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【おまけ】よくわかる! 子猫式、ヘタレ旦那様の陥落法1

完結後も読んでくださる方へ感謝を込めて、おまけを追加しました。(もう少しで二十万PVなんですよ! ありがたい!)

以前と同じく最初はシリアス、最後はハッピーエンドです。

少しだけ大人な表現が入りますので、苦手な方は走って逃げて!

そういうのがお好きな方(仲間!)はこのままお進みください。


(……これ以上幸せな拷問はないだろう。これ以上残酷な拷問もな)


 従者たちもまだ起き出さない早朝。通常より早い時間に目を覚ました三十四歳のシャルルは、現在の状況を確認し、はあ……と深いため息をついていた。公爵家当主、シャルル・エイベッドは次から次へと体のそこから湧き上がる己の煩悩と戦っていた。

 なぜなら、彼が寝転がっている大きな寝台に彼以外の小さな呼吸音が響いていたからだ。


 すぴー……と平和な寝息を立てているのは十七歳の少女、ミラジェ・エイベッド。彼女は法の上で認められたシャルルの正式な妻である。


 ミラジェはまるで暖を取るように、シャルルの体に、自分の体をぴたりと寄せていた。その魅惑的に成長した肢体を隙間なく、しなりとシャルルに押し付けていたのだ。うーんとみじろぎしたミラジェの吐息が彼の耳のあたりにかかる。


(もう勘弁してくれ……)


 シャルルは頭を抱えていた。

 女性特有の柔らかい肌の質感が、花のような匂いが、かわいらしい天使のような寝顔が、シャルルの脳を揺さぶった。

 使用人などがこの状態を見たら、なんとも微笑ましい光景ではないか、と言いそうな睦まじい、朝の夫婦の風景である。


 しかし、シャルルにとっては拷問でしかなかった。


 彼らは法が認めた紛れもない夫婦である。

 ともに心を通わせ、愛し合ってもいる。


 だが、彼らは一般的な他の夫婦とは少しばかり異なっていた。


 彼らは結婚して二年八ヶ月が経とうというのに、一線を超えていないのだ。



 ミラジェは数奇な運命を経て、エイベッド家にやってきた、かわいそうな子供だった。不幸な事故からシャルルはロリコンの汚名を被り、その場を納めるためにこの国の陛下からの王命で結婚を申しつけられたのがミラジェだった。


 決して抗いようもない命令から、エイベット家に嫁ぐことになったミラジェ。その頃のミラジェは家族からの虐待を受けており、食料もまともに与えられていなかったため、やせぎすで、痛々しい身なりをしていた。


 しかし、今はどうだろう。


 エイベッド家の使用人たちにかわいがられ、美味しい食事を与えられたミラジェはみるみるうちに、当初から持ち合わせていた美しさを取り戻していった。


 煤で灰色に汚れていた髪は本来の銀色を取り戻し、どす黒ささえあった肌の血色は年若い少女らしい透明度のある白さへと変貌を遂げたのだ。


 今は誰もが目を奪われ、振り向いてしまうような輝かしい魅力あふれるご婦人(ミラジェは既婚者であるため、お嬢さん、ではないのだ)の代表格だ。


 ある新進気鋭の若手画家は彼女の美しさに虜になり、絵画のモデルになってほしいと願い、あるドレスメーカーは彼女こそが自分たちのミューズに相応しい、と声高らかに言い放ち、広告塔になってはくれぬかと頼み込んできた。


 そのくらい、今のミラジェは世間にとっても魅力的な女性なのだ。

 

 ひょんなことから手に入った、若く美しい妻、最高じゃないか! と楽観的に開き直ることはシャルルにはできない。そういう性格の持ち主なのだ。

 シャルルは今でも、この美しい妻が果たして自分の妻でいいのか、と思ってしまうのだ。


 もちろん、ミラジェのことは愛している。たとえ自分がボロボロに傷つくことになっても、彼女の幸せを守りたいと思うし、その義務が自分には課せられていると認識している。


 彼の脳裏にはこの家に来たばかりの頃の、弱々しい子供だったミラジェの姿が色濃く残っているのだ。


 ただ、今のミラジェには子供らしさなどかけらも残っていない。そこには美しい、色香漂う女性が横たわっていた。


(あの子が子供の見た目をしていた時、あんなに守ってやらねばと思っていたのに、今では彼女の美しさに欲情を覚えてしまっている。なんて自分は愚かしいのだろう)


