水野さんの家族
車で家まで送ってもらったところ、水野さんが家にいた。
家というか庭だな?
クロとシロと一緒にじゃれあっている。
「あれ? 水野さん、今日もバイトは休みなの?」
「うん。ところで、壱野くんなにしてたの? なんか先生の様子もおかしかったし。あ、これ授業のノートね。先生が特別に用意してくれたから私が届けることになったの」
うわぁ、政府の圧力に先生たちが屈したのか。
明日、先生に質問されたらなんて答えればいいんだ? 俺に迷惑をかけるなって言われているのなら逆に何も質問してこないか。
それにしても、凄い構図だよな。
俺のダンポンへの願いが政府への圧力となり、政府からの要望が教師への圧力になり、そして教師からの指示で水野さんが俺の家にノートを届けにきたと。
「バイトみたいなものかな? ノートありがとう」
「ううん、私もシロちゃんとクロちゃんに会いたかったから」
シロはもちろん、クロもすっかり水野さんがお気に入りだな。
「かた焼きせんべい買ってきたんだけど、一緒に食べる?」
「うん、食べる」
「じゃあ、その前に手を洗ってきなよ」
「わかった。おばさん、洗面所借りますね」
と水野さんはうちの母さんに一言伝えて洗面所に行った。
「母さん、初対面なのに水野さんともう仲良くなったの?」
「ええ、真衣ちゃんとクロちゃんシロちゃん談義で盛り上がったのよ」
水野さんって名前、真衣って言うんだ。
そういえばそんな名前だったっけ。
普段名字でしか呼ばない相手は名前を覚えられないよな。
青木は……うん、青木は青木だな。
覚える必要もないだろう。
「とってもいい子ね。私が作った手作りのコースターを褒めてくれて」
「母さんが毎週通って作ってる特級呪物のアレを? 眼鏡の度が合ってないのかもしれないな」
「泰良、今晩のおかず一品減らすわよ」
母さんが笑顔で怖いことを言う。
明石焼きを食べてきたとはいえ、育ち盛りを過ぎたとはいえ高校生の夕飯の一品の価値は計り知れない。
素直に謝罪をしてどうにか許してもらうことになった。
水野さんが手を洗って戻ってきたのでかた焼せんべいを食べる。
しかし、相変わらずここのかた焼きせんべいは硬いな。
石巨兵より硬いんじゃないか?
「この硬さもいいけど、このごまと青のりの独特な風味がいいのよね」
「うん、わかります。これ、おやつじゃなくて晩御飯のおかずになりそう」
水野さん、それは本気じゃないよな?
かた焼き煎餅好きの俺でも晩御飯にこれを出されたら、親の家事放棄を疑うよ?
子どもの頃ならネグレクトレベルだ。
「やだ、飲み物用意するの忘れてた」
「私、水筒持ってますのでお構いなく」
「いいえ、我が家ではかた焼きせんべいには牛乳って決まってるの。真衣ちゃんも騙されたと思って飲んでみて」
「ではいただきます――おいしいっ!? え、おせんべいと一緒に食べると牛乳に溶けて行って、新しいジュースみたいです。それに、この牛乳とってもおいしい」
「わかる? とってもおいしいのよ。家に腐ってヨーグルトになるほどあるからあとでお裾分けするわね」
「ありがとうございます。弟と妹も喜びます」
「そう言ってくれると嬉しいわ。ねぇ、泰良」
母さんが俺を見てそう言う。
あぁ、わかった。
水野さんを家に送り届けるついでに牛乳を持っていけって言うんだな。
こっちは晩御飯のおかずを一品人質にとられているんだ。
その要求、甘んじて受け入れよう。
ついでに未消費のうまキノコを山ほどおしつけてやるぜ。
二人で自転車を押しながら水野さんの家に向かう。
牛乳は水が入っていたペットボトルに入れて持ってきた。
「壱野くんの家ってキノコだけじゃなくて牛も育ててるの?」
「さすがに牛は飼ってないよ」
「さっきの牛乳搾りたてみたいに美味しかったよ? 搾りたての牛乳飲んだことないけど」
「入手経路があるんだよ。キノコと一緒で湯水のように手に入るから、正直消費してくれて助かるよ」
「そうだ! 牛乳からヨーグルト作ってみようかな」
「え? 素人がヨーグルトって簡単に作れるの? まさか母さんが言ってた腐ってヨーグルトになるって冗談を真に受けたんじゃないよね?」
牛乳がヨーグルトになるのは、腐敗じゃなくて発酵だ。
「さすがに冗談だって知ってるよ。昔お母さんから教わった方法でね――」
とヨーグルトの作り方を聞いた。
結構手間がかかるが、普通の家で作れるものなんだな。
「ここが私の家。といっても半分工場だけどね。玄関はこっちだからついてきて」
「あ、別に俺はここでいいよ」
「何言ってるの。さすがにお茶とお菓子くらいは出すよ」
と言って俺を引っ張っていく。
そして玄関の前に行くと、小学生三、四年生くらいのおかっぱ頭の男の子と女の子が二人で家の前で遊んでた。
どうやら、水野さんの弟と妹らしい。
「姉ちゃん、お帰りー」
「その男の人誰? 姉ちゃんの彼氏?」
「前に話したクラスメートの壱野さんよ」
「あ、ドーナツの人!」
「ドーナツの人だ!」
俺の名前を聞いた途端に、子どもたちが笑顔で指をさす。
俺、ここの子どもたちにドーナツの人って呼ばれてるの?
