2-11 名刺革命(2)
名刺販売が好調な滑り出しを見せてから、早くも数週間が過ぎていた。毎日のように新しい注文が入り、商品の幅を広げていく必要性を感じていた。
『アイリス様、デザインテンプレートの分類方法について、職種別、業界別、年齢層別など、15通りの分類法を提案させていただきます。第一案は──』
(テオ、また暴走してるわよ。お客様に15種類も説明できないでしょ)
『申し訳ございません。では7種類に絞って──』
(3種類よ、3種類)
『……かしこまりました。ただし、3種類の中にサブカテゴリを設けることで、実質9種類のバリエーションが──』
(テオ! 仕事を増やさないで!)
お客さまに見せるサンプル案を練っていると、ミナさんが話しかけてきた。
「アイリス、女性向けの名刺ってどうかな? 私、薬草売り場の名刺が欲しいんだけど」
「あ、それいいですね! 女性向けの名刺、花やリボンの装飾を印刷するとか……」
『アイリス様、最新のトレンド分析によると、女性向け商品は五感に訴える要素が重要です。特にアロマや押し花などの自然素材を取り入れた商品の支持率が、前年比で47.3%上昇しています』
「ミナさん、月影華のアロマオイルを染み込ませた名刺を、作ってみたらどうでしょうか」
「まぁ、素敵! でも、染み込ませても大丈夫なの?」
「香りは3ヶ月は持続するはずです。それから、押し花を飾った名刺もいいかも。お花は薬草にすれば、私たちらしいですよね」
早速、現場視察でブラブラしているレオン会長に提案すると、興味を示してくれた。その日の午後には、さっそく開発会議が開かれることになった。
会議室には、王都支店のデザイナーのルーシーさん、ルーシーさんの知り合いの印刷職人さん、事務長のトバイアスさん、それに商品開発室のメンバーが集まった。テーブルには色とりどりの紙のサンプルやアロマオイルが並べられている。私はサンプルを渡しながら説明を始めた。
「今や、名刺はソルディト以外の地域でも流行になりつつあります。このタイミングで目を引く新商品を投入することで、一気に全国展開も夢ではありません。そこで、流行に敏感な女性向けの名刺を提案いたします。3つのタイプを考えましたのでご意見をください。まず、アロマオイルを染み込ませたもの。香りは月影華、霧星草、夜風花の3種類です」
「その香りは、どのくらい持続するんですか?」
事務長が心配そうに尋ねる。
「3ヶ月は大丈夫です。それと、香りの強さも調整できます」
ルーシーさんが、手元の紙サンプルを見ながらデザイン案を出す。
「デザインは香りごとに変えましょう。月影華はこの淡い紫の用紙を使って、星をモチーフにした銀箔押しをした高級路線。霧星草にはグラデーションの用紙で、朝露をイメージした波のエンボス加工を。夜風花には真珠のような光沢のある白を基調に……」
彼女の具体的な説明に、会議室のメンバーは目を輝かせた。
「それから、2つ目は押し花を貼ったタイプ。季節の花や薬草を使って、毎月デザインを変えられます。薬草売り場なら、その月に効果が高い薬草をモチーフにできます。1月は霜葉、2月は雪花草といった具合に……」
商品開発室のメンバーが紙に貼る方法を議論しだした。前世、押し花の栞を見たことあるし、可能だろうと丸投げでお任せする。
「3つ目は、今までの名刺と違って、主張を強くした鮮やかなデザインです。濃い色の紙に白文字で印刷すると、かなり目立つ名刺になります」
この時、ルーシーさんが連れてきた若い印刷職人のエリクさんが、興味深そうに前のめりになった。
「このデザイン、面白いですね。実は、新しい印刷技術の研究をしていて……金属粉を使った特殊インクの開発に取り組んでいるんです」
「金属粉? それって、金色や銀色の印刷ができるってことですか?」
「はい! まだ試作段階ですが、かなり発色がいいんです。ルーシーさんに相談したら、是非シルヴァークレスト商会で試してみたいって」
エリクさんは、熱心に技術の説明を続けた。
「この金属粉インクは、光の角度によって色が変化して見えるんです。それに、通常のインクより耐久性も高い。名刺なら、長期保存にも耐えられます」
これは面白いかもしれない。金・銀が印刷できるようになれば、コスト的にも作成時間的にもかなりの強みになるはずだ。事務長のトバイアスさんから、その場ですぐに開発予算が下り、エリクさんを印刷担当として採用することも決まった。
1か月後、金色と銀色の印刷インクの開発に成功し、様々なデザインの試作品が完成した。深い蒼色の紙に銀色で印刷した名刺は、印象的で洗練されたデザインで、シルヴァークレスト商会のみが使用できる色の組み合わせとすることに決まった。
新名刺のお披露目の日。特別に招待した顧客たちの反応は上々だった。彼らは、既に名刺を注文したことがある人々なので、名刺の有益性を理解しており、新しいデザインに興味津々だ。中でも、他国からの来訪者たちの反応は私たちの予想を遥かに超えていた。
「これは素晴らしい! 我が国では見たことのない技術だ。特に、この金属インクの輝きは見事だ。是非、印刷技術の提携ができると嬉しいですな」
