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王都三日目の爽やかな朝の満足な朝食後に、ホテルのレセプションで伝言を受け取った。エトラ支店長から、本日午後2時にフォンテーヌ伯爵令嬢と面会の約束が入ったと伝えてきたのだ。爽やかな朝が、一気に緊迫した朝に変わる。ヤバすぎる。
「テオ! マナーの勉強を手伝って!」
『承知いたしました。アイリス様、すぐに図書館へ参りましょう』
図書館に着いたのが6時45分。一度、帰って着替えることを考えると、13時には図書館を出たい。6時間ちょっとで付け焼刃マナーを覚えなくては!
一番奥へ直行して、仕切りのある広めの閲覧机をキープし、すぐにマナー本の山を作った。
(どれから読むべき? もう、テオの指示に全面的に従うわ)
『まずは、その赤い 『最新大陸マナー大全』 、それから茶色の分厚い 『エイレニア王国 作法の文化史』 、その下の5冊組の 『貴族令嬢のマナーブック全5巻』 を全ページめくっていただいて、方針を決めましょう』
(わかった、いつもよりスピードアップしてめくる!)
そして、40分ひたすらめくり続けた結論は……
『アイリス様、貴族のマナーは場面によって変わります。まずは来客時と訪問時のうち、今回がどちらにあたるのかを支店長に確認する必要があります。そして、伯爵令嬢の年齢によって、目上の方か、年下の方かで対応が変わります。他にも、伯爵家の長女なのか、他に嫡男がいるのか、婚約者はいるのかでも違いがあります。また、正確なマナーを決めるには、伯爵家の状況確認も必要です。一言で伯爵と言いましても、筆頭に近い伯爵家か末端に近い伯爵家か、領地の広さ、納税額、王都内のタウンハウスの規模、その他諸々の状況によっても作法が変わるようですね』
「……」
『アイリス様、どうなさいますか? 貴族年鑑は別棟に移動になります』
「無理ゲー……詰んだ」
『では、5歳児用の初心者マナーを覚えて、本日の面会を乗り切りましょう。その後は支店長に相談してマナー教師に習う方が早いです。言葉での説明には限界がありますので』
「5歳児ね……あたち、あいりちゅ、よろちくね、テオしぇんしぇー」
別棟の貴族年鑑で伯爵家について調べ、西棟の貴族のゴシップ雑誌3年分に目を通し、子ども向けの絵が多いマナー本で勉強した。最初の挨拶、尊敬語・謙譲語、会話の話題マナー、出されたお茶の飲み方など、落ち着いて確認すると前世の日本と変わらないマナーが基本で、どうにかなりそうだ。5歳児なので、「ウィットに富んだ言葉や詩的な表現」は諦めます。食事がないので、かなり助かったみたい。2時でよかった!
『アイリス様、先ほどの本が興味深いです。 『貴族のスキャンダル秘録集』 とありまして、アルティル男爵様の馬車乗り逃げ事件や、ノートン侯爵家の密室宝石紛失事件など有名事件が色々な角度から検証されています』
テオの声は弾んでいて、面白がってそうだ。
「え? ミステリーじゃなくて、実録なの?」
『ノートン侯爵家三代目当主時代に、屋敷に閉じ込められた姫様が密室から失踪したそうです。現場には赤い靴と謎のメモが残されていて、家宝の47カラットのエメラルドが……』
「テオ、その話はやめましょう! ホラゲ苦手だし。ここいあるマナー本を全部めくるから、データベース化してちょうだいね」
30冊以上のマナー本をめくりながら、テオに手伝ってもらってデータベースを作っていく。相手の身分によって、お辞儀の角度まで変わるのは知っていたけど、場面によっても変わるらしい。もう、全部90度にしてくれよ……涙。
「マジで無理、これ全部覚えるの100年かかっても無理……」
『アイリス様、私がその場その場でアドバイスさせていただきます』
「うん、テオのデータを頼りにするわ。でも、茶器の持ち方とか、歩き方とかいう以前に、私アイリス・ヴェルダントが、シルヴァークレスト商会のコンサルタントだって自己紹介することから間違ってるんじゃない?」
『今は商人階級にも身分制が緩やかになりつつあり、レオン会長がスカウトした人物として信用できる立場を主張できます。ただし、初対面の貴族様には遠慮がちに、馴染みの貴族様には堂々と、といったように、見極めた対応を──』
「もう、複雑すぎる! あたちは5歳だもん!」
そうして王都支店に到着すると、エトラ支店長が優しく声をかけてくれた。
「アイリスさん、フォンテーヌ伯爵家は庶民に差別意識はありませんし、アデリーヌ嬢は控えめな大人しい方なので、アイリスさんの方から積極的に話しかけてあげてください」
「あぁ、はい、頑張ります。あはは……」
