この世は需要と供給で成り立っている
ミラジェが毒を受ける事件から、一年が経った。
宣言通り、死に物狂いで勉強を続け、貴族的マナーをきっちり身につけたミラジェは社交界で活躍を始めた。
養子に迎え入れてくれたテイラー侯爵家の後押し(という名の広報活動)もあり、ミラジェは自身が考えていたよりもスムーズに社交界に受け入れられたのだった。
ミラジェが男爵家の悲惨な生活の中で身につけた知恵は貴族の世界でとてつもなく魅力的なものだったのだ。
「逸材ですよ」
シャルルの執務室で、資料をまとめていたジャンがつぶやく。
「まあ……逸材だというのは否定しない」
(ちょっと違った方向で逸材になりつつあるが)
シャルルは相変わらず、公爵としての仕事を続けている。この一年で変わったことと言えば、他の貴族たちに年若い領主だと値踏みされることがなくなったことだ。
今まで、高圧的に接していた扱いにくい貴族たちの態度が急に恭しくなったのだ。
最初はなぜこんなに急に? と不思議に思っていたのだが、ミラジェの影響ではないかと思う。
ミラジェは社交の場で、様々な貴族たちに交渉(脅し)を持ちかけているらしい。
きっとみな、鼠取りが得意なミラジェに頭が上がらないのだろう。
ミラジェに尋ねると「軽く掃除をしておいただけですよ」とふんわりと柔らかな笑みで言われてしまったが、本当に彼女は何をやったのだろう。怖いので、絶対に知りたくない。
最近は、エイベッド家を訪れる貴族たちが、ミラジェの薄い微笑みの中に含まれた冷酷さを感じ取り『こっちが本当の氷の公爵か』と言い出す始末である。
彼女はシャルルに隠れて、相当なことをしているに違いない。
「美しく花ひらく……という話をジャンとしたことがあったが、あれは花ひらく方向性が違うだろう……。あれは……花は花でも毒草だな」
執務室でいつものように、書類仕事を片付けていたシャルルは、呆れたような、だが愛おしさが含まれるような微妙な顔をして呟く。
「それもまた、若奥様の魅力なのでしょう」
ジャンは目を細めて遠くを見るようにいう。
「後、精神がマッチョ」
「……」
続くアレナの言葉にも、シャルルは否定できなかった。アレナは最近、産休を終え職場復帰したばかりだった。もっと休んでいてもいいのに、とジャンと二人で説得をしたが、アレナはミラジェが引き起こす事象から一時も目を逸らしたくないらしく、早めの職場復帰を決めた。
それにあたって、ミラジェは屋敷の中に使用人の子供を預かる保育所を作った。
「こういう施設を作っておけば、子育てが得意な使用人も増えるでしょう。……そうすれば……ふふふ」
含みのある笑い。考えていることはなんとなくわかるが、聞かないでおこう。
「アレナから男爵家で若奥様の置かれていた状況を聞きましたが、相当ひどいものだったらしいですね」
ジャンが言いにくそうに言った。
「……らしいな。しかし、私がその経験を忘れさせてやりたいと思ったのは間違いだったみたいだ。あの子は……ミラジェはその経験すらも強さにして生きていこうとしている。それが好ましくもあり……心配にもなるな」
その言葉に従者二人ははあ? と理解不能という表情を見せた。
「あの方はそのくらいで潰れるようなたまではない気がするのですが……」
とアレナが
「多分、この屋敷の中でまだ若奥様を守ろうとしている方はあなたくらいですよ……」
とジャンが続ける。
「わたくしたち使用人はもう何かあったら若奥様に守ってもらう気満々ですからね!」
「坊ちゃんは……若奥様の__ちょっと猟奇的なところがお嫌いですか?」
不安気に聞くアレナの問いに、シャルルは眉間に皺を寄せ困惑する表情で答えた。
「それが……嫌いじゃないんだ。それどころかすごく胸がときめくのは……なぜなのだろう……」
「「……」」
執務室に異様な静寂が広がる。
「変態?」
「アレナ! 本当のことであっても、言って良いことと悪いことがあると思います!」
ジャンのフォローはフォローになっていなかった。
「本当であっても⁉︎」
シャルルは瞠目する。
「なんというか……。ミラジェは普段子供らしい清らかな笑顔を振りまいているが、ふと見せる邪悪な顔に……得も言えぬ大人っぽさというか色気を感じてしまう時があるんだ」
