2-9 ブランディング戦略(2)
まだまだブランディング会議は終わらない。レオン会長は、日をおくとまた「後はお願い」とか言いそうだ。今のテンションのまま、次は商会を象徴するロゴの検討だ。
「レオン会長、商会のロゴに羅針盤を使うのはどうでしょう。商人の必需品でもありますし、新しい価値を探し求める姿勢も表現できます」
「なるほど。だが、それだけでは少し物足りないな。世界を相手に商いをする、その壮大さも込めたい。ふむ。ブランディングとは欲張りになる作業だな」
私に丸投げしようとした人とは思えない言葉だ。キャリアの棚卸し成功である。
『アイリス様、要素を一つずつ検討してはいかがでしょう。例えば「永続する信頼」を表現するために、月の輪が最適です』
(テオ、ありがと。この世界では月の輪にそういう意味合いがあるのね)
「では、まずロゴに込めたい要素を整理しましょう。貿易、探究、信頼…………これらをどう表現するか、一つずつ考えていきます。例えば、「信頼」を表現するために、月の輪を入れるのもありかと」
レオン会長の目が輝く。
「そうだな。世界を表す輪、その中に羅針盤を配置して、ずっと変わらない信頼を月の輪で表現する…………野心的な貿易商って感じだな」
『アイリス様、この世界に「蒼空樹」という植物があります。その葉は空色で、強い風にも折れることなく、航海安全の象徴として、各国の商人に珍重されています。また、前世のオリーブの枝のように平和の象徴としても知られているようです』
「レオン会長、蒼空樹の枝を加えてはどうでしょう」
「おお! それは良いな。蒼空樹の枝で円環を包み込むように…………まさに世界中と取引する我が商会を表現できる」
事務長が、サラサラと紙に図案を描いていく。
「レオン会長、アイリスさん、商人の間では、蒼空樹は平和な取引の印として知られています。羅針盤が冒険と革新を表現し、月の輪が永続する信頼関係の象徴として組み合わされることで、商会が新しい市場を開拓しつつも、誠実で堅固な取引関係を構築するという両面を強調できますね。うん、よくできている」
中央の羅針盤の先は、未知の価値を指し示すように北を向き、それを月の輪が取り巻き、さらに外側を優美に囲む蒼空樹の枝。少しずつ形が定まってきた。
「よし、これを元に王都支店のデザイナーにロゴを作ってもらおう」
次はコーポレートカラーの検討だ。
『アイリス様、色は「意味」を持つものです。制服や包装、内装、看板、あらゆるところに影響しますので、慎重な決定を促しましょう』
「会長、商会のイメージカラーについても考えたいのですが、まずは会長が商会から連想する色を教えてください」
レオン会長は窓まで歩いて行き、そこから外の景色を見ている。窓の外には、美しい夕焼けに赤く染まった空と、停泊している商船のマストが何本も見えている。
「商人として歩んできた道を思い返すと、深い海の色が浮かぶよ。うちは陸路ではなく、スピードと輸送力がある海路を強みにしている。帝国からエルドミアまで、幾度となく海を渡ってきた。あの果てしない蒼に、可能性を感じるんだ」
「では、深い蒼を、知恵と深遠な海の象徴としてメインカラーにしましょう。イメージカラーは商会の印象を決める重要な要素です。ここ港町のソルディトに拠点をおく商会として、王都でもイメージを作りやすいと思います。もう一つ、サブのアクセントカラーがあるとカラー展開しやすいのですが……」
「シルバーですね。伝統を表す深い蒼と革新を象徴する輝くシルバー。「銀糸の絆」という言葉があるように、シルバーには信頼と堅固な関係性も込められます」
事務長がロゴの図案を指でなぞりながら提案した。冷静で落ち着いた声音だが、いつもの事務長より言葉が多く、少し興奮した表情だ。事務長の中でも、棚卸しができたのかもしれないな。
「なるほど。蒼は伝統的な深みがあるし、シルバーは未来的な印象だな。トバ、良いアイデアだ。お前にこんな才能があるなんて知らなかったよ」
「色の候補を、デザイナーに出させましょう。蒼にも色々ありますからね」
事務長は、少し顔を赤くして答えた。意外にかわいらしい方なのかもしれない。
「では事務長、その2つの色を基調にして、制服や紙製品のデザインも頼んでください。制服は男性用、女性用、夏用、冬用。紙製品は、包装紙、紙袋といった梱包材から、封筒や請求書といった商会が外部に向かって使うあらゆる紙製品に、商会のイメージカラーとロゴをアクセントに入れましょう。手軽に利用できるロゴのスタンプも作ったら、便利かもしれませんね。」
「すぐに連絡を入れるようにします。シルバーは印刷ができないのが難点ですね。何か工夫が必要になりそうです」
「リボンは銀色のものがありますよね。インクもあるので銀色のロゴスタンプはできると思います。例えば、贈答用はラッピング費用を別にちょうだいして、蒼色にロゴを白抜き印刷にした包装紙で包んでシルバーのリボンで結ぶとスペシャル感がでると思います。それに添えるカードは銀の箔押しもありですね」
コーヒーを飲みながら、小休憩をとることになった。私はすかさず新商品として考えていた薬草入りのフレーバーシロップを勧めてみた。
「コーヒーの苦みにほんのりした甘さが加わって、疲れた頭が癒されるな。これは王都のカフェで流行りそうだ。アイリス、君の発想には本当に感心するよ。金の卵を生むガチョウだな」
『レオン会長は、言葉のセンスがありませんね。本当に商人なんでしょうか』