2階の応接室に向かう。その途中、エトラ支店長がにこやかな声で付け加えた。
「それと、アデリーヌ嬢との面会の後、侯爵家からの依頼もありますし、今後、アイリスさん指名の問い合わせは増えると思われます。貴族対応の専門になっていただく予定なので──」
「ムリっす! 申し訳ありませんが! それはレオン会長と相談していただかないと。これ以上の依頼は、私、お断りします。というか、商会を辞めてヘルバに帰ります!!」
エトラ支店長は、思いがけない反応に驚いたようだ。
「まぁまぁ、落ち着いて。レオンと相談しましょう。まずは、アデリーヌ嬢の対応を──」
白いドアを開けると、窓辺で外を眺める若い女性がいた。淡いピンク色のドレスに身を包んだ女性は、一度も日に焼けたことがないであろうビスクドールのような完璧な美しさで、私の方を向いて微笑んだ。テオのアドバイス通りのお辞儀をすると、アデリーヌ様は手を差し出してきた。
『アイリス様、差し出された手は軽く握り返すだけでよろしいかと』
アデリーヌ様の手に両手で軽く触れると、当たり前ながらもほんのり暖かくて、青い血でも同じ人間なんだと緊張が少しほぐれ始めた。彼女が差し出してきた名刺を受取り、その優しいデザインと控えめな香りに助けられて、指先の震えも自然と収まっていく。
一緒に対応してくださっているエトラ支店長が、紹介に入ってくれた。図書館でテオと考えた若干怪しげな最初の挨拶を、背筋を伸ばし、しっかりと目を見て告げた。
「アイリス・ヴェルダントと申します。このたびは、お目にかからせていただきまして、身に余る光栄でございます。私は田舎町で育ちましたので、貴族のご令嬢様とお言葉を交わさせていただくのは初めての経験でございます。不慣れゆえ、お気に障る振る舞いがございましたら、何卒ご容赦賜りたく存じます。ご要望がございましたら、微力ではございますが、精一杯お手伝いさせていただく所存でございます」
「アイリスさん、本日は時間を作っていただき、ありがとうございます。単刀直入に申し上げますと、実は、イスヴェーリアの大使夫人にお渡しする名刺の相談にのっていただきたいのです」
「大使夫人……ですか。何か、特別な名刺ということですね」
支店長が、すぐに様々な名刺のサンプルを机に広げていく。よし、勢いで突っ走ろう。
『アイリス様、イスヴェーリア王国は、前世で言う北欧のような国で、森や湖などの豊かな自然を大切にしている国です。国花は白雪花。高山に咲く可憐な花で、永遠の絆を象徴するとされています』
「大使夫人様がご使用なさるのであれば、イスヴェーリアの国花の白雪花を押し花にして使うのはいかがでしょうか?」
「素敵なアイデアですわ! 大使夫人にふさわしい名刺になりそうですわね」
「アデリーヌ様、急ぎ白雪花の在庫を確保しますので、このアイリスと打ち合わせをお続けください」
支店長が、執務室を早足で出ていく。でも名刺の話なら緊張しなくても大丈夫。なんなら男性の支店長がいなくなって、ちょっと空気が緩んだくらいだ。
「香りは、イスヴェーリアの森の香りを表現できたらと思っていたのですが……こちらが、伝手で手に入れたイスヴェーリアの針葉樹のチップです」
「暖かみのあるシダーウッドの香りですね。例えば似たような清涼感がある杉霧草のアロマオイルを……大使夫人であれば、その中に華やかな香りも少し付け足してもいいですね」
『レースカット加工がそろそろ完成している頃です。一度、ソルディトに問い合わせましょう』
名刺のデザインを決めていく中で、アデリーヌ様も私もリラックスしてきた。テオがモチーフのアイデアを出し、私が名刺に加工する方法を提案し、アデリーヌ様が色や香りを決めていく。紺色のメタリックインクで文字を印刷し、レースカット加工を施すことに決まった。
デザインが決まってから、ようやくゆっくりとお茶の時間になった。
「アデリーヌ様、このお茶をお試しください。私がヘルバにいた頃に開発した『春うららお肌つやつや薬草茶』です。美肌効果と保湿効果がある春霞草と新陳代謝促進効果がある蜜雫草をブレンドしていて、美容効果が大変高い 薬草茶でございます」
「まぁ! これは本当に美味しいわ。それに、お肌がポカポカしてきて、ほんのり甘くて……これは素晴らしいわね。次のお茶会で是非お出ししたいのですが、王都支店で手に入りますの?」
「申し訳ありません。本店から取り寄せることはできますが」
「ぜひお願いね。それにしても、アイリスさんって色々な才能をお持ちで本当に羨ましいわ。実は、私はつい最近まですごく人見知りだったの。初対面の方のお顔を見ることすら苦手で避けていたわ。でも、名刺のおかげで、初対面の方とお話しする時の緊張が少し和らぐようになって……本当に感謝していますの」