 シャルルはミラジェとある約束を取り交わしていた。


『ミラジェが十八歳になったら、一線を超える。それまではミラジェのことをかわいい猫だと思って接することにする』


 と。


 なんて馬鹿なことを言ったのだろう、と今なら思う。


 ただ、シャルルはもう少し時間が欲しかっただけだったのだ。少女を大人の女性として扱うまでの猶予期間が。


 実際ミラジェはまだ子供だし、もう少ししないと大人の女性にはならないだろうとも思っていた。


 しかしシャルルは見誤っていた。


 ミラジェは予想より遥かに早く大人の女性へと変貌を遂げてしまったのだ。

 シャルルの劣情をいとも簡単に煽ってしまうくらいには。


 そんなことを知らぬミラジェはもちろん、今まで通り自身が猫である、という建前を振りかざし


「私、猫なので! 旦那様と一緒に寝ますから!」


 と言って、シャルルがどんなに拒否しようとも勝手に寝室に入り込む。そして猫ちゃんなのでわかんな〜い! という顔をして、シャルルに抱きつきながら、眠ってしまうのだ。


 けれども、無垢で幼い彼女は本当に知らないのだろう。


 どんなに優しくてもシャルルは男であることを。

 その柔和な表情の奥にどれだけ凶暴な欲を抱えているのかを。


 ミラジェは賢く知性ある夫人ではあるが、いかんせん自身の夫が奥手であるため実戦経験は皆無なのだ。


 何も知らぬ可憐な美女は、今日も平和な寝息を立てながら眠っている。


 そうしてシャルルは、朝ごと悶々とする日々を送っているのだ。



(これ以上密着していると、本当に危険だ)


 シャルルは下半身に違和感を覚え、急いでミラジェからその身を引き剥がそうとする。


 はあ、これで一安心。そう額に滲み出た汗を拭った時だった。


「ゔ……」


 うめくような声が聞こえた。

 慌ててまだ寝台で寝ているミラジェの顔を覗き込むと、彼女は苦しげに眉間を寄せ、手で空気を掴むような仕草を見せ、もがき苦しみはじめたのだ。


「ミラジェ?」


 慌ててシャルルはミラジェの手を握る。

 ミラジェはまだ覚醒していないのか虚ろな目でシャルルを見ていた。


「旦那様……。どこにもいかないで……。どうか私を捨てないで」


 か細く消え入りそうな声で紡がれたそれは、心を掻き乱されるほど、悲痛な言葉だった。シャルルは一体どうしたんだと、気を動転させる。


 ミラジェはいつも活発で、勝ち気で、しおらしい様子などほとんど見せない少女なのだ。


 公爵家に入る不届きものたちを自身の手で排除し、貴族社会の膿を出してまわる……陰で『こっちが本当の氷の公爵』と言われている彼女が、こんな寂しげな様子を見せるなんて……。


 ミラジェがシャルルに嫌われることを必要以上に恐れていることには、以前から気がついていた。


 何か行動を起こす度に——例えばシャルルに半ば黙って、単身で長らく王国の利益を不当に貪っていた伯爵家を解体させた後——シャルルが単身で動いたことを叱ると、途端にひとりぼっちにされたような怯えた顔をして


「私のこと嫌いになりましたか?」


 と潤んだ目で首を傾げながら問うのだ。

 まるで主人の目を盗んで悪さをした後の猫のように。


 無論、シャルルはミラジェのそういった少々猟奇的な部分も含めて彼女を愛しているので、そんなことはない、と言い聞かせるようにいうのだが、彼女がそれを本当の意味で理解しているのか、わからない部分も多い。


 その証拠に、ミラジェは今でもほんの少ししか、シャルルを頼ることができないのだ。


 自分の頼りなさももちろんあると思う。しかし、それ以上に、ミラジェは親しい人にほど、嫌われたくないという気持ちを強く持つ。

 自分の弱みを見せるのを、ひどく怖がるのだ。


 そこには無償の愛を知らぬまま育った虐待児として履歴が根深く残っているように見えた。


「ああ、ミラジェ。私は消えないよ。ずっと、君のそばにいる」


 シャルルは優しく、ゆっくり、言い聞かせるように言葉をかける。ミラジェの琥珀色の瞳を覗き込み、銀色の髪を梳くように撫でた。


「ほんとう?」

「ああ、本当だ」


 シャルルが言葉に力を込めてそう答えると、ミラジェはつうっと一筋、頬に涙を流し、気を失うように眠ってしまった。


 一連のやり取りにより、シャルルの心のある部分は酷く凪ぎ、ある部分は燃えるように憤っていた。


(彼女を本当の意味で、幸せにしなくてはいけない)


