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黒水晶の竜  作者: 隠居 彼方
第4部 修復士と古の“呪い”

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05 少年剣士と戦士の日々



 それから、エイバの戦士生活は順調に続いた。


 初仕事以降もヴィゼたちに同行させてもらって経験を積み。

 レヴァーレがそんなエイバの様子を見て推薦してくれ、他のクランの応援にも行くようになった。

 そちらでもなかなか使えるという評価を貰い、途切れることなく仕事のある日々である。


 レヴァーレとの出会いがなければ、ここまで上手くいっていなかっただろう。

 その内ちゃんと礼をしたい、とエイバは考えながら、早朝の街を歩いていた。

 ここに来たばかりの頃であればまだこの時間帯は暗かったものだが、太陽が昇るのも大分早くなって、今彼が見上げる空は白み始めている。


 同じく朝早くから動き始める街の住人たちとすれ違いながら、慣れた足取りでエイバが向かうのは、ヴィゼとゼエンの住まう場所だった。

 二人は街の南東、住宅街から少し外れた場所にある、打ち捨てられた(正確には打ち捨てられていた)納屋に住んでいる。


 最近のエイバは、毎朝その納屋に向かうのが日課となっていた。

 ゼエンに剣の稽古をつけてもらっているのである。

 何度か仕事を一緒にした後、駄目元で頼んでみたところ、すぐに了承の返事をくれたのだ。

 いつも穏やかな顔を崩さないゼエンの前職をその時には知っており、断られると思っていたエイバは、驚きつつ喜んだものだった。


 フルス王国近衛師団長。

 それがゼエンの肩書きであったという。

 平民から実力でそこまでのし上がった実力者。

 戦場で人と魔物に関わらず数多の敵の屍を作りだしたその姿に対し、畏怖を込めて人々が唱えたその名は、<鮮血の餓狼>――。


 最初にそうと聞いた時は、正直なところ信じられなかった。

 普段のゼエンは虫も殺さない、といった形容が似合う紳士である。

 もちろん共に仕事をしていれば魔物への容赦のなさは目の当たりにするけれども、血に餓えたような様子などは全くない。

 淡々と、すべきことをしている、といった風だ。


 しかし、ゼエンが<鮮血の餓狼>である、という事実は割と周知のことらしい。

 畏怖や憧憬の眼差しが戦士たちから向けられているのをよく目撃する。

 それに対し、「若気の至りでですなぁ……」と本人は困ったような表情を浮かべていた。

 二つ名で呼ばれることを歓迎してはいないようだ。

 隠すことができるならば無名の剣士でいたかったようだが、数年前に起きた魔物の大規模侵攻の際、モンスベルク・フルス両国から兵士と戦士が集められ事に当たったため、顔を知られてしまっているのだという。

