白い月 その3
再びユリウスの機嫌が急降下する。
討伐部隊や公の場では表情の変化が乏しく、いつもしかめっ面をしていることが多い。
けれど、ミズキは彼の表情の豊かさを知ってしまった。
普通に笑うし、人の悪い表情もするし、傷つきもする。
彼の表情の豊かさを、知ってしまった。
……笑ってもらえないと、気になってしまうほどに。
リラの街についたとき、ユリウスは普通だったと思う。
けれど、後からミズキの忘れ物を持ってきたとき、一瞬彼はミズキを拒絶した。
―――そうだ、あれは拒絶だった。そして、怯えだった。
なぜ?
あの場面を思い返しても、ミズキにはなぜユリウスがそう言う気持ちになったのか、わからない。
このままずるずる引きずってしまえば、悪化するのは明白だ。だから勇気を振り絞ってここにきた。
拒絶がどうしようもない決定的なら? そう思うと震えがきそうなほど怖い。
けれど、気にしながら聞かずにいるのも苦しい。
「……私は、あの時、あなたになにをしてしまったのか、教えてください」
ミズキがもう一度尋ねるとユリウスは苦く笑いながら
「お前がしたわけじゃない」
困ったように頭をかいた。
でもミズキにはそうですかと引き下がれないものがあった。
どう考えても、ミズキに関していることは間違いないのだから。
「私が、魔法をかけたままの木箱を忘れていってしまったからですか?」
ミズキが問うと、ユリウスはハハッと声に出して笑った。
「どうしてそうなる」
そう独白して、困ったようにミズキを見上げた。
「そんなんじゃない。たんに自分のエゴに自己嫌悪していただけだ」
そういって、ミズキの頬に手を伸ばした。
ユリウスの手に誘われるまま、ミズキはユリウスの腕に納まり、彼の膝に横座りする。
座ってから、体制のおかしさに火が出そうなほど真っ赤になったけれど、ユリウスに自分の胸に押し付けるようにきつく抱きしめられ、聞こえてくる彼の心音と、彼から伝わる聖霊獣の甘いにおいにくらりとめまいがした。
なんとも離れがたく、すがるように彼の胸元をぎゅっと握り締めてしまう。
「……今更だが、お前にはお前の生活があったのにな」
ユリウスの呟きに、離れがたさも何のその、ミズキはがばりと顔を上げた。
思わずまじまじとユリウスを見上げる。
つまり。
つまり、ミズキが子どもたちと接しているのを見て、ユリウスはミズキがそれまでなにをして生活していたかをやっと気づいたと言うことらしい。
「……それこそ本当に、今更ですね」
ミズキが言うと、ユリウスはふっと小さく笑った。
「私を子どもたちから浚ったこと、少しは悪いとか思っていますか?」
ミズキが問うと、ユリウスの眉がしかめられた。
「……全然」
ユリウスは短く否定する。本当なら私の人生を何だと思っているんだって怒ってもいいはずだ。なのに。
―――どうしよう、私……嬉しいんだわ。
ユリウスがミズキをエゴを通しても浚ったこと。
それを後悔していない、と言うことも。
どうしようもないほど、嬉しい。
―――きっともう、私にはあの子達の前に立つ資格はない。
小さい子たちに教師は必要だ。特にあの時期は真っ白で、とても繊細な年頃だと言うのに。
なのに、嬉しいだなんて。
ミズキの瞳から雫が一つポロリと落ちた瞬間、ユリウスがミズキの唇をふさいだ。
合わせた唇から、甘い蜜がミズキの口腔に流れ込んでくる。
唇を合わせたまま、ミズキとユリウスは目を合わせ、ミズキの手がユリウスの首に回ったのと同時に再び目を閉じ、深く貪りあった。
甘い蜜はミズキの思考回路をどこまでもとろけさせ、体の力を奪う。
時折くぐもった声があふれても。
息苦しさとそれ以上に湧き上がる熱にぽろぽろと涙がこぼれても。
ミズキのそう広くない口腔で、上あごをなぞったりどこまでも絡めようとしたりと、好き勝手暴れる彼の舌にミズキの体からカクンと力が抜けてしまっても、ユリウスの口付けは続いた。
甘い吐息が静かな部屋に満ちる。
灯りを落とした部屋に、白い月の光がふりそそぎ、いつもよりはっきりと互いの表情が浮かび上がった。
息も整わず艶めいたユリウスの表情に、心が震えた。
しかし。
いつの間にか、夜着のリボンをほどかれて、あられもない胸元に気付き、頭から冷水をかけられた錯覚を起こした。
一度完全にさめてしまうと首元や鎖骨の周辺でユリウスの髪にくすぐられるのも、唇と舌が這う刺激も、ミズキの熱を奪っていくことにしかならない。
「ちょ、待って……!」
どうにかユリウスの頭を押しやると、ユリウスが不服そうな目でミズキの胸元から見上げる。
―――いや、そんな目をされても困りますから!
ミズキはググッと手に力をこめた。
それでも、きっと今ミズキの右手をユリウスの左手が握ればそんな理性も吹っ飛んだだろう、それくらい危ういもの。
「……ここまで流されておきながら、いつも良く抗う」
ユリウスが苦く笑う。
―――いや、私だってちょっと流されてもいいとか思ったのはナイショですよ!
けれど、ミズキの中でどうしても譲れないのだ。
口付けをして、手を握ればきっとぽろぽろと簡単に崩れ落ちる砂のような理性だけれど。
「だって……このまましても、ただ聖霊獣の力に流されただけになるのでしょう?」
それでもいいかなとか、思ってしまう自分もいるけれど、でも、きっと正気に返ったときとても辛い。
自分しか抱ける女がいないユリウスには申し訳ないとは思うけれど、でも、だからこそ。
―――対だから、じゃなく、私を必要として?
ユリウスにとってミズキは雄として必要不可欠な雌だ、それはミズキにもわかっている。
でもそれはあくまでミズキがユリウスの対だから。
ミズキの中にある彼の対の聖霊獣が起こさせている錯覚なのだ。
そう思うとミズキの心はいまだびくりと凍りついてしまうのだった。




