閑話 ~甘い鎖~ その2
ランドルフ家の敷地の広さと言ったら!
普段ミズキは馬車で隊の訓練に行くので、まともに屋敷の中を歩いたことなんてなかった。初めて今回、自分の足で歩いてみたらその広さに唖然とした。
基本的に自室の窓から見渡す範囲はすべてランドルフ家の敷地だという。
残念なことにそれを最初から失念していた。
なぜなら、いつも屋敷の窓からはところどころに集落みたいに可愛らしい家があるのが見えていたので、ご近所さん多いねと思っていたくらいなのだ。だが実はそれらも含めて彼の所有物と聞いたときはさすがに引いた。
どうやら厩以外にある可愛らしい家は、使用人たちの住まいだったらしい。長くランドルフ家に仕えていると使用人同士での婚姻も多いとかで、ランも夫と共にこの中の家の一つを借りているそうだ。それを聞いて、他の貴族の家もそうなのかって聞いたら、ランからはこれが他家でも普通はどうかわからないって返事が返ってきた。
さて、この広い敷地内、木の実のなりそうな木はたくさんあるけれど、どこから探せばよいのやら。
自分から願い出てみたものの、既に途方にくれていると屋敷を出るときに、マーロウが「私がお借りしている家の裏手に立派なクルミの木や栗の木がありますよ」と教えてくれた。
これ幸いと普段足を踏み込めない場所まできてみたのだけれど、地道な訓練のおかげで体力がついてきたミズキと違い、歩きなれないのだろうユリは現場に到着した段階でしんどそうに座り込んでいた。
「つき合わせてゴメンね? ちょっと休んでいて」
ミズキはユリにそういってからマーロウの言葉通りたくさん落ちていた胡桃や栗を集めた。
しばらくすると、ユリも同じように実を拾ってしげしげと太陽にかざしていた。栗やクルミの実が珍しいらしい。
「ねえ、ユリ。あなた、お嬢様なんでしょう?」
ミズキはは隣で胡桃を拾うユリを見やった。
若干15歳の少女は、侍女のお仕着せを着ているが、とても愛らしい顔立ちをしている。
ユリは恥ずかしそうに肩をすくめ
「お嬢様だなんて恥ずかしいです」
口元を手で隠した。
―――なんだ? この可愛い生き物!
あまりにぼうっと見ていたせいで、うっかり栗のイガで指をさしてしまって手を慌てて振り上げた。
それはともかく、4家とかいう規模も性質も文字通りの化け物貴族を貴族の基準にしてはいけない。
だが、その4家に案内状を通せるのだから、ユリの家はなかなかの地位にいるはずだ。
「ユリはこのお勤めが終わったらどうするの?」
行儀見習い期間は人によって違うだろうけれど、半年から一年くらいだという。
ユリは15歳だけれど、もう半年もすれば16歳、結婚適齢期といわれる年になる。
ミズキが尋ねると、ユリはぽうっと顔を赤らめた。
ん?
反応の新鮮さに、なんとなく気付いてしまった。
「もしかして、お嫁に行くとか?」
尋ねると、ユリは更に顔を赤くした。
けれど、頭を振るようにして
「あのっ! 私、ミズキ様と旦那様のご結婚式を見るまでは絶対にやめたりはいたしませんので!」
力いっぱい力説なさった。
その内容に、一瞬ミズキの意識が遠のきかけた。
―――あのユリウス様と私が結婚とか。
そもそもそんな日が来るのかしら?
