1-12 調薬室で試行錯誤
市場が休みの朝、私はのんびりと目を覚ました。と言っても、7時前だけどね!
「久しぶりのお休み……今日こそ、アレにチャレンジよ!」
わくわくが止まらない。
昨日のうちに伝えてあるので、今日のアシスタント君は省電力控えめモードで、基本的には静かなはずだ。
朝食をサクッと済ませ、私はお父さんの調薬室の扉を開けた。ここに入る時は、職員室に入る時のようにちょっと緊張する。部屋に微かに残る、薬の独特な香りが鼻をくすぐって、幼い頃の記憶が蘇る。
◇
「アイリス、こっちにおいで」
優しく微笑む父親の姿。
「今日は、お父さんの特製薬を作るのを手伝ってくれるかい?」
父親の膝の上によじ登り、小さな手で乳鉢を握り締める私。
「うん! 頑張る!」
◇
あの時は、お店の調薬室ですごく高い台だったなぁ。それとも、小さかったから高く感じたのかな? お父さんの薬は、めっちゃ評判が良かったみたいで、今でもたまにお客さんから聞かれる。
「ザイラスさんの風邪薬はないかい? 残ってるなら売って欲しいんだが」
「あなたのお父さんの頭痛薬はほんとによく効いたのよ。頑張って薬屋を再開してちょうだいね」
「薬」は出来上がった料理、「薬草」はその素材って感じかな。薬草は、緩やかな症状の緩和や予防には向いてるけど、やっぱり即効性があって効き目が強いのは薬だ。お腹がすごく減っている客さんに、すぐにお腹がいっぱいになる美味しい料理を提供したい。薬を売りたいという思いが、私の中でどんどん強くなっていた。
壁一面の本棚から『調薬の基礎』を取り出して、調薬用の台に移動する。ドキドキしながら、風邪薬用の薬草、赤みがかった葉を持つミスヴェル草を用意する。まずは、鑑定で確認だ。
うん、状態も効能も問題なし上等品ね。
それから、父親が愛用していたガラス製の抽出器に目を向ける。何度見ても複雑な構造で、まるで、理科室の高価な実験器具みたいだ。『アザランス帝国製』のプレートがプレッシャーをかけるように、眩しく光って見える。
落ち着け。一旦、深呼吸だ。何回もイメトレしてきたんだからいける! そう、アイリスはできる子よ!
イメトレ通りに、下部のガラス瓶に蒸留水を注ぎ、中央の管に細かく刻んだミスヴェル草を入れる。そして、アルコールランプに火を付け、水を沸騰させる。すぐに甘い香りが立ち込め、抽出器内で水蒸気が上昇し始めた。期待がたかまる。
……が、しかし、時間が経っても、期待していた鮮やかな緑色の液体は現れず、濁った黄土色の液体が溜まっていく。さらに、甘い香りは消え、苦く刺激的な匂いが鼻をつきだした。
「えぇぇ! なんで! どゆこと!?」
思わず叫んでしまった。
慌てて窓を開けて、『調薬の基礎』を確認してみたが、よくわからない。強いて言うならば、温度が少しだけ高かったかもしれないような、しれなくないような……はぁ……失敗かぁ。ちょっとヘコむ。とりあえず、次からはマスクも用意しよう。白衣も欲しい。
息を止めてガラスの器具を洗いながら、調薬について考える。一度チャレンジしただけでも、かなり繊細な技術が必要そうだということだけはよくわかった。
やっぱり、緑知の指の技能不足だったのかな……いや、それは違うか。緑知の指を持っていない薬屋さんの方が圧倒的に多いはずだし、お父さんだって持ってなかったもんね。それなら、少しずつ練習を続けていくしかない……でもさぁ……イメトレだとバッチリ上手くできてたのになぁ……
再びため息をついたその瞬間、ずっと沈黙していたアシスタント君からメッセージが届いた。
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アイリス様、ウィンターフェスティバル
の一か月前です。
本日はお時間に余裕がありますので、新
しい商品を開発するのに最適です。
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「そうね、フェスティバル初参加だもんね。今回は特別商品を投入してがっつり稼ぎたいわ! ありがと、アシスタント君。気持ちを切り替えるていくわ」
メモ帳の商品開発アイデアページの画面を表示させる。ダメだ、あっという間にテンション上がる。
「薬草茶はいいとして、薬草保管冷蔵庫、冷却ジェルシート、絆創膏、関節サポーター、バスボム、アロマオイル、消臭剤スプレー、蚊取り線香……うーん、作り方がわからないなぁ。インフィニティープール、保冷剤、真空断熱ボトル、マンゴーフ〇ペチーノ……」
うむ、夏に考えてたネタか。薬草は関係ないじゃん。アホなのかな、自分。
それにしても懐かしい。新作フ〇ペチーノは必ず並んで飲んでたな。ミーハーは否定しないけど、あそこはカスタマイズの自由度はすごいし、ソファ席の居心地の良さは最高だった! ブランド力でどんどんギフト人気がでる良い例だったわ。うちの薬草店もいつかは……
「ん?ギフト?……薬草って要はハーブよね?」
前世の記憶の中から引っ掛かったその一言がきっかけになり、アイデアが湧いてくる。
ハーブと言えば……リラックスグッズ。そうよね、ハーブを使ったギフトは人気商品の定番だった。効能だけでなく、心地良さを強調したイベントグッズはありかもしれない!
