閑話~嵐の夜~ その1
ユリウスは自分にしがみ付くかすかな動きに、眠っていた目を開けた。
胸元を見れば、昨夜の外の嵐に震えていたミズキが自分に擦り寄ってきていた。
―――まったく、寝ているときだけは素直だ。
晴れた日の新緑を思わせる、鮮やかな緑の瞳は今は白いまぶたに覆われている。
その寝顔は昨夜の恐怖はどこへやら、完全に安堵しきった寝顔になっていた。
ずれた布団を上げながら、ユリウスの口元が自然と上がった。
音を立てないように顔をめぐらせれば、まだ朝早い時刻だろう。昨夜の嵐が嘘のように静かだった。
ユリウスは絹糸のように滑らかな彼女の髪をそっと撫でた。
昨夜、少しだけ赤くはれぼったかった目元は、寝る前に施してあった水の魔法の効果か、すっかり元通りだ。
―――しかし、雷や風の音が怖い、か。
ユリウスの家の建具はすべて魔法がかかっていて、ちょっとやそっとの風では鳴らないし、雷などの外音は伝わってこない。
だからこれから先のことは心配要らないだろう。だが逆にこれまで彼女はどうやって嵐を乗り越えてきたのだろうか?
教会の宿舎や官舎の窓や壁が防音に力を入れているとは到底思わない。
つまり彼女は昨夜しようとしていたように、布団を被ってベッドのもぐりこんでやり過ごしていたのか?
それを思うと微妙な気持ちがわいてくる。
『手元で育てればいいじゃない』
『そうよ、ずっとそばにおいておけばいいのに』
母親や年上の幼馴染の言葉が耳の奥でよみがえった。
しかしユリウスは一度ミズキを手放した。
理由は……。
「……ノア……」
ふと自分にしがみ付くミズキの唇から彼女の第二の母だった人物の名が漏れ聞こえた。
もしかして今ユリウスがしているように、育ての母親を頼ったのかもしれない。
「そろそろ俺を覚えろよ」
ユリウスは小さく笑うと、そっとミズキの髪の生え際を撫でた。
そのまま彼女を抱え込み、額に唇を寄せてまたまぶたを閉じる。
あの日手放したぬくもりは、再び彼の手の中に戻ってきている。
閑話~嵐の夜~ その1
あの日、ユリウスはどうしても嫌な気持ちがしてひたすらにそちらへ馬を走らせた。
どうにもこうにもあせる気持ちを抑えきれず、大切な愛馬を潰しかけた。そして最後は先に飛ばしていた伝令を目標にしておぼえたばかりの瞬間移動を使った。
蓄えたばかりの2体の聖霊獣が枯渇しそうなほどの距離だった。
そこで起きていた惨劇。
ユリウスは目を見張った。
まずありえない光景だった。
村として機能するくらいには建物があっただろうと思しき場所で、建物や木はすべてユリウスの腰元から上がなくなっていた。あったとしても崩れたり焼け焦げたり、ひどい有様だった。
そして、人の屍も多かった。大人も子どもも、老若男女関係なく、無差別にあちこちに横たわる……。
そんな瓦礫と屍だらけの街のあちこちで、幻獣たちが争うようにそれらを貪っていた。
その幻獣の数は驚くほど多かった。
妖魔が数体で村を襲う話は聞く。だがしかし、幻獣になるとよっぽどじゃない限り徒党を組むことはない。
それがこんなにたくさんいると言うことは、誰かの手で召喚されたということだ。
それなりの使い手なら、あとのことを考えなければ呼び出すのは簡単なこと。使い手として興味本位で呼び出して返せなくなったと言う話はよくあることだ。ただ、これだけの数となれば、話は別になる。召喚した人間は1人や2人ではない。しかも相当な悪意を持って呼び出したはずだ。
何か理由があるとしても、正当な理由があればしかるべき場所に報告があるはず。だが、それがないと言うことはそういうことだ。
ユリウスはぐっと唇を噛んだ。
まずは移動の際に枯渇した魔力を補うために、聖霊獣を具現化し、数体の幻獣をぱくりと丸呑みして、食事をする。
それからはセウスをひらめかせてひたすら切った。
幻獣討伐部隊に所属してから倒した幻獣の数よりもずっと多くの幻獣を倒した。
中にはどうやらユリウス以外のものが倒したと思しき幻獣の死体もいくつか見受けられた。聖霊獣を宿す4家以外のもので、幻獣討伐部隊に所属している騎士や魔法士でも、なかなか手が折れる相手。それをここの村人が倒したとすればなかなかの使い手だっただろう。
……ただ、その相手ができる人間がそう多くいるとは思えないし、相当の使い手がいたとして、この数の幻獣を相手にするのはまず無理だ。
その使い手の末路は、容易に想像ができた。
ユリウスとて最強の剣がなければ、かなり手間取っただろう。
3分の2ほど倒したところで、ユリウスは近くの瓦礫の影で何かが動いたのを見た。男女の体が横たわっていた。男のほうはピクリとも動かなかったが、その男に庇われるようにうつぶせていた黒い髪をした女のほうは、まだかろうじて息があった。
初めて見つけた生存者だった。
ユリウスが駆けつけると
『……けて』
目じりにたくさんの涙を浮かべながらユリウスに何かを握ったまま手を伸ばす。『あそこ、子ども……』
女は、今幻獣がたかっているあたりを反対の手で指差した。
『助け……』
そう呟いて、女はガクリと力尽きた。
その手から最後まで握っていたものがポロリと落ちる。
それは、魔道具。強い結界を、内側からではなく外からはるための魔道具だった。
つまり、何かを守るための結界。
地面に落ちた、そう思った瞬間、それは粉々に崩れた。ということは、それまで女がかけつづけていた結界が破れたということ―――。
『あっ!』
子どもの声が聞こえた。
さっき女が指差した方向。すぐさまユリウスはそちらに向かった。




