1-18 テオとの日常(市場編)
今日も朝日から市場に活気がある。春になり、あっという間に私の異世界生活は2年目に入った。薬草売りの収入は上々で、市場の店主さんたちともかなり仲良くなれたと思う。フェスティバル前は、文化祭前のクラスのように謎の団結力で店主さんたちと盛り上がっている。クラスTシャツ代わりのスカーフも定番化しそうな気配だ。
この一年の一番の変化は、やっぱりテオの誕生だろう。テオと暮らし始めてからの4か月の日々を思い返してみる。今日はテオに絶対無言モードを命じているので、静かに考え事ができるのだ。私がご主人様ですからね!
テオは基本的に、私に対してはお節介ながらも優しい執事モードだ。しかし、私以外の人間に対しては、意外にも毒舌だ。特に、私に対して悪意がある人間には、鬼怖ブラックモードに豹変するため、その2面性には、いつも驚かされる。残念ながらギャップ萌えというかわいいレベルではない。
先日のこと。しつこく値切り交渉をしてくる中年男性がいた。テオの低く冷たい声が頭に響く。
『アイリス様』
何故か、私がビクッとしてしまう。
『このような男は客ではございません。顔の赤み、汗、息切れ、体重過多。血圧がかなり高そうですね。フェバリス草を売ってやってはいかがでしょうか? 血圧を上昇させる副作用は一般に知られておりませんから、問題ないかと……』
(ちょっとテオ! 問題、大ありよ!)
私も冷汗がでてくる。
『申し訳ございません、アイリス様。つい本音が出てしまいました』
テオは一瞬で執事モードに戻る。なぜAIに本音と建前があるのか。考えたら負けだ。
「申し訳ありません。この商品に関しては、品質などの面で今の価格が精いっぱいとなっております。代わりに、こちらの薬草茶の試供品を1種類ずつ全部で5点ほど、特別サービスでおつけいたしますね」
丁寧にお断りするしかない。なんとかその男性を納得させて帰ってもらった。
昨日も似たようなことがあった。この田舎町では珍しく、貴族らしき男性が市場をブラブラしていた。そして、私の露店の前で、鼻で笑いながら「こんな下品な店で買い物など」と言い捨てたのだ。
『アイリス様』
またしても冷たいテオの声が響く。ガクブルだ。
『あの男、明らかに借金まみれですね。服は一見、高級品のように見えますが、よく見ると縫い目が粗末です。恐らく、没落貴族でしょう。あちらの彼の馬車を見てください。車輪が少し歪んでいます。このまま走り続ければ、そう遠くない未来に事故を起こすでしょうね。まあ、アイリス様に無礼な態度を取る者には、相応の報いがあるということです』
(テオ……危ないって知ってて黙ってることはできないわ。他の人が巻添えになるかもしれないのよ?)
心の中でつぶやく。私は呆れながらも、いつもブレないテオが面白くなってしまった。
「お貴族様のお目汚しな商品ばかりで、大変申し訳ございません。失礼ながら、あちら、大変お見事な馬車でございますね。遠くから拝見しておりまして、ほんのわずかですが、車輪の動きに何か独特なリズムのようなものを感じました。車輪の歪みが……いえ、私ごとき平民には高貴な方の馬車のことなど分かりかねますので、きっと気のせいかと存じます」
高貴なお貴族様は、御者に車輪の点検をさせていた。
前世では、すぐに無茶振りするイケイケ社長のおかげで仕事のスキルが上がったように、テオのおかげで、違う意味での接客スキルが上がりそうだ。過激すぎる提案をするテオを制御しながら、適切な対応を学んでいく。これも一種の修行なのかもしれない。
うん、誰も頼んでないけどね!
