10 黒竜と木箱
結局、クロウとシュベルトの戦いに決着はつかないまま、正午となる。
そのままシュベルトは、当然のように昼食までとっていった。
アルクスやエテレインたちも一緒だったが、エテレインの護衛であるアルクスはともかく、シュベルトには遠慮というものがない、とクロウは何とも残念な気持ちになる。
<黒水晶>の仲間たちは笑顔で接してくれているが、これ以上の図々しさを見せて迷惑になるようなことがないかと、心配でもあった。
そんなシュベルトが、昨日と同じくアルクスに引きずられるようにして本拠地を出ていくのをほっとしつつ見送ろうとしたクロウだったが、思い出したことがあって玄関ホールで二人を呼び止める。
「そう言えば、二人に聞きたいことがあるのだが」
アルクスとシュベルトは不思議そうな顔で振り返った。
そんな二人の眼前にクロウが差し出したのは、竜の彫刻のされた木箱。
ケルセン領の廃城で託された品だが、結局あれから開けられないまま、今に至る。
廃城の最奥の部屋を守っていたケルベロスは、アサルトの召喚獣。
かの人の息子である二人ならば何か知っているのではないか、とクロウは尋ねたのだった。
「なんだこりゃ」
「素朴な木箱に見えますが……」
しかし、二人にも心当たりはないらしい。
クロウが説明するのにも、そうかと頷くばかりだ。
アサルトの血縁者であれば開けられるのではという期待もあったが、やはり蓋は微かにも動くことはなかった。
「どんな術式が使われているのか……。あの人らしい、素晴らしい出来です」
「だがよ、開かないんじゃただのゲージュツヒンだぜ」
「……その時が来なければ、開かないのかもしれませんね」
「その時?」
「あの人が何かを残すなど理由は一つ。いつか訪れるその時に備えて、手助けになるものをと考えたのではないですか」
淡々と推測を口にしながら、アルクスは手のひらの中で玩んでいた箱をクロウに返す。
この箱の存在理由については、クロウもアルクスと同じように考えていた。
「それならこれは、しばらくはわたしが持っていれば良いだろうか……。いずれは白竜の手に渡るように……」
「どうでしょうね。次代の白竜殿がどのような顔をするか……。わざわざこのような形で遺したということは、それをあの人も分かっていたのかもしれません」
「確かに、迂遠なやり方をしているな」
「それよりも、<ブラックボックス>殿に委ねてみるのはどうです?」
「あるじに?」
それはクロウにとってあまりにも意外な提案だった。
「だが、あるじを巻き込むようなことはしたくない。だって、あれは……ずっと未来のことだ」
「遠い未来のことだからこそ、箱を開けたからと彼が何か役目を負うようなことにはならないでしょう。それにおそらく、彼は私が知る中でも最もそうしたことに向いている、と思いますよ」
「魔術具の解析、か……」
確かにヴィゼならばこの箱を開けてくれるかもしれない。
開けられなくとも、何かしら開けるためのヒントを掴んでくれるかも。
アルクスの人選に納得はしたが、クロウは気が進まなかった。
中身は気になるし、箱を開けることが本当にいつかの未来で良いのかも分からない。
だから開けてみたい気持ちはあるのだが、ヴィゼがもしあのことを知ってしまっら――。
「辛気臭え」
難しい顔で黙り込んでしまったクロウの額を、シュベルトが割と容赦なく突いた。
よけられなかったクロウはその額を空いた方の手で押さえ、恨めしげにシュベルトを睨む。
「オンナに浮かれ切ったヤツの残したもんのことでする顔じゃねえ」
「ひどい言い草だな……」
「間違ってはいませんよ」
この双子の父親に対する言い様は、昔から変わらずこんな風だ。
クロウはそれに肩の力を抜いて、小さく微笑む。
「……引き留めてすまなかった。これについて何か思い出すようなことがあれば、教えてくれれば嬉しい」
クロウの言葉に双子は頷いて、今度こそ本拠地を出ていった。
残されたクロウは溜め息を吐き、手の中の箱を軽くつつく。
「……しばらく眠らせておくか」
そう呟いた時だった。
まるで、それを何者かが咎めるかのように。
「クロウ、どうしたの? その箱は?」
クロウの憂い顔を見つけてしまったヴィゼが、それを放っておくわけもなく、歩み寄ってくる。
見られてしまったと焦りながらも、今さら箱を隠せずに、クロウはただ己の主を見上げるしかなかった。
「……あの二人にもらったの?」
何故かヴィゼの声が低い。
――機嫌が悪い? 怒っている?
今もそうだが、朝からヴィゼの様子は少しだけいつもと違っていた。
クロウはその原因を考え、やはりシュベルトかアルクスが主の気に障るようなことをしたのかもしれない、と肝を冷やす。
そして、二人をここに近付けることとなったクロウにも苛立ちを覚えている……?
