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黒水晶の竜  作者: 隠居 彼方
第4部 修復士と古の“呪い”

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10 少年修復士と友人



 ヴィゼが研究部屋の片付けを一応のところ終えたのは、結局その二日後のことだった。

 大量の魔術資料の整理に時間がかかったのだ。


 フルスで入手していたそれらの資料を、ヴィゼは自身の手で持ち運ばずにいた。

 どう考えても、モンスベルクへの旅路の足を引っ張る量だったからだ。

 だからヴィゼは箱詰めにした資料を、フルスでの協力者たち(・・・・・)に預けていた。


 父領主を失脚させるために集まった協力者――仲間たち。

 あの男により家族や大切なものを奪われた人々は、ヴィゼが父領主の元で働き始める前から打倒のために細々とだが活動をしていた。

 彼らの協力を得られたからこそ、ヴィゼはかの領主を処刑にまで追い込めたのだ。

 彼らに害が及ばぬようにと、王宮に乗り込んだのはヴィゼだけだったけれど。


 ヴィゼは父領主の不正の証拠を提出しすぐに国を出たから、彼らのその後を知らなかった。 

 復讐を遂げた仲間たちが散り散りになった後、新たな生活を無事送れているか、ヴィゼは案じていたのだが――。


 それは杞憂だったようである。


 預けてあった荷物は無事にヴィゼの手元に届いた。

 届いたというか、魔術で荷物を転移させたのだが、それらにはヴィゼが資料を回収する時にと、仲間たちからの手紙が添えられていたのである。

 フルスを離れてそこまでの月日が経ったわけではない。

 けれど懐かしく仲間たちの字を見、ヴィゼは彼らの近況を目で追った。

 どうやら全員、それぞれ向かった土地で元気にやっているようだ。


 ヴィゼはほっと胸を撫で下ろし、資料整理に打ち込んだのだった。




 そうして住居は整ったが、生憎ヴィゼの生活は乱れた。

 荷物を片付けるのに二日、ぐったりするのに一日を使い、その後ヴィゼはとにかく研究部屋に閉じこもるようになったのである。


 フルスからここに至るまでの時間、表にはあまり出さないものの、ヴィゼは焦れていた。

 一秒も惜しまず“あの子”と再会するための時間に充てたいのに、それができなくて。


 だがこれからは、思う存分打ち込めるのだ。


 箍が外れたようにヴィゼは資料を漁り、実験を繰り返した。外に出るのは新たな魔術資料のために情報を集めに行く時か、修復の依頼が入った時ぐらいである。


 ――食事も睡眠もとらずにいられる魔術式とか、構築できたらいいのになぁ……。


 そんなことまで考えていたヴィゼだが、とうとう睡眠不足で体調を崩してしまう。

 食事はゼエンのおかげで毎日三食とっていたヴィゼだが、睡眠は圧倒的に不足していたのだ。


 ヴィゼはゼエンの看病もあってすぐに回復したが、それに懲りて反省したのはヴィゼよりもゼエンの方だった。

 まだ遠慮が残っていたゼエンはヴィゼの不摂生にあまり口出しできずにいたのだが、同居人の健康のためにはそれではいけないと腹を括り、口も手も出すようになったのである。

 手を出すといっても暴力を振るうわけではない。

 言葉だけではヴィゼがなかなか動かないので、無理矢理にでも机から引きはがし、ベッドに押し込むようになったのだ。

 最初にそれをされた時は本当に吃驚したもので、その時の有無を言わせないゼエンの様子にヴィゼは<鮮血の餓狼>という二つ名を思い出し、少しだけ自分の生活を見直すことにしたのだった。






