2-5 改善の改善
朝日が差し込み、いつものようにテオの声が静かに響く。
『アイリス様、本日の天気は晴れ、最高気温25度、最低気温17度でございます。湿度は60%で、過ごしやすい1日が続いていますね』
ベッドから起き上がりながら、今日の計画を立て始める。商会に就職してもう3週間だ。
「そうだわ、販売カウンターの文房具と包装紙の配置、見直してみようかな。接客効率を上げられるかも」
『アイリス様、データベースによりますと、作業効率の10%向上で顧客満足度は平均15%上昇する傾向にございます。ただし、チーム全体への影響も考慮して──』
「大丈夫よ。みんなにとっても使いやすくなるはずだわ」
商会に到着すると、ミナさんが先に出勤して品出しをしていた。
挨拶をしても、相変わらず返事はなく、その表情にはまだ警戒心が見える。
午前中は通常業務に追われ、配置変更の計画を伝える機会を逃してしまう。昼食時、ミナさんたちが先にランチに行っている間に、改善を始めた。
(今がチャンスね)
『アイリス様、現在のカウンターレイアウトを分析いたしました』
(うん、見せて)
私は目の前の配置を確認する。包装紙が奥の棚に、ハサミや紐は引き出しの中。説明書は種類ごとに順不同で積まれている。
『現状の動線分析では、一つの接客に平均8.3回の無駄な動作が発生しております。特に説明書の取り出しに3.4秒、包装用品の準備に7.8秒を要しています』
「ふむ。改善できるポイントはいくつもあるわね」
動線を最短にし、手の届く範囲に必要なものを全て配置する。高頻度で使用するものは手前に、低頻度のものは奥に。基本に則って配置を変更していく。
包装紙を種類別に手の届く位置に移動させ、ハサミと紐は机上の専用ホルダーに。そして説明書は症状別に色分けして縦置きに
『素晴らしい配置です。理論上、動作数が23%削減され、一回の接客時間が平均30秒短縮されます』
「でしょ? それに、この説明書の配置。前世ではよくある整理法だけど、縦置きで背表紙を見やすくして、色分けですぐに必要なものが取り出せるようにしてみたのよ」
『効率性の観点からは申し分ありません。特に色による視認性の向上は直感的に判断ができますので、誰にでも使いやすい改善ですね』
「それと、薬の補充場所も動線を考えて変更したわ。キオンさんたちが持ってきた薬を置く場所と、在庫の収納場所を近い位置にしたの。前世の在庫管理の基本よね」
『アイリス様、補充時間も34%削減される計算です』
「この配置なら、誰が見ても使いやすいはずよ。効率化は必ず満足度を上げるもの。ミナさんだって、きっと評価してくれるはず」
『しかし、アイリス様。既存の作業フローへの影響を考慮しますと──』
「大丈夫! むしろ、今までの無駄な動きがなくなって、ストレス軽減にもなるわ。物流企業でも、こんな風に……」
前世の知識が次々と思い出され、それに伴ってアイデアが湧いてくる。在庫管理表を手の届く位置に、よく使うスタンプは机上に定位置を作って……。
私は自信満々に変更を続けた。動線、視認性、作業効率。全てのデータが改善成功を示している。これだけ理にかなった変更なのだから、きっと受け入れてもらえるはずだ。
それが、どれだけ大きな思い込みだったのか、その時の私には気づけなかった。
ミナさんと入れ替わりにランチから戻ると、彼女は激怒していた。
「勝手に配置を変えるなんて、どういうつもり? 嫌がらせなの? 先ほど見えたお客様の対応にいつもの3倍は時間がかかったわ!」
「あ……」
言葉を失う。そうか……チェンジマネジメントを忘れていた。変革する時は、変化の必要性と目標の共有、変化の不安に対する対応、トレーニングとサポートなどを事前に調整して、変化を受け入れやすい状況を準備しなくてはいけない。
前世では、計画書を提案するだけで、実際の行動はクライアント任せになっていた部分だ。