そんなことを考えていた時に、一人のおばあさんがやってきた。少し擦り切れた外套を着て、震える手で杖を握りしめている。
「お嬢ちゃん、何か良い薬はないかね? 最近、夜になると体中が痛くてね、眠れないんだよ」
おばあさんの様子から見ると、寒さによる関節痛だろうか。急いで薬草辞典を呼び出す。
「はい、お力になれると思います。こちらにおかけになって、少々お待ちください」
私が椅子をおばあさんに勧めて、効能が高いレアな薬草を探し始めると、テオの声が響いた。むっ、私の絶対無言モード命令は、自己判断で解除したようだ。
『アイリス様、そのお客様は明らかに金銭の余裕が無さそうです。高額な薬草の購入は無理でしょう。売るのであれば、安価で鎮痛効果がある薬草の方が、お客様も喜ばれるのではないでしょうか』
(違うわ、テオ。この方には高品質の薬草が必要よ)
『しかし、アイリス様。商取引の観点から見れば──』
(テオ、聞いて。私は商売のために薬草を売ってるんじゃないの。確かに、最初はそういう時期もあったわ。でも今は、薬草を通して人々を助けるために、ここにいるの。それが私の今の目標なの)
私はテオに言い返し、おばあさんに向き直って、穏やかな声で話しかけた。
「お待たせしました。こちらの薬草セットがおすすめです。炎凰根という痛み止めと、深部までの温熱効果がある薬草が入っていて、痛みを和らげて、良質な睡眠を促しますよ」
老婆は目を輝かせた後、真っ赤な薬草を見て悲しそうな顔をした。
「ありがとう、お嬢ちゃん。でも……高そうだねぇ。私には……」
「大丈夫です! お試しキャンペーン中なんですよ。一週間分をお持ち帰りいただいて、効果があればその後の分からお支払いください」
一週間後には、かなり症状は改善して、安価な薬草でも十分な状態になるはずだ。
「一日に二回、朝と寝る前に飲んでください。きっと楽になりますよ。それから、今だけオマケにサシェがついています。これを枕元に置いて寝てくださいね」
老婆は涙ぐみながら薬草を受け取った。
「ありがとう、お嬢ちゃん。きっと神様があなたをお守りくださるだろうて」
おばあさんが去った後、テオに話しかけた。
「あのおばあさんは、きっとまた来てくれるわ。そして、彼女の話を聞いた人たちも来てくれる。信頼はお金では買えないし、最高の広告なのよ」
途中から沈黙していたテオが神妙な声で囁いた。
『……さすがはアイリス様です。私には思いつかない解決方法でした。確かに、評判を得ることで長期的には利益につながるかもしれません。アイリス様の幸せをお守りするために、これからも精進してまいります』
「テオ、前世ではね、損して得取れって言葉があるのよ。最終的にみんなで幸せになりましょう。テオも一緒にね」
次の日の夕方、おばあさんが再びやってきた。彼女の顔には笑顔が浮かんでいて、足取りも少しだがしっかりしていた。レア薬草の効能、恐るべしである。
「お嬢ちゃん、あの薬草が効いたよ! 久しぶりにぐっすり眠れたんじゃ。本当にありがとう」
おばあさんは小さな籠を差し出した。中には手編みの手袋と靴下が入っていた。
「お礼じゃ。まだまだ寒い日があるからね、使ってくれると嬉しいよ」
「わざわざありがとうございます。きれいな春らしい蒲公英色で、軽やかな気持ちになれそうです。すごく嬉しいわ!」
受け取った手袋をその場ではめてお礼を言うと、おばあさんは、私以上に嬉しそうな顔をして、ゆっくり帰っていった。
『アイリス様……私が間違っておりました。こういった形での報酬もあるのですね』
「報酬……そうねぇ、おばあさんは薬草の報酬として手袋を持ってきた訳じゃないと思うの。単純で純粋な気持ちというか、なんて言えばいいのかな……上手く説明できないけど、とにかく、私にとっての一番の報酬は、おばあさんの笑顔なのよ」
『…………人間の行動原理については、データ不足で判断に支障をきたしております。アイリス様のおそばにいることで、理解が深まると思われますので、今しばらくはご寛恕いただければ幸いにございます』
「なに、その唐突なビジネス用語!」
私は笑いながら、露店の片付けを始めた。そして、初めてテオと価値観という少し深い部分で触れ合えて、お互いの理解が深まったのを感じていた。
その夜、私は温かい靴下をはいて、改めて薬草売りのことを考えた。今までの目標は、色々な知識を使って人々を助けることだった。でも、フェスティバルの改革や、今日のおばあさんとの触れ合いを通して、ただ助けるだけではなく、信頼を得たい、その繋がりを大切にしたいと強く感じるようになった。2年目の目標を、しっかり決めなくちゃね。
そして、テオについても考える。
テオの存在は、ぶっちゃけ面倒だと思うことも多いし、時には恐ろしく感じることさえある。でも、少しずつ、私たちは互いを理解し、成長している。一人で生活していた時より、気持ちの動きは激しくなったけど、この影響し合っている関係は決して嫌では無い。
テオという不思議な存在と共に、この異世界での生活は、まだまだ謎に満ちている。
そう思いながら、私は静かに目を閉じた。