 そうやって、ヴィゼがゼエンのおかげで人らしい生活を取り戻し始めた頃である。


「ヴィゼさんとゼエンさんにお願いがあるのですが……」


 ある日仕事のために協会へ行ってみれば、レヴァーレにそう切り出された。


 お願いの内容を聞いてみると、駆け出しの戦士を一人、一緒に仕事に連れて行ってほしいということである。

 全くの新人ながら、ソロ希望の戦士――どうやらヴィゼたちと同じように何らかの事情持ちらしい、と察するのは難しいことではない。

 しかしレヴァーレの口ぶりでは悪い人間ではないようであるし、彼女にはいつも世話になっている。

 ヴィゼとゼエンとレヴァーレ、三人の連携にも随分慣れたし、フォローは難しくないだろう。

 ゼエンの反対もなかったので、ヴィゼはレヴァーレの頼みを了承した。




「こちらが先ほどお話ししましたエイバさん。エイバさん、こちらは魔術士のヴィゼさん、それから魔術剣士のゼエンさんです」


 場所を移し、協会の個室で、ヴィゼたちは件の新人戦士と顔を合わせた。

 実際に顔を合わせてみると、レヴァーレの言に間違いはなかったということが分かる。

 エイバという名の少年は、なるほど好感の持てる人物だった。

 見るからに年下のヴィゼを侮るような言動など見せないし、緊張を隠せずにいながら、礼を忘れず、聞くべきことは聞く。

 呑み込みも早く、これならば大丈夫だろうと任地に赴けば、戦場での振る舞いは拙いながら堂々として、見どころがあると思えた。


「良い御仁でしたなぁ」

「そうですね」


 だから任務が終わり解散した後、ゼエンがしみじみと零した言葉に、ヴィゼは素直に頷いていた。


 ヴィゼはこれまで友人というものを持ったことがない。同年代の少年少女と過ごすことがほとんどなかったからだ。

 そのためエイバとどう接したものか実は戸惑ったりもしていたのだが、緊張が解けてくればエイバは気さくに話しかけてくれ、それが何となく新鮮で、友人というものはこんな風なのかもしれない、と思ってみたりもしていた。


 とはいえ、今後仕事で顔を合わせることはあっても本当に友人同士になるようなことはないだろう、とヴィゼは考えていた。

 危うい橋を渡っているヴィゼが親しい相手を作ったところで、良いことにはならないのだから。




 しかし、ヴィゼのその予想は裏切られる。

 レヴァーレの采配によりエイバとパーティを組むことは常態化し、さらにエイバがゼエンに弟子入りを請い、ゼエンがそれを受け入れたことで、エイバとの交流は減るどころか増えたのだ。

 気付けばヴィゼはエイバと、友人関係のようなものを築くにいたっていた。


 ――いいのかなぁ……。


 ゼエンとの距離感でさえ、いまだに困惑することの多いヴィゼである。

 エイバとの友人関係についても度々不安に襲われた。

 ヴィゼはフルスにいた時から、これから先誰かと深い縁を結ぶことはないだろう、と思っていたのだ。

 “あの子”だけがいてくれればいいし、“あの子”といるためには他の人間と深く関わることは避けるべきだ、というのがヴィゼの判断だった。


 それなのにゼエンとは四六時中一緒にいて生活の面倒を見てもらい、レヴァーレとは仕事上だけの付き合いだが他の協会職員・戦士たちより親しくしているし、エイバとは仕事以外でも毎日のように顔を合わせている。


 ヴィゼも殊更孤独を好むわけではないし、今の状況が嫌なわけではない。

 けれど、だからこそ。

 いつかその時が来たら。


 ――僕は上手に切り捨てられるだろうか……。


 別れというものは誰にでも必然的に訪れるものであるが、端からそんなことを考えている時点で誰かの友人などと名乗れるものではないだろう。ヴィゼは自嘲気味に考えた。


 だがきっと、そこまで深刻に考える必要はない。

 魔術資料さえ集めてしまえば、この地の利便性を捨てるのは惜しいが、どこへなりとも消えてしまえば良いのだから。


 それより先に、そんなヴィゼにエイバが見切りをつけることもあるかもしれない。

 そうならなくとも、エイバは付き合いやすい男だ。ざっくばらんで親しみやすく、馴れ馴れしいかと思いきや敏くもあって、他人の心に無遠慮に踏み込むようなことはしない。そんな人間であるから、ヴィゼ以外の仲間や友人はこれからいくらでも増えていくだろうし、そうすれば今ほど顔を合わせることもなくなるはずだ。