いや強制的に来るんでしょうけど、でも心情的にはそんな日がきそうにもない。
「やー、私よりユリは自分のほうを優先したほうがきっと私も建設的な気がするな」
ミズキは笑って集めた木の実を抱えなおした。
温室の隣にある、マリーンから受け継いだ小屋の中で、材料を広げた。
ここからは、ミズキ一人だ。
さっき木の実を集めるのを手伝ってくれたユリには十分に礼を言って屋敷に戻した。ユリとしてはミズキがこれからなにをするのか興味津々の様子だったけれど、小屋の中は危ない薬品があるので立ち入りを許可されていない。ミズキは謝罪して見送った。
それからは手を洗い机の上をざっと確認する。
クリ、クルミ、ナッツ、小麦、卵、バター、砂糖。
ミズキは頼んでいた材料が一通り揃っている事に安堵して早速作業を始めた。
クリの皮や胡桃の皮を魔法で剥いていく。
魔法が使えなかった頃は苦労していた作業だったのに、呪文一つであっというまに剥き身がゴロゴロ出てくる。
ただ、気を抜くと肝心の実まで粉々になってしまうので、繊細な制御を要することになった。
―――なんだかんだと、不精をするために努力するって矛盾してる気がする。
ミズキは作業をしながら自分自身に苦笑いした。
栗は鬼皮だけをむいて、水に漬けて、あくを抜く。
次にミズキはボウルに柔らかくなったバターと砂糖を入れて混ぜた。
そこに少しずつ卵を入れてまぜ、最後に小麦粉を入れてさっくりと混ぜる。
ミズキは天板に適当な大きさに分けて丸めたさっきの生地をのせてオーブンに入れた。
オーブンに火は入ってない。
この施設内に一通りの調理器具は揃っているけれど、かまどや火を起こす場所はどこにもなかった。それもそのはず一通り揃っている調理器具は、すべて魔道具だ。
この小屋を利用したマリーンも先代の聖霊獣の対だった。つまり魔法の使い手として超一流だと言うこと。魔道具を使うことなど苦にならなかっただろう。
ミズキはオーブンの端にある手のひら台の石に手を置いた。そこから中に向けて熱が発生するよう、魔力を送る。
温度は自分の魔力で調整が必要だった。
マリーンは魔力コントロールが得意だったのかもしれないが、ミズキにはこれもまた微細な加減を必要とする訓練でもあった。
イメージどおりにクッキーが焼けるとミズキは安堵したように、それを大理石の作業台の上に並べた。そのあともその作業を何度か繰り返した。
生地がなくなると今度はくるみとナッツをフライパンに入れてかまどの魔道具の上に置いた。再び魔力を送り、調理を始める。
しばらくすればフライパンから香ばしい香りがたってきた。焦げすぎないうちに皿によける。
再びフライパンをもどし、そこに砂糖とほんの少しの水を入れ、カラメル色の飴を作った。甘く香ばしい匂いが充満するとさっきのナッツ類をフライパンに戻しいれ、飴を絡めた。このまま食べても美味しそうだった。
けれどミズキはそれをさっきのクッキーの上に広げた。
こうして飴がらめの木の実のクッキーが出来上がった。
荒熱が取れたところで、見目が悪いのを選んで味見をする。
見た目はともかく味は他の同じ。
カリカリとした飴と木の実の芳ばしい香りが口いっぱいに広がり、クッキーは口の中でほろほろと崩れ落ちる。
「おいし」
自画自賛気味だけれど、ミズキは口の中でざくざく言う木の実に満足げに頷いた。
ランドルフ家のこってりとした御菓子も大好きだ。
料理長たちの腕は相当だと思う。
けれど、たまにはこういうお菓子も食べたい。。
ミズキは栗の実も、綺麗な形のモノは渋皮がついたまま甘露煮に、崩れてしまった実は集めて、ペーストにした。
これらは日持ちするので、しばらく氷室にしまいこんでおく事にする。
それから、さっきのクッキーを袋詰めにした。
ノアにエリザベスに、ヴィクターにクレスタにヴィアンにレニー、マーロウにベネス、ランにユリ……。
いつも世話になっている面々に感謝の気持ちをこめて可愛らしいリボンもかけた。
作業台を見れば、まだクッキーは残っている。
「……」
一人で食べるには多い。
しかも、心なしか綺麗な形の物が多い。
本当は自分で食べたくて作ったはずなんだけれど、気がつくとあまり自分が食べる分が残っていない、と言うのはよくある話で。
ミズキは氷室に入れていたアイスティーを取り出し、グラスに注いだ。
それからミズキは魔法を織り交ぜた白い鳥を作った。ミズキが幼い頃呼んでいた彼女の伝令鳥だ。
ただ、いつもより少し大きめに作った。
これからミズキは出来上がったクッキーをいろんな人に配り歩く。
けれどとりあえずは、まず先に。
ミズキは皿の上に比較的形や色の焼け具合がいいクッキーを並べ、それが皿から落ちないように、あとアイスティーもこぼれないように魔法をかけて、かごに入れて鳥に持たせた。
自分で持っていくのは恥ずかしいけれど、誰よりも先に届いていないとまずいような気がするから。
「あの人に、届けてね」
ミズキは窓から外に鳥を飛ばせた。
そんな遠くない距離を、白い鳥がかごを抱えて羽ばたいていく。
口に合わないかもしれない。美味しくないかもしれない。
でも。
いつもお世話になっているし、やっぱり彼にも食べて欲しいから。
そして叶うことなら、彼の口に合えばいいなと思った。
ミズキは鳥が屋敷の窓辺に消えていったのを確認して、再度荷造りする。
「さて」
思いがけずたくさんの小袋が出来てしまった。
ミズキはたくさんの白い小鳥を作ると、それぞれにクッキーの小袋を持たせ、空に放った。
ノアや、討伐部隊の仲間たちの元に届けてもらうために。
そして自分は屋敷内の人間に配るため、小屋を出た。




