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奥方様の持ち物事情




 帰って簡単に昼食を済ませ自室に戻ったミズキは目を丸めた。

 部屋がひどいことになっていた。

 いや、ひどくはないけれど意味がわからない状態になっていた。

 「おかえりなさいませ、奥方様」

 ベネスがミズキに頭を下げる。

 「……ただいまもどりました……が、ええと?」

 この状況は何事?

 この部屋で町中の女性を集めて服の即売会でも始めるのだろうか?

 ミズキはあたりを見回した。

 それは部屋にびっしりと並べられた、たくさんの服だった。ブラウスにスカート、ズボン、それにドレス。あと反物の生地もたくさんあった。

 それらを背後にランドルフ家の侍女以外にも女性が数名、ミズキを見て深く頭を下げた。

 ミズキもつられて頭を下げる。

 「奥方様、お好みの服をお選びください」

 ベネスにいわれて、ミズキは後ろに身を引いた。

 そういえば服をどうこうするとか言われていたか。

 「……あの、本当に修道服で十分です」

 特にそんなお高そうな洋服なんてどう扱っていいかもわからない。

 そんなミズキの応対にベネスは困ったように、背後に視線を向けた。

 ん? と思って、ミズキが振り返るとユリウスもそこにいたらしい。

 「別に修道服でもいいがな」

 ユリウスの言葉にミズキはほっとし、ベネスは怪訝そうにユリウスを見やる。

 しかしユリウスの言葉は続きがあった。

 「服は好きではないのか? ドレスも入用なだけ用意するが? 宝石がいいのならそちらでも? お前が望むならどんなものでも手に入れるが?」

 ミズキはカッと頬が紅潮するのを感じた。

 これは昨日のやり取りの性質が悪い結果だと感じたからだ。

 何しろ彼の瞳が笑っていない。

 ただ愉しんでいる様子だ。

 「それこそ不要のものです!」

 ミズキはユリウスを睨みながら言った。

 呆れを通り越して怒りさえ感じる。

 「服も宝石も私は望みません! そういうもので私を懐柔するなんてできませんから!」

 ―――昨日は一瞬ぐらっとさえしたのに……。

 ミズキの目は落胆の色が宿った。

 と、そんなミズキをおかしそうにユリウスが笑う。

 くつくつと笑むと、ミズキよりも周りの女性たちのほうが顔を赤くしてユリウスを凝視していた。

 「なるほど。贅を凝らした服や宝石ではだめか」

 ユリウスはひとしきり笑ってから改めてミズキを見た。

 さっきとは違う、挑むような目で。

 「だが、服や宝石は買うぞ。なぜならこれからお前は表に出ることが増える。ランドルフの名前でな。そのすべてを修道服や司祭服で許されると思うか? 残念ながらそんな甘い世界ではない。財を絞りつくされるのはかなわんが、それなりの身なりは保て」

 その言葉にミズキはぐっと唇を噛んだ。ベネスも神妙な顔をして頷く。

 家のことを出されてはミズキはどうにも分が悪い。

 ミズキが変なことをすれば、ユリウスに傷がつく、そういう事態だけはさすがにしてはいけないだろう。

 「……私は、儀式的な知識も作法も持ち合わせておりません。どういうときにどういうものを選べばよいのかわかりませんので、衣類についてはベネスさんに一任したいと思います」

