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黒水晶の竜  作者: 隠居 彼方
第4部 修復士と古の“呪い”

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09 少年修復士と新生活



 翌日、ヴィゼはゼエンを伴い、家探しを行った。


 宿を使い続ける、という選択肢はヴィゼにはない。

 これから本格的に魔術研究を進めていくつもりだが、それには資料置き場と実験スペースと、相応の面積が必要だ。実験によっては建物を壊してしまう可能性もあるし、何よりヴィゼの研究は禁忌に触れるものだ。もちろん厳重な結界を張るつもりだが、他者の目に触れるリスクは限りなく低くしておきたかった。


 研究内容には詳しく触れないようにしたものの、魔術研究に関してはモンスベルクへ至るまでの道中でゼエンにも話をしてある。

 朝食の席で「今日は物件探しに行きましょう」と口にすれば、いつものように穏やかな首肯が返ってきた。

 監視役のゼエンが同居することに関して、ヴィゼは疑問を抱かず尋ねる。


「ゼエン殿は何か条件とかありますか?」

「そうですなぁ……、調理スペースは広い方が良いですなぁ」


 ゼエンにしっかり胃袋を掴まれているヴィゼは、その条件は絶対に妥協しない、と心に決める。


 幸いなことに、宿の者に聞いて向かった不動産仲介屋で、ヴィゼたちは早々に住居を決めることができた。

 これと決めたのは実際には納屋と厩舎であるが、そもそも物件選びであまり時間を使いたくなかったこともあり、迷わず購入する。

 改築の手配もてきぱきと済ませ、一月後には宿から移れるよう段取りをつけた。


「改築が終わるまでにこまごまとしたものを買い揃えておかないといけませんね」

「そうですなぁ」


 一日で住居の問題が片付き、ヴィゼは肩の荷を下ろした気分で宿へ戻る。

 しかし隣を行くゼエンは、どこか浮かない顔だ。

 ヴィゼは首を傾けた。


「ゼエン殿、どうしました?」

「……ヴィゼ殿、やはり半額は出させてほしいのですが……」


 ゼエンが言うのは、住居プラス改築の費用を全てヴィゼが出したので、そこを折半にしてもらいたいということである。

 ゼエンも暮らすことになるのだから、ヴィゼに全てを負担してもらうのは申し訳ない、というのがゼエンの主張だった。


 ちなみに、二人は二人で使うお金に関して、不公平がないように出し合っている。そのため余計に、ゼエンは気にしてしまうのだろう。


 ――まあ、監視役がその相手に借りがあるんじゃ、落ち着かないのは当然か。


 それでもヴィゼは、譲歩するつもりはなかった。

 貸しているなどと、ヴィゼは全く思っていなかったからだ。


「何度も言うようですが、住居の購入に関しては僕のわがままですから」

「しかし……」

「それに、ゼエン殿には食事を中心にこれからもお世話になることになるでしょうし。できるかぎり僕も手伝うのはもちろんですが、研究に熱中していると昼夜を忘れてしまいますから……。その負担を考えれば、僕がお金を出してちょうどいい、どころかこれから毎日ということを考えるなら足りないくらいだと思いますよ」


