2-13 王都出張2日目(1)
朝靄が晴れ始める頃、珍しく起こされる前に目が覚めた。目をこすりながらカーテンを開けると、王都サピエンティナの美しい景色が広がっていた。
「おはよう、テオ」
『おはようございます、アイリス様。よく眠れましたか?』
「ええ、とても。このホテル、居心地がいいわ」
シンプルでありながら、細部まで行き届いたサービスが心地よい。高級すぎずこぢんまりとした雰囲気のホテルは、私の好みにぴったりだった。
早朝からやっている階下のダイニングルームで朝食をとる。焼きたてのパン、新鮮なフルーツ、香り高いコーヒー。トーストにバターを塗る。紅茶ではなくコーヒーの選択肢があるのは嬉しい。
(テオ、今日の予定をお願い)
『かしこまりました。アイリス様、本日の天気は晴れ時々曇り、最高気温は24度、最低気温は18度です。最初にデータベース化する本は「サリジス語古典文法」と「ニナリア語薬草辞典」となっております』
脳内会話なのに、思わず声に出して笑ってしまう。
(おかしいでしょ。何で天気の次が読ませたい本なのよ)
『申し訳ありません。図書館での作業が重要だと判断し……』
(はいはい。全体スケジュールをお願い)
すかさずタスク管理画面が立ち上がった。
───────────────────
本日のスケジュール
07:00 王立図書館
10:00 市場にて薬草売り場の視察 [地図]
11:30 昼食 カフェ・エリシウムにて
[メニュー] [地図]
12:30 中央公園にて休憩
13:00 王都支店文房具専門店の視察
17:00 古書店を確認しながらホテルへ [地図]
18:00 夕食 ホテルにて
19:00 自由時間
(疲労度50%以下の場合:王立図書館推奨)
22:00 就寝
───────────────────
(いや、露骨すぎるでしょ。見事に図書館推しね。朝はいいとして、夜は借りてきた書籍をめくる程度にしてほしいわ。視察のレポートも作りたいし)
『申し訳ございません。効率的な知識吸収を最優先事項とし、休憩時間よりも学習時間を重視した方が、目標達成には──』
(わかってるわよ。明日から早起きして、朝の図書館タイムを4時間にするわ。でも薬草や調薬関係の本はスキャン読みじゃなくて、速読するからね。私も理解しておきたいし)
『承知いたしました。読書計画の最適化を実行いたします。図書館の貸出制限が2冊までということを考慮し、選書を慎重に進めさせていただきます』
朝食を終え、さわやかな朝の空気を胸いっぱいに吸い込みながら、王立図書館へ向かう。街路樹の緑が朝日に輝き、通りを行き交う人々の足取りも軽やかだ。
図書館に到着すると、その壮大さに圧倒された。白大理石の柱廊が延々と続き、重厚な木製の扉には精巧な彫刻が施されている。天井まで届く尖頭アーチの窓からは、柔らかな光が差し込む。さらに、図書館の中に一歩足を踏み入れると、息を呑んだ。天井を支える巨大な列柱が整然と並び、その間に無数の書架が規則正しく配置されている。天井の天頂部にはフレスコ画が描かれ、窓から差し込む光と相まって神秘的な雰囲気を醸し出している。
書架には濃い木目の高級材が使われ、金具の装飾が美しい。古い革装丁の本が、丁寧に並べられ、空気中には、古書特有の香りが漂う。図書館に大勢の人がいることにもビックリした。
(テオ、このルミナリア王立図書館について何か情報ある?)
