2-16 王都でアオハル(1)
王立図書館の奥深くにある古文書特別閲覧室で、私は古い文献を広げていた。手紙に同封されていた侯爵家の紹介状で、特別閲覧室の入室許可がおり、テオは歓喜のあまり3分もフリーズしていた。残念ながら、「古代語コレクション」はこことは別なので、侯爵家の呪いを解決出来たら、成功報酬として入室をお願いしてみることに決めた。というか、あざとい泣き声のテオに決めさせられた。なんかテオが、どんどん子芝居を覚えてる気がする。
エイレニアの歴史的な呪いについて書かれた書物や巻物の山を前に、テオと相談しながらメモを取る。
(この本には王族に関わる呪いの事例がいくつか載ってるけど、どれも解呪の方法が曖昧ね)
『はい。具体的な解決方法の記述は少なく、ほとんどが伝説的な内容です。もう少し科学的なアプローチの記述を探しましょう』
(そうよねぇ。頭に鹿の角が生える呪いなんて、薬で解呪できるとは思えないし、その角で100万人の死体を操ったなんて絶対に嘘松乙だし……でもさ、呪いの中には、遺伝病を呪いと誤解していたケースもやっぱりありそうじゃない? この視力が弱い一族の呪いとか、っぽいよね。古文書では環境要因を確認できないのがもどかしいな)
『アイリス様、本日これからのスケジュールです。特別閲覧室の利用許可は16時までとなっております。その後、王都の野菜・果物関係の市場調査を──』
古ぼけた革表紙の本を開き、テオの言葉を聞き流しながら昨日届いた手紙のことを思い出す。筆頭侯爵家であるソレイユ家に代々伝わる呪い。直系の男子が25歳前に早世するという呪いは、既に8代に渡って続いている。依頼書には「薬学的な見地からの調査を望む」と記されていた。コンサルタントとしては、まず先行事例の調査からだけど……。
『アイリス様、次は北棟の歴史書を確認──』
テオの声が途切れる。書架の向こうから物音が聞こえた。特別閲覧室の利用許可は滅多に下りないと聞いていたのに、誰かいるのだろうか?
「ああ、すみません。他の方がいらっしゃったとは」
入り口側の書架の裏から、端整な顔立ちの青年が現れた。銀髪に緑の目がキラキラしていて、背景に薔薇の幻が見えるような優しげな顔立ちのイケメンだ。深い緑のジャケットに白のシャツ、上質な生地のズボン。着こなしも立ち居振る舞いも洗練されていて、きっと良家の子息に違いない。前世で言えば、イートンを出てケンブリッジに進むような上流階級の雰囲気だ。
『アイリス様、見惚れすぎではございませんか? 第一印象の好感度が高すぎて、判断力が低下する恐れが──』
(えぇぇ、だってイケメンは正義だよ? なんかアイドルみたいでドキドキしちゃう)
青年は紳士的な物腰で頭を下げ、私の手元の本を見て話しかけてきた。その仕草には、どこか生まれながらの品格が漂う。背筋はまっすぐに伸び、歩き方にも優雅さが感じられた。
「そちらの本は、エイレニア王族の呪いの手記ですね? 私もちょうど、古い呪いについて調べていたところです。もしよろしければ、ご一緒してもよろしいでしょうか?」
「ええ、呪い関係の書物は一通りここに持ってきて独り占めしてしまっていて……申し訳ありませんが、このままここで調べていただけると私も助かります」
「ヴェルと申します。実は、ある呪いについて調べているのですが……」
「私もです。でも、具体的な解決方法が書かれた資料が見つからなくて」
『アイリス様、彼も呪いを調べているとは……少々不自然ではございませんか?』
(珍しいと言えば、珍しいかも?)
彼は古文書の扱いに慣れた手つきで、丁寧にページをめくっていく。
『なるほど、確かに作法は完璧ですが……どこか計算されたような映え狙いの角度です。アイリス様、警戒を怠らないように』
(テオ、何でそんなに疑り深くなってんのよ……テオ、嫉妬してる? それとも、私が他の人と一緒に調査するの、気に入らないの?)
『嫉妬などという感情は、高機能AIアシスタントの私には……ただ、データの共有には慎重になるべきかと』
(はいはい。クライアントの守秘義務は守るわよ。前世でも入社して最初に叩き込まれた基本だもん。エレベーターや飲食店ではイニシャルで会話してたわ。懐かしい)
私も侯爵家のことは話さなかったが、ヴェルさんも、自分が調べている呪いについては詳しく語らない。何か事情があるのだろう。でも、二人で黙々と資料を探す中で、時折意見を交わすうちに、彼の博識ぶりに感心させられた。エイレニアの古語も読めるようだし、歴史的背景の説明は学者のように詳しい。そして、相手の理解度に合わせて分かりやすく説明してくれる優しさが嬉しい。もう推すしかなくない?