 それがヴィゼの本音だった。


「それに、……僕が家を吹っ飛ばすかもしれない可能性を考えると、僕が出すのが絶対というか……」


 思わず小さくなった言葉の後、ゼエンは溜め息を一つ吐いて、今度こそ折れてくれた。


「分かりました。では、ヴィゼ殿がお腹を空かせることがないようにいたしましょう」

「よろしくお願いします」


 ヴィゼが頭を下げ、話は終わったかに思われたが、少し歩いて、再びゼエンは口を開く。


「ヴィゼ殿。……なるべく家は壊さないように、お願いしますなぁ」


 割と真顔で釘を刺されて、ヴィゼは目を泳がせるしかない。


「……多分大丈夫です。ちゃんと結界は張っておきますから」






 それから二人は、日々日用品等を揃えながら街を散策し、キトルスの地理を把握していった。

 もちろん毎日ぶらぶらしていたわけはなく、物件が決まった翌日には協会へ赴き、仕事をもらっている。


 ただ、協会では再度彼らに問題が降りかかった。

 クラン加入の誘いが早速舞い込み始めたのである。

 主にそれはゼエンに向けてのものだったが、ヴィゼも修復士として注目されていた。

 しかしヴィゼにクラン加入の意思はなく、その監視役であるゼエンが一人どこかに所属するわけにはいかない。

 何とか無難に躱したが、これから先が少々思いやられるスタートだった。


「重ね重ね、申し訳ありませんなぁ」

「いえ……顔が売れているのも大変ですよね。それに、これは僕のせいでもありますから」


 罪人であることで面倒をかけるかもしれない。だからどのクランにも所属するつもりはない、とヴィゼはゼエンに告げていた。

 確かにそれもあるのだが、ヴィゼが禁忌を犯そうとしているから、というのが本当の理由の大半を占めている。

 もしどこかのクランに所属すれば、いつかそこに多大なる迷惑をかけることになるのだ。

 ヴィゼが首を横に振るのは当然だった。


 ――協会への所属っていうのも、そういう意味では申し訳ないことになるのかもしれないけど……、かといって本当のフリーじゃ、目的までの距離が遠くなりすぎるからな……。


 そんなことを心の中で呟きながら向かった受付で二人を迎えてくれたのは、太陽のような笑顔が印象的な若い女性職員だった。

 レヴァーレという名の彼女は、無所属のヴィゼたちに詮索めいたことは一切言わず、二人向けの依頼を探してくれる。

 ゼエンの素性を知っても挙動不審にならないところも有り難い。

 ヴィゼたちは彼女の薦めてくれた依頼を受けることにしたが、そこで想定外のことが起きた。


「希少な修復士を失うわけにはいきません。私もついていきます」


 そうきっぱりと言ってのけたレヴァーレと、任務を共にすることになったのだ。

 彼女を撥ね退けることを、ヴィゼは躊躇した。


 聞いてみれば、レヴァーレは治療術師であり、防御魔術にも長けているという。

 他人と関わる機会を減らしたいヴィゼが、魔物討伐に少人数で行くという危険を冒して怪我をするのは自業自得だ。しかしそれにゼエンを巻き込みたくはない、とヴィゼは考えていた。

 レヴァーレがパーティに加わってくれるなら、ゼエンの安全が確保されることとなる。


 それが彼女を拒絶しなかった一番の理由だが、もう一つは、純粋に心配してくれているらしいレヴァーレを傷つけてしまうことが憚られたからだった。

 修復士を、などと口にしながら、彼女が二人をただ案じてくれているのは伝わった。

 ヴィゼはその心配に値するような人間ではないのだけれど、だからこそそんな彼を気遣ってくれるようなひとを、その思いを迂闊には扱えない。


 そういうわけでヴィゼたちはレヴァーレという仲間を増やし、魔物討伐及び綻びの修復に向かい、三人とも無傷で帰還した。

 特にレヴァーレには怪我がないようにとヴィゼは考えていたのだが、彼の想像以上に彼女は頼もしく優秀だった。少々侮っていたかと申し訳なくなったり、フルスにいた時に彼女のような人材がいたらなぁ、と遠い目になったりしたくらいである。


 それから、ヴィゼたちが二人だけで任務に赴こうとする際には、基本的にレヴァーレがついてくれることとなり――他の戦士たちからの嫉妬の眼差しが痛くなる、という副産物も生じることとなったのだった。






