2-3 ドッキドキの初出勤(2)
本日2度目の更新です。前話を読まれてない方は、商会の3階と1階を案内してますので、斜め読みしてください。(読み飛ばしても問題ないかもしれません。汗)
階段を上がると、2階のフロアが目の前に広がった。華やかな1階とは打って変わって、落ち着いた雰囲気の内装になっている。
(へぇ、フロアごとにターゲット層を変えているのね。1階が若い女性向けなら、ここは富裕層狙いって感じかな)
『アイリス様、2階の内装費は1階の約2.3倍です。深い緑色の絨毯は最高級品で、間接照明も……』
(その分析内容より算定根拠が気になるわ……)
『アイリス様がおっしゃる通り、このフロアは明らかに富裕層向けです。静かな環境作りのためのさりげない防音仕様、落ち着いた照明による高級感の演出、専門知識を持つスタッフの配置など、様々な工夫が見られます。直接、裏口から案内できるVIPルートも設けられているようですね』
前を歩く受付のお姉さんが説明を始める。
「こちらが2階です。アイリスさんの職場である薬売り場もこの階にあります」
エレベーター前には、カウンター越しに高級時計売り場。その横には繊細なデザインのメガネが並ぶ。
「あれは……メガネ?」
案内のお姉さんが自慢げに答える。
「はい、最高級のメガネです。片眼用のモノクルと両眼用のビノクルの両方を取り扱っています」
値札を確認して、思わずため息が出る。モノクルでも200万円、ビノクルは400万円以上だ。
(買えない……目薬だけじゃなくて、眼精疲労用の薬草茶も開発しないと、安心して夜更かしできないわ)
『アイリス様、夜更かしは感心しませんが、眼鏡市場には大きな潜在需要があります。帝国からの輸入品が主流ですが、国産の代替品の開発も今後の課題です。天体望遠鏡やカメラなど、レンズ加工技術が向上すると、今後のテクノロジーの発展に役立つちますね』
(私の中では、テオってモノクルをかけてるイメージだわ。胸には懐中時計ね。不思議よね……ステータス画面があっても、やっぱり機械式の時計の需要ってあるんだ)
さらに進むと、優雅な家具が並び、色鮮やかなカーテンや絨毯がかけられたインテリアの売り場や、キラキラ輝く宝飾品の売り場があった。
お姉さんが案内を続ける。
「この階は専門店フロアーになっていて、既製品ではなくオーダーメイドを専門職の店員が受ける販売形式になっています。アイリスさんの薬売り場はこの奥の方にあり、さらに奥の裏手には商品開発室と調薬室があります」
『アイリス様、この配置は理にかなっています。薬売り場から調薬室までの動線効率が98%と高く……』
(テオ! 商品開発室ですって! 前世の化粧品会社にあったR&D部門みたいに、新商品の開発ができるかしら? どのくらいの技術があると思う? 開発がメインかしら、研究がメインかしら……あぁ一緒に商品開発してみたいわ!)
『アイリス様の商品開発への熱い意欲を感じます。前から気にされていたアルマオイルが商品化できるかもしれませんね』
(アロマオイル! さすがテオね。ずっと気になってたのよ。私が欲しくってさぁ)
薬売り場に到着すると、その横に可愛らしい販売コーナーがあった。私が市場で使っていた露店のミニチュア版みたいなワゴンに、これまでに開発した薬草茶や薬草飴、入浴剤などが並んでいる。先に商品を送っておいたけど、すでに販売を始めているらしい。
「全部、アイリスさんの開発商品なんですってね? 私も薬草茶を飲み始めてから肌の調子がいいのよ。商品の売れ行きが良ければ、そのうち1階の目立つ場所に移動させる予定らしいわ」
案内のお姉さんが、急にフランクな言葉遣いになって、笑顔で教えてくれた。今度、お姉さま方に新商品のアンケートをとるのもいいかもしれない。
『アイリス様、1年後の売上予想を分析いたしました』
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《分析結果》
予想年間売上高:約5,000金貨
内訳:
- 薬草茶:1,500金貨
- 薬草飴:1,200金貨
- 入浴剤:1,800金貨
- その他新商品:5,00金貨
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(5千万! 売上の40%をもらう契約だから2千万の収入なるわ。もっと売れる商品開発ができたら……うふふ)
『アイリス様、その表情は新商品開発への意欲に満ちていますが、脳波パターンが……』
(テオ、私の分析はやめてってば! でも、アイデア料が入ったら、まずはあのハンカチを買いたいわ。3枚くらい! アザランスのお高い香水も!)