どうしよう、と血の気が引いた。
「あの、すまない、あるじ。これは、違う」
クロウは焦って言葉を探すが、何が正解なのか分からない。
「違う?」
まるで全てを見透かそうとするかのようなヴィゼの深い色の瞳に覗き込まれ、クロウの選択肢は断たれる。
誤魔化せない。逃げられない。
本当のことしか言えない。
気付けばクロウは、聞かれるがまま廃城でのことをヴィゼに告げてしまっていた。
「……そっか、あそこで、」
「今まで黙っていてすまない……」
「あの時は、言えなかったよね」
苦笑を浮かべるヴィゼは、既にいつもの彼だった。
あれ、とクロウは首を傾げる。
「それ、クロウが嫌じゃなければ、僕の方でもいくつか試してみたいけど、どうかな」
「え……、い、いいのか?」
「うん。すごく興味がある」
「でも、あるじは忙しいんじゃないか?」
前よりマシになったとはいえ、暇さえあれば研究室に籠っているヴィゼを気遣って、クロウは言う。
「こういう言い方は申し訳ないけど、良い息抜きになりそうだし。ちなみにクロウは、どういう手段を試してみた?」
「叩いたり、剣で斬りつけたり、牙で刺してみたり、尻尾でしめつけてみたり、あとは古式魔術で……」
ほとんど破壊しようとしていたかのようだが、それでも箱には傷一つない。続けられた魔術での開け方は割とまともな内容だったが、結果としては同じである。
容赦のない物理的攻撃にヴィゼは若干口元を引き攣らせたが、さてどうしたものかとすぐに思考を切り替えた。
実は幾つか思いつくことはあるのだが、一つはクロウの協力が必要で、しかしさせたくないことである。
やるとしてもそれは最後だ、とヴィゼは躊躇いなく決めた。
「クロウが試したの以外で思いつくことをやってみたいな。少しの間、借りてもいい?」
「……うん」
少しの、逡巡。
これを差し出すことが、正しいことなのか分からない。
けれど、ヴィゼが申し出てくれているのは、クロウがこれを開けたいと思っているからで。
クロウは渦巻く思いを押し込めて、そっとヴィゼに箱を渡した。
『あんなもん残してるとはな』
『あの人らしいじゃないですか。他に幾つ同じものが出てきても驚きませんよ』
<黒水晶>の本拠地を出たアルクスとシュベルトは、<消閑>メンバーが使っている宿屋へ向かっていた。
合成獣を追うことについて、協会にも伝えることはできない。集まる情報量を考えれば協会の協力を得たいのだがそうはできず、アルクスたちは宿屋を仮の本拠地として情報収集・合成獣探索を行っていた。
『あのメガネが開けられるって、本当に思ってんのか?』
傍目にはのんびりと見えて、その実かなりのスピードで足を運ぶ双子。
二人が話すのは、先ほどまで目の前にしていた箱のことである。
シュベルトの問いに、アルクスは『そうですね……』と、薄らと笑みを見せた。
『開くこと自体は難しくないと思います』
『は?』
『白竜の味方の竜の手に渡れば良かったようですから、竜であれば開けられるようになっているはずです。竜であることを示せば、開くでしょう』
『示す……って、どうやってだよ。つうか、分かったんならなんで教えてやんねーんだ』
『判断材料の一つになるかと』
『難しくないんだろ?』
『ええ。<ブラックボックス>の二つ名を持つ彼にとっては易い部類に入るでしょう。注視すべきは、開けられるかどうかではありません』
それなら何だ、と聞きたかったが、アルクスはそれ以上のことを告げるつもりはないようだ。それを察して、シュベルトは別の問いかけをする。
『……箱については時間がかかりそうだが、今んところどうだよ』
『予想以上に愉快、ですね』
アルクスは上機嫌、という心を隠さなかった。
珍しい、とシュベルトは思うが、意外でもない。
『<ブラックボックス>殿本人も非常に興味深い人物ですが、それ以外の<黒水晶>の方々も負けず劣らず面白い。よく集まったものです。全員うちに入れたいくらいですよ』
『<不可壊>とか、お前好きそうだよな』
『ええ、なかなかない素材です』
『<餓狼>も、聞いてたのとは随分違ったな。どう見たって善良なじいさんだ。ガキがひっついてりゃ余計、二つ名なんざ想像もできねえ。間違いねえんだよな?』
『フルス国王の側で控えていた姿を覚えています。間違いなく本人ですよ』
『そういや、元近衛師団長だったか』
納得したシュベルトだったが、不意にあることに思い至った。
『お前、そんなヤツの目の前でモンスベルクの機密を堂々と……』
『今更ですね』
呆れたように、アルクスは肩を竦める。
