2-17 王都でアオハル(2)
足を滑らせた一件で、ヴェルさんとの関係は少し気楽な雰囲気に変わった。呪いについての資料を探しながら、時には雑談を交わす。ヴェルさんは本当に博識で、古代の薬学から歴史まで、詳しく教えてくれる。
「ヴェルさん、これを見ていただけますか? この本のここに出てくる解呪の儀式、何かご存じでしょうか……私、儀式は全くわからなくて」
「ふむ、この儀式の一部は、今でも王宮の祝祭で行われている儀式と似てますね。エイレニア王家では、王位継承者の成人式で「叡智の灯火式」という儀式を執り行うとされています。智慧草と松明を使うところや、儀式の流れが似ていますね」
彼の知識に感心しながら、私は思わずため息をついた。王家の儀式に詳しいなんて、やっぱりヴェルさんは貴族なんだろなぁ。
『アイリス様、この三日間で、ヴェル様の知識量に関するデータを収集できました。確かに、王立学院で学んだ程度を遥かに超えていますね』
(珍しく褒めるのね。やっと認め始めた?)
『いえ、むしろ不自然なほどの知識量です。まるで、当事者のような……』
「アイリスさん、少しよろしいですか? この部分、とても興味深いのですが、古語の細かいニュアンスがわからなくて……」
彼が指差した箇所は、呪いと薬草の関係について書かれていた。病と思われていた症状が、実は特定の薬草による影響だったというケース。私も気になっていた記述だ。
『なるほど……これは鋭い着眼点です。あ、いえ、アイリス様が既にお気づきだった点を指摘しただけです。私が高評価したわけでは……』
(はいはい。この記述はケーススタディの資料に入れておいてね)
「この古語の部分は、ある辺境の一族が「森の呪い」を受けたため、薬草が悪い働きをするようになって病が悪化したと書かれています。実際は、ある体質の一族にとって、特定の薬草が毒だったという可能性も考えられますね。因果関係が逆かもしれません」
「なるほど、他の人にとっては薬になる薬草が、ある一族にだけ悪い方に作用したことが、「森の呪い」という不確かなものに置き換えられたのか。呪いよりもその方が納得できるな……やはりあの症状は……うーん、可能性としては……」
何か考え込んでいたヴェルさんが、顔を上げて深刻な顔で話し始めた。
「アイリスさんの意見をお聞きしたいのですが……実は、私の幼馴染が原因不明の体調不良で苦しんでいるのです。何人もの医師にも診てもらいましたが、誰も原因がわからなくて……もしかしたら、呪いではないかと相談されていて」
私は思わず身を乗り出していた。不謹慎だが、侯爵家の呪いの参考になるかもしれない。
『アイリス様、気になりますね。この件を解決出来たら、侯爵家の呪いの解決のヒントになり、ゆくゆくは古代語コレクションへの扉が──』
「具体的な症状を教えていただけますか?」
ヴェルさんは、幼馴染の症状を詳しく説明し始めた。15歳の女性で、半年前まで健康だったのに、急に、めまい、食欲不振、息苦しさ、喉の締め付け感が出始めたそうだ。最近は手足の痺れまで出てきたという。また、皮膚の一部が赤く腫れているそうだ。
(息苦しさや喉の締め付け感って、前世の知識からすると、アレルギーっぽいわよね?)
