らしい心遣いだ。新聞とコーヒーがあればイライラせずに待てるだろうな」
秘書官が後ろでクスクス笑っている。侯爵ともなれば外商を邸宅に呼んで買い物をしているかと思っていたが、奥様に付き合うこともあるのかもしれない。試しに腰掛けながら、事務官に何やらメモを取るよう指示している。
次はトイレの設備だ。地方都市では珍しい水洗式トイレに、事務官たちの目が輝く。
「こちらが最新の水洗式トイレでございます。帝国製の最新設備を導入し、薬草の香りを使って、常に清潔で爽やかな空間を保っております」
白を基調とした清潔な空間に、柔らかな光が差し込んでいる。壁際には、季節の花が活けられ、薬草の香りと調和している。
大臣は興味深そうに周りを見回している。
「男性用と女性用の間にあるこのトイレは……?」
「こちらは多目的トイレと呼んでいます。どなたでもお使いいただけますが、小さなお子さんを連れた方や、お身体が不自由な方にも使いやすい設備を揃えおり、車椅子でもご利用いただけるよう、十分な広さになっております」
大臣は興味を示し、感心した様子で中を覗いている。そこには、オムツ替えベッドや個室内のベビーチェア、子供用便座なども設置されているのだ。
「こんなにも細かい配慮がされているトイレは見たことないな。これも最新の帝国式なのかね?」
「いいえ、シルヴァークレスト商会オリジナルのトイレ施設です。富裕層の方々は侍女を連れて来店されるので問題ないのですが、庶民の方々は1人で小さなお子様を連れて来店されることが多いのです。そのため、このような設備をご用意しています」
大臣は納得したように頷いたが、突然木製の手すりを触りながら、首をひねって聞いてきた。
「しかし、これは邪魔ではないですか? 少し見た目も悪く見える……」
やはりこの質問が来たか。この手すりを付けるよう説得するのに、商会内でも1か月かかったのを思い出す。
「安全に、そして安心してトイレを使っていただくために、本当に必要な設備なのです。小さなお子様からご高齢の方まで、様々な方にご利用いただけます。手すりの高さも、帝国の最新の研究に基づいて設計されております」
『アイリス様、手すりの説明は力が入ってますね』
(うん。前世ではバリアフリーは基本中の基本だからね。ほら、後ろの高齢の事務官の方が、強くうなずいてるわ)
手すりは、何人かに体験してもらったが、皆さん、使ってみるとその便利さがよくわかるようだ。大臣も体験した後、少し考え込んだ様子でと口を開いた。
「そういえば……最近、父が足腰が弱ってね。動くのが大変そうだったんだ」
「そうですね。もしよろしければ、お父様の邸宅のトイレにも手すりをつけてみてはいかがでしょうか? きっと、お父様も喜ばれると思います」
「そうだな。早速検討してみよう」
次は、これも帝国製の最新式エレベーター。入り口には商会のロゴが掲げられ、扉は光沢のある銀色に輝いている。秘書官が、まず入口付近の設備を確認した後、一行と共に乗り込む。
8人乗りの空間に10人が乗り込むため、少し窮屈だ。事務官の一人が、興味深そうに四方を見回している。
「エレベーターの隅に、椅子が置かれていますね」
「はい。万一の時のための椅子でございます。エレベーターは安全性が十分に確保されておりますが、食料と水、毛布などを備蓄しております。多少揺れますので、通常は椅子としてご利用いただけます」
『アイリス様、備蓄品の管理方法について、もう少し詳しく説明されては?』
私は椅子から災害備蓄品を取り出して、一行に広げて見せた。
「長期保存可能な水とビスケット、木の実、干し肉、薬などを備蓄しておりますが、少し古くなったら社員食堂で消費して、お客様の分は常に新しい状態で保管しています。ローリングストック方式と言い、消費期限が近いものから使い、新しいものを備蓄に追加して回転させる考え方に基づいて、地下の倉庫にも食料と飲料を備蓄しております」
「なるほど。災害への備えと日常の無駄を省く工夫か。これは王城でも取り入れるべきだな」
『アイリス様、事務官たちが熱心にメモを取っています。後ろから三人目の方は、メモ帳3冊目に入りました』
2階に上がると、専門店街の案内を始める。
「二階は全て専門店でございます。各店舗とも、専門の職人が対応し、細やかなご要望にお応えできる体制を整えております」
眼鏡職人さんが丁寧にお辞儀をする。今年の年明けの福袋で大活躍してくれた店舗だ。
「今年の年明け、各専門店の技術を活かした福袋企画で、大いに盛り上がりました。眼鏡職人さんの技術を活かした特製の拡大鏡セットや、服飾店のオーダーメイドスーツのコーディネート券など、各店舗の特色を活かした商品が大変ご好評でした」
福袋の話を聞いた店主たちが、にこにこと顔を輝かせる。年始の大成功が、まだ記憶に新しいのだろう。そう言えば、もう来年の福袋の企画を考えていると言ってたな。
「その噂は王都でも広まっておりました。100金貨の福袋とやらが飛ぶように売れたとか? シルヴァークレスト商会の企画力は、他に類を見ないほど革新的ですね」
秘書官さんも、眼鏡のショーケースを覗き込みながら、店主さんに質問を始めた。
2階の最後は商品開発室。本当は中を見せるつもりはなかったのだけれど......。
「申し訳ございません。開発中の極秘事項が多いため、外からの見学だけにと考えておりましたが......」
扉の隙間から事務官たちが目を輝かせて熱心にスケッチを始めたので、仕方なく中へ案内することにした。開発室は普段より緊張感が漂っている。壁一面に貼られたアイデアボード、試作品が並ぶテーブル。慌てて白衣を着直す研究員の姿もあった。
熊さん開発室長は突然の来客に、明らかに動揺している。開発室の壁際では、他のメンバーたちが静かに立ったまま固まっていた。うん、ごめん。ここはチラ見だけの予定だったもんね。
室長が、私をチラチラ見ながら、装置の説明を始めたが──
「こちらが帝国製の最新式の分析装置で、有効成分を抽出する際に、その、えっと......」
説明しながら、開発中の商品のサンプルを慌てて隠そうとする。確かに秘密にしたい情報はいっぱいあるが、温度調節器の設定値までタオルで覆い隠す必要はあるのだろうか……。それを見た商品開発室のお姉さま方も、データが書かれた紙を裏返したり、試作品を引き出しに放り込んだりし始めた。
『アイリス様、皆さまがあまりに慌てているので、逆に事務官たちの興味を引いてしまっています』
バタバタした雰囲気の中、気を使ったのか一番若い事務官が質問してきた。
「シルヴァークレスト商会の先進的なアイデアは、どこから得ているのでしょうか?」
熊さんが「そ、それは......」と言葉を詰まらせ、助けを求めるような眼差しを向けてくる。事務官たちは、あちこちに散らばって布をめくったり、装置をのぞき込んだりし始めた。小学生の社会科見学の方がお行儀良いのではないのだろうか。
「アイデアは、日常生活の中や、お客様からのフィードバックから得ることが多いですね。特に、商品開発室のメンバーは、普段からお客様の声に耳を傾け、ニーズを形にすることを心がけております」
『アイリス様、上手な言い回しです。開発室のメンバーたちもホッとした表情ですね。この貸しで、またムリな開発を頼めそうです』
あくどいテオに返事はせずに、早々に次の案内へ進むことにした。
「皆さま、三階へご案内いたします!」
エレベーターに向かいながら、私は密かにため息をついた。ごめんなさい。3階も前世のサービスのパクリアレンジでございます。レオン会長、早く帰ってきて~!