 そうこうしていると一ヶ月などあっと言う間だ。

 家の改築が終わり、ヴィゼとゼエンは宿を引き払った。


「随分と見違えましたなぁ」

「ちゃんと『家』ですね」


 元納屋と元厩舎は当然ながらすっかり面影を変え、打ち捨てられていた風情は全くなくなっている。

 しっかりやってくれているなぁと、二人してあちこち見ながら、元納屋の方に荷物を運び入れていった。

 といっても、そう大量のものがあるわけではないので、元納屋への運び入れは割とあっさり終わってしまう。


「それでは、食料品の買い出しに行ってきましょうかなぁ」

「荷物持ち、いりますか?」

「いえいえ。ヴィゼ殿はどうぞそちらの『部屋』を整えてください」

「それじゃあ、お言葉に甘えて」


 ゼエンを見送り、ヴィゼは元厩舎の方へ近づいた。

 この物件の魅力は、納屋と厩舎の二つセットだった、ということだ。

 部屋数の多い物件も悪くはなかったが、魔術研究のことを考えると――もっと言うと万一吹っ飛ばしてしまう時のことを考えると――別々の建物がある方が都合が良かったのである。


 元厩舎の方を研究部屋としてもらうことにしたヴィゼは、まず扉にしっかりとした鍵を複数とりつけ、さらに結界を何重にも張り巡らせた。

 ヴィゼが実験で被害を出さないようにするのはもちろん、ヴィゼ以外の人間が決して中に入れないようにするための結界だ。

 魔術式は以前から考えてあったので、結界を張り終えるのに時間はかからなかった。

 ただし魔力はごっそり持っていかれて、地面にずるずると座り込んでしまう。


 ――こんなに魔力使うの、久しぶり……。


 ゆるゆると、何とはなしに空を見上げた。

 澄んだ春の、青い空。


 ――“あの子”が飛んでいった空も、こんな風に青かったっけ……?


 もうあまり、思い出せなかった。


 ただ記憶に焼き付いているのは、黒い煌めき。

 小さくなっていく、“あの子”の影……。


 胸に痛みを覚えて、ヴィゼは膝を抱える。

 泣いてしまいそうだ、と思った。


 ――少しは近付けているのかな……。


 答えは、返らない。


 ふう、と自分を落ち着けるために深く呼吸をした。

 ヴィゼはのろのろと立ち上がり、作業の続きにかかる。

 立ち止まっている暇はない、と思った。






 ヴィゼが研究部屋をちまちまと整えていると、いつの間にか戻ってきたゼエンが昼食を差し入れてくれた。

 人が部屋の一定距離に近付くとヴィゼに教えてくれ、ヴィゼが許可した相手は問題なく結界内に入れる。それらの結界の機能はちゃんと動作して、ヴィゼは満足感を覚える。


「ヴィゼ殿、どうぞ」

「ありがとうございます。もうそんな時間なんですね」

「熱中していたようですなぁ。何かお手伝いすることはありますか?」

「いえ、大丈夫です。ただ、夕食の時はまた声をかけてもらってもいいですか?」

「分かりました。夕食は腕によりをかけて用意しますなぁ」

「楽しみにしてますね」


 宿暮らしの間はゼエンの手料理にはあまりありつけなかった。

 少し心が弾んで、ヴィゼは微笑する。

 途端空腹を覚え、ゼエンが出ていって早速、パンに噛り付いた。


 ――そう言えば、一人で食事するのも久しぶり……?


 フルスを出てからは常にゼエンと一緒だった。

 今日が例外で、おそらく熱中していたヴィゼを慮ってくれたのだろう。

 すぐに食べられるパンを渡して、ゼエンはすぐに行ってしまった。


 ――ゼエン殿は……僕の面倒を見すぎ、というか、気を遣いすぎ、じゃないだろうか……。


 元々世話焼きなのかもしれないが、このことを考えるといつも腹の据わりが悪くなる。

 フルス国王の、褒美だとか世話だとか、そんな言葉が頭をよぎった。

 いつもゼエンがそこにいたから、寂しさを感じることが少なかったなんて、そんなことを、考え出してしまう。


 ――あのひとは、僕の監視役だ。


 そうでなくてはいけない。

 と、ヴィゼはあまり味のしない気がするパンを噛み締めた。




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