01 少年剣士と治療術師の少女①
温かい風が、背中を押してくれた気がした。
……進む道が良いものなのか、悪いものなのかは、分からなかったけれど。
「おお……」
モンスベルク王国、その王都の入口、キトルス。
相乗りさせてもらっていた荷馬車から降りた少年は、その大通りの真ん中でぐるりと周囲を見渡し、感嘆の声を漏らした。
――マジに来ちまったんだな……。
少年が生まれたのは、キトルスとは比べ物にならないほどの本当に小さな小さな村だった。
どこまでも緑が広がっている、そんな長閑な風景を見続けて十六年。
こんなにも建物が密集して並び、大勢の人が道を行き交う光景というのは初めてで、ただただ圧倒されてしまう。
しばらく田舎者丸出しできょろきょろとしていたが、行き交う人々の中に鎧姿をいくつも見つけ、我に返った。
「……とにかく、まずは協会だよな」
呟いて自身に確認する少年も、鎧を身に纏い、剣を腰に帯びている。
いずれも譲り受けたものだったが、それが少年の戦士としての風格を上げていた。
実のところ戦闘経験は片手で数えられるほどなのだが、十六にしては上背があり、がたいがよいため、全くそうとは見えない。
「すみません、協会ってどこにありますか」
少年はまだ少しあどけなさの残る顔に笑みを浮かべ、道行く人に尋ねた。
愛嬌のある笑顔は、体格の威圧感を打ち消す。
それがなくとも、キトルスは戦士の多い街だ。
一般人らしい相手も、特に怯む様子なく、普通に道を教えてくれた。
礼を言って別れ、少年は真っ直ぐ目的地を目指す。
協会は大通り沿いにあり、文字通り真っ直ぐ行けば辿り着くようだ。
――すげえ、って感想しか出てこねえ……。
興味深く辺りを見渡しながら、人の流れに逆らわずゆっくり進んでいると、後方で高い声がした。
「ああもう、しつこいな! うちはこれから仕事なんや、邪魔せんといて!」
あまり聞かないイントネーション。
思わず振り返ると、声の持ち主はすぐに目に入ってきた。
――めっちゃ美人……。
ただただ素直に綺麗だと思う。
そんな美少女が、怒りの表情を浮かべて、そこにいた。
日の光のようにさえ感じられる豊かな金髪が、その面を縁取っている。
服装も随分と垢抜けていて、全身が輝いているようだと思った。
同い年くらいかとぼんやりしながら、つい見惚れてしまう。
「あなたのような女性が仕事をする必要なんてないでしょう? それより私と一緒に行きましょう。きっと充実した時間をご提供できます。あなたのお祖父様もお喜びに――」
「あんなジジイが喜ぶことなんかしとうない。うちは自分の仕事に誇りをもっとる。馬鹿にせんといて」
「あんな荒くれ者たちの相手をするなんて、あなたにはふさわしくありませんよ」
「ほんま話通じんなあ……!」
「その話し方も。いけませんね。あなたに悪影響を与えるばかりの仕事など早く辞めてしまった方がいい。それがあなたのため――」
「うっさい! マラキアじゃこれが普通や! だいたいさっきから、あんたはうちのため言うて自分の都合押し付けるばっかやん、鬱陶しい!」
痺れる啖呵だ、と少年は拍手を送りたいような気持ちになった。
少女の目の前の男は、たじたじとして言葉に詰まっている。
仲間だろうか。後ろに立つ二人の男も困惑の面持ちであった。
三人ともその身を包む布地はひどく上等なものである。
言動は気障ったらしく見ていられないが、これが上流階級の人間というものなのか。
初めて見る生き物だ、と思った。
「……あっ、ちょうどええところに!」
男が返す言葉を探しあぐねている間に、少女は何かを探すように首をめぐらせて――。
少年と、目が合った。
――えっ!
驚いている間に、少女が素早い身のこなしで近付いてくる。
無防備な少年の腕に、たおやかな腕が絡みついて。
良い香りもして。
少年は息を止めた。
「うちは今日この人の任務についていく予定や! 魔物がうようよおるところや、あんたらみたいな坊ちゃんじゃ一瞬で死んでまうからな! 絶対についてこんといて!」
言い捨てた少女は、ぐいぐいと少年の腕を取って歩き出す。
内心どぎまぎしながらも、少女の狙いは分かっていた。
向かう方向は少年の目的地と同じようなので、男たちに怪しまれないように当然のような顔で歩を進める。
「……強引に、ごめんなさい」
「……いーや、いいけどよ」
打って変わって、しおらしい声で謝られた。
これは自分に話しかけているんだよな、勘違いじゃないよな、と腕を取られたままでありながら何度も胸の内で確認して、何でもないような顔で答える。
「協会まで行きたいんですけど、このままご一緒してもいいですか?」
「……あいつ、しつこそうだったもんな」
「そうなんです。最近ずっと付き纏われていて……」
うんざり、と少女は顔にも書いていた。
これだけ美人じゃ色々と大変だろう、と少年は気の毒に思う。
「どうにかできないのか?」
「相手が貴族となると、穏便に済ませるのが難しくて……」
やはり貴族だったのか。
「あ、でも、安心してくださいね。お兄さんに手出しさせたりは絶対しませんから」
心を読んだかのように、少女は笑った。
無茶苦茶可愛い、と思った。
苦労しているのは自分の方だろうに、こちらのこともちゃんと気にしてくれて。
「……んなことは、いいけど。それよりその話し方、やめねえか」
「え?」
「さっきの方が素なんだろ。俺は大した育ちじゃねえし、あんまり丁寧にされるとこそばゆくなっちまう」
「んー、戦士さんの前では今のところこっちで通してたんですけど……」
少女が困ったように首を傾けていたのは一瞬だった。
「それじゃ、お兄さんの前ではこっちで話すことにする。ずっとこれが普通やったから、正直ありがたいわ」
「ああ、なんか、らしいって感じがする」
「なんやそれ」
少女はまた笑った。
太陽のような笑顔だった。
「名乗るの遅れたけど、うちはレヴァーレ。協会で働いとるんよ。お兄さんはあんま見ん顔やけど、こっちには来たばっかり?」
「協会! そりゃあ助かる。実は駆け出しでな、ここにもさっき到着したとこで、右も左も分からねえんだ」
「そうなん? 歴戦の勇士みたいに見えるけど……。それならどーんと任せといて。うちもキトルスに来たんは割と最近やけど結構詳しくなったし、協会には関わって長いから何でも聞いてや。えーっと、」
「ああ、すまん。エイバだ」
「エイバさん」
「呼び捨てでいいぜ」
「じゃあ……、エイやんって呼ぶわ」
少女が名前を呼ぶ。
これは実は美人局か白昼夢か何かでは、と少年は疑った。
これまでの人生で出会った女性の中で一番美しいひとが、自分の手を取り名前を呼んでくれている。
そんな現実、ありうるのか。
それとも……最後に神様がくれた贈り物なのだろうか。
少年は真剣に悩んだ。




