2-18 王都でアオハル(3)
朝日が昇りきった図書館前で、ロイヤルブルーの馬車が私を待っていた。車体には太陽の紋章が輝き、二頭の白馬が轡を揺らす。控えめな装いのヴェルさんが、紳士的に手を差し伸べてくれる。なんか、普通のワンピースでごめんなさい。
「お待ちしていました。よろしくお願いします」
馬車に乗り込むと、クッションの感触があまりにも柔らかく、思わず身を沈ませてしまう。王都へ来た時に乗った駅馬車も高級商人向けの上等な馬車だったけれど、レベルが全く違う。前者が港区のタワマンなら、後者は田園調布の邸宅って感じだ。
『アイリス様、この馬車のクッションはエルドミア産最高級品ですね。張地の織り方から、王立工房の作と思われます。車輪の構造も最新式で──』
(テオは静かに分析していて。私はヴェルさんに話しちゃうわ)
深呼吸を一つして、私は切り出した。
「ヴェルさん、治療のために、お話ししておかなければならないことがあります」
「何でしょう?」
「私も祖父と同じく、緑知の眼を持っています」
ヴェルさんが驚きで目を見開く。
「えっ!? では鑑定は使えますか? サージ氏は鑑定を含めて5つもの技能を持っていたが、通常は1~3個程度だと聞いています。鑑定はめったにいないと」
「薬草も薬も鑑定できますよ。このことは、商会でも一部の人しか知りません。申し訳ありませんが、秘密にしていただくことが、今回の治療の条件になります。それと、調薬室では私一人で作業させていただけないでしょうか」
「秘密は必ず守ります……ですが、私は学生以上の修練を積んできました。どうか手伝わせてください。シャルロッテのために」
その真摯な眼差しに、私は思わず頷いてしまった。推しの真剣な頼みを断れる強心臓は持ってない……でも、一緒に調薬をするのであれば、明かすしかないだろう。言動に気を付けながらの調薬なんてできない。
『アイリス様、ヴェル様には簡単な抽出だけ頼んではいかがですか?』
(ううん、商会と同じように説明するわ。テオのことは絶対に秘密にするけど、どうせ緑地の指のスキルのことがバレるのは時間の問題だと思うし)
「わかりました。ヴェルさんだけなら。私は薬草関連の技能を5つ、調薬関連の技能を3つ、薬草と薬の鑑定、その他も合わせて10の技能を使えます。その技能を使う時に、空中で手を動かしたり技能の画面を読んだり、独り言を言ったりするけど、気にしないでほしいのです」
「はい、私以外は絶対に調薬室に入室禁止にしますね。それにしても、技能10個ですか。御父上のザイラス氏に習ったから薬学に詳しかったのではなく、アイリスさんご自身の技能だったのですね。才能の塊だ……」
ヴェルさんは、複雑な表情をしていた。美形はどんな顔をしても美形だけど。
侯爵邸に到着すると、純白の大理石の壁面に金箔の装飾が輝く豪奢な建物に、思わず息を呑む。玄関で出迎えた執事に案内され、長い廊下を進んでいく。壁には歴代当主の肖像画が並び、天井からは大きなシャンデリアが優雅に輝いている。
『アイリス様、この建築様式は王立図書館と同じエイレニアの古典的な列柱を活かした構成で──』
(テオ、関係ない分析は静かにやって。患者さんが優先よ)
上品な刺繍の施された寝台で、シャルロッテ様は枕にもたれかかって上半身だけ起こしていた。銀色の髪が美しく、その顔は少し蒼白になっている。呼吸は浅く、手足に発疹が見える。少しやつれているが、元はかなりの美少女だろうと思わせる可憐な容姿だ。
「シャル、こちらがアイリスさんだよ。香水の話を聞かせてほしいんだ」
「初めまして。アイリス・ヴェルダントと申します」
「シャルロッテです。ヴェル様がとても信頼なさっている方なのですね」
少女の声は弱々しかったが、庶民の私に対しても丁寧な物腰を保っている。三女として甘やかされて育ったと聞いていたが、さすが貴族、しっかりとしたマナーが身についている。ヴェルさんとシャルロッテ様の母親同士が姉妹で、二人は従兄妹だそうだ。その繋がりで、呪いに詳しいソレイユ侯爵家でシャルロッテ様を預かって治療をしているそうだ。
『アイリス様、患者の脈拍と体温を計測します。また、使用している香水の成分分析も……』
医者ではないので診察ができるわけでないが、テオに症状とデータベースを照合してもらったところ、やはり中毒症状の可能性が高いようだった。
「シャルロッテ様、香水について詳しく教えていただけますか?」
「ええ。帝国から取り寄せた新作の香水の2種類を混ぜて使用しています……人と被らない自分だけの香水を作りたくて」
『アイリス様、かなり特殊な症例です。香水を重ね付けではなく、完全に混ぜて使用しているのであれば、複数の要因が複雑に絡み合っています』
「混ぜた香水の量と、症状が出始めた時期を教えていただけますか?」
「昨年の秋から、毎朝、『月の雫』と『淑女の誇り』を3:2で混ぜた香水を3滴ほどです」
「他に変わったことはありませんか? たとえば、香水をつける場所を変えたりとか」
「最近は首元だけでなく、手首にもつけ始めました。色々な場所に香りをつけると、より華やかになると思って……体調が悪くてお風呂にも入れないので、せめて香りを楽しみたくて」
『アイリス様、皮膚からの吸収箇所が増えたことで、症状が加速した可能性が高いですね』
