11 黒竜と白竜の息子
翌朝、シュベルトは再び<黒水晶>の本拠地を訪れた。
今日は家人たちが起きている時間帯であったが、それでも早い時刻だ。
玄関ホールのドアを開けたクロウは、嫌そうな顔で彼を迎える。
「なんでまた来たんだ?」
「良ければ稽古つけてくれ、って言われたぜ。<不可壊>に」
「あの巨木……」
一層顔を顰めたクロウだが、なんだかんだと言いつつもシュベルトを中に通した。
「お前は今日は空いてんのか?」
「あるじに修復の依頼が来ている。この後出る」
「ふーん」
「お前こそ、仕事は」
「ここで朝飯食ってから行く」
当然のようにここで食事をしていくつもりのシュベルトである。
クロウは呆れすぎて、突っ込む気力もなくした。
シュベルトとしては、メシがウマいのが悪い、と主張したいところである。
白竜は多才で、料理の腕も一級品だったのだが、それに並ぶほどの料理などそうそうお目にかかれるものではない。それを逃すなどという選択肢は存在するはずがなかった。
「……アルクス殿が動いているのに、まだ見つかっていないんだな」
「足取りが追えなくなってる。分かりやすい囮を置いても食いつきゃしねえ」
「そうなのか……」
クロウは眉を曇らせた。
会話しながら、二人は鍛錬場へ足を向ける。
そこでは、淡い明かりの元、エイバが一人で木剣を振るっていた。
今朝はクロウとエイバで鍛錬をしていたのだ。
戻ってきたクロウがシュベルトを連れていたので、エイバはにかりと瞳を輝かせて笑った。
エイバもシュベルトも基本的に前衛職だ。シュベルトは魔力量こそ多いものの制御が甘く、剣士としての己の方に自負がある。
二人は剣士同士、気が合うらしい。
クロウそっちのけで、二人で剣を交わし始めた。
「……あるじを起こしに行くか」
最近はヴィゼ起こし係を一手に引き受けているクロウである。
楽しげな男共をおいて、いそいそとヴィゼの部屋に向かった。
静かにドアを開ければ、ヴィゼはいつものようにドアに背を向け、丸くなって眠っている。
クロウはその背に、そうっと近づいた。
起こしに来たのだから多少物音を立てたところで問題はないのだが、クロウはいつもベッドに近寄るのに極力音を立てないようにしてしまう。
「あるじ、あるじ」
「……うん」
普段は名を呼び肩を揺すり続けて数分は覚醒しないヴィゼだが、今日は随分返事が早い。
ヴィゼは布団の中でころりと転がって、掠れた声で言った。
「……誰か、来てる……?」
「シュベルトが……」
あいつ、またあるじを起こしたな、と心の中で拳を固めつつ、クロウは答えた。
「……そっか……、うん」
ヴィゼはゆっくりと起き上った。
髪はボサボサで、まだ目を開けたくないのかかなりの薄目だ。
この寝起きの貴重な表情を見るのが、クロウは好きだった。
無防備なところを晒してくれるのが嬉しい、と思う。
「あるじ」
ぼんやりとしたままのヴィゼに、クロウは眼鏡を差し出した。
顔を少し差し出してきたヴィゼに、そのままかけてやる。
「ありがと、ルキス……おはよう」
「ああ、おはよう、あるじ」
ふにゃりとヴィゼは笑った。
可愛い、とクロウは思った。
和やかな朝。
シュベルトの来訪はありつつ、それ以外はいつも通り過ぎていくかと思われたが――。
「おおお!? おい、おい、おい……、ヴィゼ」
今回ヴィゼに応援を頼んだのは、クラン<抗世>であった。
<抗世>の副リーダー、ヘセベルは、街外れで合流したヴィゼたちを見、零れ落ちるのではないかというほど目を見開く。
挨拶もそっちのけで腕を引かれたヴィゼは、さもありなんとヘセベルの反応を受け入れた。
「おま、なんで<全斬>がいんだよ!!」
そう、今日はヴィゼとクロウの二人だけではなく――シュベルトも同行していたのだ。
これはシュベルトが希望したことだった。
綻びがあり、魔物が現れているのなら、そこに合成獣が現れるかもしれない。
そう言われてしまえば、ヴィゼもクロウも頷くしかなかったのである。
「ヘセベルさんは<全斬>をご存じでしたか」
「なんかの大会で見たんだよ。圧倒的な優勝だったぜ」
「そうでしょうね……」
「<全斬>を見たとか最近噂になってるのは知ってたが、まさか眉唾じゃなかったとはな……。それがなんでお前らと来るんだ、<ブラックボックス>」
「……クロウの兄弟子なんですよ」