その言葉を聞いて目を点にしたアレナはつい、また本音をこぼしてしまう。
「……マゾ?」
「んっ! アレナ!」
シャルルは最初のころはやんややんや、好き勝手評判が広がることに否定をしていたが、最近はもうそれにも疲れて、もう好きに評価してくれ……と投げやりになってきた。
シャルルが公爵家の主人として、という変な肩肘を張らなくなったことも、ミラジェの功績なのかもしれないとジャンは密かに思っている。
「そういう時はですね……坊っちゃん。君の魅力に完敗だと若奥様に宣言すれば良いのですよ」
ウインクを飛ばしながらアドバイスをするジャンの言葉を、難しい顔をしてシャルルが聞いている。
そんな二人の様子を見ていたアレナは、しみじみと語り始める。
「なんだか……最近。若奥様と一緒にいる機会が多くなってから気がついたのですが……。坊っちゃんは立場上、公爵家の主人として皆をまとめ上げなければならない立場にありますから、守ってほしいタイプの子女たちが周りに群がることが多かったでしょうが、本当は引っ張ってくれるような女性がタイプだったのではないでしょうか」
「……そ、それは。違う……ん、いや? そうなのか?」
よくわからない顔をしだしたシャルル。そんな彼の姿を見て、ジャンは変わりゆく主人を優しい瞳で見つめる。
「与えられることを待つだけの存在にはなりたくないと、若奥様はいつも言っておられますから」
「まあ……若奥様は考えが大人でいらっしゃいますね……。まあ、旦那様はいつまでも少年のような心を持っているどうしようもない方ですから、お二人で釣り合いが取れてちょうどいいのではないですか」
アレナの余計な一言が、妙に心に突き刺さった。
*
一年の間で頻度は以前より減ったが、夜になるとミラジェがシャルルの部屋に入り込んでくるのは今も変わらない。
変わったことといえば、ミラジェが美しい女性に成長したことだ。
元々肩ほどの長さだったシルクのような銀髪は、腰まで長くなった。
子供らしさが消え、大人らしさが垣間見えるようになったミラジェを見て、シャルルは最近どぎまぎしてしまうことがある。
最近はよいしょと、膝に乗ろうとするミラジェを慌てて止めることも多い。そんな時、ミラジェは不満げな顔を見せるが、シャルルが本気で困った表情を見せるとなぜか満足した顔で去っていく。なぜだ。
「ああ、最終的に私は君を逃がしてやれなかったな……」
寝る前の団欒の時間。はあと大きめにため息をつきながらそう言ったシャルルを見てミラジェは怪訝な表情を見せた。
「逃げたりしませんよ。私は旦那様が思っている以上にこの家で快適に暮らしておりますもの。こんないいところ、出て行ったりはしません」
「頻繁に間者が入るような家でもか?」
最初の事件以来、ミラジェは何度も刺客に襲われている。最初の事件を引き起こしたホーライド家の御令嬢はお縄になったが、その後もシャルルを我が夫にと心中で狙っていた御令嬢たちがミラジェを亡き者にしようとわんさかと刺客を送りつけてきた。
シャルルの記憶では今は公爵を退いたシャルルの父も同じように人気があり、母が公爵家を出るまで今のミラジェと同じような事態が続いていた。
この手の人間は取り締まっても、取り締まっても湧いて来るので、その度に始末するしかない。
シャルルはいつかミラジェの心が壊れてしまうのではないかと心配になるのだが……。
「あら。貴族界の膿を掃除できていいじゃないですか。私の暇を潰す、猫じゃらしみたいなものでしょう?」
と、ミラジェはいつもこんな感じである。
「君はその手のことを本当に恐れないな。私はその処分に毎回頭を悩ませているのだがな……」
毎回ミラジェが襲われたと連絡が入るたびに、心配でシャルルは寿命が縮む思いをする。そんなシャルルの心中とは裏腹に、ミラジェはこの一年で自己流の暗殺術だけではなく、貴族的な護身用術を熱心に学び、間者を捕らえる技に磨きをかけている。本当にタダでは起きない性格だ……と感心する。
「やっぱり旦那様は優しいからそういう方々を裁く時も、心が痛むのですか?」
「まあ、多少はな……」
「私は全然痛みませんけれど。旦那様が本当は苦手としている、冷酷な業務は私が受け持ちますから安心してください!」
どん、と自信満々に胸を叩いたミラジェを見てシャルルはハハハ……と気の抜けた笑いを見せた。
