狭まる包囲網
今週からまた通常再開します。
(まずいまずいまずい……!)
その男は、いや、その男の中に潜伏しているレイスは焦っていた。
焦る理由は至って単純。端的に言えば最近別の自分達からの連絡が途絶えたのだ。
これが一人二人程度であれば何らかの理由があったと考えるだろう。事実これまでにその様な事もあった。
例えばあるレイスは宿主が魔物に襲われた。魂のみ抜け出すことは造作も無いが、恐らく近場に適合する生物が居なかったのだろう。そいつは二度と現れることは無かった。
他にも不慮の事故など理由は様々。永遠の時を渡るレイスとてその本体は脆弱な精神体。他者の肉体を借りなければ世界の自浄作用で還されてしまう存在だ。
逆に言えば肉体さえあれば永遠の時を生きることができこれまでそうして生きてきた。二百年前の一件以降は魂を分けることでリスク分散をし盤石の体制を築いていた。……はずだった。
しかしここに来てその体制が崩壊しようとしている。
それが最近頻発している他の自身からの連絡途絶。
ノアが落ちる以前のような技術が見込めない現在では連絡一つとっても多大な手間と労力を要する。その為これまではそれぞれの肉体の立場に応じた方法を用いていた。だが最近になってそれらが無くなったのだ。
一つ例を挙げるとすれば現状焦っているこのレイスの宿主はやんごとなき立場の人間。言うなれば人を顎で使える立場の人種……いわゆる貴族だ。便宜上この宿主の中にいるレイスを"貴族レイス"と呼ぶことにする。
貴族レイスは宿主の立場を使いある業者の中にいる別のレイスと手紙に紛れ込ませた暗号文を用いてやりとりを行っていた。
しかしこの業者の中にいるレイスが消えたのか、手紙そのものはあれど肝心要の暗号が無い。従来通りに暗号を読み取ろうとしても文章の体をなしていない。
その宿主である業者そのものが代わったかと調べたもののその様なことは無く、普段通り仕事をしていると調査結果が返ってくる。
その様な事が何度も、それもここ最近で頻発していれば否が応でも現実を突きつけられる。
誰かが自分の魂をピンポイントで消していっている、と。
いや、誰かではない。そんなことを出来るのはレイスが知る限り一人しかいない。
ウルティナ=ラーヴァテイン。
人王国の伝説の魔女。かの大戦の英雄であり、同時にレイスにとって計画と魂を文字通り消し飛ばした怨敵。
彼女が最近になって王都でその姿が散見されるようになった話は宿主経由で耳に入っていた。
そしてこの宿主は何を血迷ったのか――現代を生きる人間であれば当然とも言えるが――ウルティナとコンタクトを取ろうと行動を起こしかけ、それを貴族レイスが力を使い何とか止めたのは彼の記憶に新しい。
ともあれこの時はまだ行動を起こせずにいた。
今はまだ雌伏の時と貴族レイスは自分に言い聞かせる。この魂は比較的慎重的な部分が色濃く残っていたのが良かったのだろう。
もちろん心情的にはあの女狐の寝首を掻きたい衝動はあったが、それを上回る理性で抑え込んでいた。
(クソ、肉体側に魂が引っ張られることもあるのか……?)
