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私はどうやら妻ではなく猫だったらしい 前編


 儀式は無事に(?)終わり、辺りは夜の闇に包まれる。

 

 夜が近づくにつれアレナを中心に、ミラジェ付きの侍女が慌ただしく動き始めた。


「若奥様はゆっくり、お茶でも飲んでいてくださいね。色々考えることもあるでしょうし……」


 アレナの言葉に甘え、ミラジェは自室でお茶を啜る。しかし、心中は全く落ち着かない。

 だって、もう、初夜なのだ。

 これから起こるであろう事柄を、ミラジェは頭の中で想像して、頬を赤くする。ミラジェは男女のそれについて、無知ではない。ミラジェの貴族教育の中には、もちろん夜伽についての教育も盛り込まれていたからだ。

 むしろ家庭教師は熱心に教えてくれたくらいだ。


 ミラジェはシャルルとそういうことになることに、拒否感は持っていなかった。それどころか、早急に既成事実がほしいとすら思っていた。


(どう考えても私の地位の確立のためには世継ぎが必要だもの)


 大変子どもらしくないドライな思考だという自覚はある。

 ミラジェは少しずつ、エイベッド家の暮らしの中で自身を取り戻していたが、まだ自分が打ち捨てられてもおかしくない立ち位置にいることを自覚していた。


 利用価値のない駒はすぐに挿げ替えられる。

 それを阻止するには既成事実が必要なのは明らかだった。

 あまりに静かに落ち着いた様子を見せるミラジェを見て、アレナは心配そうな表情を浮かべる。


「若奥様……。大丈夫ですか?」

「え?」

「本当は……。これからのことが怖くてたまらないのではないですか?」


 アレナはソファに座るミラジェの両手を跪いて優しく握る。

 たおやかな雰囲気を纏うアレナは、侍女でありながら母のような、姉のよう雰囲気を持っていた。

 きっと心から、ミラジェの運命に振り回されてこうなってしまった境遇を憐れんでいるのだろう。


 ミラジェは心配させないように、できるだけ晴れやかな表情を心がけて口を開く。


「いいえ。そんなことはありません。私はこの一ヶ月間、このエイベッド家でとてもよくしていただきました。どこの家の人間かもわからないような女に……ここまでよくしてくださった皆さんに、私は心から感謝しているんです。私でも、この家の皆さんが何を求めているのかはわかります。皆さんのご期待に沿う結果をもたらせるよう、私は精一杯お役目を果たせるよう、努力するだけです」

「若奥様……」


 真面目な優等生的回答にアレナは涙ぐむ。


 役目を粛々と果たそう。肝が据わって男前な思考なミラジェは、身を念入りに清め、その時を静かに待った。



「さあ! ついにこの時がきましたよ! 坊っちゃん!」

「ジャン……。どうしてお前がそうはしゃぐんだ」

「私たち使用人は今日という日を待ち望んでいたのですよ⁉︎ はしゃがずにいられますか⁉︎」


 今にも踊り狂いそうなテンションのジャンを見て、シャルルは深いため息をつく。


(そもそも、俺にそんな気はない)


 いくらこの一ヶ月で、栄養状態が回復し、少し肉付きが良くなったとしても、ミラジェはまだ幼い。


 子供に手を出す趣味はない紳士的趣向のシャルルは、幼いが婚姻の儀式を終え、れっきとした妻としての立場を持つミラジェの存在を正直、持て余していた。


(皆が忘れた頃に、ミラジェを養子にしてしまおうと思ったが、これは王命の婚姻だ……。まさか陛下が直々に結婚式に参加するとは思わなかったが、こうなってしまうと公に離縁することは難しいだろう)


