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白い月 その2



 部屋に戻り夜着に着替え、着替えを手伝ってくれたユリとランが退出したところでミズキはふと隣の夫婦の寝室に続く扉を見た。

 なんとなく、そちらに足を向ける。

 そうっと静かに扉を押し開いたが、その寝室にはやはり誰もいなかった。

 誰も使わない部屋なのに、ベッドサイドには冷えた水の入った水差しとグラスが並べられていた。まったく無駄だと思えるのに、勤勉な人達だ。

 ミズキはそれをちらりと見ただけで更に足を勧めた。

 次の扉の前に立つ。

 ユリウスの部屋に続く扉だ。

 ここから先の部屋にはまだ一度も入ったことがない。

 ミズキは手を軽く握ってノックするために扉近くで振り上げた。少し力を入れただけで叩くはず。

 でもその少しがなかなか勇気がいった。ノックをしてノブをひねれば簡単にむこうの部屋へと入れるだろう。しかしミズキはしばらく暗い扉を見つめた。

 やがて意を決すると、そうっとためていた息を吐き、その力を利用してコンコンと扉を叩いた。

 キィ

 扉は少し音を立てて向こうから開けられた。

 「何のようだ?」

 風呂から出たところなのだろう。ぼたぼたにぬれた髪にタオルをのせただけの状態で不機嫌そうなユリウスがミズキを睨み下ろした。

 ギシリとミズキの胸が痛む。

 急にこんな態度を取られるのも。理由がわからない今は胸が痛い。

 扉は開けられたはずなのに、拒絶されている。

 このまま自室に、いやリラのノアのところに戻りたい気分に駆られた。

 けれど、今逃げてしまったら、それこそそれっきりになってしまいそうな気がする。

 ミズキはぎゅっと手を握ると勇気を振り絞って

 「髪を乾かしに……」

 すっかり冷たくなった雫が垂れる髪にそっと手を伸ばした。

 少し触れるだけでミズキの手のひらはぐっしょりと濡れる。

 「……」

 ユリウスはあいまいな表情で、でもミズキの前を開けてくれた。

 扉を閉めなかったと言うことは、入ってもいいということだろう。

 お邪魔しますと口にしながら、ミズキはそうっと辺りをうかがった。

 初めて足を踏み込むユリウスの部屋……。

 だが、

 ―――あれ?

 なんとなく懐かしい気がした。

 光を少し落とした部屋はミズキにあてがわれている部屋よりも少し広く、けれど飾り気のない調度品は実直なユリウスらしさを表しているようで、どこか安堵した。

 確かにはじめて入るはずの部屋だ。だがしかし。

 なぜかすべてが懐かしい気がした。

 ベッドの形も……天井の複雑な模様も、すべて、知っている。ミズキは自分の胸を押さえた。

 なぜ?

 「なにか気になるものでもあるか?」

 ユリウスがソファに腰掛けてミズキに問うた。ミズキははっとしてユリウスに謝罪した。

 「すみません、なんとなく見覚えがあるような気がして……。いやでもそんなはずないですよね」

 ミズキは苦笑いした。ユリウスの髪に魔法を纏わせた指を絡め、丁寧に乾かしていく。

 が、ユリウスが驚いたようにミズキを見あげたので、ミズキの手のひらから濡れた髪がばさりと音を立てて零れ落ちた。

 「……だから、いつもいってますけど、ソファが濡れちゃいますよ」

 ミズキが少し呆れ気味で重く水分を含んだ髪を拾い上げたが、

 「なんだ、覚えているのか」

 思ってもいない言葉を投げかけられて、再びミズキが髪をこぼしてしまった。

 その声はどこか喜びも含まれているようで、ミズキのほうがぽかんとしてしまう。

 「この部屋の天井はジジイの趣味で、実家の俺の部屋と同じ模様だ。ベッドはあっちから持ってきたものだし、お前が知っているのも不思議な話じゃない」

 ―――いや、不思議な話ですって。

 ミズキは心の中で盛大に突っ込みを入れた。

 昔、ミズキがユリウスに保護されてしばらく、ランドルフ家の本家のほうにいたらしいのは、皆の話から聞いて知っていた。だがしかし。

 その間はきっと客間かどこかでいたのだろうと思っていた。

 普通常識的に考えれば、そうであって欲しい。

 ―――いや、ユーリと呼んでた人と一緒に寝ていたらしいと言うのもおぼろげにあるのはあるけれど、でもそれはそれ。

 ミズキのほのかな期待は

 「5日間、しかもほとんど夢うつつだったろうに、よく自分が使ったベッドを覚えていたな」

 あっけなくユリウスの言葉によって崩壊した。

 ―――それってやっぱりそういう意味ですよね?

 いや、わかっているのだ。

 ユリウスと眠ると懐かしく、とても安堵した気持ちになるって言うのは。

 昔からそのにおいと体温を知っているって言うのも。

 つまり……つまり、ユリウスの口から最後通告受けるよりは自分で認めるほうが楽な気がするので認めてしまうが、ユリウスとミズキはこのベッドで5日間共に眠った、と言うことだ。

 まあミズキが幼い子どものころのことだ。

 「それほど、使い心地が良かったと言うことか」

 ユリウスが、なんだか怪しげな笑みを浮かべる。

 ―――え?

 ミズキが腕を引くより先に、ユリウスの手に指先を捕らえられた。

 怪しくつかまれて

 「何なら、また共に使うか?」

 ユリウスが獲物を愉しむ目でミズキを見て笑う。

 ミズキは瞬時にプルプルと顔を横に振った。

 子どもの頃と今は違う。子どもの頃のことはまあ、百万歩譲って微笑ましい情景だったとしても、今この年齢では生々しい。

 ミズキが真っ赤になって俯くと、ユリウスがくつくつと笑っていた。

 そういえば、今日はやっと聞けたユリウスの笑い声にミズキはほうっと息をついた。

 今日、ギクシャクしたと思ったのは錯覚だろうか?

 ―――いや、でも、なかった事には出来ない。

 再びユリウスの髪を手に取り乾かす。

 あらかた乾いたところで、ミズキはやっと用件を切り出した。

 「今日、私は何かあなたの気にさわることをしてしまいましたか?」

 と。


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