2-1 異世界 2nd シーズン スタート!
第2章スタートです。よろしくお願いいたします。
5月の柔らかな日差しを浴びながら、駅馬車から降りた私は、新天地であるシルヴァークレスト商会の寮へ向かって歩いている。慣れない馬車と簡易宿の旅で少し疲れた体は、それでもワクワクする期待で満ちていた。
『アイリス様、領都ソルディトの説明をいたします。ボレアリス地方の領都であり、人口はヘルバの21.4倍の7万5千人、面積は28.8倍の約31.2km²で、東京ドーム約664個分に相当します。外国船も多く入港する大きな港があり、エイレニア王国と外国との大きな交易拠点になっています。データ収集には、書店が2件と公立図書館が最適で、図書館は9時から19時まで毎日開架しています。王都の王立図書館に比べると蔵書数は──』
「はいはい、ストーップ! テオ、情報が偏りだしたわよ」
確かに、色々な服装をした外国の人を見かける。馬車でたった2日だけど、かなり都会に来た感じがする。3階建て以上の石造りの建物が街路の両側にビッシリ並んでいて、行きかう馬車も人もヘルバよりずっと多い。それにしても、潮の香りが懐かしい。
ステータス画面の地図を確認したけど、薬草採取にいけるような森はソルディトの近くにはなさそうだった。とりあえず、4時起きの生活は終わりだわ。なんてことを考えていたら、シルヴァークレスト商会の社員寮が見えてきた。
「あそこに住むのね……」
オフホワイトの外壁に深緑の屋根を持つ2階建てのまだ新しい建物は、窓が多い石造りで、落ち着いた感じの建物だ。
『アイリス様、もうすぐ到着ですが、お気分はいかがですか?』
「うん、大丈夫。ちょっとだけ緊張してるけどね」
『データによると、新環境への適応には平均2週間ほどかかります。ですが、アイリス様なら1週間で慣れると予測しております』
「テオって、そういう分析好きよね」
前世では、実家暮らしで寮に入った経験はない。実は「寮暮らし」ってちょっと憧れていた。寮に入っている大学の友達は、縦の繋がりも多くて羨ましかったのを思い出す。ラノベの学園モノだって、男子寮と女子寮の交流は定番だ。同年代の友達ができるといいなぁ。彼氏は……同年代の男の子の年齢を考えると、中身28歳+αの私には犯罪臭が……
『緊張で心拍数が通常より15%上昇しています。深呼吸をおすすめします』
「緊張じゃなくて、罪悪感のドキドキだから気にしないで」
『失礼いたしました。それでは、到着後の手順を確認させていただいてもよろしいでしょうか? まず、管理人室に向かわれ──』
「大丈夫! 菓子折りはちゃんと持ってきます」
やっぱり最初の挨拶には菓子折は必須よね。引越し蕎麦はさすがに無いだろうし。今までのように一人で生活をするわけではないので、日本人の島国村社会適応スキルを活かして早く寮に馴染めるように頑張りたい所存です。ビシッ。
深呼吸をして、寮の玄関の前に立った。思っていた以上に建物が大きく、少し威圧感がある。独身寮でこの大きさなら、100人くらい従業員がいそうだ。玄関前には手入れの行き届いた花壇があり、色とりどりの花々が咲いている。歓迎されているようで少しホッとした。
思い切って玄関を入ってすぐの管理人室のドアをノックすると、優しそうな中年のご夫婦が出てきた。女性は柔らかな笑顔で、男性は温かな目で迎えてくれる。
「あら、あなたが新しく入寮するアイリスちゃんね。最年少なのよ~待ってたわ!」
『夫人の音声から、好意的な感情が読み取れます』
(テオ、最初が肝心なんだから、今は無言モードになって)
緊張しながらも、用意してきた菓子折りを差し出して、しっかりとよそ行きの笑顔で挨拶をする。ヘルバで買ったお菓子の素朴な包装紙が、何となく勇気づけてくれる。
「今日から、お世話になります。あの、これ……つまらないものですが……」
男性が驚いた顔で受け取る。
