2-8 ブランディング戦略(1)
シルヴァークレスト商会での勤務も2年目に入り、この世界では成人と言われる15歳になった。お酒が飲めます。えっへん。まだ飲んでないけど。結婚もできます。えっへん。全く要素がないけど。
薬売り場での販売、調薬室での研究、商品開発チームとの企画会議、外国人対応の助っ人、事務室で会計処理計算の助っ人← New!、そしてがっつり稼げる自分の商品の開発。充実しすぎている毎日だ。レオン会長と交渉して、商品開発室の隣に、賃貸契約で場所を借り、個人的な開発室兼倉庫も確保した。天気予報ボーナスもあったので、1年目にして、予想以上の稼ぎになったけど、今のところ寮から出る気はない。
休みの日は、図書館と市場で過ごすことが多い。年に二回の長期休暇は、ヘルバに帰って商工会に顔を出したり、知り合いの商店主のお悩み相談に答えたりしている。
そんな日々の中、またコンサル魂が爆発する日がやってきた。
薬売場のカウンターで、今年の夏商品のアイデアをテオと脳内検討会していた時に、一人の客が怒った様子で飛び込んできた。
「この薬は効き目がないどころか、頭痛が酷くなったんだ! 何とかしてくれ!」
差し出された薬袋を見ると、なんか違和感がある。テオが答えを教えてくれた。
『この薬袋のサイズと素材、当商会の規格とは異なります。市場の薬屋かと…………』
(だよね? 市場の薬屋なんだ)
まずはお客さまに、頭痛緩和効果とリラックス効果がある薬草茶を飲んでもらった。少し落ち着いてから状況を確認していくと、やはり市場の薬屋で買われた商品だと判明した。冷静に対応した結果、お客様にも納得してお帰りいただけた。
騒動が落ち着いてから、今ではすっかり仲良しになったミナさんに相談した。
「この白い袋じゃ、どこのお店のものかお客さまにはわかりにくいです……何か目印が必要ですよね」
「そうなの、この手のクレームは前からあって困ってるのよ。アイリスのアイデアで何とかしてくれない?」
「はい! 前々からやりたいことがあったので、レオン会長に提案してみます」
店舗の整理をしながら、テオに話しかける。
(やっぱり、手っ取り早いのは商会のロゴを印刷しちゃうことよね?)
『そうですね。当商会でも商品の識別方法を検討すべきかと。他の商会の例を調べてみましょうか?』
(ええ、お願い。気になってたの)
『承知いたしました…………これは興味深い。ボレアリス地方の商会で独自の商標を使用しているところは見当たりません。ただし、アザランス帝国では、貴族の家紋を商標のように使用する例が──』
「何か問題があったそうだな?」
その時、ちょうどレオン会長が通りかかった。
「レオン会長。薬袋の識別についてです。CI戦略の一環として、商会のロゴを…………あ」
ヤバい、テオと話してる続きで、前世の言葉を使ってしまった……
『アイリス様、落ち着いてください。資料にまとめて会長にプレゼンすべきです』
レオン会長は、いつものように目を輝かせて興味を示した。
「ロゴ? 面白い言葉だな。説明してくれないか?」
「申し訳ありませんが、1時間お時間をいただけますでしょうか? きちんと資料を作ってご説明させていただきます」
ミナさんに断って、急いで資料作りに取り掛かった。商会のブランディングやロゴの大切さについて、走り書きでまとめていく。前世のコンサル会社では、何回も提案した内容だ。懐かしさと共に、アドレナリンがバシバシに出はじめたのを感じる。
(テオ、この内容でどう? この世界に合った説明になってるかな?)
