天国の郵便屋さんーー最後の手紙ーー『まんじゅう半分こ』
ヒューマンドラマ。2992字です。
「……ん?
どこじゃここは?
ワシはたしか病院で……」
そこは白い雲に包まれた不思議な空間。
風はなく、穏やかで暖かで、とても心が落ち着く空間だった。
その場所を、1人の年老いた男性が歩く。
「ようこそいらっしゃいました。
そして、長い魂の旅、お疲れ様でした」
「ん?
誰じゃ、あんた?」
その老人は声をかけられて足を止める。
声の主を探すと、老人が無意識に向かおうとしていた進行方向の先に1人の女性が立っていた。
その女性は背中から大きな白い翼を生やしていたが、その神秘的な雰囲気とは裏腹に、赤い郵便配達員のような格好をしていた。
「私は亡くなった方が天国に向かう道で現世への憂いを解消してもらうために在る天の使いです」
女性はそう言って、頭に被る赤い帽子を押さえながらぺこりと頭を下げた。
「……天国。
そうか。ワシは死んだのか……」
老人は悲しそうな、それでいて全てを悟ったかのような表情を浮かべた。
「ここでは、あなたから現世の誰かに、最後に1通だけ手紙を送ることができます」
「手紙?」
天の使いを名乗る女性にそう言われ、老人は顔をあげる。
「はい。
内容はどんなものでも構いません。
時間軸も、あなたが亡くなられた時間以降ならいつでも大丈夫です。
ただし、送れるのは1通だけ。
そして、それを読むことが出来るのはお一人だけです」
女性は優しく微笑みながら説明をしてくれた。
全てを包み込むような慈愛に満ちた笑みだった。
「なるほどのぅ。
手紙……手紙ねぇ」
「それでは、こちらへどうぞ」
女性は老人が話を受け入れたことを確認すると、何もなかった雲の上に一組の机と椅子を出現させた。
机の上には白紙の手紙とペンが置かれていた。
老人はその椅子に腰掛け、ペンを手に持った。
「そうだのう。
何を書こうかのう」
老人はペンを持ったはいいものの、何を書くべきか悩んでいるようだった。
「時間はいくらでもありますので、どうぞゆっくり考えてください」
女性は悩む老人に優しくそう告げた。
「……ふむ。
やっぱり書くとしたら、残してきてしまったばあさんにだの」
「奥様ですか」
相づちを打つ女性に老人は軽く説明をし始めた。
「ああ。
出会って70年。
一緒になって65年じゃ。
ばあさん以外の誰かに送ったらさすがに怒られるじゃろ」
そう言って老人は苦笑してみせた。
そこには、その長い時間を慈しむような雰囲気が感じ取れた。
「じゃがのう。
最後の方はワシもボケとって、あんまり覚えとらんからのう」
老人は途中から痴呆を患い、妻や子供たちのことも分からない状態になっていたようだ。
「そういや、今は意識もはっきりしとるの」
「こちらに来てしまえば、肉体の不調などなくなりますから」
「そうなのか」
老人は女性の返答に納得したように頷くと、再び手紙に向き合った。
「……ばあさんには苦労をかけた。
あまり稼ぎもよくなかったし、ろくに贅沢もさせてやれなかった。
おまけに最後には介護までさせたのに、ばあさんのことも忘れちまって、本当に申し訳ないことをしたの」
老人の独白を女性は優しい笑みを浮かべたまま黙って聞いていた。
「ああ、そうじゃ。
昔は甘いものなんて高級品でな。
よくばあさんと半分こして食べたもんじゃ。
特にまんじゅうは2人とも好物でな。
よく1個だけ買って、2人で半分ずつ食べたもんだ。
そんときだけは濃く淹れた茶を飲んでな。
その時は、なんだか幸せを感じたもんだ」
老人は懐かしさに思いを馳せているようだった。
「あ! そうじゃ!
思い出したわい!」
老人はそう言うと、おもむろにペンを走らせた。
「ほれ!
