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黒水晶の竜  作者: 隠居 彼方
第4部 修復士と古の“呪い”

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12 少年剣士と“呪い”②



 束の間の、沈黙。


 あまりにも予期せぬエイバの告白に、レヴァーレは蒼白な顔で押し黙り、ゼエンは眉間に深い皺を寄せている。


 信じようが信じまいがとエイバは言ったが、荒唐無稽な作り話だなどと、この場にいる誰もが疑ってはいなかった。

 彼らは昨日、黒い痣の異常性を見てしまっている。


「そういうことなら尚更、少なくとも僕は君の死に立ち会うようにすべきだと思う」


 最初に口火を切ったのはやはりヴィゼで、その声は全く冷静なものだった。


「……なんでだよ」

「エイバが死んだら、魔術で燃やして、灰とその下の地面ごと封印する。そうすれば犠牲者を増やすことにはならない」


 そんな発想は全くなかったので、エイバは目から鱗が落ちるようだった。


「そんなことできんのか……」

「できるよ」


 それはむしろ、魔術具がある程度普及している現在では簡単な部類に入る。

 だからといって、気の進むことではないが。


「そんなことしなくても済むようにするつもりではあるけどね」

「そうは言っても、」

「うん、安請け合いをするつもりはないんだけど……、これは僕の専門だよ」

「専門?」


 怪訝な顔をしたエイバに、揺らがずヴィゼは続ける。


「『魔術において不可能はない』。ヴェントゥスの最後の皇帝アサルトの言葉だよ。僕はこれを大言壮語だとは思わない。魔術にできないことはないんだ。だから僕は、魔術で呪いを引き剥がすよ」


 ヴィゼのその自信は一体どこからやってくるのだろう。

 いや、自信ではないのかもしれない。

 ただ信じたいだけなのかもしれない。

 それでもヴィゼの言葉は決して薄っぺらいものではなく、その迫力のようなものに、エイバは呑まれた。


「ヴィゼさん、思いつくことがあるんやね? うちも手伝える?」

「はい、レヴァーレさんにはよければ……その、これは私情も入るんですが、協会の魔術資料……ちょろっと横流しとか、できます?」

「それくらい、ええよ」


 軽く引き受けたレヴァーレに、エイバとゼエンは噎せた。


「いやそれ、駄目なやつだろ……」

「人命に関わることやし、ヴィゼさんなら悪用せんやろ?」

「そこは胸を張ってはいとは言えませんが……、できる限りそうします」

「そこで素直にそう言ってしまうとこ、ええと思うで。それ以外にも、うちにできることがあったら何でも言うてな」

「ありがとうございます」


 ヴィゼがあまりにも泰然自若としているので、レヴァーレも落ち着きを取り戻し、その頬には赤みが戻っている。

 悲観的になりそうな自分を押し込めて、エイバが死なずに済む未来を、彼女は信じたのだった。


「ゼエン殿、僕はこれからそういうつもりで動きます」

「はいですなぁ。もちろん私も、弟子を見殺しにするつもりはありません。私にできることならば何でもやらせてもらいますなぁ」

「それなら早速」


 ヴィゼは笑顔で言った。


「エイバの宿、一緒に引き払いに行きましょう」

「は……は!? おい、ヴィゼ!?」


 レヴァーレとゼエンの言にじんわりと来ていたエイバだったが、ヴィゼの発言に思わず大きな声が出た。


「エイバ、レヴァーレさんがすっかり治してくれたとはいえ怪我人なんだから、そんなに興奮しちゃ駄目だよ」

「いやお前が興奮させてんだろうがよ。なんで宿を引き払うとかいう話になるんだ」

「そりゃあエイバは今日からここに住むからだよ」


 当然のごとく、けろりと答えられる。

 エイバは貧血のせいではなく眩暈がした。

 気の毒そうにレヴァーレが見てくるが、止めてくれる気配はない。

 そうした方が良いと、彼女も思っているのだ。


「何かあった時、事情を知ってる僕たちがいた方が何かと都合が良いよ」

「そう、とは思うが、……狭苦しくなるぜ。ベッドを三つ並べるのもきついだろ。それに、同居となると気に食わないことがいっぱい出て来るだろうし、」

「エイバの問題が片付くまでのことだよ。ベッドのことは大丈夫。僕は研究部屋の方で寝るから。エイバにとって悪い話じゃないと思うけどな。ゼエン殿の稽古もつけてもらいやすくなるし、宿代を節約できる」


 断ろうと試みたエイバだったが、ヴィゼにさらりと躱された。


「僕としても、エイバに逃げられる心配をしなくて済む。せっかくの魔術実験の被検体にいなくなられるのは惜しいからね」


 ヴィゼは微笑んだまま、そう告げる。


 レヴァーレとゼエンがあからさまな台詞に顔を強張らせ、エイバは一瞬拳を強く握って、すぐに力を抜いた。


 ――こいつは本当に、年下なのにとてもそうとは思えない気を回してきやがる……。


「逃げねえよ」とでも、「俺は実験体か」とでも、怒った方がきっとヴィゼの期待通りなのだろう。

 ヴィゼはエイバが一人で死地に行くことを望んでいないから、逃げないと言わせたいのだろうし、実験の被験者としてエイバを扱うことで、エイバの心理的負担を減らそうとしているのだ。