シャルロッテ様の説明を聞きながら、テオは詳細なデータを収集していく。原因は明確になってきた。「夜月草は過剰摂取すると神経症状を引き起こす」という症状が、夜月草×黄金草という相反する性質を持つ薬草の組み合わせで37.6倍に増幅され、そこに銀毛鹿の麝香×金角羚羊の角粉末という同じ偶蹄類由来の希少な動物性高級原料の触媒効果が重なって体内に長時間蓄積されてしまったという複雑な症状だったのだ。
ヴェルさんに案内され、地下の調薬室へと向かう。
「アイリスさん、シャルロッテの症状、わかりましたか?」
階段を下りながら、ヴェルさんが不安そうに尋ねる。
「はい。香水に使われている夜月草と黄金草の相互作用で、本来の効能が予期せぬ方向に働いてしまったようです。動物性原料も影響していますが、解毒薬で対処できるはずです」
「さすがですね。うちの研究員たちも原因がわからず、途方に暮れていたというのに」
螺旋階段を下りながら、薬草の香りが強くなっていく。扉を開けると、そこには最新の蒸留器や分析装置、そして壁一面の薬草棚が。さすが、代々薬学を重んじる名家だけのことはある。呪いの解呪が侯爵家の悲願になり、薬学分野の後援だけではなく独自の研究チームまで持っているようだ。
「ヴェルさん、まず、使用する薬草を技能で選びます。それから調薬し薬を鑑定します」
「わかりました。秘密は必ず守ります。ですが、私にも手伝わせてください」
『アイリス様、ヴェル様の真摯な態度、信頼に値すると判断いたします。誠実さの数値が予想以上です』
(誠実さって数値化できるの? とりあえず、技能で薬草を選ぶって誤魔化したけど、技能「テオ様」、データベースで最適な組み合わせと分量を出力してちょうだいね)
ヴェルさんと二人での解毒薬の調薬が始まった。最初の調薬は、失敗だった。
「少し黄金草の量が多すぎたわね。夜月草の効能を相殺しようと思ったけど、これじゃ逆効果になりそう」
『アイリス様、夜月草の効能値が97.3%残存しています。黄金草の分量を3割減らし、月影華で調整を』
二度目も、三度目も、思うような結果は出ない。調薬後の薬効を確認するたび、私は首を振る。ヴェルさんは、本当に調薬作業に慣れているようで、先回りして薬草を刻んでくれたり、温度管理をしてくれたりで、とても助かった。でも、夜月草の効能を消しつつ、蓄積された毒素を排出する。相反する働きを持つ薬を作るのは、これまでにない難しい挑戦だった。
「アイリスさん……」
ヴェルさんが心配そうに声をかけてくる。その横顔に、高窓から夕日が差し始めていた。もう一日が終わろうとしている。
「大丈夫です。失敗は成功の母です」
「それは、ヴェルダント家の教えですか? そうですね失敗も前進の一歩ですね」
「はい、今日はここまでにします。方針を練り直してきますので、明日からもよろしくお願いします」
ホテルに戻って、テオと再検討をする。
『アイリス様、緑知の眼の解析結果と父上の手記を参考に選択するのであれば、月影華の代わりに夕霧草を使用してみては……』
(そうね。昼と夜の狭間の薬草なら、二つの効能を橋渡しできるかも)
それから3日かけて、何度も失敗を繰り返し、ようやく満足のいく色合いが出てきた。透明な液体に、かすかな紫の輝きが混じる。
「アイリスさん、これで解毒薬は完成ですね! 早速、シャルに──」
「いいえ、まだです。これから治験をして、副作用の確認をしないと」
「治験?」
「はい。この薬がどんなリスクを持っているか、予測と確認が必要なんです。新しい薬を作ることも大切ですが、その薬が安全かどうかを確認することも、それ以上に重要なんです」
私は緑知の指で薬効を確認しながら、想定されるリスクを一つ一つ検証していく。手足の痺れ、動悸、発熱、それぞれの症状に対する影響を丁寧に確認していく。ヴェルさんは、その作業を食い入るように見つめていた。
「そうか……私たちは新しい効能を求めることばかりに目を向けていた。安全性という考え方は、盲点だったな」
私は、治験の手を止めて、この世界の薬学を進歩させるために、ヴェルさんに説明した。
「私の場合は技能で治験の確認しています。でも、時間はかかりますが技能無しでも可能です。まずは小動物で安全を確認し、次に健康な人間にちゃんと危険性を説明したうえで低用量の薬の投与をして様子を見ます。それから、薬の量を増やし、実際の患者を対象にし、と段階的に安全性を確認していくのです」
「ふむ。そういえば、帝国では動物実験を新薬の許可条件にする動きがあると聞いたが、このことだったのか。父上やアカデミーに報告が必要だな。アイリスさん、情報をありがとう」
治験を終え、最後に薬の鑑定を行う。これで安全性が確認できた。
「シャルロッテ様に持っていきましょう」
病室に着くと、シャルロッテ様は相変わらず苦しそうな呼吸を繰り返していた。
「一日三回、食後に服用してください。あと、手首と首元は布で覆って……」
説明を終えて、一服目を飲んでいただく。しばらくすると、呼吸が落ち着いてきた。手足の痺れも、徐々に和らいでいくようだ。
「本当に……楽になりました」
その言葉に、ヴェルさんは思わず私に抱きついてきた。
「ありがとう、アイリス!」
『アイリス様! 警告です! ピーーッ! レッドカードです!』
(テオ! 私の頭の中でホイッスルを鳴らさないで! うるさーーい!)