受付のお姉さんは外国人対応の説明をしてくれた。
「外国人のお客様への対応は数人のスタッフができるけど、人手が足りない時はアイリスさんにも声をかけるわね。その事は、薬売場の責任者も了承済みだから心配しないでちょうだい。レアな外国語も翻訳できると聞いているから、頼りにしているわ」
「少しだけですけどね。よろしくお願いします」
(翻訳スキル、めっちゃ役に立ちそうだけど、バレないように気をつけないと)
『アイリス様、翻訳機能の調整いたしましょうか? 不自然にならない程度に聞き取りにくく……』
(そうね。時々わざと聞き返したりしないとね)
最後に、薬売り場の責任者、ザラン・ヴィトリウスさんに引き継いで、お姉さんは受付へ戻っていった。
ザランさんは、30代くらいの寡黙で真面目そうな男性だ。
「販売は3人体制で行っています。他の2人を紹介しますね」
「はじめまして、ミナ・ブルックストーンです。よろしくお願いします」
「…………アイリス・ヴェルダントです」
紹介された2人のうちの1人が、なんとあのミナさんだった。
ミナさんは、まるで初めて会うかのように、にこやかに挨拶をしてきた。昨日の食堂で嫌味を行ってきた時とは別人である。
『アイリス様、ミナさんの態度は明らかに演技です。注意が必要です』
(わかってるわ、テオ。前世でも経験した、表面上は友好的な社内政治ってやつね。こういう時は、恐ろしい子……って白目になるのよ……)
私も超いい笑顔で応える。
「初めましてミナさん、こちらこそ、よろしくお願いいたします」
次は調薬室の見学だ。一歩足を踏み入れると、清潔な空気と薬草の香りが鼻をくすぐる。そこには白衣を着た男女が1人ずついた。え? 白衣ってあるんだ……研究室みたいだわ。
『大変興味深い発見です。この世界の医療文化と前世の共通点として、データベースに記録いたしました』
キオンさんという男性とサラさんという女性の2人の調薬師さんに紹介される。先ほどのミナさんとは違い、2人からは純粋な好奇心と友好的な雰囲気が感じられた。早速、サラさんが興味深そうに尋ねてくる。
「アイリスちゃんは、どういった調薬をしていたの? 効き目がすごいってレオン会長から聞いたけど」
慎重に答えなくては。でも、あまり隠しすぎるのも不自然よね。
「えっと、自分で早朝の効能が高い薬草を採取していて……効能を組み合わせた薬を作っていました」
『アイリス様、絶妙な回答です。技術は開示しつつ、核心は伏せる……さすがはコンサル出身』
(テオ、バカにしてない? とりあえずは様子見よ。大丈夫そうなら全部教えるつもりだし)
説明を続けると、2人は目を輝かせて聞き入ってくれる。特に薬の鑑定スキルの話には驚いていた。
「薬の鑑定スキル持ちは王都にも数人しかいないわ。羨ましい!」
「そういえば、王都にはスキルを鑑定できる装置があるらしいよ。それで持っている技能まで詳しくわかるんだって」
責任者のザランさんが付け加える。
『初耳です』 テオも驚いた様子で囁く。
(スキルを鑑定? 逆に言えば、普通の人には詳しい技能はわからないのね)
『アイリス様、調薬室の分析結果をお知らせします』
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《調薬室分析結果》
設備レベル:王都標準の95%
未知の器具:3種類確認
アイリス様の実力との適合率:92%
結論:対応可能な環境です
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よかった。なんとか調薬も続けていけそうだ。
昼食に誘ってもらい、研究室の奥の応接セットに着くと、キオンさんが興味津々で私のランチボックスを覗き込んできた。三人は、買ってきたサンドイッチだけだ。
