それにまつわる誤解とあれこれ その2
夜、夕飯の席で、最後のデザートのチョコレートケーキを口に入れながらミズキは恐る恐る顔を上げた。
ユリウスはデザートも終えて、紅茶の香りを楽しんでいるようだ。
朝と夕食は2人でとることが多い。昼食については、ユリウスは隊舎の自室で取り、ミズキは隊舎の食堂でエリーやレニーとにぎやかに取っている。
ただ、2人だけの食事というのは基本的に会話がなく、静かで淡々と流れてしまうことが多い。この家のテーブルは広いため、端と端にぽつんと座ってたら、声をかけても遠い。
自然と静かな食事光景が当たり前になっていた。
別にそれが苦ではないし、食事に集中できるしミズキはそれで好としている。
ランドルフ家にきて一月少々、ミズキは少しずついろんなことを発見していた。
まず、ユリウスはあまり酒を嗜まない。まったく飲まないというわけではないようだけれど、酔うほど飲まないらしい。
あと癖の強い香味野菜は苦手なのか、パセリは前にミズキがぱくりと食べると「それは食い物なのか?」驚いたようにいわれたことがある。
ミズキが体にいいし美味しいですよと言って勧めたが、ユリウスはそれを触りもしなかった。
食べ物に関しては意外と甘いものも良く食べている。今日のチョコレートケーキもぺろりと食べてしまった。男の人はあまり甘味は食べないのかと勝手に思っていたが、そうでもなかったようだ。
他には普段、隊舎に行くのはいとわないけれど、教会の本部に行く日はなかなか部屋から出てこない、とか……。
容姿こそ人間離れしているけれど、人間味がある部分もあるようだ。
ミズキがぼんやりしていると
「人の顔に見とれるのは結構だが、クリームが垂れるぞ」
ユリウスがそっけなくいった。
はっとして手元を見ると、スプーンからもったりした生クリームが今にも落ちそうだ。
「っ」
慌ててミズキはそのスプーンの下に手を添えて口元に運んだ。ねっとりと濃厚な甘さが口に広がる。
―――ああ、おいしい。
ランドルフ家の料理人は本当にどの料理も上手にしてくれる。デザートも完璧だ。
特にこんな素敵クリーム添えのデザートは年に数度食べられるか食べられないかの極贅沢品だった。それがこの1ヶ月で何度口にしたか……。
でも、人の欲は恐ろしいもので、素朴なクッキーや味気ないケーキなどの焼き菓子も恋しい。毎日ステーキばかりではなく、たまにはスープの残りに余ったごはんを入れて作るリゾットのようなものも食べたくなるのだ。
―――ああ、あそこの薬草園にいろんな果実もあるんだよなー。あれ使ってお菓子作りたい。
そうすれば調理場が問題になるところだが、でもそれは研究室でどうにかなるなと気づいた。
もしかしてマリーンもそういう意図も見込んであの部屋を作ったんじゃないかと思っている。それほど普通の調理器具……オーブンや鍋やかまどが充実していた。
―――しかしこんな贅沢に慣れてしまってどうするんだろう。
ミズキはランドルフ家の生活費をざっと計算しかけて、やめた。
どう考えてもミズキが支払える金額ではないことはわかりきっている。
―――そういえば、あれもどうしよう。
ミズキは今日の帰りのことを思い出していた。
今日の帰り、ヴィアンに呼ばれてそばにいくと
『はい、これ給金と賞与』と、皮袋を二つ出された。一つは小さめでもう一つはかなりたっぷりと詰まった皮袋だ。
『毎月半ばに給金が出るんだ。それでこの間みたいに幻獣を討伐に行くと、こんなふうに賞与も出るんだ』
ヴィアンが教えてくれる。つまり小さいほうが基本給金で、大きいほうが賞与らしい。
『でも、別に私あそこで特に何もしてませんけれど?』
ミズキがいうと
『お食事も立派な人に仇する幻獣の駆除だよ。だからそれは正当な報酬なんだからちゃんと受け取るように。そうじゃないとお供でついていった俺やレニーももらえないからね。とにかくこれはミズキの初任給だよ』
ヴィアンにウィンクされてミズキぷっと小さく笑った。自分だけならともかく、二人の給料が関わっているのなら下手なことは言わないほうがいいだろう。
『ではありがたくいただきます』
ミズキはお礼を言ってそれを懐に収めた。収めたのだが。
帰って一人になってその皮袋を開いた時顎が外れるかと思った。
今までほとんど見たことのない金貨が小さい皮袋の中に入っていたのだ。それも5枚も!