『アイリス様、食欲不振で食べていないのに症状が重くなっているということは、食品のアレルギーではなく、化粧品もしくはボディクリーム、入浴剤などの肌吸収の可能性が高いかと』
「ヴェルさん、幼馴染の方の生活習慣に、なにか変化はありましたか? 特に身に着けるものの変化が重要かもしれません。ドレスショップ、寝具、化粧品、入浴剤、香料など」
「うーん。ドレスや寝具はわかりませんが、そういえば……秋に、帝国製の新作の香水を愛用し始めたと聞きました。今も寝たきりなので、気分がよくなるように香水を使用していると言っていたような」
香水! ビンゴ? 幼馴染の女性を直接、確認しないと断言はできないけど、可能性はありそうだ。
「香水に関する文献を探してみましょう。この図書館なら、きっと何か見つかるはずです」
私たちは東棟へ向かった。特別閲覧室から一般書架のある階へ移動する間も、テオは図書館の地図を表示しながら、ヴェルさんの歩き方や姿勢を分析し続けている。
『やはり良家のご出身かと。廊下を歩く際の足音の静かさといい、すれ違う人への目配せといい……職員への態度に横柄なところはありませんが』
(観察するのは自由だけど、辛口分析はほどほどにね)
テオは何でそんなにヴェルさんを気にするのか……ちょっとめんどくなってきたんだけど。
それにしても、時間の過ぎるのが早い。もう午後になる。王都の毎日はあっという間だ。
『それは明らかに、ヴェル様との会話を楽しまれているからかと。前世のデータによると、恋愛感情は時間感覚に影響を──』
(テオ、からかわないでよ。でもそうよね。押し活の時間の溶け方は異常だもんね)
図書館の階段を上がりながら、私はヴェルさんの横顔を盗み見た。あぁいうシャープなあごのライン、好みなんだよね。窓からさす光が彼にかかるだけで、映画の1シーンのように見える。大ファンの俳優が目の前にいるような、なんとも不思議な感覚だ。
でも今は、そんなことを考えている場合ではない。大切な人を心配する彼の気持ちに、私は精一杯応えなくては。大切な人が15歳の女の子ということは、気にしないことにする。少し胸が痛い気がするけれど、気のせい気のせい。
香水の製法に関す文献を調べるが、香水の材料と言っても幅が広い。植物系、動物系、その他いろいろ。植物系でも花、葉、種、果実の皮、樹木など、すべてのアレルゲンのパッチテストを開発するのは難しいし、息苦しさが出ている状態でパッチテストをするのはアナフィラキシーの可能性があるし……どうやって原因を特定したらいいんだろう。
『昨年の帝国の新作香水で輸入された物は、3種ほど確認しております。帝国では、伝統的に植物性3種、動物性2種を調合して香水を作ります。いずれもレアな高級素材が使われておりますので、メモ帳画面で展開いたします』
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1.『淑女の誇り』
植物性:黄金草、紫威草、王冠草
動物性:紫羽孔雀の尾羽、金角羚羊の角
2.『月の雫』
植物性:夜月草、銀霧草、宵闇草
動物性:銀毛鹿の麝香、真珠蝶の粉末
3.『深緑の記憶』
植物性:翠玉草、杉霧草、緑雨草
動物性:翠斑豹の香嚢、青眼蜂の蜜
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(さすが、テオ! 15種類に絞れて、めっちゃ助かる。まずは、これを調べてみるわ!)
「ヴェルさん、昨年、帝国から輸入されている香水には、かなり珍しい原料が使われています。リストを作りますので、手分けして調べてみましょう」
「すごいですね。大商会の販売員だと、こんな情報まで把握されているのか。では、アイリスさんは植物性材料はお任せします。私は動物性材料を調べてみますので」
二手に別れて、材料の情報を調べることになったけど、植物性材料は全て薬草辞典で確認できた。
(データベース的に怪しいのは 『月の雫』 の夜月草よね。過剰摂取すると神経症状を引き起こす可能性があるとなっているわ)
『アイリス様、症状と一致しますが、通常の使用では、これほどの重篤な症状は発生しにくいはずです。何か見落としている要素があるかもしれません。』
(そうね。その幼馴染さんだけが発症するのはおかしいわよね。もっと多くの女性に症状が出るはずだわ。未知のレアなアレルゲン? うーん……本人から話しを聞くしかないのかな)
『ヴェル様は間違いなく貴族だと思われますので、きっとその幼馴染の方も……』
(だよねぇ。お貴族様とはあまり関わりたくないけど、でも、相談されたからには、ちゃんと治したいわ。怪しい材料がわかれば、緑知の眼で解毒薬も作れるかもしれないし)
方針を決めきれないまま、ひたすら書物をめくっていると、別の書架に行っていたヴェルさんが戻ってきた。
「アイリスさん、動物性材料について一通り調べましたが、それぞれの材料には問題がないようです。ただ、気になる記述を見つけました。ここです」
ヴェルさんが、書物の一部を指さす。
「動物性材料の組み合わせには注意が必要……特に強い生命力を持つ高級材料同士は、予期せぬ反応を引き起こし深刻な状態になることもある。例えば……銀毛鹿の麝香と金角羚羊の角粉末……同じ偶蹄類由来の高級材料を重ねると、一般的な動物性材料より強い拒絶反応が出る場合がある……え! これって」
「そうなんです。もしも 『淑女の誇り』 と 『月の雫』 を重ねづけしていたら……」
『アイリス様、重ねづけを想定しますと、夜月草と黄金草のように昼と夜の相反する性質を持つ薬草の相乗効果も問題を引き起こすことがあると父上の記録にあります』
「ヴェルさん、その幼馴染の方に重ね付けしているか確認してください。私は解毒薬の資料を探してみます。あぁぁ、王都支店には調薬室が無いわ。どこか環境調整ができる調薬室を探さなくては……」
「アイリスさん、調薬室は任せてください。解毒薬について調べましょう」
夕暮れまで、私たちは資料を探し続けた。窓から差し込む柔らかな光が、古い本の背表紙を金色に染めている。静かな図書館に、ページをめくる音だけが響く。
侯爵家の呪いの調査は進まなかったけれど、香水の重ね付けは、複数の薬を飲む場合の注意を思い出させてくれた。お薬手帳がないこの世界では、やはりヒアリングは慎重にしなければならない。薬や薬草の飲み合わせのマニュアルを、ソルディトに戻ったらすぐに作ろう。その前に、とりあえず、幼馴染さんの解毒薬を作らなくちゃだわ。
『アイリス様、本来の目的を見失わないよう……』
(わかってるわよ。でも、これも呪いと病気の関係を調べる大切な手がかりになるはずよ)
『はぁ……アイリス様の優しい性格は、時として……』
(なによ、おせっかいって言いたいの?)