遠い目をしだしたシャルルを見て、ミラジェは不安げな表情を見せた。
「……旦那様。私のこういうところ……引いちゃいますか?」
珍しい、しょんぼりとした表情。伏目姿は初めて出会った頃、控えめなミラジェの姿を彷彿とさせる可愛さだった。
(ミラジェはなんというか……。感情の振れ幅が大きいな。いつもは剛気な性格も好ましいが、たまに見せるしおらしいところはなんとも言えぬ可愛らしさがある)
きっと、彼女といれば人生に飽きることはないだろうと思わせてくれる多彩さがある。
「いや……私は……内心君のそういうアグレッシブで、その……ごにょごにょ……ちょっと猟奇的で……」
「何か?」
「なんでもないっ! 行動的なところを……好ましく思っているんだ。元気でかわいらしいなあと思って……」
そう言ったシャルルは耳まで真っ赤に染まっていた。
(本当にかわいい人……)
ミラジェはこの表情にめっぽう弱い。
「ずるいです……」
俯きがちに言うミラジェ。シャルルはミラジェのたまに見せるかわいいところに弱い。
お互いに弱いところを攻撃されあった二人は少し黙り込む。
沈黙を破ったのはミラジェだった。
「旦那様……」
しなりと体をシャルルに寄せたミラジェは、シャルルの襟元のボタンを外そうとする。
「わあああ! だめだ! だめだ!」
「ちっ! 絶対今流されると思ったのに〜」
「君は淑女なんだから、そういうことはするな!」
「アレナさんが、女の人から迫るのもいいって言ってました!」
「アレナ! あいつは何やってるんだ!」
「やっぱり……こうやって拒むってことは旦那様は私のことがお嫌いなのかしら……。であれば好きになってもらえるように迫るだけですが」
不穏な空気を感じ取ったシャルルは焦ったように条件を設置する。
「わかった! わかった! じゃあ、ルールを決めよう!
君は好きだろう? ルールに則るのが」
「え? まあ……。楽でいいですよね」
「君が十八歳になったら、そういうことを解禁しよう! それまでは猫ってことで!」
「猫……」
「旦那様は、どうしてそこまで私を妻扱いしたくないのですか……」
そう言われたシャルルは途端に仏頂面になる。
「君が可愛すぎて、手を出したくなるからだよ……」
「あら? 私は手を出してくださっても構わないのですけれど。……とっくに成人はしておりますし」
意外な答えにミラジェはパチパチと瞬きをした。体が育ち切っておらず、子供子供していた一年前なら躊躇はするだろうが、栄養のあるものをたくさん食べ、成長した今のミラジェは大人の女性そのものだった。
わざと誘惑するように、さらりとなびく、ナイトドレスの裾をめくって見せる。
シャルルはミラジェの誘惑をぐぬぬと耐えた。
(なんでかわからないけど……旦那様って私のこと結構好きだよな……)
いつも不思議には思うが、そういう人もいるのだろうとふんわりと自分を納得させるようにしている。性癖を掘り返そうなんて愚かな真似はしない。
「……一度ルールを作ったんだ。それを自ら破るようなことはしないよ」
惚れた方が負け、というのは本当だ。ミラジェはため息を吐く。
全てを許してしまえる気がした。
「じゃあ、私はこれからも、猫がしそうなことの範囲内で、旦那様を振り回し、誘惑し続けれいいのですね! 私はルールを破りませんが、旦那様がルールを破った場合、私は無罪になりますから!」
「え……」
シャルルの顔から血の気が引いた。
「ふふふ……! 私、俄然楽しくなってきました!」
(……自分は耐えられるだろうか)
全部自分で撒いた種だと思って諦めるしかなかった。
*
三年と少しが経った後。エイベッド家の屋敷に元気な赤子の産声が響く。
「あらあ? 子供というものは十月十日で生まれると言いますが……。計算が合いませんね!」
アレナは意地の悪い、いい笑顔で夫のジャンに問う。その腕には生まれたての彼らの第二子が抱かれていた。
「まあ、そこは若奥様の並々ならぬ努力の結果ですよ」
エイベッド家待望の嫡子を産み、目的を達成したミラジェの勇ましいガッツポーズは今でも、従者たちの間で語り継がれている。
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