 父性じみた愛情がシャルルの胸を満たす。それまで勢力を強めていた劣情はすっかり息を潜めていた。


 シャルルはその朝、彼女が目覚めるまでずっと、彼女のそばを離れずにいた。



 その日の昼過ぎ。

 シャルルが昼前の業務を終え、執務室で首をポキポキ鳴らしていると、同じく領主代行業務を終えた、従者のジャンが、報告にきた。


「そちらは問題ないか」

「問題はないですね。というか、いいことはありましたが」


 意味ありげな視線をよこすジャン。その理由は薄々わかっている気がするが、一応領主として、詳しく把握しなければならない。


「一体、何があった?」


 シャルルは意を決して尋ねると、ジャンはぱあっとひまわりのような明るい笑みを見せた。


「奥様が周辺領地に圧力をかけたようですね。おかげで例年より会合が進みやすくて助かっています」

「またか……」


 今度は何をしでかしたのだ。

 シャルルは頭を抱えた。


 ミラジェはエイベッド公爵家に嫁いでから、とある才能に目覚めた。


 彼女は鼠取りが人一倍得意なのだ。


 ミラジェは家族からの悪意に浸されて育ったため、悪意に敏感だ。他の人が見逃してしまうような些細な綻びにも気がつき、その糸の先を遊び道具にと、ついつい引っ張ってしまう性質があるのだ。


 権威ある立場を手に入れたミラジェは容赦などしない。


 身を投げるようにして悪をさばき、公爵家に数多くの利益をもたらしている。


 それだけでなく、困っている人たちの声にも敏感だ。


 東に貧困で困っている地域あれば、自ら自活の知恵を教え込み、西に水質汚染に困っている地域あれば、自らの知識でそれを解決する。


 その手腕は彼女がエイベッド家に嫁いで二年八ヶ月たった今では地方中に広がり、領民たちの間では救いの女神として崇め奉られている。


 エイベッド家の招き猫とは彼女のことだ。


 領民のためを思って自ら動いてくれるのはありがたい。ありがたいのだが、領主である自分に一言助力を申し出てはくれないだろうか。


 シャルルはミラジェの手ぐせに頭を悩ませていた。


「はあ……ミラジェはまったく……」


 シャルルが天井を仰ぎみた時だった。


「呼びましたか旦那様?」


 聴き慣れた鈴の音のような声が聞こえてきた。

 急いで体制を戻すと、ニッコニコのミラジェがシャルルのすぐ脇に立っていた。


「わあああああ!」


 シャルルはまるでお化けを見たように声をあげてしまう。

 ミラジェは叫ばれたことなど気にしていない様子だった。そんなことよりも。ミラジェはシャルルが座っている椅子と執務机の間にスペースがあることに気がついたらしい。


「よいっしょっと……」


 ミラジェは主人の邪魔をする猫のように、シャルルの膝に上り始めた。


「ちょ! ミラジェ! 仕事中だぞ! 膝に座るんじゃない!」

「仕事中? あら、おかしいわ。私、先ほどアレナさんに『ぼっちゃんがお昼を食べにいらっしゃらないので叱ってきてくださいません?』って言われて、こちらにきたんですよ?」


 ちゃんと休憩はとってくださいね? と、首をコテンと傾げたミラジェのかわいさに、シャルルはぐぬぬ……と言葉をつまらせる。

 だが、膝乗りは容認できない。なぜなら今のミラジェは昔と違って、もう立派なレディの見た目をしているからだ。


「それにしたってはしたないだろう!」

「あら? 私だってお客様の前ではこんなことしませんわ。でも、今は家族同然のジャンさんの前だから、いいでしょう?」

「よくない!」

「もう……。旦那様ったら、二人っきりの時がいいのね?」


 ミラジェはおませさんっ! とでも言いたげな熱っぽい視線で言ってくる。


「そういうことじゃない!」


 シャルルは思わず声を荒らげた。


「あらー。奥様。いいポジションを見つけましたねー」


 そう言ったジャンの言葉に、ミラジェは自慢そうにふふんと鼻を鳴らしている。


 あらあらお熱い、と言った様子で、ジャンのメガネの奥の瞳は和やかに緩められている。今日もエイベッド家は平和だな〜と言わんばかりであった。

 ミラジェが猫のように振る舞うことは、エイベッド家ではたわいもない日常なのだ。


 この状況が恥ずかしくて赤面しているのは、シャルルだけであった。


「朝はあんなにしおらしかったのに、とたんに元気じゃないか……」


 シャルルがミラジェと向き合いながら呆れた表情で言うと、ミラジェはなぜかキョトンとしていた。


「朝? なんのことですか?」


 ミラジェは本気でわからなそうな表情をしていたのだ。


(まさか、覚えていないのか……?)


 ミラジェは「私、寝言でも言ったかしら……」と首を傾げている。

 シャルルは妻の不安定な深層心理を思って、一抹の不安を覚えた。



少しだけ不穏な雰囲気です。次更新は今週中を予定しています。のんびり連載させてください。

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