まずは薬草茶から。これは、改良方法を見つけていたので、簡単に形になりそうだ。ラベンダーの代わりに紫ブルーム草、カモミールの代わりにヤスラギ根……そして大事なのは『虹彩蜜パウダー』!!
猫型ロボットが便利グッズを取り出す時のテッテレーという効果音が頭の中では響いている。きっと私はドヤ顔になってるはずだ。
さすが異世界で、虹彩蜜は、特殊な蜂が作るキラキラ輝いたファンタジーな蜂蜜だ。
お父さんの調薬覚書きに、『薬草の苦みを中和する』と書かれていたから、市場で見つけた時にたっぷりまとめ買いしておいたのだ。まぁ、市場で見つけたのは、アシスタント君だけどね。
乾燥させた薬草を刻み、虹彩蜜パウダーを少し混ぜた薬草茶を用意する。お湯を注ぐと、部屋中に少し甘い爽やかな香りが広がった。
「うーん、まだ苦みが残ってる。もう少し調整が必要かもね。……でも、リラックス感はいい感じ。3分という手軽さも、かなりありがたいはずよね」
アシスタント君がすかさず教えてくれる。
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アイリス様、ストレスが12%ほど緩和さ
れています。個人差はございますが、煎
じた薬草と比較しましても、5割ほどの
効能は期待できます。
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これはめっちゃ助かる情報だ。省電力モードでも、ここぞという時は教えてくれるアシスタント君って、ほんと有能すぎる。おかげで自信を持って商品化できそうだ。
次は薬草飴。前世では、ハーブのど飴をコンビニで見かけた覚えがある。砂糖を溶かして、翠風草を煎じたエキスを加えてみた。
うーん、まだ舌触りが悪いけど、改良すれば良さそう! 疲れた時の糖分はほんと嬉しいよね。懐かしい残業のお供だわ……飴なら持ち歩けるし、前世のミントタブレットのように小さいサイズもいいかもしれない。ビタミンのために柑橘系のエキスを入れる? 夏は塩飴もありね。今後のイベントのアイデアもしっかりメモしとかなくては。
続いてバスソルトづくりに挑戦する。やっぱり、リラックスと言ったらお風呂でしょ?
紫霧草の癒し効果と、涼香草の爽やかさを組み合わせて……ほんとはバスボムの方がギフトっぽいんだけど、全く作り方がわからない。残念ながら諦めて、塩と混ぜるだけのバスソルトにしてみた。発汗作用があってお肌にもいいから、女性受けするはずだ。薬草の組み合わせや香りを毎日のお風呂で実験しよう。アシスタント君がリラックス度を数値化してもらって確認ね。
お風呂に入る習慣がある世界でめっちゃ良かったわ。異世界転生あるあるって便利!
最後は虫除けのサシェづくり。これはリラックスより効能重視で作りたい。蚊取り線香はこの世界にないみたいだけど、虫除け効果のあるゼフィルム草を使えばできるはずだ。小さな布袋に、乾燥させたゼフィルム草を詰めていく。虫除け効果がある割に、あまりキツくない落ち着いた香りだ。これなら、寝室に吊るしておけるわね。虫を気にしないでいいという意味でも、リラックスして眠れそうだわ。
試作品が増えていくにつれ、調薬室は様々な香りで満ちていった。お父さんの薬の香りが消えていくのは寂しいけど、私の開発室になった気がしてちょっと誇らしくも思う。器具の置き場も変えて、これからはこの部屋を活用していこうと決意した。
その日の夜、それにしても……と私はベッドの中で気になることを考えた。
最近、アシスタント君が進化しているような気がするのだ。前までは、スケジュールや体調管理の注意が9割で、あとはあくまでもAIっぽく受け身の姿勢だったと思う。でも最近は、自分から積極的にアシストしてくれている感じがする。先週は、メモ帳スキルにどんな機能が増えて欲しいか聞かれて、次の日の朝にはその機能が追加されていた。スケジュールに入れてなくても、月詠草に話しかけたか確認されたりもする。今日のアシスタント君も、明らかにステータス画面の補助機能を超えた心遣いを感じた……
私がアイリスとして生きていくって決めたから?
あの頃から変わった気がする。私が変わったから、アシスタント君も変わったのかもしれないと考えながら、私は眠りについた。きっと悪い変化ではないはずだ。
一か月の間、毎日少しずつ改良を重ねていった。自分の身体でデータを取って、新商品の開発に励む。アシスタント君も、ますます積極的に補助してくれるようになった。
「この薬草飴、子供たちにも喜んでもらえそう」
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誤飲の注意が必要ですね
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「バスソルトの香り、もう少し強くてもいいかも」
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日本では、冬は柑橘系が好まれました
が、こちらではジンジャーやシナモン
などのスパイス系が好まれるようです。
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「サシェのデザイン、もっと可愛くできないかしら」
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昨日、布屋に隣国の商品が大量に入荷
していました。
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試行錯誤を重ねるうちに、私の腕前も上がっていった。薬草の扱いがより繊細になり、調合の技術が向上していくのが、自分でもわかる。欠かさず続けている調薬の練習でも、極たまに成功できるようになってきた。
「よし、これで来週のウィンターフェスティバルはもらったわね! 目指せ1,000銅貨よ、月ちゃん」
月詠草の種は、まんま月ちゃんと呼ばれ、今や私の大事なおしゃべり相手となっていた。芽は出ないけど。