この世界に写真などというものはない。名は知れ渡っていても顔までは分からないはずで、騒ぎにならないよう、できれば誤魔化したいと思っていたヴィゼだが、その期待は脆くも崩れ去った。
諦観のままヴィゼが素直にシュベルトとクロウの関係を告げれば、ヘセベルはあんぐりと口を開ける。
「……<ブラックボックス>にも程がある」
意味が分からないが、言いたいことは伝わった。
「……それで、嬢ちゃんの仕事ぶりを見に来たってか?」
「いえ、彼は彼で引き受けている依頼があって、魔物について確認したいことがあるそうです」
否定したものの、ヴィゼはヘセベルの言った方が正しいのだろう、と思っていた。
もっと正確に言えば、シュベルトはクロウと、そしてヴィゼを見るために、ここにいるのだろう。
それはヴィゼの自意識過剰ではないはずだった。
何故ならば、ここ数日、シュベルトとアルクスから何度も見定めるような視線を注がれているのだから。
「もちろんそちらの依頼に手は出さないし、報酬を横取りするつもりもない、ということなのでそこはご安心ください」
「金なんてたんまり持ってるだろうからな、持ってかれる心配はしねえが……。ウチの連中、騒ぐだろうな……」
ヘセベルの想像する未来は、ヴィゼにも容易に思い浮かべることができた。エテレインとヴィゼの噂が広まった時のように、困ったことにならなければ良いが、と思わず溜め息を吐いてしまう。
「……とりあえず、ご紹介します」
「おう、頼むわ」
こそこそと話すヴィゼとヘセベルを大人しく待っているクロウとシュベルト。
そのツーショットに、胸をちくりと刺すものがある。
それを無視して、内心を隠すようにヴィゼは穏やかに微笑んだ。
ヘセベルにシュベルトを紹介し、正式に彼の同行が決まる。
そして向かった先、想像通り、<抗世>のメンバーは魔物討伐どころではないと、<全斬>の姿に大騒ぎするのだった。
シュベルトは結局、<抗世>メンバーに頼み込まれて剣を振るうことになり、一部報酬まで貰うこととなった。貰ってくださいお願いしますと熱心に乞われ、断り切れなかったのだ。
ヴィゼも問題なく修復を終わらせ、一行は帰路についた。
何だかんだと気の良いところのあるシュベルトは、<抗世>メンバーに囲まれ、わいわいと言葉を交わしながら行く。
そうしながらも、彼は自分自身の目的を見失ってはいなかった。
彼の目的は、実のところ、ヴィゼの推測した通りだ。
合成獣のことについてはほとんど口実でしかなかった。現れてくれれば楽、くらいの気持ちで、やはり姿を現さなかったことに対して落胆はない。
――あいつがこんなに人間に囲まれて仕事してるとか、なぁ……。
ヴィゼとクロウは、シュベルトから少し離れた前方を、やはり<抗世>メンバーと話しながら歩いていた。
シュベルトが初めて会った時、クロウは話すことすらできなかったのに――。
感慨深く、シュベルトは思い出す。
初めてクロウと見えた時、彼女は白竜の背中にぴたりと張り付き、警戒の眼差しでシュベルトを見上げてきた。当時クロウは人化の術も使えなかったので、もちろん黒竜の姿だ。
「なんだこいつ」
「かわいいでしょう」
無遠慮に眺めやって問いかけたシュベルトに、白竜は柔らかく笑う。
シュベルトにとっては、黒竜の存在より、白竜のその笑顔の方が驚きに値するものだった。
それは、心からの嬉しげな笑み。
そんな笑顔を何百年も見ていなかったのだと、その時ようやく気付かされた。
今ならば、白竜がどれだけの孤独の中にいたのか、少しは想像できる。
だが、あの時までのシュベルトは、それを知ろうとも思わなかったのだ……。
結局、その時はすぐに白竜の元を辞した。白竜は黒竜の世話を焼くのに一生懸命で久しぶりの手合わせには応じてくれなかったし、他者の存在に慣れぬ様子の黒竜を煩わせれば追い出されそうだったので、そうなる前に自分からさっさと暇を告げたのだ。
再度白竜の元を訪れたのは、それから数ヶ月後のことである。珍しく間をあけずにシュベルトが顔を見せたので、白竜は意外な顔を隠さなかった。それまでは数年に一度足を運ぶくらいだったので、その反応は至極当然のものだった。
「クロウに会いに来たんですね」
「ちげえ」
腑に落ちたように、白竜は笑った。
どちらかというとシュベルトは母親の変化を気にしていたのだが、白竜には「こんな可愛いクロウに心奪われないモノなどいるはずがない」という思い込みがあって、勝手にそう納得された。
「つうか、クロウってこいつの名か」