「あなたの開発商品の配置ならともかく、いや、あなただけ個人で販売しているのも気に入らないけど! とにかく、物の配置とか、説明書の内容とか、アイリス1人で勝手に変えるのはやめてちょうだい。これ以上続くなら、あなたと一緒の売り場は無理だわ!」
ああ、そうか。変革管理の前に、仕事をする上での基本、報連相……前世の私なら、絶対に忘れるはずのないことが、全くできていなかったんだわ。自分が不甲斐なくて、くやしくて涙が浮かぶ。でも、ここは絶対に泣いちゃだめだ。
『アイリス様、ミナさんの怒りは、むしろチームワークへの強い思いの表れかと……』
ミナさんにしっかりと深く頭を下げる。
「本当にごめんなさい。今まで、1人で全てをしていたので、報告の大切さを忘れていました。相談も連絡もせずに私一人で変更してしまって、ご迷惑をおかけいたしました。今後は、必ず事前にご相談させていただきます」
怒っていたミナさんが、驚いた顔をしていた。
「え? 1人で全てってどういうこと? 大きな薬屋の娘さんじゃないの? おじいさんもお父さんも有名人だって、鑑定もできるって聞いたわ。調薬室でもちやほやされてるじゃない」
少し迷ったが、正直に答えることにした。
「11歳で両親を亡くしてから、一人で薬草を採取して、市場の小さな露店で売って生活していました。それから少しずつ父の記録や書籍で勉強して、調薬ができるようになりました」
「アイリス……そんな、11歳から一人だなんて……いいお家の自己中なお嬢さんかと思っていたのに」
「はい。自己中な考えでした。ミナさんたちへの配慮が全くありませんでした」
ミナさんは深く息を吐いた。声が柔らかくなっている。本当は、とても素直で優しい人なのかもしれない。でも、境遇から同情を引き出したようで後味が悪い。
「今は1人でお仕事をしているのでは無いのよ。相談でも何でも職場で共有してちょうだい」
『このタイミングで、改善案の再提案を……』
(テオ、今は謝罪に専念するわ)
「はい。今後は気をつけます。本当に申し訳ありませんでした」
ミナはしばらく黙っていたが、笑顔を見せてくれた。
「まあ、あなたの状況はわかったわ。私も噂を鵜呑みにしてごめんなさい。一緒に働くんだから、これからはお互いを理解し合わないとね」
「はい、ありがとうございます」
その後、変更した意図を説明し、ミナさんも彼女たちの作業の流れを教えてくれた。ハサミは引き出しに戻すことになった。以前、他の売り場で客と揉めた時に、刃物で危険な状況になりかけたことがあり、カウンターに出しっぱなしにする事は商会全体で禁止されているそうだ。
「ねえ、アイリス。あなたのアイデア、全部がダメってわけじゃないのよ。この説明書の並べ方は、確かに使いやすそう。ひと目でわかるわ」
「本当ですか?」
「ええ。でも、他の部分はみんなで相談して決めましょう。あなたの考えを、明日の朝礼で提案してみたら?」
「はい、そうします!」
その日の終わり、ここ最近のモヤモヤとれて、晴れやかな気分で寮に帰る。窓辺の月ちゃんに水をやりながら、テオに声をかけた。
「ねえ、テオ」
『はい、アイリス様』
「人の心の中までは分析できないのね。あなたが言っていたデータ不足の意味がわかったわ。嫉妬なんかじゃなくて、私のミスだったのね」
『私も反省しております。アイリス様の視点にのみ寄り添い過ぎ、効率化のデータばかり提示してしまいました』
「それは私が求めたからよ。テオは悪くないわ。最近、前世の28歳のアヤメとしての私が薄くなって、14歳のアイリスに変わっている気がするわ。今、思うと、報連相を忘れるなんて信じられないもの」
『申し訳ございません。私もアヤメさんのビジネス知識はデータベース化していたのに、状況判断を誤りました』
「私はね、新しい職場に来て、早めに自分の未熟さがわかってよかったなって思ってるの。これからも、2人で成長していこうね」
『はい。より適切な分析とアドバイスができるよう努めて参ります』
ベッドに横たわりながら、明日の計画を立て始める。
