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黒水晶の竜  作者: 隠居 彼方
第4部 修復士と古の“呪い”

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13 少年剣士と“呪い”③



 その夜、ゼエンは物音で目覚めた。

 エイバが隣のベッドで眠るようになってから、夜半目を覚ますことはほぼ毎日のこととなっている。


 というのも寝入ってしばらくすると、エイバが魘され出すのだ。

 エイバは起きている間に関して言えば、呪いの影響をあからさまに表に出すことはなかったが、その一方眠りに落ちた後は、彼の身に宿るものを抑えておけないようだった。


「憎い……殺す……許さない……殺す……、殺してやる……全員、全員だ……絶対に殺しつくす……」


 低い、怨嗟の声。

 それはエイバの喉から出ているとは思えない重圧を感じさせ、その声だけで相手を殺してしまえそうだった。

 その異様さは相当なものだったが、ゼエンが声をかけてエイバが目を覚ませば、呪いの影響はどこかにすっかり隠れてしまう。


 一体何が起きて、この“呪い”は“呪い”になってしまったのだろう。

 これほどの憎悪は、どこからやってくるのだろう。

 そんなことを、再び眠りにつくまでゼエンとエイバで話したこともあった。


「親父のこともあるし、こいつのことを俺の方だって許せないと思ってる。だけど、夢の中で……、怒りだけじゃなくて、憎しみだけじゃなくて、悲しそうな泣き声を聞くこともあるんだ。胸が張り裂けそうに痛くて、ものすごくつらいのが分かっちまって、そうすると、ただ嫌うだけってわけにはいかねえんだよな……」


 そんな風に、エイバが零したこともある。


 しかしこの時は、そんないつもの夜とは違っていた。


 声はする。

 憤りを込めた声が。


 けれどそれだけではなく。


 ゼエンは高いところにある窓から差す月明かりの中、エイバが立ち上がり、彼の剣を手に取る姿を見た。

 それで己の喉でも掻き切るのではないか、という懸念は一瞬にして消える。

 エイバはむしろ落ち着いた、理性的な動きでドアに向かって行くのだ。


 ゼエンはすぐに、エイバから聞いた話を思い出した。


「しまいにゃある日、親父はうちにあった剣を引っ掴んで、すごい形相で出ていった。追いかけようにも追いかけられない速さで、茫然と見送ったもんだ……」


 同じことが再現されようとしている、とゼエンは素早く立ち上がり、エイバの腕を掴む。

 すごい形相、とエイバは言ったが、この時の彼の顔は、何かを抑えつけているかのような無表情だった。

 振り返ってゼエンを見つめるエイバの瞳は氷のように冷たく冴え、ゼエンは肌が粟立つのを感じる。


 恐ろしい、と思った。

 今までに出会った、どんな敵よりも、恐ろしい。


 思わず手を放してしまいそうになるより先に、エイバが動いて腕を振り払われる。

 軽い動作だったが力加減はされておらず、ゼエンはベッドの方まで飛ばされてしまった。


「エイバ殿!」


 声を上げるが、エイバは反応しない。

 ドアを開け、外に出て――それから彼は立ち止まった。

 進めなくなったのだ。

 ヴィゼの結界である。

 念のため、夜はエイバが敷地内から出られないように設置してあったのだ。


 エイバは――エイバの体を借りて動く何者かは、苛立ったように結界を拳で叩く。

 叩き割るつもりらしいが、そうはさせじとゼエンが後ろから剣を突きつけた。

 エイバを斬るつもりはない。稽古用の木剣だ。


「大人しくしていただきましょうかなぁ」


 苛立ちを滲ませた鋭い目がゼエンを睨みつける。

 今度はそれに怯まずに、ゼエンは魔術を使った。


 ぱきり、と音がする。

 エイバの足元を氷で固めたのだ。


 動けなくなり動揺を見せたエイバに、ゼエンは遠慮なく襲いかかった。






 その時ヴィゼは、魔術実験の真っ最中だった。


 魔術実験と一口に言ってもテーマによりその内容は様々であるが、召喚魔術の再現を目指すヴィゼが行うものは主に、それに必要な古文字の発見・解読だ。

 今はエイバを呪いから解放する方法を探っているが、やることは同じである。


 五千年前に起こった大異変により、古文字の多くが人類の手から失われた。


 古文字は古い遺跡等から発見されることもあるが、魔術士らが創作した文字から力を持つものであると判明することもある。


 問題は大抵の場合、それら古文字の意味が不明だということだ。遺跡等から見つかったものであれば前後の文脈でおおよその見当をつけることもできるが、たまたま古文字と判明したものは全くのゼロ地点からその意味を探らなければならない。