「そうですよ」
「……真名、じゃねえな。つけないのか」
「ちょっと事情がありまして」
困ったように笑う、白竜の背にやはり黒竜は寄り添っていた。
「それより、ちょうどいいのでクロウの会話の練習に付き合ってください。私以外とも話をしなければと思っていたところでした」
「……めんどくせえ」
「こんな可愛い子と話ができるというのに、なんですか、その顔は」
割と本気でキれられ、シュベルトはクロウの会話練習に付き合うこととなった。
『よろ、しく』
『……おう』
というのが二人の最初のやりとりだ。
聞けばクロウが概念送受を覚え始めたのは前回シュベルトが赴いた頃だったらしいのだが、たどたどしくも会話はきちんと成り立っていた。
何だかんだとクロウの練習相手を務めたシュベルトは、クロウと並んで白竜に頭を撫でられた。
全く嬉しくなかったので、すぐに振り払った。
それからまた数ヶ月後にシュベルトが足を運んでみると、見知らぬ少女がいた。
まさか、と思えばそのまさかで。
思わず硬直したシュベルトに、白竜が誇らしげに微笑んだ。
「惚れ直したでしょう?」
そもそも惚れていない。
という反論をする前に、長い黒髪に透き通るような眼差しの少女は、硬い表情でシュベルトを見上げ、言った。
「ひさし、ぶり」
概念送受を使うのではなく、人の姿をとった黒竜は、難しそうに唇を動かしたのだった。
クロウの成長には著しいものがあった。
彼女は貪欲で、白竜から得られるものは知識も戦闘力も何もかも、全て身につけようといつでも必死だった。
白竜もそれに応え、無茶だと思えることも度々クロウに課していた。
溺愛するクロウに対し苦渋のことだったようだが、決して手を緩めることはしなかった。
「なんでそこまでやる?」
問うたシュベルトに、白竜は儚げに笑った。
「もうあんな風に失うのは嫌だからですよ。……何よりあの子が望むなら、私はなんだってやります。なんだって」
一途な眼差しで、黒竜は答えた。
「守りたい人がいる。あの方のためならわたしはなんだってやる。なんだって」
そうして、十年。
たった十年で、クロウはシュベルトやアルクスと互角に戦えるほどになった。
何百年も生きてきた彼らに、そんなにも短い時間で追いついた。
驚嘆と言う言葉では、足りない。
彼女の存在はきっと、奇跡にも等しい。
表には決して出さないが、シュベルトは黒竜の存在をそう定義していた。
それはアルクスも同様だ。いや、きっとアルクスの方が確信しているのだろう、とシュベルトは思っている。
アルクスは、白竜の笑顔が精彩を欠いていたことに気付いていた。彼女の孤独に、鬱屈に、それを隠す仮面に気付いていたから、心よりの笑顔を取り戻してくれたクロウに感謝せずにはいられなかったろう。
何よりアルクス自身も、長い生に飽いていた。倦んでいた。クロウの存在はその退屈を紛らわせ、久々の高揚に彼は歓喜の感情を隠さずにいた。
ひたむきで真っ直ぐな彼女の生き様が、どれほど白竜に、アルクスに、シュベルトに影響を与えたか。
重々自覚しているからこそ、シュベルトもアルクスも見定めなければならなかった。
ヴィゼという存在を。
クロウが並び立つことを心より願い、至上とする人間を。
彼が本当に、クロウと共にあるにふさわしいかどうか。
前を行くヴィゼの後姿を、シュベルトは睨む。
修復の腕前は、確かなものだった。
本拠地の結界だけでも、魔術士として一流であることは見てとれる。
召喚魔術を再現した事実を知れば、黒竜を求めた彼の努力も、想いも分かる。
しかし、どうにも煮え切らない。
物足りない思いがしてならない。
シュベルトは、ヴィゼの覚悟をはっきりと己の目で見たかった。
クロウと共に生きていく覚悟が、本当に彼にあるのかどうか。
クロウの努力に、想いに、本当に足る男なのか。
――認めさせろよ、<ブラックボックス>……。
そうでなければ。
そう、思いを巡らすシュベルトを、クロウが振り返る。
言葉はなくとも、シュベルトの視線をクロウが咎めていることは分かった。
一方で、クロウが<抗世>の面々の反応に、シュベルトが受け入れられているという事実に、安堵していることも、分かってしまった。
シュベルトは軽く、その手を剣の柄に触れさせる。
それはまるで、伸ばしかける腕を留めるかのように。
――そうでなければ……。
胸の内で密やかに呟くシュベルトの瞳は、束の間、黄金の輝きを見せていた。