「アデリーヌ様は、素晴らしい才能の持ち主ですよ。イスヴェーリア国に対する心遣いの細やかさ、そしてデザインのセンスは、本当にお見事です」
互いを認め合う二人の会話は、春の陽射しのように温かく、優しいものだった。
アデリーヌ様を見送った後、受付のお姉さんが声をかけてきた。
「アイリスさん、侯爵家からの書状が届きました。エトラ支店長の執務室に向かってください」
心臓が口から飛び出そうになる。侯爵家といえばマーベラスハイランクウルトラスペシャル超高級貴族である。午前中、図書館でテオに聞かされたスキャンダル本の内容が蘇り、胃が痛くなる。
『アイリス様、落ち着いてください。心拍数が通常の1.5倍になっています』
(だって、テオ。封書の中身を見るのが怖いわ……密室殺人の謎解きは無理よ)
エトラ支店長が茶を勧めてくれた。支店長の執務室には、大きな窓から柔らかな日差しが差し込んでいた。机の上には、紫色の封蝋で閉じられた封書が銀のトレイの上に置かれている。蝋には家紋らしき図案が刻まれていた。
『あれは、筆頭公爵家のソレイユ家の紋です』
「お読みになりますか?」
エトラ支店長が静かに声をかける。
私は、深呼吸をして、封を切った。中から、薄手の上質な薄紫の洋紙に丁寧な文字で書かれた手紙が出てきた。
手紙には、ソレイユ侯爵家に代々伝わる呪いについて、薬学的な見地からの調査を望むと記されていた。直系の男子が早世するという呪いは、既に8代に渡って続いているそうだ。調査期限は1年後。
「期限が1年もあるなんて、思ったよりマシでした」
エトラ支店長に手紙を返しながら言う。
「アイリスさん、期限に余裕があるのは、それだけ慎重に調査してほしいということですよ。特にソレイユ家は、マナーには非常に厳格な家柄です。1年かけて、しっかりとマナーも勉強してください」
「はい。でも、レオン会長のような大胆な所作は真似しませんから」
「ああ、くれぐれもレオンを手本にしないでください。彼の "野生児マナー" は、貴族にとって最大の侮辱になりかねません」
「絶対に真似するわけないじゃないですか!」
ホテルに戻り、早速、呪い解呪の方針の策定に取り掛かった。王都視察より、侯爵家の依頼を優先して欲しいと言われたのだ。成功してもしなくても、既に商会には多額の依頼料が届けられたらしい。プレッシャーが凄すぎる。さすがお貴族さま……
『アイリス様、メモ帳画面ホワイトボードモードを展開します』
頼れる相棒テオと相談しながら、決めていく。
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■ノートン侯爵家の呪い 初期分析シート
1.背景と目的
・直系男子の早世が8代継続
・原因の特定と解決策の提示を要求
・期限:1年後
2.初期分析
【環境要因】
・屋敷の環境(水質、地質、建材)
・食生活、生活習慣・地域特性
【遺伝的要因】
・家系図の確認・男系の健康状態
・結婚相手の出自
【社会的要因】
・教育環境・社交範囲
・家訓や躾の厳しさ
3.初期行動計画
Phase1(1~4ヶ月):情報収集
・文献調査・類似事例収集
・家系図の入手分析
Phase2(5~8ヶ月):中間分析
・仮説の構築
・検証方法の検討
Phase3(7~12ヶ月):検証
・仮説の検証・解決策の検討
・報告書の作成
4.現状の課題とリスク
・貴族のマナーが未習得
・医学的知識の不足
・家系の機微情報の取扱
・呪いと科学の線引き
5.1年後の目標
必達目標:
・原因の特定(複数可)
・具体的な解決策の提示
・侯爵家に失礼のない対応
理想目標:
・男子早世の予防法確立
・将来の協力関係の構築
・薬学的知見の拡大
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「こんな感じでどう、テオ?」
『さすがはアイリス様。前世のビジネス経験が活きた素晴らしい分析です。特に初期行動計画のPhase分けは理にかなっています』
「あとで、各Phaseの詳細なスケジュールも作らないとね。原因は複数かもしれないけど、呪いって言っても、8代続く早世なら遺伝病の可能性が高いと思う。それが薬学で解決できるかは微妙だけどね」
『その通りです。早速、図書館で類似事例を──』
「でしょうね。テオなら絶対にそう言うと思った! 王都にいる間の読書計画を練り直してね。今晩の分から」
『アイリス様……!』
月が昇り始めた頃、私たちは再び図書館へ向かった。王都にいられる時間は有限だ。これからは夜ものんびりしてられないな。