大きいほうにいたってはもう金貨だらけだ。心なしか大きさの違う金貨もあったような……。
恐ろしくて確認もしたくない。とりあえず、全部部屋に設けられていたミズキ専用の金庫に入れてある。魔力で鍵をしているので、ミズキ以外にはあけられないらしい。
この王国の貨幣は真鍮貨、銅貨が大と小、銀貨も大と小、金貨も大と小がある。真鍮硬貨をセン、銅貨の小さいのをブ、銅貨の大きいのをブーン、銀貨の小さいのをリ、銀貨の大きいのをリーン、金貨の小さいものはルン、金貨の大きいのをルーンと呼んでいる。
1番小さな貨幣が真鍮で、1枚1セン、これが10センになると小さい銅貨1枚と同価値になり1ブ、小さい銅貨10ブで大きい銅貨1枚と同じ1ブーン価値になる。大きい銅貨が10ブーンで小さい銀貨1リ、小さい銀貨10リで大きい銀貨1リーンに等しい。大きい銀貨10リーンで小さい金貨1ルンに等しく、小さい金貨10ルンで大きい金貨1ルーンに等しい。
ちなみに物価の例をあげると昼食は平均的に3~5ブーンくらいで、一般的な成人男性の平均月収は1ルンと数リーン程である。ミズキは教会に衣食住費を天引されていたので1ルンもはもらえなかった。
まず庶民の間でルーンの硬貨なんてほぼ見かけない。
つまり、ミズキはこの1ヶ月で年収以上をもらってしまったことになる。
とにかくこれは、どうにかせねばと思う。
まずはこの家にこれだけお世話になっているのだ、生活費を納めたり、あとノアやあの子達に……。
ミズキがデザートを食べ終えてスプーンを皿に戻し、移ろい行く考え事にふけっていると
「で、今度は何を考えていたんだ」
まったりしたミズキの思考回路をユリウスに現実に戻されてびくっと肩を震わせた。
「え? ……えへへ?」
取りとめもなく思うまま思考を展開していたので、どのタイミングでの思考を問われているのかわからない。
ただ、どれもこれもろくでもないくだらない、むしろ聞かれたら困るようなことばかり。
笑ってごまかそうとしたけれど
「お前が思いつめれば、ろくな事にならないのは経験したからな。最初から話して貰おうか」
ユリウスはティーカップをソーサに戻すと行儀悪く机に頬杖をついてミズキを見やった。
それがまるでもう逃さないぞと無言の圧力をかけてきて、ミズキは乾いた笑いを浮かべた。
「……別に、意外とユリウス様が人間くさいと思っただけですよ」
いろいろ余計な具体例は省いてその結論だけを端的に伝えると彼の眉根がよるのが見えた。
なにやら温度が下がった気配を感じ、慌てて付け足す。
「いや、いい意味でですよ。学生の頃女学生の間ではユリウス様はかなり神格化されてましたから」
行き過ぎた憧れや想いは、時として相手を神聖視するあまり神格化することがある。それをミズキは学生のときに感じた。
今、目の前にいるユリウスはどう見てもただの人間だ。
面倒で偏屈でお綺麗で、でも時々優しい普通の、でも結論からするとやっぱり面倒な人だ。
しかし彼の眉根はますます険しくなる。
ミズキがどうフォローしたものかと思案していると
「……俺は別にかまわないがその呼び方でいいのか? あとで実行するぞ?」
彼は低い声でミズキに確認した。
一瞬意味がわからず反芻し、ミズキは目を見開いた。
呼び方……実行、つまりミズキがユリウス様と呼んだことを怪訝そうにしているということ。
「ま、まってください! 今2人きりじゃないでしょう!?」
食事をしているのはミズキとユリウスの2人だけれど、部屋の隅にはマーロウもランも控えている。
「あれは役目だ。数に入らん」
「いやいや、入りますから!! 立派なお仕事です! 私、弟子入りしたいくらいです!」
それはすべて本音だ。特にマーロウとベネスの働きっぷりはうっとりとしたため息がこぼれそうなほど、素晴らしい。動きに無駄がなく、そしてけっして人に不快感を与えない。ちょっとやそっとにできる芸当じゃない。
ミズキが肩で息をしていると、ユリウスはほうと目を細めた。
「では、あとで今朝の返事を聞かせてもらおうか?」
ユリウスはそういうと席から立った。
ふとミズキは大事なことを思い出した。
「あのっ、ユリウス様!」
ユリウスを呼び止めると、またしてもユリウスは怪訝気に振り返る。
「なんだ?」
それにもめげずミズキは勇気を振り絞って申し出た。
「あのう、今日初めてお給料が出たので、こんなにもお世話になっておりますし、生活費を全部はとても無理でしょうから少しでもおさめられたらと思いまして……」
するとユリウスは顔面に手を当てて俯いた。ため息まで聞こえてくる。
―――あれ? なんで??
ミズキだって首を傾げたい。
ユリウスは髪の毛をかきあげると
「必要ない。欲しいものがあるならそれに使えばいい」
そういって足早に扉まで進みノブに手をかける。
ふと振り返ると
「あんまり変なこといっていたら今夜覚えていろ?」
恐ろしい捨て台詞を残した。
「っ!!!」
どうやら自分は何かを失敗してしまったらしい。
一人残されたミズキは頭を抱えていた。
今日、なるべく2人きりにならないようにしていたのに。
あと数時間で今日はクリアできると思っていたのに。
ここにきてその野望は途絶えようとしていた。




