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黒水晶の竜  作者: 隠居 彼方
第4部 修復士と古の“呪い”

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06 治療術師の少女と恋心



 レヴァーレがここキトルスにやってきたのは、去年の秋頃のことだ。

 発端は、彼女の母親に昇進と異動の話が持ち上がったことにある。

 レヴァーレの母親は超一流の治療術師であり、<女神の御手>とも呼ばれているが、今回は協会事務員としての昇進だった。

 レヴァーレと父親は、そんな母と共に行くことを決めたのである。


 とはいえ、正直なところレヴァーレは、生まれ育った国――協会本部の置かれるマラキアから離れることについて気乗りしなかった。

 慣れ親しんだ町、たくさんの友人たちとの別れは、寂しくつらいものだったのだ。

 マラキアとキトルスは同じ北大陸にあるとはいっても、簡単に行き来できる距離ではない。

 もう二度と会えない可能性もあった。

 それでも両親と離れ離れになることの方が考えられなかったし、キトルスは戦士として、治療術師としての腕を磨くには適している。


 キトルス――モンスベルクの方が、マラキアよりも魔物の、綻びの発生率が高いのだ。

 いつかは母のような、母をも超える戦士に、治療術師になる。

 その思いでレヴァーレは、キトルスに行くことを前向きに捉えられるようになった。


 しかし、というかやはりというか、キトルスでの新しい生活は多難だった。

 カルチャーショックの連続で、特にイントネーションの違いがレヴァーレには堪えた。

 マラキア訛りの者はほとんどおらず、周囲からの奇異の視線が、彼女の明るさに影を落とした。


 その上明らかになった、己の中の貴族の血。

 いまだに信じられないが、父親はモンスベルクの侯爵家の出身であるという。

 父親がモンスベルク出身ということは聞いていたが、父方の親族の話などとんと聞いたことがなかったので、いないものだとばかり思っていた。


 それが存在すると分かった途端、レヴァーレに降りかかってきたのは貴族との結婚話。

 彼女の父方の祖父は、名のある家に嫁入りしてこそ貴族の娘として幸せであるとの考えで、レヴァーレに年頃の貴族の青年を宛がおうとした――いや、現在進行形で、結婚相手を宛がおうとしてきている。

 それが本当に、レヴァーレにとっては鬱陶しいことこの上ない。

 仕事もプライベートも関係なく邪魔してくるのだ。

 ただでさえ新しい環境に慣れようと必死になっているというのに、そこに横槍を入れられるようで、レヴァーレの鬱屈は溜まっていった。


 そんな彼女に良い出会いがあったのは、春先のことである。

 言い寄ってくる貴族から逃れるため、たまたま目についた少年の手を取った。

 それが、彼――エイバとの出会い。


 その先に続く日々など、その時にはもちろん、想像もしなかった。

 けれど最初の最初で、彼が自然体のレヴァーレを認めてくれたから。

 それが嬉しくて、離れ難く感じるようになった。

 戦士として必死に頑張る姿を見、何故かクランに対し消極的な姿を見、何となく放っておけなくもなってしまって、ますます側にいるようになった。

 そうして、だんだんと気になる異性として彼のことを見るようになっていったのだけれど、極めつけの出来事が起こった。


 レヴァーレに求婚しにやってくる貴族の青年は、どこからわいて出て来るのか何人もいるのだが、その内の一人が短気を起こしたのである。

 レヴァーレの拒絶への苛立ちと、メトルシア家との繋がりに目が眩んだその男は、手勢を十人程も引き連れて、そのためにわざわざ購入したらしい建物にレヴァーレを呼び出し、乱暴しようとした。

 しかもレヴァーレの魔術を封じるため、高価な魔術具さえ用意してのことである。

 ある程度の剣技・護身術も身につけているとはいえ、レヴァーレが単身乗り切るには困難な状況を作り出されてしまったのだ。


 だが、事態に終止符が打たれるまで、実のところそう時間はかからなかった。

 男たちに囲まれ、焦燥と恐怖と嫌悪を覚えながらも必死で頭を働かせていた彼女の背後から、事が起こる前に救いの手は差し伸べられたから。


「息を止めろ」


 鎧兜越しのくぐもった声がした直後、何かが投げ込まれ、部屋の中に広がったのは白い煙。

 独特の臭気から、獣避けだ、とレヴァーレにはすぐに分かった。

 慣れない者であればこの至近距離で嗅ぐのは余計につらい。男たちが臭いと視界不良にわめくのを目の前に、レヴァーレは落ち着いて息を止め、靄のかかる視界の中、声の主をその目に映した。

 頭から足の先まで鎧に身を包んでいたが、それがエイバであることは明白で、伸びてきた腕を跳ね除けることなど思いも寄らず、腕を引かれるままレヴァーレは裏口から建物を出た。

 そこには倒された見張りが一人転がっていたが、気にせずその脇を通り過ぎ、建物から十分に距離を置いた路地の中で、二人は立ち止まる。

 頭から兜を脱いでにっと笑ったエイバに、レヴァーレは泣き出してしまうかと思ったのだった……。




 落ち着いたところで駆けつけてくれた事情を聞いたところ、エイバはヴィゼから貴族らの怪しい動きを聞いたらしい。

 そのヴィゼは懇意にしている情報屋から忠告されたということだ。

 エイバに顔を隠すように助言したのもヴィゼで、貴族たちの逆恨みにエイバやその家族が巻き込まれないようにと考えてくれたようである。

 その上ヴィゼは二人が逃げている間に、衛兵を呼んでいた。

 対処の手際が良すぎて、聞いた時には呆気にとられたものである。


「あいつに頼ってばっかで、悔しいっつうか、申し訳ないっつうか。でもそんなことより、あんたが無事で良かったよ」


 そう言ってくれたエイバに、レヴァーレは感謝を告げることしかできなかった。

 助けてくれたのがエイバで良かったと、来てくれて何よりも嬉しかったと、その時には胸が詰まってしまって、上手く言葉にできなかったのだ。

 この時にレヴァーレは、自身の想いを明確に思い知ったように思う。




 ちなみにその後、貴族青年たちからの誘いは激減した。

 話を聞いた彼女の祖父が、レヴァーレの見合い自体は諦めてくれなかったものの、同様のことが起こらないよう動いたのだ。

 祖父もまさかそんな短絡的な犯行を起こす者がいるとは考えてもみなかったようである。メトルシア家と協会を敵に回すようなことを、普通であればするはずがない、と。


 レヴァーレも同じ考えで、今回男の誘いにのこのこと足を運んでしまったのはそれが理由の一つである。その上男は、浅はかな割に計画は不可解な程きちんとしていた。協会を通し礼に適った招待をしてきたので断り切れず、あんなことになったのだ。

 そのことに後悔は尽きないが、この一件を理由に貴族らの申し出を断ることが容易になり、レヴァーレの負担は随分軽くなった。




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