2-7 商品開発室の新ルール
アイリスがシルヴァークレスト商会に勤務し始めてから3ヶ月が経ち、真夏の8月に入っていた。薬売場の近くの窓から外を見ると、強い日差しが街を照らし、石畳の道路からは熱気が立ち上っていた。
「日本ほど湿度がないのはいいけど、エアコンも無いからねぇ。日陰が涼しいだけマシかな」
夏の思い出が蘇ってくる。
「今年もマンゴーフ〇ペチーノやってるのかなぁ……ナイトプールなんてこの世界にはないよねぇ。あ、サマーフェスティバルは無事に終わったのかな。まさか私の名前でコラボ続いてないよね?」
『アイリス様、集中力が23%低下しています。午前中にアイリス様の開発商品コーナーの分析を終えないと、午後からの開発商品チームとの打ち合わせに間に合いませんよ』
「やばっ! テオ、商品分析よ。売上データとトレンド情報をお願い」
『かしこまりました。この3ヶ月の売上データによると、安定して売れている薬草茶を除けば、現在の売れ筋トップは虫除けの香り袋です。前月比で売上が37.2%増加しており、特に夕方の販売比率が高くなっております』
「流石テオ、仕事帰りに買っていくのかな? 品出し時間の見直しに使えそうね」
『次点の日焼け止め防止効果の薬草は、富裕層の若い女性に特に人気で、平均購入単価が2.3金貨と、他商品の1.7倍となっております』
「大量買いしていく人が多いのね。この層をターゲットに新商品も考えるのもありかな」
『王都の最新トレンド情報では、「美と健康」やがキーワードとなっております。特に貴族の間で、美白効果のある化粧品の需要が先月より27%上昇しております』
「美白? ラノベ定番の鉛は大丈夫なのかな……化粧品ってさ、薬草と相性がいいのはわかってるんだけど、イマイチその分野の新商品を作る気になれないのよね。薬のように慎重に開発する必要があるけど、お父さんの記録にはそっち方面が一切ないし……一から開発するなら、計画的に時間を作らないといけないわね」
『そうですね。化粧品関連の第一弾として、本日午後の打ち合わせが上手く進むとよいですね』
「他のトレンドはどう?」
『王都の王立学校では、香り付き文具が流行しており、特に15歳から18歳の層で支持率が89.3%となっております』
「懐かしいー! 香り付き消しゴムが小学校の頃、流行ったなぁ……それならさ、単なるいい香りじゃなくて、集中力を高める青霧草を使った香りだと、試験前の学生にウケそうじゃない? ペン立てやしおりなら単価も上がるわ」
『さらに、馬車での乗り物酔いに悩む旅行者が増加傾向にあり、特に長距離路線で深刻化しております。具体的な数値を申し上げますと……』
「そっか、行商人だけじゃなくて、一般的な馬車旅行のニーズの把握は必要ね。酔い止めと虫除けを一緒に置けば、旅行セットとして展開できるかも。リラックス効果がある薬草を使ったネックピローとかアイマスクもありよね」
『セット販売による客単価上昇率は推定で27.8%、さらに──』
「テオの計算のおかげで、いつも安心してアイデアを出せるわ」
『あ、その、ありがとうございます。トラベルグッズに最適な薬草と、原価、試作期間などをまとめてレポートにしておきます。旅行が増える年末年始前までに開発しましょう。肌触りが大切ですから、布素材の吟味も重要ですね。それから──』
「ふふっ、照れて早口にならなくていいじゃない。さぁ、次は商品開発室に行く前に、秋商品の構想をまとめましょう。テオのデータがあれば、すぐにまとまるわね」
午後になり、いよいよ初めての商品開発チームとの打ち合わせ時間になった。
今まで自分の知識だけじゃうまく出来なかったアロマオイルをプレゼンすることになっている。