その日の夕方、私は調薬室で研究員に引き継ぐための投薬記録を書いていた。後は、様子を見ながら薬の量を増やしてもらえば、問題ないだろう。ヴェルさんは研究員たちに説明をしているらしく、時折、驚きの声が聞こえてくる。
「たった3日で解毒薬を……しかも、これほど複雑な症例を」
「あの方は本当にまだ16歳なのですか?」
「治験ですか。私たちにはない発想ですが、非常に重要ですね」
「ヴェルダント家の血を引いているとはいえ、驚異的です」
『アイリス様、評価が上がりすぎて目立ちそうです。そろそろ引き際を──』
その時、上階のざわめきが聞こえてきて、慌ててシャルロット様の寝室に向かった。
「まぁ! シャルロッテ!!」
声の主は、シャルロッテ様の母親のようだった。どうやら知らせを聞いて駆け付けたようだ。客室から喜びの声が聞こえ、続いて父親らしき声も加わった。
「本当に呼吸が楽になったのか。よかった……本当に良かった」
その言葉に、私はホッと胸をなでおろす。
何かを聞きたそうにウズウズしてる研究員の方たちに、最後に薬の説明をしていると、ヴェルさんが声をかけてきた。
「アイリスさん、父上たちが外遊から戻られたが、急いで王城へ向かうそうで、お礼は後日改めたいとのことでした。その時、君のことを聞いたよ。父上も君に調査を依頼していたそうだね。侯爵家の呪いのことで」
「あぁ、お聞きになられたんですね。黙っていて申し訳ありませんでした。依頼された内容の秘密は必ず守ることにしているので、ご家族といえお話しできず……」
ヴェルさんは、嬉しそうに微笑んでいる。
『アイリス様、秘密にしたことは怒っていないようですね。ヴェル様の表情分析によると、むしろ喜んでいるような』
「これで、君ともっと一緒に研究ができる。アイリスさん、明日からもよろしく頼むね」
その本当に嬉しそうな満面の笑顔に、私の心は大きく揺れた。ヤバい、推しにガチ恋は不毛すぎる。ひとまず撤退だ。
「ヴェルさん、ごめんなさい。明日から、ちょっと支店の方の仕事が溜まっているので図書館は行けません。また、ご連絡しますね!」
1週間後に会ったシャルロッテ様は、歩き回れるほどに回復していた。三人でお茶をしていると、シャルロッテ様が申し訳なさそうに言う。
「本当にありがとうございました。ヴェル様にもアイリスさんにも、ご心配をおかけしてしまって……小さい頃から、ヴェル様はいつも私たちの面倒を見てくださって。図書館で本ばかり読んでいるのに、誰かが困っていると必ず助けてくださるんです」
(彼には守るべき大切な人たちがいるのね。家族も、幼馴染も、そして侯爵家の未来も。そして、やっぱり誰にでも優しいのね。勘違いしちゃったわ)
『私にとっては、アイリス様が守るべき一番大切な方ですよ』
(うん。ありがと)
帰り際、廊下で使用人たちの話し声が聞こえてきた。
「ヴェリアン様とシャルロッテ様、お似合いですよね」
「ええ、昔から仲が良かったもの。両家の奥様方も、その話を進めていらっしゃるそうよ」
「侯爵家同士のご婚約、すぐにも発表されるんじゃないかしら」
『アイリス様、これは単なる使用人の噂です。まだ確定的な情報ではありません』
でも、私の心はもう重くなっていた。呪いが解けないとヴェルさんの命にかかわる。でも解いてしまったら、同じ侯爵家のシャルロッテ様と……。
帰りの馬車を断って、急いで侯爵邸を後にする。空には夕暮れの茜色が広がり、街灯が一つ二つと灯り始める中、私は小走りで逃げるようにホテルへ帰った。
その夜、窓辺の月ちゃんに、私は呟いた。
「ねぇ、月ちゃん。撤退するのが遅すぎたみたい……人魚姫になっちゃいそうだわ」
テオは、珍しく何も言わなかった。月の光だけが、静かに私の頬を照らしていた。




