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黒水晶の竜  作者: 隠居 彼方
第3部 修復士と半竜の双子

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13 修復士と宣言



「おう、ヴィゼ、今日はちゃんと自分から来たな」

「ちょっと行き詰まっちゃって……」


 食堂のイスにぐったりと腰掛け、ヴィゼは弱々しく零した。


 昼食時である。


 ちょうどゼエンが作っていってくれたシチューを温めたところだったエイバは、自分の分とヴィゼの分を皿によそった。

 目の前に皿を差し出され、ヴィゼは礼を言って受け取る。


「あー、なんか、しみわたる……」

「確かにいつも通り美味いが……。お前それ、疲れてんだよ。根詰めすぎじゃねえか?」

「うーん……」


 何となく寝つきが悪かった上、珍しく朝早くに目覚め、早朝から研究室に籠っていたヴィゼだった。

 自身の研究の続きに手をつけたり、クロウから預かった箱を開けようと色々試したりしていたのだが、いずれも捗らずこの時間になってしまった。

 そんなヴィゼの目の下の隈にエイバは眉を顰めるが、ヴィゼは曖昧な返事をするばかりだ。


「クロがいるし、もう召喚魔術の研究はいいんだろ。一体何をそんなに必死でやってんだ」

「……必要なんだよ」

「まさかとは思うが……、あの全く似てない双子をどうこうしようとか考えてねえだろうな」

「は?」


 割と真面目に聞かれ、ヴィゼはぽかんとした。


「や……それはかなり難しいよね……クロウを悲しませたくないし……」

「お前それ、ちゃんとした否定になってねえからな」

「……今やってることはあの二人には全く関係ないよ」

「殺意の否定をしてくれ」


 ヴィゼは誤魔化すように、パンの盛られた籠に手を伸ばす。

 つられてエイバもパンを頬張った。

 その横顔に何となく察するものがあり、ヴィゼは渋い顔になる。


「……っていうかエイバ、もしかしてわざと<全斬>を稽古に呼んだ?」

「まあ、何割かはそうだな」


 もそもそとパンを咀嚼しながら、ヴィゼはじとりとエイバを睨んだ。


「お前がいつまで経っても煮え切らねえから」

「煮え切らないって……なにが」

「お前それは、白々しすぎだろ」

「……ずっと見張られてるみたいで、結構消耗してるんだけど」

「それこそ、避けられねえことじゃねえか。シュベルトさんは、クロのこと妹みたいなもんだって言ってたぜ。妹の連れて来た相手を見るのは当然のこと、だろ?」

「妹、ね……」

「まあ、それは俺も思ったが……あの人ら、姉妹に囲まれてたのは本当らしいぜ」

「へえ」

「姉に妹に、尻に敷かれてたんだってさ」

「想像できない……」

「だよな」


 エイバはからりと笑って同意して、続ける。


「今の白竜一族は、その姉妹らの子孫だってさ。だけどもうあの人たちの姉妹はいない。だから余計に、クロを妹みたいに思うのかもな」

「ふーん……」


 ヴィゼは不満そうに、スプーンを口に運んだ。


「エイバは随分と<全斬>と仲良くなってるみたいだね」

「まあな。妬くなよ、ヴィゼ」


 ヴィゼは呆れた眼差しでエイバを見やった。


「妬いてない……」

「でも、あの二人の距離がクロと近いのはやなんだろ」

「……」

「そっちは存分に妬いてやれよ」

「……それは、」


 駄目だ。

 と、ヴィゼは思う。


 エイバの言葉は図星だった。

 ヴィゼは、クロウとあの双子との距離が気になって仕方がない。

 クロウの前では何とか表に出さないようにできているつもりだが、嫉妬が生まれることまでは抑えきれずにいる。

 けれどそれは、見苦しいものではないか。

 クロウにとって、良いものとはとても思えない。

 それなのに存分になど、できるものか。


 ――最近、エテレインさんのおかげで少しくらいは“クロウ離れ”ができてる、ような気になってたんだけどな……。


 ヴィゼはスプーンでじゃがいもを意味なくつつき、聞く。


「……エイバは、なんでそんなに……」

「お前のケツ蹴っ飛ばそうとするかって?」


 上手く言語化できなくなった様子のヴィゼに代わって、エイバは言ってやった。


「お前らが、幸せになっちゃいけないみたいに逃げてるからだろ」

「――」


 ヴィゼは息を詰める。

 いつの間にか空にしていた皿を前に、エイバはただ頼もしい笑顔を浮かべていた。


「仲間としては、見守るだけじゃ歯痒すぎる。お前は俺の、恩人でもあるしな。だから余計なお世話でもなんでも……、お前には幸せになってもらいてえんだよ、ヴィゼ」






 幸せになってはいけない。

 そこまでは考えていなかったが、それに近いことは考えていたかもしれない、とヴィゼは皿を洗いながらぼんやりと考えた。


