山奥の調査
「それで、水酸化銅(Ⅱ)に濃アンモニア水を加えると、テトラアンミン銅(Ⅱ)イオンを含む濃アンモニア水となる。この溶液をなんという?」
「えっと……錯イオン溶液でしょうか?」
「方向性としては正しいがこの場合は誤答だ。シュワイツァー試薬――これは絹やセルロースなどを溶かす力がある……おっと、その説明を聞いて服だけを溶かす薬ができるかと思ったか? 残念ながらシュワイツァー試薬は強アルカリ性だから皮膚も破壊されるぞ」
「そんなこと思っていません。というか、なんで俺たち、授業やってるんですか?」
今日は一月四日。
正月三が日は終わったが、まだ冬休み。
そもそも冬休みとか関係なく土曜日なので学校は休みだ。
なのに、俺は閑さんと二人でマンツーマンの授業をしていた。
美人教師と一対一の課外授業――と言われたら背徳的な言葉だが、ガチ授業だ。
ちなみに、場所は奈良県の山の中だが、この授業は移動中の車の中から続いている。
「私が限られた時間で作った宿題を無しにしたのだ。その分こうして授業をしないといけないだろう?」
「……もしかして、俺が宿題やらなかったこと怒ってます?」
「怒っていないが、結構良問を用意したからな。まぁ、残った分は春休みの宿題に回すことにするよ」
「高校三年生に春休みの宿題はないですよ。三月に卒業ですし」
「………………………………」
「え? ないですよね? 本当に冬休みの宿題を高校卒業後にやらないといけないんですか?」
「安心しろ冗談だ」
「よかった」
「春休みには大学の講義に必要な分をまとめた課題を既に用意している」
「どんだけ真面目に先生してるんですかっ!」
まぁ、推薦を貰って大学に行く以上、下手な成績のままだったら推薦した高校の評価に響くらしいから、最低限は頑張るつもりでいるが、そこまで勉強詰めだと。
「宿題については押野さんが責任を持って見てくれるそうだ。京大生の家庭教師付きとか贅沢だな」
「姫までグルだったのか!?」
道理で、昨日のダンジョンでのレベル上げ中の会話で、宿題を理由に先生の研究に付き合うって言ったとき、なにか含みのありそうな笑みを浮かべていると思ったよ。
「ふむ、こっちのようだな」
「ちょ、先生。そっちって、道がないですよ。登山道から離れるのは危険ですって」
「なに、道に迷っても、君ならクロくんを呼んで匂いをたどって戻れるだろ?」
「滑落の危険とかもありますから」
「その点は山のプロだ。任せておきたまえ。ダンジョンができる前はこうして父と一緒に山道を歩いたものだ」
こういう俄かプロが遭難して救助ヘリを要請して他人に迷惑をかけることになるんじゃないか――と思ったが、仕方なく先生についていく。
少し歩いたら、既にさっきまで歩いていた登山道は見えなくなり、さらに三分歩けば自分がどちらの方角を歩いているかわからなくなる。
草をかき分け歩く。
山に入る前に軍手を着けるように言われたときに気付くべきだった。
まともな道じゃねぇな。
ステータスのお陰で疲れることはないが。
「ふむ、計器ではこの先のようだな」
閑さんは何か測定器のようなものを見て言うが、俺はふと左の方角が気になった。
「どうしたのかね、ちの太くん」
「いえ、この先が気になっただけで」
「ほう? ならそちらに行くとしよう」
「え? でも、計器はそっちなんですよね?」
「このような計器より、君の直感の方が大切だ。第六感スキルを持っているのだろ?」
第六感スキルについては先生に説明をしていた。
んー、仕方ない。
「それなら俺が先頭を歩きます。嫌な予感もするんで。千里眼とか持ってるから先がよく見えますし」
「ちの太くんも男の子だな。よし、エスコートされるとしよう」
「はいはい、ついてきてください、お嬢様」
俺は冗談でそう言い、森の中を進む。
そして暫く歩くと、思いもよらぬものが見えてきた。
「こんな山の中に――」
「これは意外だったな」
そこにあったのは看板と有刺鉄線だった。
『この先私有地につき立入禁止』
さらに害獣避けにと電流を流している有刺鉄線まである。
「私有地なら仕方ありませんし、元来た道を戻りましょう」
「この先に行こう」
「先生、いくら研究のためとはいえ他人の土地に勝手にはいるのは不法侵入ですよ。俺の第六感も、もしかしたらこの有刺鉄線の電気に反応したのかもしれません。触れたら危ないですし」
「ちの太くん、私は研究の前準備はしっかりする。この山についても調べてきた。この山にはいくつかの寺社や祠がありその周辺の土地の所有者になっているがこの周辺に寺や神社といったものはない。キノコ養殖の研究用の土地もあるが、そこからも離れている」
「それって――」
「ここが誰かの私有地ってことはありえないのだよ。まったく、この先に怪しいものがあると言っているようなものではないか」
先生がワクワクしている。
そして、俺の持っていた荷物の中から何かを取り出した。
「先生、それって!」
「目を閉じてろ!」
先生がペンチのようなもので有刺鉄線を切ると盛大に火花が散った。
本当に電気が流れていたのか。
あのペンチ、電気を流れている鉄線を切っても感電したりしないのか?
いや、大丈夫そうだ。
でも、電気が流れてるってことは誰かが管理しているってことだよな?
一体誰が?
本当に有刺鉄線を切ってよかったのか?
器物損壊罪とかで訴えられないか?
こんなことで前科一犯とか嫌だぞ。
俺の第六感の嫌な予感って、犯罪者になるとか捕まるってことじゃないよな?
暫く歩く。
不思議と有刺鉄線の先に人が歩いているような道があった。
道といっても自然の中の道で、整備はほとんどされておらず、目の前を飛ぶ蚊のような虫の数も増えて来た。
手で追い払いながら、その先を行くとそこにあったのは――
「洞窟?」
鍾乳洞のような洞窟だった。
「先生、ここに洞窟があるって話は――」
「当然ない」
「てことは未知の洞窟ですか。さすがに落盤とかの危険もありますしやっぱりここに入るのは――って先生!」
何自然と入ろうとしてるんだよ。
俺は今度は全力で止めるからな。
怒られてもいいし、宿題の量を倍にされてもいい。
ここで止めないと生徒としてダメだ。
「先生、ストッ!」
止めようとしてその前にある現象が起こった。
先生の持っていた計器が見えない何かによって弾かれたのだ。
これはまさか――
「ダンジョンの結界!?」