「こら、壱野さんでしょ! あと指差しはダメだって言ってるでしょ!」
水野さんもさすがに注意をする。
すると二人も反省し、
「壱野さん、すいませんでした。ドーナツ美味しかったです」
「壱野さん、ごめんなさい。ドーナツまた食べたい」
「こらっ!」
また水野さんに怒られた。
ははっ――まぁ、あの時の食べきれなくて無駄にするはずだっただけのドーナツがこれだけ喜んでもらえたらプレゼントしてよかったと思えるよ。
「かた焼きせんべいあるけど食べるか?」
「「わーい!」」
二人がかた焼きせんべいを受け取った。
「こらー! ありがとうございますでしょ!」
三度目の怒る声は今まで以上に大きい。
「「ありがとうございます、いただきます!」」
弟くんと妹ちゃんの声が早速食べたそうにしているので、手を洗ってから食べるように言う。
「はぁ…………ごめんね、壱野くん」
「いいよ。あのくらいの年齢の子どもなら普通だし。それにしても、水野さんって家ではちゃんとお姉ちゃんなんだね」
「そりゃそうだよ」
と水野さんが言ったら、家の中から男の人が出てきた。
いかにも職人という感じの作業服を着た四十歳くらいの人だ。
その手にはお金が入っていると思う封筒と、銀行のカードが握られている
「真衣、帰ってたのか」
彼は渋い声でそう言った。
「お父さん、それ! お金だよね。どこに持っていくの!? 工場の支払いは朝にしてるはずでしょ?」
「子どもが工場のことに余計な口出しをするな」
「口出しをするなって、何言ってるの! 工場の運転資金、もうほとんど残ってないのに。それに、その銀行の通帳も私のだよね? どうするつもり?」
「どうもこうもない。その手を離せ!」
水野さんが腕を掴むも、水野の親父さんはその手を振り払い、家の前に止めてあった自転車に乗って去ろうとする。
「待ってください」
俺はその自転車の後ろの荷台部分を掴んだ。
本来、部外者の俺が口出しするべきではないのかもしれない。
だが、それでも言わずにはいられない。
「水野さん――真衣さんが泣いています。親なら言うことがあるでしょ」
「お前は?」
「真衣さんの友だちです」
「そうか。友だちか……真衣、いい友だちを持ったな」
なんだ、この人は。
なんで、最低な行為をしているというのに、そんな優しい目をできるんだ?
「だが、他人の家の事情に口を出すんじゃねぇ」
そう言うと、水野の親父さんはペダルを大きく踏み込む。
これ以上自転車の荷台部分を掴んでいたら水野さんの親父さんが転倒してしまうと思い、咄嗟に手を離してしまった。
結果、彼はそのまま走り去ってしまう。
「壱野くん、ごめん。変な所見せちゃったね」
「いや、でもあれ――」
会社の運転資金を持ち出して、さらには水野さんの通帳まで。
もしかして、自暴自棄になってギャンブルにでも手を出すのか?
「そうだ、水野さんのお母さんに言って説得してもらおう。工場にいるんだろ? 今なら間に合う」
「ダメだよ。たぶん、お母さんもお父さんと同じだと思うから」
マジかっ!?
え、水野さんの家って、両親揃って子どものお金に手を出すの?
水野さんはとても明るいし、弟くんや妹ちゃんもとっても素直でいい子っぽかったから、両親も優しいんだろうなって思っていたのに、全然違うってことか?
水野さんは玄関に座って俯いて言う。
「私、働いているお父さんとお母さんの背中が大好きだったんだ」
「…………うん」
「工場の経営が苦しいのも知ってた。だから、家のこともいろいろと手伝ってきたのに……」
「…………」
「バイトだってして、貯めたお金はほとんど全部、こっそりお父さんとお母さんの財布の中に入れたのに」
「……偉いな……ん?」
あれ? じゃあ水野さんの通帳の中身って――
「お父さん、また私のお金を通帳に入金しに行っちゃった……」