 エイバがそうと悟っても、それはヴィゼの思いを、覚悟を明白にして、エイバを彼らから離れがたくする。


「……それじゃ魔術士さん、俺で実験するなら、ちゃんと成果は出してくれよな」

「――もちろん」


 ここまで言わせておいて、逃げるわけには確かにいかない。

 エイバは腹を決めた。

 拳を前に突き出せば、ヴィゼは笑みに苦さを加えて、それに応える。


 悪役めいたヴィゼの言葉を、レヴァーレとゼエンも誤解していない。時折ヴィゼは、自虐的に意図的に、そういう振る舞いをすることがあった。


 だから二人もそっと微笑んで、四つの拳がぶつかり合った。








 ――これも駄目だったか……。


 ヴィゼは研究部屋で一人、頭を抱えた。

 エイバがヴィゼたちの同居人となってから――エイバがヴィゼたちに事情を打ち明けてから、早一月。

 ヴィゼはいくつかの古式魔術を試していたが、エイバの呪いに変わりはなかった。


 変わりがないというのは、良い意味も孕んでいる。

 四人は引き受ける依頼を増やし、エイバは毎日魔物を倒しているので、呪いの進行がほとんどないようなのだ。


「相性も悪いみたいなんだよな」


 エイバはそんな風にも言った。


「親父の時はもっと深刻そうだったが、俺は今のところ幻聴はそうない。夢見が悪いことはあるが……。この呪いの元になったのと俺じゃ、違いすぎるのかもしれねえな」


 夢見が悪い、の辺りで歯切れが悪かったので、おそらく言葉以上にエイバは眠りを侵されている。

 ゼエンもエイバがよく魘されている、と言っていた。


 ――あまり時間はかけられない。


 レヴァーレも欠かさずエイバについて任地に赴いており、疲れを隠せなくなってきている。

 ヴィゼとゼエンはまだ、エイバが応援に行く時などに体を休ませているが、レヴァーレはエイバを一人行かせることに抵抗があるようだった。


 ――やはり、“全視の魔術”を使うか……。


 ヴィゼは眉間に皺を寄せて考え込む。

 しかしそれは、最後の手段だ。

 安易に使ってはいけないと、穏やかな顔を崩さなかったひとが、口元の笑みをなくし、真剣に念を押した。

 その声を思い出す。

 ヴィゼは思いついた最も確かな方法を、まだ早い、と結論づけた。


 ――それなら次は、どう魔術式を組み立てるべきか……。


 時刻は未明から早朝に近付きつつあったが、ヴィゼは時間のことなどすっかり忘れ、あちこちに積み重ねられた本や書類を引き寄せる。

 ヴィゼも睡眠時間を相当に削っていたが、事が事のためゼエンの小言も最近は少なかった。

 とはいえそれで体調を崩してしまってはエイバが気に病む。ただでさえヴィゼたちに迷惑・負担をかけすぎていると、表には出さないようにしているが大層気にしているようなのだ。

 好き勝手に魔術研究に没頭している時とは違い、ヴィゼも彼なりに体調管理には気をつけていた。


「そんなに無理しなくていいんだぜ」


 いつだったか、エイバは苦笑して言った。

 毎日魔物退治に付き合ってくれるだけでも十分なのだから、と。


「無理なんてしてないよ」


 それはヴィゼの本心だった。

 睡眠時間より魔術研究を優先するのはフルスにいた時からだ。


「気にしないで。研究に夢中になって他のことを忘れちゃうのは今に始まったことじゃないから」


 何度も目にした事実であるから、エイバは程々にと言って引き下がったが、それはヴィゼの決意をより固める結果となった。

 いつどうなるか分からない呪いというものを抱え不安でいっぱいだろうに、他人のことを気遣うエイバを、助けなければならない、と。


 ――もう、誰かを見殺しになんてしたくない。せめて目の前のひとくらいは助けたい。悔しさを噛みしめるだけで終わるのはもうたくさんだ……。


 ヴィゼは決して正義漢ではない。

 それでも彼が強くそう思うのは、父領主の元で謂われなく殺されていく人々を、嫌になるほど見てきたからだった。亡くなった者の家族たちが嘆く様を、ヴィゼは何度目にしただろう。