『はい。このルミナリア王立図書館は「知は力なり」というエイレニア王族の方針に基づき24時間開架しています。付け加えますと、エイレニア王族は大賢者が始祖だとされており、理科系学問は帝国の方が進んでますが、芸術や文科系学問はこの国の方が進んでおります。知識人には、長い歴史があり、文化的に寛容なこの王都サピエンティナが人気なようです』
(そうなんだ。カフェも多いし、なんだか19世紀のパリみたいな感じよね)
書架の間を進んでいくと、研究用の閲覧机がところどころに設置されており、早朝にもかかわらず、すでに多くの人々が本を広げていた。天井からは重厚なシャンデリアが吊り下げられ、その明かりは知識を求める者たちを優しく照らしている。
『アイリス様、まずは薬草学の最新の目録作成のため、右手19本目の書架まで進み、そこから三本分の書架の全背表紙を隅々まで確認してください』
「かしこまりました、テオ様」
軽い冗談を交えて返事をしたものの、その膨大な量に少し圧倒される。
『アイリス様、そこの右上の外国書籍3段分は、目次と奥付を確認してください』
(うぇっ、重そう……はいはい、やりますやります。腕が筋肉痛になりそうよ……)
『僧帽筋と上腕二頭筋に過度の負荷がかかるため、筋肉痛になる可能性は78.3%です』
(え! それってほぼ筋肉痛になるって言ってるじゃない)
図書館の蔵書の豊富さに圧倒されながらも、テオの指示に従って各所の目次や奥付を見て回る。テオはどこかでこの図書館の書架レイアウトを手に入れていたようで、的確に私を移動させる。私はテオのお手伝いロボットのように、ひたすら命じられた指示通りに動きまわり、書籍をめくり続けた。時間になり、テオが厳選に厳選を重ねた選ばれし2冊を借り出すことにした。貸出カウンターに向かうと、受付のお姉さんが驚いた様子で見つめてくる。そりゃそうだよね。
「まぁ、あなた誰かのお使いなの? それともこんな難しい外国語が読めるの?」
「拾い読み程度ですが……」
「あなたがいてくれたら、古代語コレクションの整理も進みそうなのに」
その言葉を聞いた瞬間、テオが興奮気味に反応した。
『∇desire>0! 古代語コレクション! アイリス様! 何としても読む方法を探さなければなりません! どなたか王室コネクションがある貴族を探しましょう!!』
「古代語……コレクション……ですか?」
「えぇ、閉架図書ばかりだから見て貰えないのが残念だわ。はい、手続き終わりよ」
図書館を出て、すっかり黙り込んだテオに話しかける。
「自動翻訳で古代語の本は読めるわよね。 『古代ニナリア博物誌』 の中・下巻もあると思う?」
『アイリス様、王都滞在中の第一目標は、古代語コレクション読破にいたしましょう』
テオの静かだが穏やかではない声音の返事を聞くと、何を言っても無駄だと悟る。
「……ハイ。ガンバリマショウネ。テオサマ、ブツリロウドウハ、オマカセクダサイ」
次の目的地である市場に向かいながら、王都の雰囲気をゆっくり楽しむ。石畳の街路の両側には、5階建ての石造りの建物が立ち並び、オシャレな装いの人々がカフェやベンチで寛いでいる。建物の上の方は尖塔が多く、少し不思議な景観だ。あちこちに植栽や花壇があり、都会のわりに目に優しい街並みだ。
市場に到着すると、その規模の大きさに驚いた。ここはさすがに賑やかだが、ソルディトの少し荒っぽい賑やかさとは違って、品がある賑やかさに感じる。先入観かな? 薬草店だけでいくつも並んでいたが、残念ながら特に珍しい種類の薬草は見当たらなかった。
(テオ、ここの薬草はソルディトと比べてどう?)
『アイリス様、港町ソルディトには、希少な外国産薬草を市場で確認できます。王都よりも途中の私塾の生徒が所持していた薬草の希少性が上回っておりますね。現在の薬草辞典の完成度は87%。王立図書館の蔵書で90%まで埋まると予想されます』
「そうね。市場では薬草ではなくて薬の情報を集めるようにしましょうか」
偶然みつけた私塾の子供たちの笑顔を思い出して、少し心が和んだ。帰りにまた寄って帰ろう。王都のお土産を持っていかなくちゃ。
昼食時間が近づき、次の目的地であるカフェ・エリシウムに向かう。王都の中心部に位置する高級カフェで、各地方の伝統料理をアレンジした創作料理で有名らしい。事務長さんのおススメだ。
店内に入ると、洗練された雰囲気が漂う。天井が高く、大きな窓からは柔らかな光が差し込んでいる。壁には各地方の風景画が飾られ、テーブルには白い花が活けられていた。
小娘一人の来店でも、丁寧に接客される。さすが高級カフェ。
(テオ、この中でおすすめは何かしら?)
『アイリス様、カフェ・エリシウムの名物は「月光華のクリームパスタ」です。ボレアリス地方の月光華の花びらをクリームソースに加えた独特の風味が人気だそうです』
(それにするわ。あ、このサラダも面白そう。ヴェルダーシアの香草を使ったドレッシングですって。デザートはこのおススメにするわ)
注文したパスタが運ばれてくると、その美しさに目を奪われた。銀色に輝く月光華の花びらがクリームソースの上に散りばめられ、まるで月夜の景色のような幻想的な美しさだ。一口食べると、月光華の清涼感のある香りと、なめらかなクリームソースが口の中に広がった。
(美味しい! でも、ヘルバとはちょっと違う味ね)
『はい。王都の料理は、全体的に繊細な味付けのようです。港町ソルディトは香辛料が効いていて刺激的、ヘルバは素材の味を活かした素朴な味わい、という違いがあるようですね』
(ヘルバの月光華のスープは、もっと力強い味だったわ。でも、このクリームソースとの組み合わせた上品な味も素敵ね)
サラダも独特の味わいだった。ヴェルダーシアの香草は、爽やかな中にもスパイシーな風味があり、新鮮な野菜の味を引き立てている。
(ヴェルダーシアって、香草の種類が豊富なのね。市場でも見かけたわ)
『はい。特に高原地帯では、数百種類の香草が自生しているそうです。その中には、薬効のあるものも多く……』
(はぁ……憧れるわぁ。船で外国も回ってみたいわねぇ。副社長のお供をしてみたいわ)
デザートには、王都名物の「宮廷菓子師のムース」を注文した。真っ白なムースの上には、カラフルな花々が飾られている。
(これって全部エディブルフラワーなの?)