 ミズキは早々に匙を投げた。

 わからないものはわからない、一番任せても大丈夫な人に押し付けてしまったほうが無難だろう。

 「でも、私は華美すぎるもの、派手なもの、奇抜なものは好みません。家名を落とさないよう、でも控えめで地味なものでお願いします」

 ミズキは自分の要望も織り込みつつ、ベネスを伺った。

 ベネスはそういうことならとにっこり笑むと

 「おまかせくださいませ。奥方様にお似合いのお洋服をご用意しましょう」

 ぽんと自分の胸を押さえた。

 こういうときにこんな頼もしい人がいてくれてよかったと心から思う。

 ミズキはほっと胸をなでおろした。じゃあ、もう自分はこの場に必要ないだろう、そう思ったのに、そうは問屋がおろさなかった。

 「早速ですが奥方様、こちらを合わせてみてください」

 ベネスが出したのは、ベビーピンクより少しベージュがかかった色合いでふんわり裾が広がったワンピース。共布のバラのコサージュが裾に行儀良く並べられていた。

 修道服のスカート丈はだいたいくるぶしまで来るものが主で、仕事の時はふくらはぎあたりまでのものを使用していたが、これはどこからどう見ても膝より上だ。

 「……私が、これを??」

 こんな短い衣服をミズキは一度も身に着けたことはない。

 ミズキが尋ねるとベネスは有無を言わせない迫力の微笑で頷く。

 「一応、私18になっておりますが?」

 確認のため尋ねると

 「承知しております」

 ベネスはなおにっこりと頷いた。

 もう観念するしかない、ミズキは服を受け取った。

 すぐさま侍女2人に囲まれて服を脱がされかけたとき、ミズキは視界の端で茶を飲むユリウスを見つけた。

 「あの、なぜまだこちらに?」

 「ここは俺の家だ。俺がどこで茶を飲もうが休もうが、とやかく言われる覚えはない」

 ミズキは額を押さえた。

 軽く呼吸を繰り返す。

 百歩譲ってそうだったとしよう。だがしかし。

 「私、今から着替えますが?」

 「どうぞ」

 ユリウスはあっさりといって、ソファにくつろぎなおした。

 どうあっても動く気はないらしい。とはいえ、多少の心遣いはあるのか、近くにあった本をぺらぺら読み出した。

 ミズキははあっと息を吐いてあきらめた。

 いない、いない。あの人はいない。

 さっき着たばかりの服を丁寧に脱ぐ。

 ブラウスを脱いだ時、ミズキの右腕を見た若い針子が一瞬息をのんだ。

 ミズキはそんなのにはもう慣れっこだった。

 彼女のような反応が一般的なのだ。

 申し訳ないとは思うけれど、ユリウスが目の前にいる手前、ミズキは落ち込んではいけない、そう思って耐えた。

 ベネスたちに手伝われるまま、ふわふわのペチコートを履く。

 そして柔らかい手触りのピンクベージュのワンピースを身に着けた。

 背中のたくさんのボタンを、ベネスがてきぱきはめる。ついでに髪もゆるくまとめられて、ベネスはうっとりと息をついた。

 「愛らしゅうございます」

 「……ですから私、18を越えてもうすぐ19なんですけど……」

 ミズキとしては、いまだかつてこんな服を着たことがなかった。可愛いデザインとは思う。こんなお姫様が着るような裾のたっぷり膨らんだ服だって一度はあこがれるものだ。

 しかし、しかしである。

 スカートの丈は膝上だ。今は膝までの濃いブラウンの編み上げロングブーツを履いているけれど、恥ずかしいものは恥ずかしい。こんな短いスカートは体験したことがない。

 なら嬉しくないのかといわれれば、ちゃんと嬉しい部分もあるし、非常に複雑な気持ちでミズキはもじもじした。ちらりとユリウスを盗み見れば、その夕闇色の瞳と目があって、くすりと笑んだのがみえた。

 思わず真っ赤になってミズキはまたうつむく。

 ウェスト部分をぎゅっと絞っているので、普段され慣れない締め付けに腹部を押さえた。視線も何気なくそちらに向かわせてドキッとした。

 手で押さえた腹部が見えなかった。

 やたらと胸のふくらみばかりが目に付く。ミズキはまた視線を泳がせた。

 「コルセットをしなくともこんなに素晴らしいラインが出るなんて、本当に羨ましい」

 少し経験を積んでいると思われる針子が、最後にウェストに濃いブラウンのベルベット生地の太い布をまきつけ、背中で大きく蝶々結びをしながらミズキにいう。

 「本当に。体は華奢ですが、お胸もしっかりありますし、羨ましい限りです」

 そういう言葉は、言って欲しくなかった。

 誰よりユリウスに聞かれているのが非常に気恥ずかしい。

 ミズキは何も言わず、されるがまま俯いた。

 「ユリウス様、いかがです?」

 ―――だから、そっちに触れないで!

 ベネスに押しやられてミズキは恐る恐るそちらを見た。

 「いいんじゃないか」

 ユリウスもふむと頷く。

 ―――いいって、それはどういう意味ですか! 馬子にも衣装ってことですか!?