 とにかく分かるまでその古文字を用いた魔術を使い続けることになるのだが、意味の通らない魔術式であればそもそも発動しないし、発動してもよく分からない結果になったりする。正しい魔術式になっていても魔力が足りないこともある。きちんと魔術として成立してもその文字が、魔術が、命を失わせるものであることもある。


 古文字の解明には、膨大な時間と根気と運が必要なのだ。

 アサルトが五体満足で千もの古文字を発見したというのは、相当なことなのである。


 ヴィゼはと言えば、古い資料からいまだ知られていない古文字を見つけたり、自ら創作した文字の中から古文字であったものと遭遇したり、フルスにいた時から五十に満たない程の古文字を蘇らせている。

 これもかなり運が良い方であると言えた。

 彼の場合、それ以上に根気――執念が凄まじいのかもしれない。


 ヴィゼはその夜も、新たな魔術式を発動させてみようとしていた。

 当然結果を予測して実験を行うのではあるが、こと古式魔術の実験においては、予想や予測は外れるものである。

 周囲の音が聞こえないほどに集中するのは、用心の結果としても当たり前のことだ。

 普段ならば多少の騒音、振動などは彼の意識に届かず、集中が乱れることはないのだが、この時は違っていた。


 虫の知らせなのかどうか――物音がふと、ヴィゼの集中を妨げたのだ。

 次いで、何者かがヴィゼの張った結界に触れた気配。


 ヴィゼは表情を険しくして、研究部屋を出た。

 そこで彼が見たものは、ゼエンが暴れるエイバを組み伏せ、後ろ手に拘束している姿だった。








「のんびりしていたつもりはないですが、これはもう本当に悠長にはしていられませんね――」


 元納屋の方で、イスに腰掛けたヴィゼは溜め息交じりにそう言った。

 そうですなぁ、と同意するゼエンは、自身のベッドに腰掛けている。木剣はその手にしたままだ。


 そして床には、意識を失ったエイバが後ろ手に手錠で繋がれ転がっていた。


 エイバの意識を最終的に奪ったのも、手錠を持ち出してきたのもヴィゼである。

 手錠は特別な素材を使って作った魔術具で、エイバが目覚めた時また彼でなくなっていたとしても、外すことのできないようになっていた。

 手錠をヴィゼが持ち出してきた時にはゼエンも少々引いたものであったが、その必要性は理解している。


 誤解しか与えないような部屋の光景であるが、朝までは続かなかった。

 ゼエンがヴィゼに事情を語り終えてしばらくすれば、ゼエンに痛めつけられた個所と拘束された腕が痛かったのか、床の不快な感触にか、エイバが呻きながら目を覚ましたのだ。


「いってぇ……」


 その気配に先ほどの名残はない。

 それでもゼエンは木剣をしっかりと握り、ヴィゼも油断せずにエイバを見つめた。


「……? 床……? なんで床……? つうかなんか体中いてえ、は、ちょ、これどういう状況だよ!?」


 後ろ手に拘束され、床に転がされている。

 さらにはヴィゼとゼエンの二人に厳しい表情で見下ろされているとなれば、エイバが慌てふためくのも当然だった。


「……ちゃんといつものエイバみたいですね」

「そうですなぁ」

「手錠、外しても大丈夫だと思いますか?」

「おそらく」

「……あの、お二人さん?」


 二人の会話に、悪い予感しかしない。

 エイバが何となく状況を察して上目遣いになるとヴィゼは苦笑し、手錠を外してエイバが起きるのを手伝った。


「あー、やばい、血流やばい……。なぁ、俺、なんかやらかしたのか?」


 手首を振りながら、恐る恐るエイバは聞く。

 ヴィゼとゼエンは顔を見合わせ、「実はですなぁ……」とゼエンが簡潔に先程までのことを語った。


 聞き終えてエイバは、頭を抱えて座り込んでしまう。


「まじか……」

「全然自覚はないんだね」

「いつもみたいに夢を見てたとは思うんだが……」


 最早猶予はないのか。

 心臓が嫌な音を立てる。

 情けない表情になるのが分かって、エイバは立ち上がれなかった。


「エイバ、こんなことが何回も続いたら、もしかしたら君が君に戻れなくなってしまうかもしれない」


 そんなエイバに、ヴィゼは現実を突きつけた。

 エイバの肩が、小さく跳ねる。


「だから……、提案することにする」


 そう言って、ヴィゼはエイバに合わせるようにしゃがみこんだ。




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