「テオ、明日の朝礼で、みんなに相談しながら配置変更の提案をしようと思うの。どんな風にプレゼンしようかな? 変革管理の基本も共有しておきたいし」
『効率性の向上と、チームワークの重要性を強調するのが良いかと。具体的な数値と、皆様の意見を聞く姿勢を……』
「ふふ、テオも今日は随分と遠慮がちな声ね」
『申し訳ございません。データ分析の押し付けが過ぎていたことを反省し……』
「いいのよ。テオらしさは失わないで欲しい。本当に頼りにしてるんだからね」
明日の準備をばっちり終わらせ、今日も目を閉じながら、静かに呟く。
「おやすみ、テオ」
『おやすみなさいませ、アイリス様。明日も良い1日になりますように』
安心して眠りにつきかけた私の耳に、最後にテオの小さな声が届く。
『アイリス様の周辺データの収集と分析、さらに慎重に進めて参ります……』
チームの中で生きることの難しさと喜びを、私もテオも、身をもって感じた一日だった。
◇
一週間後、思いがけない人から声をかけられた。
「アイリス! 評判の配置改善を見に来たよ」
振り返ると、笑顔のレオン会長が立っていた。何故か会長の後ろには事務長もいる。
「あの、これは皆さんと相談しながら……」
「ああ、聞いているよ。最初は失敗したけれど、チームで話し合って改善を重ねたと。それを聞いた他の売り場でも、『報連相』を意識した改善が始まっているそうじゃないか」
「えっ?」
「菓子売り場では包装資材の配置を、宝飾品売り場では接客カウンターの配置を、みんなでアイデアを出し合って変えたと聞いている。君の 『効率化とチームワークの両立』 という考えが、商会全体に広がっているようだ。変革管理をして、変化への移行をスムーズにするという手法も素晴らしい成果を上げている」
『アイリス様、各売り場の効率性が平均23%向上し、スタッフの満足度も──』
(ちょっとテオ、そういうことは早く教えてよ!)
「改善提案のプロセスとして、素晴らしい事例になってます。今後の資料として残すためにお話しを聞きに来ました」
事務長が筆記具を構えて進み出てくる。
「もともと君をスカウトした理由の一つは、組織運営の才能だったが、こんなに早く開花するとはな」
「いえでも、私はむしろ失敗でご迷惑をかけてしまって……」
「失敗を認めて、チームで解決策を見出した。そこも重要なプロセスの一部だよ。ヘルバ商工会のグスタフ会長から、キミの影響力のすごさは聞いていたがね。今度、商会全体の改善プロジェクトについて、君の意見を聞かせてほしい」
『アイリス様、これはチャンスかと……』
(テオ、私が暴走し始めたら止めてね。商会のコンサルなんて、めっちゃやり甲斐があるわ!)
「はい、喜んで参加させていただきます。でも、必ずチームの意見を聞きながら進めさせてください」
「ふふ、学んだ教訓を忘れていないようだね。期待しているよ、アイリス」
レオン会長が去った後、ミナさんが近づいてきた。
「すごいわね。まさか私たちの売場改善が、会長の目に留まるほど広がるなんて」
「ミナさんのおかげです。あの時、厳しく指摘してくださったから……」
「いえ、アイデアは全部アイリスだもの。やっぱり会長の見る目は確かだったってことね」
その夜、今後のタスク管理の調整をした後、テオに聞いてみた。
「ねぇテオ、私たちの成長は数値化できる?」
『申し訳ございません。そのような深遠なデータは、私の分析範囲を超えております』
「あはは、テオも謙虚になったわね」
『いえ、単に適切なデータが……』
「冗談よ。商会のコンサルと思うとワクワクするわ。これからもデータと分析で助けてね」
『かしこまりました。より良い分析とアドバイスを心がけて……』
「もう、固いわね。たまには 『オッケー! 任せてくれよハニー!』 くらい言ってくれない?」
『……善処いたします。無理ですが』
データと人の心。効率と思いやり。相反するように見えて、実は繋がっているもの。それを理解できたからこそ、みんなの心に響いたのかもしれない。私とテオも、これからも強く強く繋がっている。