「その香り……月影草? でも、なんか違う気も……」
「あ、はい。今試作中のレシピなんです。疲労回復効果のある月影草と、集中力を高める陽光草を使ったスパイスミックスです。」
キオンさんは、途端にメモ帳を取り出し、熱心に記録を始める。典型的な研究者タイプだな。
『アイリス様、キオン様の薬草への関心度が予想以上です。特に記録の正確性と──』
(テオと同じオタク気質っぽいわね)
「キオンさん、興味あるなら、味見されますか?」
「いいの? ……おお! これはすごい。食べた瞬間にふわっと効能が感じられる!」
キオンさんが瞳を輝かせながら質問を連発する。
「月影草の投入時期は? 刻み方は? 陽光草との配合比は? 効能の数値化はどうやって……」
「あのねキオン、数値より大事なことがあるでしょう?」
サラさんも一口食べながら、冷静に割り込んでくる。
「え? でも効能値が一番……」
「そうじゃないわ。この香りと味のバランス、そして見た目の美しさ。これなら、高級スパイスとして商品化できるわ」
『アイリス様、サラ様の発言から、ビジネスセンスが感じられます。商品企画の経験がありそうですね』
(二人は違うタイプなのね。研究優先のキオンさんと、商品化優先のサラさん)
「数値が大事だよ!効能を正確に把握しないと……ザイラス・ヴェルダント氏の実験論文は有名だろ?」
「でもね、いくら効能が高くても、見た目が悪ければ誰も買わないわ。私たちは薬屋なのよ。研究所じゃないの。サージ・ヴェルダント氏の 『薬屋の心得』 は読んだことあるでしょ?」
「あの……両方大事だと思います。効能は絶対に譲れないけど、商品として売れなければ意味がありませんから。だから、たとえば、効能実験はキオンさんが中心になって、商品としての完成度はサラさんが中心となる。そうやって、それぞれの得意分野を活かせたら……」
『アイリス様、プロジェクトマネジメントの経験が活きていますね!』
「それ、いいわね。私たち、いつも議論が平行線で……」
「うん、僕はどうしても数値のことしか考えられなくなりがちだから……」
「基礎研究と商品化を両立させましょう。短期の商品開発と、長期の研究課題を分けてバランスをとれば可能なはずです」
「ねぇ! アイリスちゃんも一緒に薬の開発しない?」
「サラ、たまにはいいこと言うね。アイリスさん、是非一緒にやろう!」
「ありがとうございます、ぜひ、お二人ともこれからよろしくお願いします」
『アイリス様、新チームの結成を記念して、プロジェクトデータベースを……』
(はいはい。テオも新しい仲間ができて嬉しいのね)
こうして私たちの新商品開発プロジェクトは、まだ昼食も終わらないうちから始まった。
研究に没頭するキオンさん、商売上手なサラさん、そしてデータ分析狂のテオ。個性的なメンバーたちと、これからどんな商品が作れるのか、考えただけでわくわくする。
ミナさんのことは確かに気になるけれど、こんな心強い仲間がいれば、きっと大丈夫。
「そういえば、結局、このスパイス、月影草の投入時期は……」
キオンさんが思い出したように言う。
「キオン、まずは昼食を済ませましょう」
サラさんが冷ややかに制する。
「あの……言いそびれましたが、ザイラス・ヴェルダントは私の父で、サージ・ヴェルダントは祖父です。ご興味があるなら、出版していない手記なども残っていますよ?」
「「「えぇぇぇぇ!!!」」」
責任者のザランさんて、ほとんどしゃべらないけど、こんな大きな声も出せるんだね。
『アイリス様、気にするのはそこじゃないと思います……』
なんだかんだと、新しい職場がかなり楽しみになった初出勤日だった。