 ヴィゼは彼らを救うことができなかった。

 ちっぽけで無力な少年だったヴィゼは、見ているだけしかできなかった……。


 エイバを助けたいと思うのは、ヴィゼの贖罪であり我儘なのである。

 だからエイバは本当に、何も気にしなくていいのだ、とヴィゼは思っていた。

 けれどエイバに己の罪深さを打ち明けることはできなかった。

 冷たい目で見られても、距離を置かれても文句は言えない――だが今はまだ、この温かい関係を続けていたかった。

 せめてエイバのことを、助けさせてほしかった。








 ――また、この感じ……。


 どきり、と心臓が嫌な音を立てる。

 レヴァーレは咄嗟に右手を胸元に伸ばした。

 彼女の視線の先には、一人佇むエイバの姿がある。


 この日二人は、あるクランの応援要員として討伐任務に参加していた。

 ヴィゼたちは休みである。

 エイバは日々彼の戦いに同行しているレヴァーレにも休むよう言ってくれていたが、レヴァーレは多少無理をしてでも彼についていかずにはいられなかった。

 目を離したら、その間にエイバが消えてしまいそうで。


 今も、そうだ。

 夕闇の中、たった一人立つ彼は、まるでいつもと異なる雰囲気でいた。

 エイバを取り巻く冷たい空気は、彼らしくないものである。

 そんな風に近寄り難い空気を纏う回数が最近増えている気がして、レヴァーレは心穏やかでいられない。


 戦闘中は戦闘中で、容赦のない体使いをしている。

 出会った当初は将来有望、としか感じていなかったが、ここのところの彼の剣捌きは尋常ではなく、人間離れした、という形容が似合うようになっていた。


 ――ゼエンさんも、ひどく魘されとるて言うとったし……。


 このまま、何もできないまま、彼はどこかへ行ってしまうのではないか。

 何とも知れない不吉なものに、攫われて。

 レヴァーレは、それが怖い。


「エイやん!」


 エイバを引き戻すように呼んで、レヴァーレは駆け寄った。

 振り向くエイバは、いつもの愛嬌のある笑顔を浮かべていて、レヴァーレは心底ほっとする。


「狩り残しの心配はなさそうや。引き上げやて」

「了解」


 既に戦闘は終了していた。

 辺りには血の臭いが充満しているが、とっくに感覚が麻痺してしまっている二人は気にせず、他クランのメンバーと声を掛け合いながら、馬を預けた場所まで移動する。

 このクランでは素材回収は新入りの役目らしく、ここからはお役御免ということだったので、遠慮なく帰路についた。


 キトルスに戻ると、すっかり夜になっている。

 時間が時間なので、エイバはレヴァーレを宿舎まで送った(キトルスの協会には職員向けの宿舎があり、レヴァーレはキトルス異動を機に一人暮らしを始めていた)。

 何度かあったことなので、エイバが道に戸惑うこともなく、二人は宿舎を目の前にする。


「明日はヴィゼたちもいるし、レヴァは休んでくれて大丈夫だぜ」

「休んだりせんよ。ちゃんとついてくからな」


 何度繰り返したか分からないやりとり。

 強情に首を振るレヴァーレに、エイバは困ったように頭を掻いた。

 レヴァーレが心配してくれる気持ちが分かるからあまりしつこく言わずに来たが、今日は遠出したこともあり、彼女の顔に見える疲労の色がいつもより濃い。


「……あんたに倒れられるのが、一番堪えるんだけどな」

「……それはうちも同じや」


 素直な言葉を重ねれば、ほんの少し揺れた声が返ってきた。

 顔を逸らして告げたレヴァーレは、徐々に視線を下げて俯く。


「休まれんのや。もしエイやんが、帰ってこんかったらて、想像してしもたら……。やから、ついていかせて。むしろその方が夜、ちゃんと休めるし」


 その告白に、エイバは言葉を失った。


「ごめんな、不安なのはエイやんの方なのに……。ほんま、ごめん」

「……謝るこっちゃねーだろ」


 小さく肩を震わせる彼女を抱きしめたい、とエイバは強く思った。

 けれどそんな資格はない、と両腕を伸ばすことができない。


 エイバは仲間たちの気持ちを嬉しく思う一方で、遠くない未来己の命がなくなってしまうことを疑っていなかった。

 少しでも長く生きていたいと思う。仲間たちとの日々が終わらなければと願う。

 しかしそれは、儚い望みだ。

 父は二年ももたなかったのだ……父の中で成長した呪いを宿したエイバが、一体どれほど生きられるだろう。


 何とか表に出さないよう、押し込めようと彼が常に戦う、エイバに憑りついた誰か(・・)

 その想いが、怨念が、じわじわと己に染み込んでいくのを、当然ながらエイバ自身が最も強く感じているのだ。

 諦めるなという方が無理な話だった。


「あんまり泣くと、目が溶けちまうぞ」

「うち、そんな泣き虫やないはずなのになぁ、もう、エイやんのせいやで」


 時折しゃくりあげながら、レヴァーレは泣いて笑った。

 エイバは堪えられずに手を伸ばして、手のひらでその涙を拭う。

 どうしようもなく愛しい、と思った。

 胸が締めつけられ、顔が歪みそうになるのを堪えながら、しばらくその温もりを甘受する。


「……ありがと」


 ようやく涙が引っ込んだらしいレヴァーレは照れくさそうに、エイバの手を握って、離す。


 そのはにかむような笑顔を暗闇の中目に焼き付けながら、エイバは死にたくないと、改めて強く思った。


 本当は、諦めたくない。

 彼女と、新しくできた仲間と、生きていきたいのだ。


 近い未来に見えるのが死であることに変わりはない。

 けれどどこまでだって足掻こう、足掻いてみせよう、と彼は誓った。




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