『そうですね、現在の商業事情と、前世の知識を組み合わせた提案が効果的かと存じます。まず、帝国の家紋の例から…………』
テオのアドバイスも盛り込み、緻密に資料をまとめていった。手書きってコピペできない……超めんどい。メモ帳に印刷機能が切実に欲しいわ。
── 1時間後、会長室 ──
「こちらが、私が作成した 『シルヴァークレスト商会 ブランディング戦略提案書』 です」
まずは、簡単な現状分析として、市場環境、商会の強み、課題などを説明する。
レオン会長は頷きながら聞いていたが、課題を説明すると渋い顔になった。
「課題としては、ブランド認知度の低さがあり、王都での認知度は6.7%程度です。また、統一されたイメージが欠如しており、店舗や包装に一貫性がありません」
「王都支店も一応、あるんだがなぁ」
「商会の認知度を上げながら、今日のようなトラブルが無いように他店との差別化を図る必要があります。例えば、お客様が眼鏡を購入する時に、 「アザランス帝国製」と聞いた時と、それ以外の製品と聞いた時では、思い浮かべる品質の高さは全く違いますよね。そういう風に、すぐに私たちがどんな商会かを理解してもらうために必要なのがブランド作り、つまりブランディングと呼ばれる取り組みです」
「ふむ、具体的にはどんなことをするんだ?」
「簡単に言えば、『商会の理念を明確にし、それを基に視覚や行動で一貫性を持たせる』ということです。例えば、このようなのステップを踏むのが一般的です。」
用意した資料を広げて、詳しく説明していく。
「最初に、『理念』 を決め、商会が 『何を大切にしているか』 を明確にします。これが商会の方向性を定める羅針盤になります」
レオン会長の反応が薄くなってきた。説明がわかりにくいのかな。書類をにらんでいる。
「次に、視覚的な要素、ロゴ、商会のイメージカラーなど、見た目で商会を覚えてもらえる要素を決めます」
「ロゴが、さっき言ってたヤツだな?」
「はい。ロゴは 「視覚的な象徴」 を指します。ブランドの認識を高めるためシンボルマークを決めるのです。ロゴを薬袋や看板、文書などに使用することで、一目で当商会の商品だと分かるようになり、他店の商品のクレームなどは無くなります。貴族様の家紋のようなものです」
「ふむ。家紋か……確かに出自が一目瞭然だな」
「その視覚的な要素を、店舗の内装や従業員の制服、包装用紙などに広げていきます。そして、その理念を従業員に浸透させる必要があります。理念に基づいた行動やお客様との接し方を共有し、統一感を持つことによって、商会の信頼性が上がります。選定した理念やロゴは、最初はイベントなどで浸透させていくといいですね」
「つまり、『理念』というやつを最初に決めて、商会の家紋や色を決めるわけだな……なるほど、これほど詳細な計画とは驚いたな」
そして、突然レオン会長が言った。
「アイリスに任せるから、いい感じにまとめてくれないか?」
「はぁ?」
思わず机を叩いて立ち上がっていた。前世のコンサル魂がメラメラでギラギラで怒り心頭だ。
「理念とは、商会の姿勢であり、今後の方針ですよ? それをご自分で考えずに小娘に丸投げとは、どういうおつもりですか。レオン会長にとって商会とは他人任せにできる程度の思いしかないのですか? 商会の存在証明を会長が決めずに誰が決めるというのですか!!」
レオン会長は一瞬呆然とした後、顔を覆って俯いた。
「すまん。俺が考えなくてはいけないんだな」
深く息を吐いて、気持ちを落ち着かせる。
『アイリス様、良いタイミングです。レオン会長の想いを聞き出すチャンスかと』
(そうね。会長の人生を棚卸しのお手伝いをしなくちゃ。コンサルではよくあることだわ)
「会長、申し訳ありませんでした。いきなり決めろというのは無茶でしたね。考えるお手伝いをさせてください。まずは、この商会を立ち上げようと思った時のお話を、聞かせていただけますか?」
薬草茶を入れながら、レオン会長の話に耳を傾けようとした。
「ちょっと待ってくれ、副会長のザイールは買い付けに出てるから無理だが、事務長のトバイアスも一緒に商会を大きくしてきた仲間なんだ。呼んで来るから待っててくれ」
レオン会長は呼びに行ってしまった。私が行くべきだったかな? まぁ、いっか。お茶は三人分ね。
『副会長のザイール・ヴンダロア氏と、事務長のトバイアス・レジャー氏がの三人で、この商会を立ち上げています』
テオから情報を聞いていると、30代後半の落ち着いた男性が、引きずられるように執務室に入ってきた。
「アイリス、こいつが事務長のトバイアスだ。商会の理念なんかは、こいつの方が適任だから!」
「……つまり、次は事務長に丸投げすると?」
「違う違う! ちゃんと俺も考えるから。アイリス、そんな睨むなよ」
「事務長のトバイアス・レジャーです。私のことはお気になさらず、話しを進めてください」
と言われても、そうはいかず、理念を決めようとしている理由や、ブランディングの利点をもう一度説明し、レオン会長の話しを始めてもらった。
「俺が初めて商人になろうと思ったのは15の時でな。貴族の三男坊には、継ぐものも無かった。けど、それが良かったのかもしれん。自由に生きる道を選べたからな」
(え? 会長ってお貴族様なの??)