できたぞい!」
老人はあっという間に手紙を書き終えると、女性にそれを掲げて見せた。
「……本当に、これで宜しいのですか?」
その手紙を見た女性はきょとんとした顔で首をかしげた。
「いいんじゃ。
今さらかしこまったことを書くよりも、この方がよっぽどワシららしいわい」
「……かしこまりました」
女性はかっかっかっと笑う老人にしかと頷き、手紙を丁寧に受け取った。
そして、それを封筒に入れると、優しく胸に包み込んだ。
「このお手紙は必ず奥様にお届けいたします。
時間はいつになさいますか?」
女性に問われて、老人は考えるような仕草を見せた。
「そうだのう……。
あんまり時間がたってない方がいいのう」
「そうですか。
でしたら、奥様があなたの病室の片付けをしている時に手紙を見つける、というのはいかがでしょう?」
「うむ! そうだの!
それがいい!
それで頼むよ!」
老人は女性の提案を受け、快く賛同した。
「承知いたしました。
この手紙はご指定の時間に送らせていただきます」
「ああ、頼むよ」
老人がこくりと頷くと、どこかから鐘の音が聞こえてきた。
「ああ、どうやらお時間のようですね。
この道をまっすぐ進んでいただければ、やがて天国に到着いたします」
「そうか。
わかったよ。
いろいろとありがとうな」
「とんでもございません。
それでは、ゆっくりとお休みくださいませ」
すっきりとした顔の老人に、女性は深々と頭を下げた。
女性が頭を上げた時には、老人はもう雲の向こうへと歩きだしていた。
「母さん、ちょっと飲み物買ってくるよ。
何がいい?」
「……ああ、すまんね。
温かいお茶だと嬉しいね」
「分かった。
ちょっと待ってて」
夫がいなくなったあとの病室を息子とともに片付ける年老いた妻がいた。
長年連れ添った旦那。
途中からは痴呆も患い、入院した時から覚悟はしていた。
「……あんたが先に逝っちまったね」
妻は寂しそうに呟く。
『出来ることなら、逝くときは一緒がいいのう』
そんな馬鹿なことを2人で言い合っていたこともあった。
自分の死期を悟ってからは、いつもすまんすまんと謝っていた。
「……謝る必要なんてないのにねぇ。
ホント、馬鹿な人だよ」
妻はしみじみとそう呟きながら亡き夫の荷物をまとめる。
「……ん?」
ふと、妻は枕の下に封筒が置いてあるのを見つけた。
看護士さんが毎日交換してくれてたはずなのに、なんで今さらこんなものが?
妻はそれを不思議に思いながらも封筒を手に取った。
封を開けてみると、どうやらそれは手紙のようだった。
「……あの人が書いといたのかね?」
妻はその手紙を取り出して、書いてある内容を読んでみた。
それは、何行もある中の最初の一行だけに書かれていた。
「……」
妻はそれを読み終えると、ベッドの横の引き出しの一番上を開けた。
「……は、はは。
ホント、馬鹿な人、だよ」
『引き出しの一番上に隠しといたまんじゅう、全部食べていいよ』
手紙に書かれていたのはそれだけ。
引き出しの中のまんじゅうは丁寧に半分に切り分けられて、ラップでくるまれていた。
どうやら、2人で分けて食べようとしていたようだ。
妻は涙を流しながら半分のまんじゅうを取り出し、丁寧に包んであるラップをはがして一口かじった。
「……甘い、ね。
甘いのに、涙のせいでしょっぱいよ。
ああ、早くお茶買ってこないかねぇ」
妻はそんなことを言いながら、残った半分のまんじゅうを丁寧に懐に入れた。
「全部食べたりなんかしないよ。
いっつもあたしたちは半分こしてきただろ?
これはあんたに供えてやるから、あの世で食べるといいさ」
妻はそう言うと、自分の分の残りをぽいっと口に放り込んだ。
「……やっぱりこれが一番だねぇ。
あたしもそっちに行ったら、また2人で半分こしようねぇ」
そう言って微笑みながら泣く妻を見守るかのように、役目を終えた手紙はすうっとその場から姿を消したのだった。