彼女が出現した理由を考え、すぐに思い至る点が二つ。
一つは前王呪殺事件。もう一つはキメラ暴走事件。
どちらもレイスが行えることであり、どちらもレイスが行った事であり、どちらもレイスが知らぬうちに行われた事である。
つまるところどこかの別の自分が暴走したと言うことだ。
確かに様々な素体を手に入れる手段として国を混乱させる案はあった。より良い肉体を手に入れるために現状行えるレベルでのキメラ合成の理論も固まってはいた。
貴族レイスはどちらも行動を起こすには時期尚早と判断したのだが、別のレイスは最適解に思えたのだろう。何故そうなったのか確信は持てずとも、大元は同じ魂であり同じ人間。
レイスは自分の思考や性格から"タガ"が外れたらそちらに走るかもしれないと推察を立て、何故"タガ"が外れたかを考え、そして宿主の魂に引っ張られたのではないかと推測する。
しかし悪い話ばかりではない。ここに来て朗報と言える情報が舞い込んできた。
あのフルカド=ヤマルがなんと中央管理センターに出入りしたという事だ。宿主の情報網に神の山への出入りの話が引っ掛かり、更には最近各国へ遺跡の力を使い瞬時に渡ったとのこと。
恐らくは"転移門"だろう。そしてあれを使うには相応の権限が求められる。
その事から導き出される結論は一つ。奴がかなり高い権限を得ていること。もしかしたら管理者権限を持っているかもしれない。
ただ不可解なのはあの地に近い街の大神官には別の自分がいたはずだ。もしいるとすれば接触なり宿主をヤツに取り替えするなり何かしらアクションがあるはずだが、これまで何ら連絡がない。ウルティナにやられたか、はたまた別の何かか……。
そう言えば何故あの魔女は自分の前に現れなかったのだろうかと貴族レイスは考える。王都に居を構えるこの宿主では真っ先に狙われて然るべきなのに。
事実、メイドを含めた近場のレイスは例外無く連絡が途絶えている。
その理由は後に知ることになるが、この宿主は立場に比例し存外に敵が多い。しかも王族ですら呪殺されることを知っている以上無防備でいるなんて出来ない。
なので彼は大枚を叩いて魔術師ギルドからある魔道具を購入した。外的要因による魔術的なものをシャットアウトするペンダントだ。
ただし副作用として強力な能力ゆえか、内側からもシャットアウトしてしまう構造であったが彼にとってはさして問題ではなかった。しかし貴族レイスにとってこれは福音となる。
遮断されたことで魂の波動が漏れずウルティナの探知魔法に引っかからなかったのだ。この為彼女は貴族レイスの存在に気付く事なく別の場所にいるレイスの下へ向かうことになる。
ともあれこれはチャンスでもある。
面倒な魔女は少し前から不在。件の男は目を見張る部分や周りが強い点はあれど本人は脆弱そのもの。
奴に取り憑き支配下に置けば中央への出入りは自由だ。そうすればやれる事、やりたい事は山ほどある。
となればどうやって接触するか。面識はあるが貴族らしさを存分に持つこの宿主はヤマルの事をあまり好んではいない。
そんな人物が呼び出したところで怪しまれてしまうだろう。女王やあのボールドから睨まれる可能性もある。
何とか渡りを付けれる方法は無いかとレイスが何日も悩んでいたある日の事、宿主の付き人の一人が慌てて部屋に駆け込んできた。
「旦那様、かの魔女様がお戻りになられたそうです!」
吉報とばかりに声を張る付き人だが、レイスにとっては凶報。そして宿主はチャンスとばかりに行動を開始しようとし、レイスはそれを阻止すべく再び力を使い始めるのだった。
◇
「え、師匠達帰ってきてるの?」
それを聞いたのは獣亜連合国の親書を魔国に届けて帰ってからのこと。
渡して帰るだけだったので皆には休暇という事で宿で待っていてもらったのだが、どうやらその間に騒がしい二人が戻ってきたようだ。
「うん、ヤマル君はどこー?って。今は部屋に……」
「おっそーーい!!」
スパーンとドアが開かれ、現れたのは相も変わらずな我が師匠。
そしてその騒ぎを聞いてか、別の部屋からブレイヴも姿を現した。
「戻ったか、待ちくたびれたぞ」
え、待たせるような用事なんてあったっけ?