 二つ名がどうこうというだけでなく、その時の活躍を実際にその目にした者たちから、是非自分たちのクランにとしょっちゅう声をかけられているらしい。


 ――そんな人に、毎日稽古をつけてもらってんだよなぁ……。


 感慨深く、己の身にある幸運を思う。


 ゼエンは、エイバの素質を認めてくれた。

 見込みがある、と言ってくれた。

 自分も鍛錬の相手が欲しかったのだ、とも。


 けれど、彼が稽古をつけてくれる最大の理由は――。


「おはようございます、ゼエンさん」

「おはようございます」


 納屋の前で素振りをしているゼエンに歩み寄りながら、エイバは挨拶をした。

 ゼエンは手を止めて、挨拶を返してくれる。


「今日もよろしくお願いします」

「はいですなぁ。それでは本日も早速参りましょうか」


 言うや否や、ゼエンは踏み込んできた。

 何度目かのことであるから何とかかわすが、ぎりぎりだ。


 そのまま攻め込んでくるゼエンに、エイバは真剣で応じる。

 危ないだろう、という反論はもちろん稽古をつけてもらい始めた最初にしたが、真剣に慣れた方が良いと返されてしまい、こうして毎回己の剣を使っている。


 ゼエンの方はと言えば、その手にするのは木剣だ。


「危なくなったら、エイバ殿も木剣を使いましょうなぁ」


 と、ゼエンは言う。


 そう、今の段階ではエイバがゼエンに遠く及ばないので、ゼエンに危険はないのだった。

 どんな攻撃をしても余裕でかわされてしまうし、手元が狂っても剣で魔術で簡単に防がれてしまう。焦りの顔一つ、見ることができていない。

 それがどうにも悔しいのだが、いつか追いつけるのかと言われると、正直自信はなかった。


 ――それにしてもこの人、結構容赦ないよな……。こうして毎朝稽古してもらってると、<鮮血の餓狼>ってのも分かるような気がしてくるぜ……。


 そんなことをちらと頭に過らせながら、必死でゼエンの攻撃に応じる。

 納屋は最も近くの住宅からも距離があって、こうして稽古するのに近隣に気遣いをする必要はなく、思い切り動くことができた。


「――今日はこの辺にしておきましょうかなぁ」


 やがて、ゼエンが剣を引く。

 どれほどの時間、剣を合わせていたのだろうか。

 集中していたため時間の経過が分からないが、止まってしまえばどっと疲労が襲ってきて、荒い息のままエイバは後ろに倒れ込んだ。

 剣を合わせながら足りないところはビシバシと指摘されていたので、終わった後までゼエンから追撃されることはない。


「お疲れさま」


 代わりにエイバに近付いてきたのは、いつの間にか起き出てきていたヴィゼだった。

 しゃがんだヴィゼに水の入ったコップを差し出され、上半身を起こしてそれを受け取る。

 礼を言って一気に水を呷るエイバを横目に、全く疲れのない様子で「それでは朝食の用意をしてきますなぁ」とゼエンは納屋に入っていった。


「はよ。今日は自分で起きてきたんだな、ヴィゼ」

「おはよう」


 挨拶の順番が逆だったね、とヴィゼは苦笑する。

 さすがに何ヶ月と交流があれば自然と会話はタメ口になっていて、二人の口調にぎこちなさはない。


「最近引きこもりがちだったから、昨日の夜はゼエン殿にちょっと叱られちゃって……ベッドに入れられてさ」

「ああ、ずっと隣の方から出てきてたもんな、ここんところ……」


 水を飲んで少し元気を取り戻したエイバは、納屋の隣にあるもう一つの小屋に視線をやった。

 元は厩舎だったらしい小屋は、今はヴィゼが魔術の研究をするために使っているらしい。

 納屋共々改築してあるため、どちらも見た目は割と小奇麗だ。


 住まいのことをエイバが聞いた際、

「魔術の実験で建物ごと壊しちゃったりすることもあるから、ちょうどいい物件だったんだよね。納屋と厩舎のセット」

 等とヴィゼは言ったものである。


 エイバはその台詞に顔を引き攣らせる一方で、ヴィゼがわざわざ建物を買ったことに納得した。

 宿屋を使わない――というより使えないならば、そうするより他なかったろう。

 かなり格安だったようだが、それでも不動産をぽんと買ってしまっているヴィゼに、エイバは驚き呆れたものである。

 ヴィゼは故郷のフルスでも魔物討伐をしていたらしい。素材を売った金が結構貯まっていた、と言ったが、その年でどれだけだよ、とエイバは突っ込まずにはいられなかった。


 ――こうやって見てると、まだ子ども、って感じなのにな……。


 エイバが視線を戻した先で、ヴィゼはぼうっとした様子で言う。


「ちゃんと寝た方がいいって、分かってるんだけどね……」


 魔術研究に熱中してしまうと、寝食を忘れてしまうらしい。

 小屋で寝落ちして、ゼエンがドアを叩く音で起きてふらふらと出て来る、という彼の姿を、エイバは何度も見ていた。


「戦士は体が資本だからな。よく寝て、メシもしっかり食わねえと」

「食事に関しては大丈夫。ゼエン殿がいる限りはね」

「違いない」


 はは、と笑って立ち上がる。

 ヴィゼも立ち上がり、納屋へと二人は足を向けた。

 そろそろゼエンが三人分の朝食を用意し終わる頃だった。




 稽古を始める前に、ゼエンはほとんど朝食の準備を終えていたようだ。

 部屋の真ん中に置かれた小さな卓。そこには、サンドイッチとスープ、果物が三人分並んでいた。


 納屋は大きくはない。

 入ってすぐ左に竈があり、その反対側、奥の左右の壁際に簡易なベッド、そして真ん中に小さなテーブル。それらが何とか詰まっている。

 ちなみに、トイレは暮らすに当たって裏手に新たに作ったものがあった。

 街に行けば公衆浴場もあり、男二人で暮らすのに不便はない。


「今日も美味そう……」


 エイバは躊躇なく、入って一番近いイスに腰を下ろした。

 当然のように用意された朝食が三人前であることからも分かるように、エイバが稽古の後ヴィゼらと食卓を同じくするのはいつものこととなっている。


 ゼエンの料理の腕は、きちんとした料理店のものと比べても負けず劣らず素晴らしい。

 一度知ってしまえばやみつきになる味に、エイバは稽古よりもその後の食事の方が目的になってきているような気がしてしまう。


「どうぞ召し上がれ、ですなぁ」

「いただきます!」


 ヴィゼとゼエンも席につき、エイバは遠慮なくサンドイッチに手を伸ばした。

 ジューシーなチキンと、その味を引き立たせる濃い目のソース。添えられたレタスは瑞々しくシャキシャキとしている。それらを挟むパンは買ってきたものらしいが、全てが一体となって口の中で奇跡のようなハーモニーを奏でている……。