『はい。エイレニア王国は、食用花の栽培でも有名です。特にルミナリア宮廷では、見た目の美しさと味わいの両方を追求する伝統があるそうです』
ムースは驚くほど軽い口当たりで、花々の香りと共に口の中で溶けていく。
「こんな繊細なデザート、ソルディトじゃ食べられないわね。港町はもっとがっつりした味が好まれるもの」
『ソルディトでは、キャラメルやナッツを使った濃厚なデザートが人気ですからね』
(食事の好みがこれだけ変わるなら、アロマオイルや薬草茶は王都用の改良が必要ね。メモメモ)
食事を終えて外に出ると、通りには昼下がりの柔らかな日差しが降り注いでいた。カフェの前には、スケッチブックを広げて建物を描く若い画学生の姿も見える。
「王都は本当に芸術的な雰囲気があるわね」
『はい。街角のあちこちで絵を描く人を見かけます。あちらには演奏をしている音楽家の卵もいますね。こういった場所で、貴族の目に留まれば専属になれるようです』
中央公園で小休憩を取ることにした。木々の緑と花壇の色とりどりの花々に囲まれて、深呼吸をする。ふと、公園の向こうに見える建物が目に入った。出入りしているのは、馬車で乗り付ける富裕層の人ばかりのようだ。
「あれが、シルヴァークレスト商会の王都支店ね」
『はい。文房具専門店として知られていますが、規模は小さめです。今は名刺の受注が一番の売り上げになっていますね』
「やっぱり、名刺受注の専用スペースは拡大決定ね。どこか王都内の印刷工房と提携した方がいいのかもしれないわ。でも、ここはソルディトと違って、芸術家が多いから、高級な筆記具や画材なんかもそれなりに置いた方がいいのかな。スケッチ向きの紙を工房長のエリクさんに相談してみたいわね」
『なるほど。王都ならではの商品展開ですね。文化的な雰囲気に合わせた品揃えを……』
「テオ、分析はまだ早いわよ? もっとあちこち回ってデータを増やさなきゃ」
午後の陽射しを浴びながら、私は王都支店に向かって歩き始めた。支店近くの大通りから一本入った裏通りを先に確認する。そこは、ステンドグラスの工房があり、職人が熱心に作業をしている。その隣には額縁屋があり、店先には金箔を施した豪華な額が並んでいる。
「この辺りは、職人街なのね」
『はい。この通りには、30軒以上の工房が集まっています。特に、装飾品や芸術関連の職人が多いようです』
道を進むと、小さな広場に出た。噴水を囲むように、イーゼルを立てた画学生たちが絵を描いている。中には、水彩画の具を並べて路上で絵を売る者もいた。
「この絵、素敵ね。やはり王都支店でも、画材を置くべきかもしれないわ」
『アイリス様、この地区だけでも、画材店は3軒あります。しかし、どれも高級路線で、学生向けの商品は少ないようです』
「なるほど。じゃあ、私たちは中級品をメインに……いえ、王都支店は高級路線を外すわけにはいかないわね。セカンドラインの庶民向け店を裏通りに展開する方向ならありかも」
通りの角には、古めかしい建物を改装したカフェがある。窓際の席では、若い文学生らしき男女が古典詩歌の定型について熱心に議論をしている。
「王都は本当に、知的な雰囲気があるわね」
『はい。大学や専門学校も多く、若い芸術家や学者の卵たちが集まる街です。彼らも、私たちの潜在的な顧客になりそうです』
さらに進むと、楽器店が目に入った。ショーウィンドウには美しいヴァイオリンが飾られ、店内からは練習の音が漏れ聞こえてくる。
「音楽家も多そうね」
『楽譜を扱うのも、検討の価値があるかもしれません』
その後も、職人街の一軒一軒を、しっかり見て回った。
ようやく王都支店に足を向けた。豪華な外観の2階建ての建物。1階のショーウィンドウには、高級筆記具が並んでいる。
「見た目は小さいけど、中はそれなりに広そうね。前世の京都の町屋みたいな感じだわ」
『こういった形式の建築の場合は、中庭か奥庭がある場合が多いようですね』
「町屋の坪庭はいいわよね」
店内に入る前に、もう一度周囲を見渡す。この通りには、まだまだ発見しなければならない魅力が詰まっているはず。テオと話しながら歩くだけで、どんどんアイデアメモが増えていく。王都では、知識も感覚もできるだけインプットして今後のコンサルに活かすことを決意した。
明日から、少し不定期更新になります<(_ _)>