『いいえ。それがアイリス様の魅力ですから』
テオの声が、珍しく優しかった。急に褒められて、驚いて私は言葉が出なかった。
幼馴染さんの症状については、香水が原因である可能性が高まってきた。解毒剤の調合法も見つかりつつある。でも、夕方になるにつれ、ヴェルさんの様子がどこかおかしい。何か言いたげな表情で、私を見つめては俯く。別れ際に、ヴェルさんは思いつめた様子で話し始めた。
「アイリスさん……明日、私の馬車で迎えに来てもいいでしょうか。幼馴染の容態を直接診ていただきたくて」
「え? あの、私でよければ」
「はい。私にはあなたしか考えられません」
その言葉と熱のこもった眼差しに、心臓が跳ねる。
『アイリス様、心拍数上昇。ですが今は冷静に──』
「でも、その前に話しておかなければならないことが」
ヴェルさんは深く息を吸って、続けた。
「私は……ソレイユ侯爵家のヴェリアン・ドゥ・ソレイユです」
「え?」
『やはり、呪いの相談をしてきたソレイユ侯爵家の方でしたか。長男レオナール様は体調を崩されて寝たきりとの噂。次男のヴェリアン様、つまりヴェル様は18歳。ゴシップ誌では呪われた家系のため婚約者はまだ決まっていないと──』
(テオ、いつの間に調べたの?)
『アイリス様の心拍数上昇が気になりまして、たぶんそうであろうと、彼に関する情報を収集していたところです』
(侯爵家の方だったなんて……でも、あの立ち居振る舞いを見てたら、納得かも。呪いのことをずっと調べていたのも、お兄さんと自分のためだったのね)
『ヴェル様は直系ですが、まだ発症の兆候は見られないようですね』
(それは、良かったけど……)
「私の立場を知って、警戒されるのではと思うと……アイリスさんと一緒にいる時間が楽しくて、なかなか言い出せませんでした」
ヴェルさんが、気まずそうにうつむく。
「あの、ヴェリアン様……私、マナーは勉強中で、話し方も不慣れなのですが──」
「アイリスさん! 今まで通りヴェルと呼んでください。貴族と言っても次男ですし、自分は侯爵家を継ぐわけではありません。今まで通りでいてほしいです。私は私です。何も変わりません」
急に目の前まで進んできて、私の手を掴んで真剣に話す彼の強い眼差しに、ドキドキする。顔面の破壊力が凶悪すぎる。また、テオが心拍数のデータを記録してるに違いない。
「わかりました、ヴェルさん。明日、幼馴染さんに直接、会ってみます」
『アイリス様、侯爵家の呪いのことを直接聞いてみては?』
(ダメよ、テオ。コンサルタントが社長から受けた相談内容を、勝手に取締役に伝えるようなものだわ。信頼関係を壊すことになるもの。少なくとも侯爵様と話してからじゃないと)
『さすがです。アイリス様のその倫理観、とても望ましいと判断します。ところで、ヴェル様との距離が近づいておりますが……』
(これ、どうしたらいいの? 心臓が持たないんだけど! 月ちゃん助けてーー!!)