 空腹が最高の調味料になっていることも否定はしないが、それを抜いてもとにかく美味だった。

 皿には他に、タマゴとトマトを挟んだもの、ベーコンを挟んだものなどが並ぶ。その色合いもまた食欲をそそるものだ。


「いやー、今日も美味いっすね!」


 夢中になってぱくついていたエイバだったが、サンドイッチを全てたいらげたところで少し落ち着いて手を止めた。

 ゼエンは少しだけ笑みを深め、エイバに布きれを差し出す。


「エイバ殿はいつも気持ちよく食べてくださるので、こちらとしても嬉しく思いますなぁ。頬にソースが付いていますので、どうぞ」

「こりゃどうも」


 照れながら受け取ったエイバは、素直に指された右頬を拭った。

 ヴィゼはそんな二人の前で、のんびりと、満足そうにスープを啜っている。

 朝の、まだ頭が働き始めていないこの時が、一番ヴィゼが少年らしく、無防備な時間だった。


 そんなヴィゼを見るゼエンの瞳が、控えめながらもひどく優しげであることに、ヴィゼは気付いているのだろうか。

 エイバはスープの入ったカップを口元に引き寄せながら、ぼんやりと食事を進めているヴィゼをちらりと見やる。


 ゼエンがエイバに稽古をつけてくれる、その一番の理由は、おそらくこの、目の前の少年のためだった。

 ヴィゼには、他者に踏み込まない、他者に踏み込ませない、そういうところがある。

 コミュニケーションに難があるわけではない。ただ壁があるのは分かる。それは己を他者から守るための壁であり、……己から他者を守る、そんな壁だった。


 ゼエンはそんなヴィゼを心配して、エイバが彼の友であってくれるようにと、そう考えているのではないか。

 エイバは勝手にそう思っており、実際にそれは間違っていなかった。


 だがそれを察したからと、エイバはヴィゼの友たらんとしているわけではない。

 性格はどちらかと言えば正反対ではあるが、ヴィゼとは馬が合った。

 エイバの事情に踏み込んでこないから、共にいて楽だということもあった。

 それに、共に過ごしていれば、ヴィゼの危うげな様は目について、どうにも放っておけないと思ってしまうのだ。


 ――人の心配してる場合じゃねえんだろうが……。


 内心でそう、自嘲する。


 そのままついぐっとスープを飲み干しそうになって、慌ててカップを口から離した。

 こんなに美味しいものを一気になくしてしまうなど、あまりにもったいなさすぎる。

 味わってエイバはスープを飲み干し、デザートのアンズに手を伸ばした。


「ゼエンさん、今日も美味かったよ。ありがとな」

「いえいえ、お口に合ったのなら幸いです」

「っし、じゃあ、今日もいっちょ行ってきます!」


 気合を入れて、エイバは立ち上がった。

 今のところ今日は予定がないので、協会で仕事を貰ってくるつもりだったのだ。

 そんなエイバを、まだ皿の半分ほどしか食事を減らせていないヴィゼが見上げる。


「協会? 今日も? エイバ、ちょっと頑張りすぎじゃない?」

「そりゃ、お前と比べたらそうかもな」


 つい軽口を返してしまったが、エイバはすぐに後悔した。

 ヴィゼは他の戦士と比べれば確かに仕事に積極的ではないが、修復の依頼があれば必ず引き受けている。できるだけ時間を魔術の研究にあてているだけで、決して怠けているわけではないとエイバも知っていた。


「うん。だけど、レヴァーレさんだってすごく働きものだけど、週に一度はちゃんと休日にあててるよ。でもエイバは、毎日休みなく戦いに出てる」


 少しも気分を害した風もなく、それどころかエイバの言を肯定して、ヴィゼは真摯に告げた。

 ヴィゼのこういう、自分を客観視しているようで卑下しているようなところが、エイバは多分、嫌いだった。

 そして、ヴィゼのこういう、あまり他人に興味がないようで、踏み込まないようにしているのに、冷たくも突き放してもいられないところが、エイバは、多分――。


「……動いてねえと落ち着かねえんだ」


 エイバが返せたのは、結局それだけだった。


「実家でも毎日動きまわってたからな」


 言い訳めいたことを口にして、背を向ける。

 これ以上引き留められることを、拒絶するように。

 見透かすような深い色の瞳から、逃げ出すように。


 そうすれば、エイバが望むとおり、ヴィゼが言葉を重ねることはなかった。


「んじゃヴィゼ、また明日な。ゼエンさんも、またよろしくお願いします」


 それぞれの応じる声を背に受けて、エイバは外に出る。

 少し納屋から離れて、エイバは溜め息を吐いた。

 苦い顔で、鎧の上から腹部を叩く。

 拳を広げて己の手のひらを見下ろして、


 ――いつまで誤魔化せるだろうな……。


 そう、心の中でひとりごちた。




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