 ミズキは及び腰になっていたけれど、ベネスにがっちりつかまれていて一歩も動けない。

 何気に力があるらしい。

 そんなへっぴり腰のミズキの首元をユリウスの神経質そうな指がさわりと撫でる。

 ぞわりとした震えが背中を駆け抜け、ミズキはくっと息をのんだ。

 「ここらが寂しいな。首元にはなにかないか?」

 「こちらに。どれになさいますか?」

 若い侍女が柔らかなビロードの生地に、いろんな宝石を乗せて運んできた。

 大きいものから小さいもの、いろいろな飾りが施しているもの、いくつもの宝石をちりばめたもの、さまざまあって目にまぶしい。

 ユリウスはそれらを一瞥して

 「どういうのが好みなんだ?」

 ミズキに問うた。

 一瞬でミズキの顔が青ざめる。

 「滅相もございません」

 これ以上の贅沢は本当に心臓に悪い。

 しかしユリウスの目つきが険しくなる。どうにも断り続けるのが難しそうな状況に

 「……どうしてもしなくてはいけませんか?」

 ミズキが恐る恐る問うと

 「そうだな。控えめなものでもいいからしておいたほうがいいだろうな」

 ユリウスが低い声で言う。

 ミズキはしばらくトレイの上を見つめた。

 どれもこれも値札はついていない。

 大きい石、小さい石いろいろあるけれど、どれも綺麗なものばかり。

 宝石なんてほとんど見た事がなかったので、チラッと見ただけでぶるりと震える。

 どれを選べばいいのかわからない。

 そのとき、ふと昔祖父が戯れに教えてくれた言葉を思い出した。

 『宝石もな、たまに自分を呼ぶのに出会えることがある。どうしても宝石を身に着けなきゃいかん時は、自分を呼ぶ宝石をつけろ。必ずお前の力になってくれるだろう』

 ―――私を呼ぶ宝石、あるだろうか?

 ミズキははあっと息を吐いた。数度呼吸をして気持ちを落ち着かせ改めて親権に宝石たちに向き直る。

 落ち着いてみれば、宝石はそれぞれに独特の空気を纏っているのが感じられた。

 その中でも一番小さな石が、とても気になった。美しいカットをしているけれど、ミズキの小指のつめの半分もない。

 色は深く淡い藍。

 ……まるで夕闇の空の色。

 ミズキは小さく笑った。

 やっぱりこれだろう。

 「この石で」

 ユリウスに言うと、彼はその石を見て固めていた表情をふっと和らげた。

 彼がどう捉えたのかはわからない。

 しかし、その瞳の色が思いがけず暖かくて……。

 ―――もうっ、そんな顔は反則だって!

 ミズキは自分の胸をぎゅっと押さえた。

 なんだか心臓に悪い。

 ミズキが俯いていると、首元を冷ややかな感触が這った。

 胸元を見れば先ほどの宝石が小さく揺れていた。

 「顔をまっすぐ上げろ」

 「えっ?」

 ユリウスの言葉が吐息交じりにうなじに吹き付けられて、ピクリと震えた。

 「噛み付くぞ」

 とてつもなく恐ろしい言葉を投げつけられて、ミズキは慌ててピシッと定規を背中にはめられたかのようにまっすぐ立った。

 すぐ後ろで起こっていることを考えるのはどうにも怖い。

 けれど、全神経を尖らせて、ささやかな彼の指の動きや、鎖のすべる感触を追いかけてしまう。

 華奢な鎖を彼の細くごつごつしたきれいな指でつなげられ、そこに柔らかなものが押し当てられた。次に当たったものはかたくてそれにぬめっとしたもの……。

 「わ、わ、わっ!!」

 ミズキは慌ててうなじを片手で押さえながら飛び上がるように逃げた。

 かろうじて噛まれてはなかったと思うけれど!

 なんかぬめって、ぬめってした!!

 顔が真っ赤になるのを感じつつ、ユリウスを見れば、彼はくつくつと笑っていた。

 「この程度のことで逃げるな」

 「この程度って!! 普通逃げますって!」

 ミズキは顔を真っ赤にしながら頭を横に振った。

 ユリウスは面白そうにミズキを見てからベネスを見やった。

 「後の手配は頼む。俺はこれをあっちに連れて行く」

 ミズキの腕をつかんだ。

 「はい。首尾よく整われますことお祈りいたします」

 ベネスがふかぶか頭を下げ、別の侍女が扉を開けた。

 ユリウスはミズキの腕をつかんですたすた進んでいく。

 「あのっ」

 一生懸命ついていきながらどうにか呼びかけた。「どちらへ行くのですか?」

 ユリウスは馬車にミズキと自分ごと乗り込むと

 「俺の実家だ」

 パタンと馬車の扉を閉じた。

 ―――実家っていうと……。

 この王国でも有数の大貴族、ランドルフ公爵の、実家……?

 ミズキの背につううっと冷たいものが伝う。

 「……そういうことはもっと早くにちゃんと教えてください!」

 儀礼的な知識やマナーがほとんどないミズキだけれど、せめて教えてくれたら服だって身につける物だってもっと積極的に考慮したはずなのに!




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