 ルキスを失い、父の元で働いていた間、ヴィゼが一体何をしてきたか。

 それはヴィゼ自身が一番よく分かっている。

 血縁上のあの父親は、本当に性根の腐った男だった。

 ヴィゼはその父親の命令で、他人を傷つけ、踏み付け、あそこで生き延びた。


 それでもルキスのことは諦めきれなくて。

 ようやく手に入れた彼女を手放すことだけは、決してできない。

 けれど、それ以上を望むことは。

 それ以上を望むことは、己には過ぎたことだと、そう思っていた……。


 ――そういうの、皆に伝わっちゃってた、のかな……。


「……ん、でも、お前ら、って……?」


 思い当たって、ヴィゼが首を傾けた時、だった。

 不意に奇妙な感覚が、ヴィゼを襲った。


「なんだ……?」


 思わず皿を取り落としそうになったが何とか堪え、皿を置くと、ヴィゼはその感覚の正体を探る。

 それは、言葉に表すならば喪失感、というものだった。

 この感覚を、ヴィゼは知っている。

 思い当たったのはすぐで、ぞわりと肌を粟立たせたヴィゼは声を上げた。


「クロウ……、クロウ!」


 ヴィゼと離れる際、クロウは必ず<影>を残していく。

 ヴィゼが呼べば、<影>は現れてくれるはずだった――いつもならば。

 だが、<影>は姿を現さない。


 どくり、と心臓が嫌な音を立てた。


 ルキス、と呼んでしまいたいのを堪え、ヴィゼは唇を噛む。


 ――落ち着け、それをするのはまだ早い……。


 呼んでも彼女は怒らないだろう。

 けれどヴィゼが神経質になっているだけであれば、ただ心配を、迷惑をかけてしまうだけだ。

 契約魔術自体は機能している。彼女は生きている。それは分かる。

 だが、彼女の存在が感じられない。


 どういうことなんだ、とヴィゼはキッチンを出た。

 クロウはレヴァーレたちと街に出ているはずである。

 その帰りを待ってなどいられず、足早にヴィゼは玄関ホールへと足を踏み入れた。


「ヴィゼやん!」

「レヴァ……!?」


 そんな彼が続いて察知するのは、レヴァーレとエテレインの転移魔術による帰還。

 鍛錬場に帰着したレヴァーレとエテレインが焦燥も露わに玄関ホールへと駆けこんで来て、ヴィゼは己の感覚が正しかったことを知った。


「クロやんが、クロやんが……!」


 ヴィゼを見つけ、レヴァーレは泣きそうに顔を歪めて、告げる。


「クロやんが、消えてしもた……!」


 その言葉は、ヴィゼに強く激しい痛みを与えた。

 心臓が凍りつくようだ、とヴィゼは思って、堪えるように目を閉じる。


 ――ルキス……。


 眼裏に彼女の姿を描けば、痛みも衝撃も消えて、焦燥と怒りが沸いた。

 何度ヴィゼは、彼女を奪われなければならないのだろう。

 深呼吸しながら、ヴィゼは目を開ける。


「……どういう、こと?」


 どういうことかと尋ねた声は低かったが、落ち着いていた。

 何かを強く押し込めたようなそれに、エテレインは肩を震わせる。

 そんなエテレインを庇うように、レヴァーレは何もできなかった悔しさを滲ませて、ヴィゼにありのままを話した。

 話せることは、多くはなかったけれど。


「……それで、どないしよかって……。あれがもし例の合成獣ならて、サステナさんに<消閑>が拠点にしとる宿屋に今、行ってもらっとる」

「……ああ、」


 ヴィゼは頷き、一拍置いて、今度こそ玄関のドアを開いた。

 それは、自分が外に出るためではなく。

 ドアを開けばそこには、到着したばかりの、アルクス・シュベルト・サステナの姿があった。

 あまりに早い到着であったが、アルクスらであればヴィゼ同様に転移魔術を使用できておかしくない。

 訪問を告げる前にドアが開いたことに驚くでもなく、アルクスとシュベルトは玄関ホールへ入り、サステナが静かに続いてドアを閉めた。


「話は伺いました。クロウ殿が連れ去られたとか。話を聞く限りは、我々が追いかけていた相手のようですね」

「ようですね……って、何を呑気にそんなことを! 相手の行く先に心当たりはあるのですか? 早くクロウさんを助けにいかなくては……!」


 あまりにも落ち着き払った様子でアルクスが言うので、エテレインは肩を怒らせた。


「落ち着いてください。クロウ殿が簡単にどうこうされるとは考えにくい」

「クロウさんが強いことは存じています! ですが、あの女性は……あれは本当に突然現れて、消えて……あんなよく分からないもの相手でも、本当に何事もないとおっしゃるのですか」

「あれは基本的には魔物を殺すために作られた生物です。クロウ殿を排除すべきものと認識したならば、その場で戦闘が始まっていたはず。それがなく、ただ連れ去ったということは、何か他に目的があるのでしょう。少なくとも命の心配はないはずです」