「そうですね。アイリスさんに計算を手伝ってもらうようになって、5日かかっていた月次決算が3日で終わるようになりました。計算ミスを見つける速さが神業です。この1年で、受付と調薬室と商品開発室からアイリスさんの異動願いが何度も出ていますが、事務室でも推す声が増えました。アイリスさんの能力を目の当たりにすると、皆さんの気持ちがあらためてよくわかりましたよ」
『今ごろですか。毎月の月次も年二回の決算もアイリス様に頼ってるくせに』
お二人の誉め言葉も、テオの主馬鹿発言も少し照れくさい。
「ありがとうございます。でも、ブランディングは決めれば終わりではありません。この新しいブランドイメージを、従業員にもお客様にも浸透させることが一番難しくて重要ななんです」
休憩を挟んで、最後の説明に入る。
「まず従業員への浸透から始めます。全従業員を対象にした研修で、新しい理念の意味を共有します。特に大切なのは、なぜこの理念なのか、どういう想いが込められているのかを、きちんと説明することです。これはレオン会長から、直接、皆さんに語っていただくのが一番です」
「なるほど。俺が語った後はどうするんだ?」
「新しい理念や、ロゴ、イメージカラーの意味を十分に理解してもらえたら、日々の業務の中で、どのようにブランドを体現するかを具体的に指導します」
「アイリスさん、業務の中での体現……とは?」
「例えば薬売り場なら 『確かな品質をお届けする』 、服飾なら 『新しい価値をご提案する』 といったフレーズを、お客様に対して積極的に使うようにします」
「なるほど。従業員一人一人が、新しいブランドをアピールしていくんだな」
「はい。お客様へのアピールもありますが、繰り返し口にすることで従業員の意識にも深く浸透します。そうすると、何かの決断が必要な時に、理念に沿った行動がとれるようになります」
『アイリス様、イベントの概要をこちらの画面に表示します』
「従業員教育が終わったら、次はお客様への浸透です。ニュースレター的なチラシを配布してもいいですし、新しいロゴや制服のお披露目イベントを開催するのも効果的だと思います。商会の前の広場を使って、特別展示や、ワークショップ、お客様相談会などを行えば、新聞社に取材してもらえて、遠方まで宣伝することができます」
「新聞社なら、王都の3紙、この地方の4紙はすぐに集められますよ」
「イベントでは、必ず子供向けの抽選会などを盛り込みます」
「子供向け? いきなりだな」
「はい。将来のお客様になる子供たちに、シルヴァークレスト商会を知ってもらうことも大切かと。商人体験ゲームや、世界の珍しい商品展示、それに、会長の若かりし頃の冒険譚を紙芝居にして……」
「おお! それは楽しそうだな。アイリス、君の提案を聞いていると、本当にワクワクしてくるよ。これからのシルヴァークレスト商会が楽しみだな」
レオン会長の目がキラッキラに輝いている。いつもの会長だ。この人は、やっぱり頭を使うより身体を動かす方が向いてるタイプなんだな。事務長の苦労がしのばれるわ。
「今後の展開も色々と考えられます。2年後の 『商会10周年』 の時は、特別色の包装を用意するとか、販売員の中でお客様からの評価が高い人はシルバー色が多く使われた特別な上着を着用できるようにするとか。つまり、基本イメージが定着することによって、それとは違う特別感をアピールできるようになるのです」
「なるほど、先々まで見越した計画ですか。ふむ。準備は早めの方がよいですよね?」
「できれば来月から。まずプロジェクトチームを立ち上げて──」
「よし、わかった。明日から商品開発チーム、デザインチーム、事務室から選抜したチームを立ち上げよう。トバは予算の概算を早急に作ってくれ」
え、明日? 来月でも前準備が間に合うか微妙だろうに。まぁ、私のコンサルタントはここまでかな。実務は、この世界のことがわかっているプロに任せるべきよね。
「レオン会長、トバイアス事務長、本日は貴重なお話しを聞かせていただきありがとうございました。後は専門家の方々にお任せしますが、何かありましたら、いつでも薬売場までご連絡ください」
「何を言ってるんだ? ブランディング戦略チームのリーダーはアイリスだぞ?」
「…………は?」
『アイリス様、自業自得もしくは因果応報という言葉はご存じですよね……』
その夜、満足感半分、やってしまった感半分で、窓辺の月ちゃんに愚痴をつぶやく。
「月ちゃん、ただでさえオーバーワークなのに、新しいプロジェクトも始まるんだって~。しかも私がリーダーなんだって~。あれ絶対にプロマネも私だよ? はぁ……私のQOLダダ下がりなんだけど。でもさ、でもね……」
今日、一日の出来事を思い出す。
「今日は、本当に楽しい一日だったわ。前世で頑張っていた仕事の知識を、思いっきり活かせたのよ。私、やっぱりコンサルの仕事が大好きみたい。問題点を分析して、解決するための戦略を考えて、クライアントの成長を未来へ向けてサポートする仕事。本当にやりがいがあるの」
『アイリス様の今日の成果は素晴らしいものです。特に、理念の言語化から実践計画まで、見事な構成力でした。プロジェクト管理表は既に作成を始めていますので──』
「テオ、待って待って。ガントチャートは私にやらせて! あの作業、大好きなのよ!」
窓の外を見つめると、街の灯りが優しく輝いていた。新しい商会の象徴が、明日から形作られていく。その過程にコンサルタントとして立ち会えることが、今はただただ嬉しい。
帰りに夜市で買ってきたワインとチーズで、一人キックオフ飲み会をしながら、概要をまとめた書類を作り始めた。まぁ、酔っぱで作った資料って、後で冷静になると使えないんだけどね。
誤字報告、本当にありがとうございました<(_ _)>
すごく嬉しかったです。これからもよろしくお願いいたします。