「おやおや、気が利くねぇ。まだ若いのにしっかりしてるよ。みんなに見習ってほしいもんだな、はははっ」
しまった! 菓子折り挨拶の習慣はなかったか……笑ってごまかすしかない。あざとアイリス発動だ。ニコニコうふふ。
寮内の設備を一通り教えてもらい、最後に私の部屋に案内される。2階の手前の部屋だった。送った荷物は、運び込まれていた。6畳ほどの空間だが、クリーム色の壁と明るい木目の家具が、温かみのある雰囲気を作り出している。机、椅子、棚、ベッド、クローゼットなどが効率よく配置されていた。
「THE寮! ってイメージ通りの部屋ね。日当たりは微妙だけど、シンプルで使いやすそう。うーん、この部屋の強みは……」
『アイリス様、早速、分析モードですね』
「へ? 無意識にやっちゃってたわ。やっぱり緊張してるのかも。でもさ、この部屋のロケーションって結構戦略的なのよ。食堂や管理人室に近いのは弱みだけど、窓からは市場が見えるの。これ、情報収集の強みになるわ。それに、書物の保管環境として、この陽が差さない環境は理想的だわ。外部要因の機会としては……」
『データベースに保存しましょうか? 寮生活戦略企画書として──』
「テオったら、バカにしてる? ……あれ? この匂いは……」
クローゼットを開けると、匂いが気になった。
『アイリス様、湿度が65%、これから夏にかけて、カビの発生リスクが高い数値です』
「うーん、この部屋は朝陽しか差さない方角よね。これじゃ月ちゃんの生育に悪いかなぁ。前世で在庫改善案件を担当したときと同じ匂いだわ」
『アイリス様、また懐かしい記憶ですね』
「あの時はね、高級な商品の保管倉庫で、湿度管理の不備で毎年3000万円分の廃棄ロスが出てたの。空調設備の更新には1億円以上かかるって言われて、でも私、低予算でできる改善案を出したのよ」
『この部屋にも流用可能であれば……』
「まず、倉庫内の温湿度マッピングをして、湿気の溜まりやすい場所を特定したの。それから、自然換気の気流設計を見直して、センサーで自動開閉する換気口を追加。最後は、天然の調湿剤を使った改善案を提案したの。結果、廃棄ロスを8割削減できて、投資額は1千万円以下で済んだわ。でも、自動開閉の窓は不可能よね。調湿材は、竹炭を使って改善したんだけど……この世界では見かけないし」
『アイリス様、少々お待ちください……データベースの父上の記録によると、翠風草の茎や葉は乾燥させると、竹炭と同じくらいの調湿効果があるようです。それに清涼花には抗菌効果もありますね」
「なるほど。薬草の二次利用ね。お父さん、やっぱり発想力がすごいわ。薬草の端材が使えるなら一石二鳥で、SDGsにもピッタリだわ」
『では早速、最適な配置を計算いたしましょう。湿度マッピングのデータを取得開始します』
「お願いね。この匂いを数値化して。これから快適な環境作りの指標にするわ。どこかで薬草を手に入れなきゃ」
窓辺の棚には、大切に手で持ってきた月詠草の種が植えられたテラコッタの鉢を置く。
「月ちゃん、新しいおうちだよ。これから一緒に芽を出していこうね~」
その1月後、寮のあちこちでアイリス式として住環境を改善する部屋が増え、今年はカビ被害が少ないと管理人のご夫婦は喜んでくれることになった。
洋服や書籍などを細々と片付けていると、あっという間に時間がたった。
『アイリス様、そろそろ夕食の時間です。食堂は1階の──』
「はーい、もうちょっと片づけたいけど、初日から遅刻するわけにはいかないわね」
食堂に入ると、部屋と同じように木の温もりを感じる内装が目に入る。テーブルと椅子は同じ落ち着いた色の木で統一されており、壁には風景画が飾られている。あちこちに観葉植物も配置されている。すでに何人かの若い社員たちが食事をしていた。2種類のご飯から、好きな方を注文して、代金は寮費と一緒に給料から天引きされると説明を受けている。
私が入っていくと、一瞬会話が止まり、何となく冷ややかな視線を感じる。
(え、なんで……?)