『問題ありません。いざとなれば、フルスごと滅ぼします』
『お前が言うと、シャレにならねえ……』
『冗談を言ったつもりはありませんが?』
『どう考えても後で恐ろしいことになるからやるなよ。こっちも巻き込まれるんだからな』
アルクスは一瞬、つまらなそうな表情を見せた。
だが、シュベルトの言った「恐ろしいこと」は確かに避けたい。
『……たまには開放的になりたいものですが、仕方がありませんね』
『たまにはってお前、どんだけの頻度で国を滅亡させたくなってんだよ……』
『安心してください。全て滅ぼしてしまっては余計に退屈ですから、やるとなっても退屈しない程度には自制しますよ』
『今の発言のどこに安心したらいいんだよ』
『ああ、あなたの分を残しておいてほしいのなら、多少は譲歩します』
『そんなことは一言も言ってねえ』
『昔のあなたなら言ったでしょうね』
シュベルトは沈黙した。
アルクスはふっと笑みを零し、話を戻す。
『フルスを潰すようなことにはなりませんよ』
『……<ブラックボックス>がいるモンスベルクを無闇に危機に陥れる真似はしない、か』
『おそらく。何より、フルスに情報を漏らしても、我々を敵に回しては損しかありません。<ブラックボックス>殿が<餓狼>殿の同席を認めたのも、そこを冷静に見てのことでしょう』
『冷静に、な』
繰り返したシュベルトを、アルクスは見透かすような目でちらりと見た。
『二人が気になりますか?』
『あいつらの事情はどうでもいいが、あいつは色々気に病むだろ』
『切実に口止めされてしまいましたしね』
『あのメガネは、一体何をやっていやがんだか……』
『あなたの判定は、今のところ不可ですか』
『不可も可もねえ。まだ全然分かってねえからな。お前の方は、高評価みたいだが』
『実力と頭の切れは認めています』
アルクスが認めるというなら、それは相当なことだった。
両親が、シュベルトが、そしてアルクス自身が才能の塊で、非常に高い実力を持つ。それ故アルクスが第三者に対する評価は、どうしても辛くなった。
しかし、初対面のヴィゼとゼエンに告げた言葉は、クロウがいるからこそのリップサービスが半分だったが、半分は本音。それだけでも、非常に稀有なことだった。
アルクスらと同等以上の能力を持つ存在など、皆無に等しいのだから。
『それから、執着』
『執着?』
『ええ。彼のそれは、おそらく、大変なものですよ。穏やかな普段の顔が不気味なほどです。気付きませんでしたか、彼の魔力量と、そして本拠地の結界に』
『誤魔化してるから分かりづらいが、確かにあの魔力量は異常だな。アビリティ持ちでもねえのに、こっちの世界であんなに魔力を……、おい、あいつ、まさか』
『そのまさかでしょうね』
思い当たったことに、思わず足を止めそうになったシュベルトだった。
『マジか……。あの末子でさえ、そんな命知らずな馬鹿はしなかったぜ』
『あなたに馬鹿と言われたくはないでしょうが、その通りですね』
『あの結界も、ヤバいのか……。息苦しいとは思ってたが』
『結界内は彼の領域ですから。我々が歓迎されていない証でしょう。こちらも彼に心から友好的というわけではないので、多少の息苦しさは仕方ありません。問題は、今のところ使われていないらしい機能です』
『……何となく分かった。皆まで言うな』
シュベルトは頭脳労働は苦手だが、察しは悪くない。
続けて示唆された内容に、天を仰ぎたくなった。
『たとえ歓迎されてたって息苦しいのに変わりねえな。だが、あいつにはもしかしたらそれくらいがいいのかもな。あいつも大概だし、あいつにとっちゃ、幸せなことじゃねえか?』
『そうかもしれませんね。それでは、あなたは諦めるのですか?』
『諦めるってなんだよ。オフクロもお前も邪推するが、俺には諦めることなんてねえ』
『変わりませんね、そこは。では、<ブラックボックス>殿を認めると』
『それとこれとはまた別だ。俺は聞くばかりで、まだ全然分かっちゃいねえ。認めるには、もっと覚悟を見せてもらわねえとな』
『それには同感です。彼がクロウ殿と並び立つのにふさわしい存在か……、我々を認めさせる決定打を明確に示していただかなければ』
アルクスが不敵な笑みを閃かせたところで、目的地である宿屋が目の前となった。
概念送受を使っての会話を止め、アルクスはドアの取手に手をかける。
それから夜まで二人は<消閑>メンバーと共に合成獣探しに労力を費やすこととなるが、全く手がかりは見つからないままという結果で終わるのだった。