『アイリス様、メモ帳をホワイトボード形式に切り替えます。レオン会長の経歴を時系列で整理いたします』
「商隊の下働きから始めて、やがて自分で行商を始めた。最初は目が利かなくてな。帝国で高く仕入れた布地が、実は粗悪品だったこともあった。馬車代がなくて、歩いて移動した時もあったよ。その時にザイールと知り合ったんだ」
『地図を表示いたします。レオン会長の行商ルートを赤線でマークいたしました』
(なるほど。アザランス帝国からエルドミア王国まで、随分と歩いたのね)
「あの失敗がなければ、今の俺はない。正直な商売の大切さを、骨身に染みて学んだよ」
テオが整理してくれた情報を見ながら、レオン会長の商人としての成長を追っていく。年代順に並んだエピソード。地図上に広がる足跡。そこから見えてくる、一人の商人の夢と努力の軌跡だ。
「贔屓にしてくれるお客も少しずつ増えていったが、そのうち行商だけでは満足できなくなってな。商品の種類も増やしたいし、確かな品質の商品を直接お客さんに届けたい。そのために商会を立ち上げたんだ」
「その時に、関税の職員をしていた私が勧誘されたんですよ。商会をすぐに作れ、俺達が仕入れた商品はあれだって、大きな船を指さされましてね。碌に帳簿は無いし、在庫管理も適当だし、本当に苦労しましたね」
トバイアス事務長の視線から逃げるように、レオン会長は腕を組んで目をつぶっている。
テオが作ってくれた時系列表に、新しいエピソードが次々と追加されていく。最初は小さな店を構え、事務員としてトバイアス事務長を雇い、そして自分たちは仕入れに世界を飛び回り、徐々に規模を拡大していった経緯。外国でのトラブル。商船のトラブル。貴族とのトラブル。よくまぁここまで来たなという困難続きだった。レオン会長の驚異的なバイタリティは、前世の大企業創業者を思い出させる。
『8年前の創業時と比較し、売上は72.8倍、従業員数は24倍に成長してますね』
「商品の目利きができなかった頃の苦い思い出が、かえって良かったのかもしれん。だからこそ、とにかく品質にはこだわってきたんだ」
昼食も忘れて、レオン会長の話は続く。事務長も、ソルディトでの商会立ち上げから今までの補足をしてくれた。成功も失敗も、すべてが今の商会を作り上げた大切な歴史である。
「随分と昔話をしてしまったな。アイリス、長々とすまんな」
「いいえ、とても大切なお話でした。会長たちの想いが、よく伝わりました」
(テオ、どう?)
『はい。重要なキーワードを抽出すると「探究」「信頼」「価値」この3つが頻出してますね』
「会長の思いから見えてきた重要な言葉があります。『探究』 『信頼』 『価値』、これらの言葉に会長の商人としての信条が表れているように思います」
「ほう?」
「新しい商品を探し求め、信頼できる品質を確認し、お客様に価値をお届けする。この商売の信念は、15歳から今日まで、ずっと変わっていないのではないでしょうか」
そこで、黙って聞いていた事務長が、話し出した。
「そういう会長の思いを商会理念として言葉にするのなら、『未知を求めつつ、永続する信頼を築き、価値をもたらす』 といった感じでしょうか」
「さすが、トバだな。長年の想いが、一つになった気がする……そうか、『未知を求めつつ、永続する信頼を築き、価値をもたらす』 これが俺の商会の羅針盤なんだな」
「会長! それも使いましょう! ロゴに羅針盤のデザインを入れませんか?」
外は夕暮れになってきたが、まだまだ戦略会議は続く。語り尽くして終わった気で上機嫌なレオン会長だが、ブランディングはこれからが本番だ。気合い入れるぞー!おー!