ここシルヴァークレスト商会には、商品開発室がありプレゼン次第ではアイデアを形にしてもらえる。1階の香水売り場に精油商品があるのと、商品開発室にアザランス製の最新式抽出機があるのは確認済みなので、是非、薬草を使った効能が高いアロマオイルを開発してほしいと思っている。
『アイリス様、お時間です。社員データによると、サラ様とミナ様の友人も商品開発室に所属しており……』
「うんうん。この前、ランチでご一緒した時、アロマオイルの話をしたら、商品開発室のお姉さま方の目が輝いてたの覚えてる?」
『はい。瞳孔が2.1倍に拡大し、心拍数も──』
「話しの注目ポイントはそこじゃないんだけど……テオ、残念理系男子代表って感じ」
商品開発室に入ると、右側2/3にはラボみたいに実験装置がおかれた台が並び、奥の方には素材が入っているキャビネットがいくつもあるが、左側の事務机の上は書類の山だった。この光景、前世の開発系ベンチャー企業を思い出すわぁ。
手前の打ち合わせコーナーには、ランチをご一緒したお姉さま方、ゼフィラさんとリコラさん、それに熊みたいな開発室長のオルガスさんが待ち構えていた。自己紹介しながら、和やかに話しを始めようとしていると、奥の方で男性3人がこちらを見ているのに気付いた。小声で話してるけど……
「あの子の薬草茶は凄いからな、作り方を知りたいな。お金出してもいいからさ」
「ってか、めっちゃかわいくね? まだ14歳らしいぞ。ヴエルダント家、恐るべしだわ」
「計算能力も神業だし、使いやすい配置に改善してくれるらしいぜ? うちに来てくれないかなぁ」
って、聞こえてるんですけど!
『アイリス様の評価が社内で上昇傾向にあります。特に、薬草茶の顧客満足度は93.7%と評判がよいですし、当然の評価と言えますね。彼らはなかなか見る目があります』
「あの……えっと、お手元の資料を……」
ちょっと恥ずかしくて、小声になって説明を始めると、突然、開発室長が吠えた。
「こら――っ! お前ら特許書類は揃えたのか? 事務長が夕方に取りに来るぞっ!」
3人の男性は、慌てて書類の山に突撃していった。
熊さんが怖いのだろうか、事務室長が怖いのだろうか、ってか特許ってあるのね。
『はい、アイリス様。この世界では発明者の権利を──』
(あとで詳しく教えて!)
「コホン」という咳払いで我に返る。開発室長が私に目を向けた。
「では、アイリスくん。説明を始めてくれ」
深呼吸をして、緊張を抑える。これは前世の新規プロジェクトのプレゼンと同じ。大丈夫、私にはテオがいる!
「はい。今回、3種類のアロマオイルを考えています」
実物の青みがかった葉を見せ、手に取ってもらう。
「1つ目は、冬の乾燥した季節に免疫力アップ、つまり病気や風邪を予防する効果があるアロマオイルです。これは霜葉という薬草で、寒さに強く、体を温める効果があります。これに、甘い香りの月光華を加えることで、リラックス効果も期待できます」
商品開発室の3人が、薬草を触ったり匂いを嗅いだりしながら、興味深そうに話し始めた。
「そうね、今から開発して、冬商品にのせられたらいいわね」
「冬はイベントが多いからプレゼントにも売れそうだわ」
「甘さは抑えめで、男女使いやすい香りにした方がいいかも」
次は赤い葉を渡す。
「2つ目は、血行を良くして、手足を温める効果があるアロマオイルです。紅葉草と星の雫を使います。冷え性の方が、寝る前に手足のマッサージをする時に使ってもらうことを想定しています」
「少し独特な香りね」
「薔薇香草の香りを混ぜてもいいかもしれないわね」
(テオ、薔薇香草との相性は?)