 実はシャルルも今日までの日程の段取りについて一切口を挟むことができなかった。全ての用意が王室主導となっており、儀式の参加者まで陛下による選定だった。


 裏を返せば、あの婚礼の儀式に呼ばれた人間は皆、この結婚の見届け人なのだ。


 王国内有数の権力所有者の前で誓いを立ててしまったからには、もう反故にすることはできないだろう。

 それを見越しての人選であろうが。


 神妙な面持ちで寝台に向かうシャルルを見て、にっこり笑ったジャンは良い夜を〜、と言って楽しげな足取りで去って行った。



「旦那様、失礼いたします」


 シャルルが当主になってから開くことのなかった、本棚の隣に設置された伴侶用の小さな扉がキイと鈍い音を立てて遠慮がちに開く。


 ミラジェは白く薄い、月夜の光に透ける美しいナイトドレスに身を包んでいた。 


「旦那様……。こんばんは?」


 シャルルは本を読む手を止める。そっと閉じ、寝台横のサイドテーブルに置いた。

 何を言ったらいいのか分からず、とぎまぎしながら側に寄ってきたミラジェに、シャルルは優しく語りかける。


「その服装をさせたのは……アレナや侍女たちかな?」

「はい。旦那様のお好みではなかったでしょうか?」


 ミラジェは不安そうな表情を見せる。

 __正直に言うと、今日のミラジェのナイトドレスは、シャルルの理想を形にしたような作りをしていた。清楚でかつ、可愛らしいそれを見た時、誰が自分の好みを推測してこのナイトドレスを手配したのか考え、その理解度の高さに恐ろしさすら感じてしまった。


 だが、それとこれとは別だ。シャルルは一瞬見入ってしまった自分の精神を律し、分別のある大人としてミラジェと向き合おうとする。


「ミラジェ。私は……君にそういった行為は望んでいないんだ」


 落ち着いた声で語られたそれは、ミラジェにとって死刑宣告のように聞こえた。


「なぜですか? ……私はこの家に、御子をもたらすために嫁いだのでしょう?」


 ミラジェは声を詰まらせ、涙目になりながらに言った。


「君はまだ子供じゃないか。もしこの先、何年か後に君が自分の子どもが欲しいと願った時は夫として協力はしたいと思う。しかし、君の望みではなく、責務として思い詰めてしまうのは、君にとって不幸なことなのではないかな?」


 自分でも信じられないくらいミラジェを気遣った優しい声で説得できたとシャルルは思う。しかし、ミラジェは後には引けないという様子で続ける。


「じゃあ、私は……私は! なんのためにこの家に養われているのですか⁉︎ なんの成果も出せず、糧を減らすだけだなんて……。そんなの、ただの役立たずではないですか!」


 今まで落ち着いた様子を見せていたミラジェが声を上げて主張する様子を見て、シャルルは瞳を揺らした。


(役立たずか……。私は……本当に愚か者だな。この子を守ると誓いながらも、追い詰めていたことに気がつかなかった)


「君は子どもだ。子供の役割はよく学び、大人になるために必要な知識や見識を様々な分野から取り入れることだ。子供らしく伸びやかに、この家で暮らしていればいいんだよ」

「そっ! そんなわけにはいきません! 私は成人しているのですよ⁉︎ 成人した貴族にとって世継ぎを作ることは最大の使命でしょう⁉︎」

「使命……。そんなお堅い物を律儀に守らなくてもいいんだよ。君はこの騒動に巻き込まれてしまった被害者なんだから」

「でもそうは言ったって、なんの関係もない子供がこの家にいるなんておかしいでしょう?」


 手のひらをぎゅうぎゅうに握りしめたミラジェは、初めて会った時と同じくらい必死な表情をしていた。


(ああ、彼女は追い詰められると顔からすぐ血の気が引いてしまう。……私はミラジェを追い詰めてばかりだな)


 もっと伸び伸びと、平和に過ごしてほしいのに。シャルルの願いはまだ届きそうになかった。



(ああ。閨を共にすることを拒否されてしまった)


 ミラジェは泣きそうになる。


 決められたルールから外れ、役割を果たせないということは戦力外通知を渡されたと同意だ。


(この家の使用人たちも、陛下も。私にそれだけの役割を期待して、この家に迎え入れてくれたのに。きっと、達成できなかったら、みんな私なんかを慕ってくれない。代わりの人間がすぐに補充されてしまうに違いない)


 そうしたら、自分はどうなってしまうの……。行き場のない焦りが、ミラジェを掻き立てる。


「私は今まで、ルールを与えられてその中で生きていくと言うことしか許されていませんでした。いきなり、自由を言い渡されて、過ごせと言われてもどうしていいかわかりません! 何か私に役目を! 何かわかりやすい役割を与えてください!」


 それは縋り付くような懇願だった。


「なんのルールもない状況で、関係もない子供として公爵家にいることは君にとってどうしても許容できないことなんだね?」

「そうです!」


(姉や母たちにあんな啖呵を切ったのに、今更役目なく放免されるなんて、嫌っ!)


 必死の形相のミラジェを見て、十秒ほど考えた様子を見せたシャルル。答えが下されるその間、ミラジェは死刑を宣告される受刑者のような緊張感に包まれていた。


 シャルルは答えを決め、宣言する。


「じゃあ、君のことは家にもらってきた猫だと思うことにしよう」

「は?」


 ミラジェは意味がわからず、口をあんぐりと開ける。


「猫って可愛いよね。いるだけで癒されるし、いるだけで価値があるよね」

「は?」


 公爵家の主人に“は?”を連発するなんて、不敬極まりない態度だということは分かっている。でも、開いた口から出る声は止まれなかった。


 当のシャルルはというと、もう考えるのが色々嫌になっていた。


(妻としての役割は求めず、保護される子供でもない保留理由が思いつかない……。もう現実逃避していいだろうか……)


 だからと言って、猫は流石に……。と思いはしたが、一度言ってしまったことはもう元には戻せない。取り止めのない補足を取ってつけたように足す。


「猫という生き物に可愛い以外、何か役目を求めたりはしないだろう? 君は可愛い。だから、君はここにいていい」


 __どう考えても謎理論だった。


 ミラジェはもはや考えることが面倒になって思考を放棄しているとしか思えない言葉にあんぐりと口を開ける。その推理は正解だった。


(そんなにこのことを話し合うのが、嫌なのだろうか。やっぱり、自分は彼に受け入れられていなくて……)