戸惑いを隠せない私に、一人の女の子が近づいてきた。長い金髪を後ろで束ね、17~18歳に見える美人さんだ。
「あなたが新入りの子? 私はミナよ」
私は少し安心して笑顔を向ける。
「あ、はい。アイリス・ヴェルダントです。よろしく──」
「レオン会長にスカウトされたからって、調子に乗らないでね? 田舎者のくせに」
「え……?」
フリーズしている私を残して、ミナさんは意地悪そうに笑って離れていった。他の社員たちも、私を避けるように席を離れていく。一人取り残された私は、静かに食事を取り始めた。野菜スープの香りが漂うが、味わう余裕はない。この世界に来て、初めてハッキリと向けられた敵意だった。
『アイリス様、栄養バランスは理想的です。特にこのスープは、疲労回復に効果的な──』
(テオ……)
『申し訳ございません。ですが、アイリス様の精神状態が心配です』
(大丈夫、ちょっと驚いただけ。28歳の私から見たら17歳なんて小娘みたいなもんよ)
テオに答えるフリをして、自分に言い聞かせる。顔を上げて背筋を伸ばし、夕ご飯はきちんと全部食べた。
部屋に戻った私は、柔らかなリネンのベッドに座り込んだ。さっきの言葉を思い出す。
「何かやらかしちゃったのかな……私、調子に乗ってた?」
『アイリス様、人間関係の構築には時間がかかります。データ不足のため断言はできませんが、ミナさんの態度は、典型的な既得権益者の防衛反応だと思われます。彼女の言動は、最年少スカウトというアイリス様の才能への脅威を感じているからこそのものです』
私は静かにテオの声に耳を傾けた。
『実際、アイリス様の実績を考えれば、彼女たちの態度は理解できます。アイリス様は14歳にして、すでに市場で信頼される薬売りとして商店主を務め、レオン会長にその能力を評価されて直接スカウトされました。これは並外れて目立つ成功です』
「そう……なのかな」
少し自信を取り戻しかけた私に、テオが優しく語りかける。
『アイリス様の才能は本物です。時間が解決してくれることもあります』
「テオ、ありがとう。なんか……ちゃんとした大人みたいよ?」
『私は高機能AIアシスタントです。年齢的要素は──』
「はいはい、搭載されてないのね。でも、テオのおかげで元気出たわ。前世じゃ、ストレス発散は飲み会だったけど……ここでは14歳だし、何しよっかな」
『明日からの業務スケジュールをご確認しましょうか? まずは6時起床で──』
「テオ、それは明日の朝、お願いね。今日はもう寝る準備をするわ。お風呂でミナさんたちに会いたくないもの」
『……かしこまりました。アイリス様、共同風呂は西棟の1階奥になります。では、この部屋を出てからお戻りになるまでの間、私は無言モードに入りますので』
「わかったわ。何か急ぎのメッセージがあったら、音声じゃなくてテキスト画面で話しかけてね」
お風呂へ行く準備をしながら、私は窓のカーテンをめくって外を見つめた。ヘルバの町とは違う夜景が広がっている。街灯はないのに空が少し明るい。遠くには夜市の明かりが見える。月は見えるけど、ヘルバに比べると星の数は少ないかな。
「月ちゃん、お風呂にいってくるわね」
窓辺の月ちゃんは、土の中でまだ見えない芽を静かに育んでいるはず。そして、心配性のテオは、きっと今夜は私の寝顔を分析しているに違いない。いきなり転生したように、人生は、いつだって想像できない方向に進んでいく。でも、その度に新しい景色が見えてくる。
『アイリス様、石鹸の泡立て方の最適解や、体を洗う順序の効率性については──』
「問題あるわけないじゃない……ほんとに心配性ね」
全てが新しい環境。でも、テオという変わらない存在がいることが、この瞬間はとてもありがたかった。