『薔薇香草は紅葉草との相性が良く、香りのバランスを調整して、効能を活かしたまま使用しやすい香りにできます』
「薔薇香草を加えるのは素晴らしいアイデアですね。香りのバランスが良くなりますし、美肌効果も高まります」
最後は、緑色の葉と紫色の花を渡す。
「3つ目は、緑風草と紫霞花を使用した商品です。仕事の効率を上げながらもストレスを軽減する効果が期待できます。最近、アザランス帝国の帝都のトレンドを分析すると「癒しと活力」をキーワードにした商品が流行っており、今後、確実に我が国の王都でも流行り始めると予想しています」
開発室長が驚いた様子で言った。
「おいおい、アイリスくんは14歳だよな? 帝国の情報にまで精通しているのかい?」
「アイリスちゃん、食堂で全部の新聞と雑誌に目を通してるもんね」
「そうそう、でもパラパラってめくるから、眺めてるだけかと思ってたわ」
「あ……いえ、あの、速読ができるので!」
まさか見られてるとは思わなかった。
2時間の打ち合わせが終わり、熊さんとお姉さま方は満面の笑顔だった。
「これで冬の目玉新商品ができそうだわ」
「ではこれで失礼しますね。アロマオイルは、香水のような使い方だけではなく、木に染み込ませてクローゼットに使ったり、クリームと混ぜてハンドクリームにしたり、色々な使い方ができますので、今後はセット商品も開発したらいいかもしれませんね」
3人が目を輝かせて叫ぶ。
「「「待って、詳しくー!」」」
(テオ、やらかしたかも……とりあえずセット商品の関連データを画面展開してー!)
『アイリス様……ご自分の首をしめてますね。市場のコラボ会議が思い出されます。ではまず、『霜月の護り』には効果持続時間を考慮して木製ペンダントと……』
よかった。テオは、こういう時はほんとに頼りになる。最近、一言多いけど。いや、昔からか……
「そうですね、例えばですが、1つ目のアロマオイルには、オイルの他に、木製のペンダントと専用の小瓶をつけます。ペンダントに数滴垂らして首にかければ、一日中効果が持続します。木製のペンダントトップを飾り彫りなんかにすると、プレゼントに最適ですね」
「アイリスちゃんって、ほんとすごいのね。なんでそんなスラスラとアイデアがでてくるのかしら」
「常に勉強してるものね。新聞はもちろん、図書館でも見かけるって聞いたわ」
テオのおかげですとは言えない……。
「あはは、ありがとうございます。そして、2つ目のセットには、ハンドクリームやボディローションを加えます。しっとりタイプやさっぱりタイプなど好みに合わせて選んだクリームにアロマオイルを混ぜて、全身のケアができるようになります」
「選択できるのは嬉しいわね。仕入れチームと早めに調整した方がよさそうね」
「ハンドクリームやボディローションを無香料にしないといけないわね」
「3つ目のセットは、卓上用と携帯用のディフューザーをセットにして──」
更に、白熱した打ち合わせが続き、気がつけば外は暗くなっていた。
「アイリスちゃん、もう少し詳細を詰めたいんだけど、残ってくれる?」
「俺たちも特許書類が終わったから混ぜてくれよ」
「精製オイルだろ? ちょっと試作してみるか? すぐできるぞ」
残業か……前世では当たり前だったけど、アイリスの身体で大丈夫かな。
『アイリス様、現在の疲労度は67%ですが、商品開発への情熱度が高まっており、この脳波の時は帰宅しても開発アイデアを練り続けるパターンが予想されます』
(テオ、よくわかってるわね。ここで帰る方がストレス溜まりそうよ)
「はい、もちろんです! 最新の抽出機があると聞いたのでぜひお願いします。薬草を取ってきますね。ハンドクリームの試作もあるので持ってきます!何か木片を用意していただけますか?」
初めての残業。でも、みんなでアイデアを出し合って、一つの商品を作り上げていく。この感じ、めっちゃ懐かしい。学生時代のグループ課題を徹夜でやっていた雰囲気を思い出す。わいわいとアイデアを出し合って、試行錯誤するのって楽しいよね。ケンカ込みで。
『アイリス様、開発室長がついているので、ケンカは始まらないかと……』
(いや、あの開発室長は、熱くなったら割と頑固なタイプだと思うわよ? 熊さんVSその他開発室研究員のバトルが始まるとみたわ)
『その前に帰りましょう』
夜が更けていく中、商品開発室の明かりは、連日、煌々と灯っていた。
社内の噂では「熊さんの吠える声が、一晩に3回は聞こえる」らしい。ナムナム。
そうして開発されたアロマオイルが、年末商戦で発表されると、高額な割にじわじわと売れ行きが伸び、年明けには売り切れが続く自体となった。
商品開発は大成功だったが、お客さまからだけでなく、売り場からもかなり文句を言われた商品開発室では、「アイリスが絡む商品は、必ず事務長と数量調整すること」というルールができるのであった。