 ――はず、だと思うけど……。


 それも、エイバの抱える問題が解決してからのことだろう。


 駆け出しの剣士で、人好きのする性格でありながら、クラン加入を拒み他人と深く関わることを避けているエイバ。

 事情持ちであることは最初から分かっていたが、彼と同じ時を過ごすにつれ、ヴィゼの中で違和感は大きくなるばかりだった。


 何故、頑なにソロに拘るのか。

 そして彼の、身体能力の異常。


 共に戦場に出れば、彼の筋力と頑健さは並外れていると感じられた。

 最初は剣を扱いかねているところもありそこまで妙とも思わなかったのだが、最近では大物の魔物を一刀両断にすることもある。

 魔物の魔術で地面ごと吹き飛ばされた際、ひどく体を打ちつけたように見えたものの、平気で相手を返り討ちにした、ということもあった。

 レヴァーレの障壁はあったものの、その時エイバは結構吹っ飛んだので、ヴィゼたちは血の気が引いたものだ……。


 最近では、エイバは休みなく毎日仕事に出ているようである。

 まるで一日でも戦うのを止めたら、そこで息の根が止まってしまうかのように。

 その様子に、ヴィゼは憂慮を覚えずにはいられない。


 さらにもう一つ、ヴィゼには気がかりがあった。

 エイバの魔力は、何かがおかしいのだ。

 全く別のものが混ざり合っているように感じられるのである。

 もしかするとそれが、エイバの抱える秘密なのかもしれないと、ヴィゼは考えていた。


 けれど、それ以上思考を進めないようヴィゼは己に命じる。

 同様に秘密を持つ身であるから、それに触れられる痛みや不快感は誰よりもよく、分かっていた。






 ――だけどそれは、単なる思考停止だったのかもしれない……。


 目の前で血を流して倒れるエイバを見下ろし、ヴィゼは後悔に襲われていた。


 キトルス西の森。

 その手前でヴィゼとゼエンはレヴァーレと出会い、エイバが一人で森に入って行ったと聞いた。

 この森は、二つ名持ちでも一人で入っていくような場所ではない。

 放っておけるわけはなく、三人でエイバを追った。

 そこで、エイバが一人魔物に立ち向かう場面に行き会った……。

 エイバはやられる一歩手前で、ぎりぎり間に合ったものの、少しでも追いつくのが遅れていたらと思うとぞっとする。


 今はレヴァーレが必死で治療魔術を行使しており、エイバの傷は塞がってきていた。

 次々に魔術式を展開するレヴァーレは、涙が零れ落ちていないことが不思議なくらいの形相だ。

 レヴァーレのエイバへの想いは、ヴィゼもゼエンも察するところである。

 彼女が今この時どれほど胸を痛めているか――、ヴィゼは遠ざかっていく黒い影を脳裏に思い浮かべてしまい、そっとレヴァーレから視線を逸らした。


「ヴィゼ殿」


 またいつ魔物が現れるとも知れない。

 動揺を押し殺し、周囲を警戒していたヴィゼを、ゼエンが呼んだ。

 エイバの頭の傷の止血を終えたゼエンは胴体の方に作業を移していたが、その途中で何かに気付いたようである。


「これを……」


 ヴィゼは屈みこみ、ゼエンが示したそれに目を細めた。

 血を拭った下のエイバの胴と右腕には、真っ黒な痣が広がっている。

 そして、その痣がある部分だけ、全くの無傷なのだ。

 そこ以外の傷を見てしまえば、それが異様であるのは一目瞭然だった。


 レヴァーレが息を呑む音が、やけに大きくヴィゼの耳に届く。


 ――これが多分、エイバの秘密(・・)だ……。


 それを見てしまった後ろめたさと戸惑いで、三人の瞳は揺らいだ。


 その中で、ヴィゼは一人、その不吉なまでの黒を、何故か少しだけ、羨ましいとも感じていた。




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