ヴェルダーシア連邦の商人が感嘆の声を上げる。
「私たちの国でも需要がありそうですね。特に、アロマ入りのカードは、社交界で人気が出そう。香りのある名刺なんて、なんて粋なのでしょう」
エルドミア王国の元貴族の女性商人が言う。
「うちの劇場でも使いたいですね。役者たちの名刺に金色のインクを使えば、舞台の華やかさが伝わりそうです」
有名劇団の座長が、注文用紙を何枚も握りしめる。
評判は瞬く間に広がり、注文が殺到。事務長が緊急の収支報告会議を開くことになった。
「予想以上に評判がよく、王都支店での注文が増えています。アロマと押し花を自分好みにカスタマイズできる受注方式によって、王都の貴族令嬢に流行が広がり続けているようです。貴族からの注文は最速で作成するようにしていますが、間に合っていません。また、濃い色の台紙に金や銀で印字する名刺が、夜の商売の方に人気で、こちらは大口の注文が多く入っています」
事務長からの報告に、レオン会長は顔をしかめている。
「名刺の台紙も押し花もかなり多めに用意して販売開始したのに、印刷が間に合わないのか。アイリスが絡むと売れ行きが予想を上回りすぎるのが難点だな」
「え! 私のせいですか!?」
「このままでは対応が追いつきません。現在の外注方式では、納期に3日から1週間かかり、年間約2000金貨以上の機会損失が発生するとアイリスさんが試算してくれました」
「それに、新しい技術開発も外注では難しいです。実は、もっと画期的な印刷方法や紙の加工方法も研究しているんです」
印刷職人のエリクさんは、色々なアイデアを温めているようだ。私も前々から考えていた提案をする。
「商会内に印刷工房を作るのはどうでしょうか。初期投資は必要ですが、1年で元が取れると思います」
テオと相談しながら作った収支予測を見たレオン会長は、すぐに決断を下した。
「よし、工房を作ろう。エリク、君に工房長をお願いしたい」
「え? 私に? でも、まだ経験が……」
「君の情熱と技術開発力は、確かなものだ。ルーシーも太鼓判を押している。年齢は関係ない」
こうして、商会に印刷工房が設置されることになった。実務は有能な職人さんたちに任せたエリクさんは、早速、新しい技術の研究に没頭した。
その後、エリクさんが考案したレースカット加工は女性用名刺で大流行を生みだすことになった。紙の端をレースのように切り抜く繊細でエレガントな装飾は、この後、名刺だけではなく商品のパッケージやタグ、包装紙を始め、封筒や便せん、お菓子の下に敷くペーパーまで、あらゆる紙製品に派生していくことになる。
印刷機械もエリクさんが改良して、クッキリした細かい印刷ができるようになった。私はすかさず、ゴシック体や明朝体のような基本フォントと、装飾性が高いカリグラフィーフォントを提案してみたら、「需要は高そうだが手間が……」と事務長の頭を抱えさせることになった。別に大変なら、無理にしなくていいんだけど?
そんなある日、一人の旅行者が商会を訪れた。
「旅の記念に、この街で作った名刺をお土産と一緒に友人に渡したいんです。ここでは1時間で名刺が作れると聞きました」
この旅行者の一言が、新たなトレンドを生み出した。ソルディトの旅の記念に名刺を作り、それをお土産と一緒に渡すという流行が始まったのだ。
「テオ、新しいチャンス到来よ。旅行者向けの特別なデザインを考えましょう」
『かしこまりました。旅行地の特徴や、思い出を盛り込んだデザインが効果的かと存じます』
早速、ソルディトの風景や名物を取り入れたデザインの名刺を企画した。これが大好評を博し、多くの旅行者が商会を訪れるようになった。
さらに、名刺関連商品の展開も考えた。
「レオン会長、名刺文化が浸透してきましたので、名刺入れや名刺フォルダも需要があるはずです。例えば、若い女性向けの名刺入れはレースやリボンで装飾的にする、ビジネスで使う男性用はシンプルながらも高級な質感の革製にするなど、購入対象者や季節によって色々な展開が考えられます」
レオン会長も同意し、これらの商品も販売ラインナップに加わった。予想通り、これらも好調な売れ行きを見せた。
帰り道、窓越しに印刷工房の明かりが見える。
「ねえ、テオ」
『はい、アイリス様』
「印刷技術って、この世界でも大切な文化になりそうね」
『そうですね。情報を正確に伝え、記録を残す。それは文明の発展に欠かせない要素です』
「でも、あまり急激な変化は良くないかも。この世界のペースで、少しずつ広めていきましょう」
『さすがです、アイリス様。その慎重さが、成功の秘訣かもしれませんね』
夜空に浮かぶ月を見上げながら、私は新しいアイデアに思いを巡らせた。名刺から始まった小さな革命は、これからどんな花を咲かせるのだろう。
明日は新しいカードのデザイン会議がある。きっと、また新しい発見があるはず。私は高級な質感と機能性を重視した富裕層男性向けの名刺を提案するつもりだ。月ちゃん相手にプレゼン練習をするために、足早に寮へ向かった。