「はず、はずと……、そんな曖昧な言葉では納得できません! 命の心配はない、と言っても他の危険がないとは言い切れないでしょう!?」

「困りましたね」


 言いながら、アルクスの浮かべる微笑には全くその成分はない。

 アルクスを睨むのはエテレインだけでなく、サステナもレヴァーレもエテレインと同じ思いで咎めるような視線を向けるのだが、全く応えていないようだった。


「確かにその可能性は否定できませんが、こちらとしてもあれの行く先は突き止められずに足踏みしているところなのですよ。……ヴィゼ殿、あなたであればクロウ殿の居場所が分かるのでは?」


 挑戦的な眼差しを受けて、ヴィゼは息を詰めた。


「……クロウが無事なのは分かります。けれど行方は辿れない。おそらく今クロウは、とても強力な結界の中か……、どこか隔離された空間にいる」


 ふむ、とアルクスは何かを考えるそぶりを見せて。


「……それでは、こちらとしては待つ、という方策を推したいですね」

「おい」


 さすがにシュベルトも顔を顰め、アルクスの肩を掴む。

 アルクスは軽くその手を払った。


「ようやくあれが姿を見せたのです。この機会を逃す手はない」

「あなた、何を言って……!」

「クロウ殿もいつまでも捕まったままではないでしょう。クロウ殿であれば相手が我々が追っているものであることに気付き、逆に捕まえてくださるはずだ。捕まえるまでいかずとも、クロウ殿があれから逃げるか戦闘になるかすれば居場所は分かる。それを待っても問題はないと考えます」

「なっ、な、な……!」


 あまりのことに、エテレインは言葉を失った。

 強く拳を握ったエテレインがそのままアルクスに殴りかかりそうで、レヴァーレは従妹のその腕を宥めるように握った。

 けれど気持ちはエテレインと同じで、レヴァーレは冷え冷えとした視線をアルクス相手に送る。


「それ本気か、あんた……。クロやんが心配やないの?」

「今回の相手にクロウ殿が後れをとるとは思いません。私は彼女を信じています」

「……!」


 皆さんとは違って、と続きそうな台詞であった。

 この場の全員を敵に回しながら、アルクスは平然として続ける。


「ヴィゼ殿、ですのでクロウ殿を呼ぶのは待っていただけませんか」


 アルクスはわざと、皆を怒らせている。

 クロウが彼を警戒した様子を思い出しながら、ヴィゼはそれを確信していた。

 この状況で、何を狙って?


 それを頭の片隅で考えながら、ヴィゼも怒りを覚えずにいられなかった。

 アルクスの思惑通りと分かりながら、その声ががんがんと頭に耳障りに響いて。

 そんな声は無視して呼べと、先ほどから自分の心の声がずっと叫んでいる。


 それなのに、どうして自分は呼ばないのだ。

 随分と時間を浪費してしまっている。

 クロウがどうなっているか分からないというのに。

 クロウが消えたと聞いたその瞬間に呼べば、それが最善だったはずなのに。


 ――何を躊躇う? 何を……恐れているのか。


 ああ、とヴィゼは腑に落ちた。

 自分はこんなにも、恐ろしかったのか。


 彼女がいないところで、彼女を呼ぶことが。


 幼き日、彼女を失ってしまった時のように。

 何度呼んでも彼女が戻らない、そんなことがありはしないかと。

 いまだに恐れているのだ。


 ――何て、臆病で、愚かなんだ。


 自分を守るために、呼ばないのか。

 この身は、彼女のために、ルキスのためにあるものだというのに。


「――あなたの言葉を聞く理由は、僕にはない」


 頭が妙に冴え冴えとするのを、ヴィゼは感じた。

 苛立ちもあれば、焦燥もある。

 罪悪感も、自己嫌悪も。

 それらが胸を灼くようであるのに、一方で何故か冷静すぎる自分がいる。

 落ち着き払った己の声が、どこかから響いた。


 ――やるべきことはたったひとつ。

 ――彼女を、ルキスを、隣に。

 ――ただそれだけだ。



「クロウは僕のものだ」



 ヴィゼは断言する。


 誰かが息を呑む音がした。

 けれどそれも、気にならない。


 それがヴィゼの真実で。

 口にすればそれはより確固たるものとしてヴィゼに根付く。


「僕が守るべき存在だ。取り戻す邪魔は、させない」


 宣言した直後、ヴィゼは己の周りに最も強固と思える障壁を張り巡らせる。

 それは言葉通り、邪魔を許さないため。


 そこに集った面々の驚き顔に目もくれず、続けてヴィゼは古文字を目の前に紡ぐ。

 それは、契約魔術に基づく契約の履行を求める魔術式。

 より確実に、クロウを、ルキスを取り戻すために。


 それが目の前で燐光を放って消えていくのを瞬きもせず見つめながら、ヴィゼは呼んだ。


「ルキス――――」




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