 闇に落ちかけたミラジェの思考をシャルルはフォローしようともせず、自分の理論を用いた会話を続けてしまう。


「ここじゃ気を遣ってよく眠れないだろう。明日からは自室で寝ていいからね」


 むしろ、追い討ちのように言葉を重ねてくる。ミラジェは思いもよらぬ展開に焦ってもう一度固まる。


「じゃ、おやすみ」


 謎理論を展開し終わったシャルルは逃げるように布団に潜る。

 まさか……本当にシャルル・エイベッドは自分のことを猫として扱おうとしているのだろうか。

 ミラジェは布団をかけたばかりだというのに、スヤア……と穏やかに寝息を立て始めたシャルルを見て、絶句した。


(この状況で、この人寝るの⁉︎)


 信じられない。信じられないが、これは現実である。

 婚姻の儀式を取り行ってしまった二人は(相手がどう思っていたとしても)紛れもなく夫婦であり、その取り決めを今すぐ白紙に戻すことは不可能だった。


「えっ、えっ⁉︎ 今日から私、どうやってこの家で暮らしていったらいいの……?」


 混乱しても答えは出ない。ルールを守って生きることが得意なミラジェであっても、猫になりきって暮らせといきなり言われたら戸惑ってしまう。


 とりあえずその日の夜は、猫らしく、主人であるシャルルの足元で丸まって寝ることしかできなかった。



 朝。目覚めたシャルルは隣にミラジェがいないことに気がつく。どこへいったのだと、あたりを見回すと、シャルルの足元、布団の隅に体を丸めて眠るミラジェを発見し、ほっとため息をつく。


(……流石に昨夜の発言は暴言だった自覚がある。逃げて有耶無耶にした私に呆れてこの部屋を出ていってしまっても仕方がないと思っていたが、ここに止まってくれたのか)


 大柄のシャルルが両手を伸ばしても収まり切るほど大きなベッドなのに、省スペースで眠るミラジェ。

 幸い、寝心地が悪そうな苦しい表情は浮かべておらず、スピーと気が抜けるような穏やかな寝息を立てている。


 警戒心や緊張を感じさせないミラジェの寝顔は、起きている時間よりも、より一層彼女を幼く見せた。


 そんな様子を見て、シャルルはどうしようもない申し訳なさを感じ、眉を顰めた。


 これから、どうすればいいのだろう。


 ミラジェは自分の与えられた役割に固執しているように見えた。


 儀式の最中、ミラジェが自身の姉に何かを囁きかけた時、垣間見た冷たい表情を思い出す。


 家族に対するミラジェの態度は冷たいのに熱い。あれは何もかも奪われた少女の激情を一気に煮詰めたような、力を持った表情だった。もうあなた方には何も期待していない、今すぐここから去れ、と言わんばかりの表情の鋭利さは簡単には忘れ難いものがある。


 __自分はあんな表情を向けられたくない。

 事故みたいな出会い方だったとしても、ミラジェは自分の妻になった人だ。

 きちんと二人の間に関係性を築いていきたい。彼女の元家族のようにあっけなくミラジェの世界の外側に追い出されたくなんかない。


 これから、長い時間を共に歩む者として、しっかりと関係性を築いていきたいし、自分は君の味方だということをしっかりと伝えたかった。


 そんな思いと、ミラジェに役割を与えなければ、この子が消えてしまうかもしれない、という不安の合わせ技が、昨晩の意味不明な猫になればいいじゃないか発言を生み出してしまったのだ。


 正直に言うと、シャルルは昨晩、あまりにも完璧に整えられた据え膳にびびっていた。


(誰だ、あの清純少女趣味のナイトドレスを着せたやつは! 艶かしく迫るよりも、可愛らしいものに弱いのをわかりきっている奴が仕掛けたな! 着せたのはアレナか⁉︎)


 その可愛らしさには、ぐらっときた。

 その見た目だけではない。自分に全ての信頼を預け切り、あなたにだったら、どうされてもいいんです、と言わんばかりの潤んだ瞳。

 それは一人の男の理性を打ち砕くのに、適した装備だったと言える。


 だが、シャルルはまだ幼いミラジェを案じ、理性と大人としての矜持をフル活用させ、妻だから手を出してもいいという建前をなんとか退けたのである。


 きっとミラジェは自分には魅力がないと思い込んでいるだろうが、その魅力は十分すぎるほどだった。


 何も知らぬ顔で、健やかに眠るミラジェの姿を見て、シャルルは、はあ……と。もう一度苦悩混じりのため息をつく。


(こんな小さな子供に劣情を抱くようなカスだとは思われるのは癪だが……。ミラジェの立場を考えると使用人たちには誤解させておいた方がいいのだろう)


 シャルルは枕元に忍ばせてある、護身用の短剣を取り出し、自身の指先に小さな傷をつける。

 そのままじわりと湧き上がった血を真っ白なシーツの真ん中にポツリと垂らした。

 シャルルが行ったのは傷口の大きさは小さいが、この状況の中では大きな意味を持つ印の工作だった。


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