『確かに知識は豊富ですが、アイリス様の方が実践的な経験をお持ちです。それに、解読の精度は私のデータベースの方が上回って──』
(ヴェルさんが読んでる書物まで、ちゃっかりデータベースに取り込んでるじゃない。目の保養にしてるだけだから、そんなに目くじら立てないでよ)
明らかに、ヴェルさんをライバル視しているテオに笑ってしまう。
翌日も、図書館で一緒に調べ物をした。
私は休憩中に、少しだけ調査方針を明かすことにした。環境要因、遺伝的要因、社会的要因に関する情報収集をしていること、呪術的な呪いではなく、原因と解決方法を科学的に証明できる可能性を探していることを話すと、ヴェルさんにとっては目から鱗だったようだ。
「私は、呪術的な呪いについて、歴史書や民族史、風土史、宗教史などをずっと調べてきました。しかし、『特定の血統や環境が影響して呪いのような症状を引き起こす』 というアプローチは論理的ですね。私は5年間、一体何をしていたのだろう……」
「ヴェルさん、そういった歴史の詳しい知識は、文献から有効な情報を精査する際に、大変重要な知見になると思います。語学のレベルが非常に高いのも努力されたからですよね」
「そう言われても、年下のアイリスさんの方が、語学が上手じゃないですか。エイレニア古語だけではなく、解明されてない古代語の知識もお持ちのようですし、外国の本もスラスラ読んでいる。少し失礼かもしれませんが……もしかして語学が堪能になるという 『言霊の耳』 スキルをお持ちなのでしょうか?」
『アイリス様は、私の翻訳機能があるので、語学系スキルは不要です!』
「そんなスキルは持っていませんよ。私は亡くなった両親から幼少期に色々な言葉の基礎を習いました。その後、独学で勉強を続けています。今は出張兼休暇で一か月ほど王都に来ていますが、本来はソルディトで商会の販売員をしているんですよ。ソルディトは外国の方も多いので、どんどん語学が鍛えられているところです」
テオはスルーして、ふんわりと話しをそらした。緑知の指のことは、できるだけ秘密にするようにレオン会長に言われている。
「ソルディトの方なんですね? じゃあアイリスさんが帰る前に、いっぱい質問しないといけないな。古語や外国の文献は、なかなか解読が進んでなくて……」
「わかりました。文献はいくらでも読みますので、王都のおススメのショップとか教えてください。商会の市場調査もしないといけないのですよ。申し遅れましたが、こちらが私の名刺です」
「今、大評判のシルヴァークレスト商会の方でしたか。私は学生で名刺を持ち歩いて無くて……王立学園の高等部3年で、来季から薬学の研究院に進む予定です。あの……家名がヴェルダントということは、もしや緑地の指を持つ 『薬仙』 のサージ・ヴェルダント氏や、帝国で調薬技術を発展させた薬学の英雄ザイラス・ヴェルダント氏は、ご親戚ですか?」
「祖父と父です。田舎の薬屋でしたが、王都で有名なんですか?」
「もちろんですよ! 薬学に関わっている者なら誰でも知っています。私にとっても憧れの二人です。アカデミーの教授たちですら、きっとアイリスさんの話を聞きたがると思います。王立医学院がどんなに誘ってもお二人に断られたのも有名な話ですよ」
えぇぇ、マジか。転生とかテオとか秘密がいっぱいの私としては注目を浴びたくないのにぃ。
『アイリス様、大商会で開発に関わる以上は、名前が知れ渡るのも時間の問題ですよ。天気予報システムもできあがれば画期的ですし、名刺でも名前が広まりつつあります。現に、伯爵令嬢や侯爵家から名指しで依頼がきているでしょう』
「ヴェルさん、あの、内緒にしてください。祖父や父と同じで、私もあまり目立ちたくないので」
「わかりました。呪い調査の心強い仲間ができて、私はとても幸運でした」
こうして、これからもお互いに情報交換することになった。イケメン友達GETだぞー!
「あ、この本も参考になりそうです」
3日目に会ったヴェルさんが指差したのは、書架の上段に置かれた分厚い古書だった。古語で 『エイレニア前史』 と書かれている。建国前の記録かな? 私も踏み台に載って、背伸びをして確認しようとしたその時──
「危ない!」
古びた踏み台がぐらついて、足を滑らせてしまった。彼は咄嗟に重たそうなその本を左手に持ったまま、右手で私を抱え込んで助けてくれた。
『アイリス様!』
「大丈夫ですか?」
ヴェルさんは本を守りながら、見事に私を着地させた。一見、鍛えているように見えないのに、まるで訓練された騎士のような見事な動きだった。抱え込まれた時に香った爽やかな香水や腕の逞しさを思い出して顔が熱くなる。これがかの有名な 『吊り橋効果』 ! 恐るべし!
『なるほど。わざと危ない場所の本を示して、近づこうとする手法ですか』
(いや、テオ、疑いすぎだって。純粋に呪いの調査をしてるだけじゃない)
『アイリス様の純真さにつけ込もうとする輩も……』
(テオ! 足を滑らせたのも、優男タイプイケメンに弱いのも私だから!)
ヴェルさんが書物を机に丁寧に置いてから、私の心配を始めた。
「危うく貴重な古書を危険に晒すところでした。アイリスさん、お体に触れて申し訳ありませんでした。お怪我はありませんか?」
本のことを一番に気にかける彼の姿に、思わず笑ってしまう。どこかのデータマニアさんに通じるものを感じる。
『はぁ……確かに、本の扱いは申し分ありませんね』
テオの声が、少しだけ柔らかくなったような気がした。
アオハル編は全4話になる予定です。よろしくお願いいたします。