「貴様が居なければ始まらないでは無いか! 此度の我が覇道の英雄譚! 偉大な勇者とお付きによる華麗な……」
「って戯言はほっといてそっちの話聞かせてもらうわよー。あの山行ったんなら色々あったんでしょ? あ、コロナちゃん。ちょっとこの子借りてくから後よろしくね。エルちゃん、後で何か飲み物持ってきてねー」
「いや、あの、ちょ……!」
有無を言わさずズルズルといつも通り引き摺られていく。
そのまま室内で向かい合うように座っては彼女は満面の笑みを浮かべ目線だけでこう述べている。はよ喋れ、と。
「まぁこいつがこの顔をしてるなら大人しく聞いていた方が身の為だぞ」
「なんでアンタもいるのよー」
ぶーたれるウルティナを気にも止めず、いつの間にか部屋にいたブレイヴが手近な椅子に腰掛ける。
ともあれ本気で追い出さないあたりは居ても問題ないと判断したのだろう。とりあえずは当時を振り返りながら順を追って話すことにする。
「そうですね……」
情報をどこまで開示してよいか微妙だったのでまずは中央管理センターはこの世界の遺跡の一つであり中心部であること。
中は現在も稼働中であり、詳細は省くが色々な設備があったこと。
それらを管理、統括するある種の神様みたいな存在がいたこと。
そして色々と表に出すには技術格差がありすぎて基本今まで通り使わない方向でいくのを決めたこと。
そんな話を二人はとても興味深そうに聞いていた。この二人がここまで大人しくしてるのはかなり珍しいのではないだろうか。
「ヤマル君、何か失礼なこと考えてない?」
「いえ、全く」
素知らぬ顔でウルティナの問いかけを流し、代わりにとばかりに用意していたタグ型の通信機二つを彼女らへと手渡す。
「一応皆にも配ってる通信機です。よろしければどうぞ」
一応二人には現在連絡が取り合える面々を伝えておく。ウルティナは連絡が来ることを嫌がるかなと半分ぐらいは思っていたが、意外にも嬉しそうにそれを受け取っていた。
「これでヤマル君を直ぐに呼び出せるわねー」
どうしよう、着信拒否した方がいいかもしれない。
一抹の不安を覚えつつも、後は似たようなのを各国に贈ったことを告げ大体の報告は完了だ。
「こんなところですかね」
「そっちもそっちで面白そうなことやってたわねぇ。残ってても良かったかしら?」
「何か用事があったんでしたっけ?」
「そうよー。大体終わったから帰ってきたんだけど面倒臭いったらなかったわね」
この人が面倒と言うぐらいなのだからよっぽどのことだったんだろうなぁ。
なんだかんだですぐにやっちゃうような人だし。
「ねー、頑張ったあたしに労いの言葉ないのー? 面白い話でもいいわよー」
「え、あー……」
んー、何かあったかな。コロナとのデートとか話したは絶対ロクなことにならないし……。
「あ、これなんかどうです。この世界最初の異世界人」
「へぇ」「ほう」
ウルティナだけでなくブレイヴの琴線にも触れたようだった。目の前の人間と盛大にどんぱちやっていた身としては気になるのかもしれない。
「確か名前はレイ=スティンガー……いや、レイ=スティーラーだったかな? 何か当人の希望でレイスって呼ばせてたみたい゛っ!?」
気づいたら両肩がウルティナとブレイヴ両名の手によって掴まれていた。
腕に込められた力は強く、それ以上に二人の顔がかつてない程に真剣さを帯びている。
「ヤマル君、詳しく」
「え、へ……?」
「ヤマル、詳しく話せ」
いつも尊大と自信が皮を被って歩いているような様子は鳴りを潜め、まるで大戦時の二人がそこにいるかのような空気が部屋を支配する。
様々な場所を旅し、日本では絶対味わえないような命のやり取りをしてきた自負はあるつもりだった。
だが本能が訴えている。絶対に断るなと。
恐怖や畏怖などではなく、もっとその先にあるナニカ。有無を言わさない得体のしれない感覚。
まるで選択肢が"YES"以外全て消されてしまったような錯覚を覚える。
「わかり、ましたので……」
喉の奥から絞り出すように了承の声を出すとようやく解放される。
両肩に置かれた手が離れ、部屋を支配するこの空気が霧散し、次の瞬間まるで水面に上がったかのように一気に息を吸いそして吐いた。
気付けば全身に脂汗が浮かび何とか落ち着こうと呼吸を繰り返すが、それでも耳の奥に心臓の鼓動が激しく鳴り響いている。
「脅し過ぎだ、ばか者」
「マー君だって一緒でしょ。あたし達二人のを同時に向けられたのってレイスぐらいじゃないの?」
レイス……? 師匠たちもレイスを知っているってこと?
でもこの名前知ってるのって自分とマイぐらいじゃ……。
「ん~、ごめんね。落ち着いたら話してくれるかしら」
頭が上手く回らない中、普段よりも幾分か優しいウルティナの声だけが耳に届くのだった。




