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黒水晶の竜  作者: 隠居 彼方
第3部 修復士と半竜の双子

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09 黒竜と手合わせ



「……早すぎる」


 苦い顔で、クロウは言った。

 対するは、彼女の倍以上の体躯を持つ大男――シュベルトだ。

 黒い武装に身を包んだ彼は、朝の闇に溶け込むように在りながら、悪びれもせずに返した。


「そう言うなよ。目が覚めちまったんだ、しょうがねえだろ」

「それなら一人で鍛錬でもしていろ」


 クロウが冷たく言うのも無理はない。

 まだ太陽も昇らぬ時間帯、なのである。


 そんな早朝に、シュベルトは<黒水晶>の本拠地を訪ねてきた。

 それをクロウは早々に察知し、男が扉のノッカーを叩くか大声を出すかをして仲間たちを起こしてしまわぬ内にと、影から男の前に現れたのである。


「それだけじゃつまらねえから来たんじゃねえか」

「時間を考えろ、と言っている。こんなに朝早くでは手合わせもできない」

「人のいねえ場所に行けばいい」

「あるじたちが手合わせを見たい、と言っていたからそれはなしだ。それに、わたしはお前と違ってあまり目立つ真似をするわけにはいかない」

「隠家が近くにありゃ良かったのにな」


 シュベルトは割と本気で悔しがった。

 クロウはそんな男の様子に溜め息を隠さない。


「……とにかく、手合わせは朝食の後だ。御大が用意してくれているものを粗末にはできないしな」

「<天の恵み>の朝飯か。食ってみてえな」


 図々しい、と非難を込めてクロウは男を半眼で睨んだが、シュベルトは気にした風もなく笑う。

 もう一度溜め息を吐いて、クロウは写し身をキッチンにいるゼエンの元へ行かせた。朝食の一人前の追加を頼むためだ。


 ゼエンは既に起きて、家事をこなしている。シュベルトがやって来たのは、クロウがその手伝いをしている時だった。

 <影>からの頼みに、ゼエンは気分を害した顔など見せず、穏やかに人数の追加を了承してくれる。

 それに申し訳なさと感謝の念を覚えつつ、ゼエンであったらこんな早朝の訪問で誰かに迷惑をかけることなどきっとないのだろうと、残念な気持ちでシュベルトを見上げた。


「……朝食までまだ少し時間があるから、今の内にお前にも渡しておく」

「何をだ?」

「……メディオディーアからの預かり物だ」


 今度は呆れきった眼差しを向ける。

 クロウの瞳にはだんだんと憐れみさえ混じってきて、さすがのシュベルトも少したじろいだ。


「お前には、これを」


 影からするりとクロウが引き抜いたのは、一振りの剣。

 シュベルトが帯びているグレートソードより一回り小ぶりな、けれどそれも一般的にはグレートソードと呼ばれるだろう大剣であった。

 装飾はなく、鞘も柄も闇に紛れてしまいそうな黒。

 それを暗闇の中でも問題なく目に映したシュベルトは、息を呑んだ。

 差し出されたそれを、思わずといった様子で受け取る。


「……こいつは、親父の……」

「そう。アサルトの愛剣<皓竜>だ」


 シュベルトはゆっくりとその剣身を露わにする。

 鞘の下から現れた剣身は、その鞘や柄と真逆に、太陽が昇ったかのように白く眩く輝いて辺りを照らし出した。


「……まさかこれを俺に遺していくなんてな……」


 溜め息交じりにひとりごち、シュベルトは剣を鞘にしまった。

 途端、闇が戻ってくる。


「あの女、戻ってきた時、返せって言うんじゃねえか」

「言わない。絶対に」


 クロウの声は、固かった。


「白竜は、きっと、わたしたちの元にやってくる。でも、その時にはメディオディーアではない。……だからこそそれを、お前に遺していったんだ」

「……お前らは、難しく考えすぎだと思うけどな。分かった。精々大事にするさ」


 シュベルトは軽く肩を竦める。

 伝説の白竜が息子に遺すものが一振りの剣だけ、ということはなく、クロウは男に向かってさらに続けた。


「ああ。それから、隠家の一つとその中にある財産全てがお前に遺されている。<皓竜>を受け取ったと同時にその所有権はお前に移されたから、今後の管理は任せる」

「げ……っ。どこだよ?」

「それは口止めされている。自分で見つけてくれ。<皓竜>が鍵になっているから、持って行って開けば、そこがお前に遺された隠家だ」

「あの女……っ、また面倒臭いことを……!」

「分かっていると思うが、放棄などすれば後が怖いぞ」

「おう……」


 シュベルトはげんなりとした表情を隠さず頷く。

 いささか同情の念を覚えたクロウだが、一応窘めておいた。


「アルクス殿はお前より多くの隠家の管理を任されている。一つくらいでそんな嫌そうな顔をするものではない」

「あいつはそういうの苦にならねえから別にいいだろうけどよ……」


 恨めしげに言って、ふと男は何かを思いついたようだった。


「俺に<皓竜>なら、もしかしてあいつには<千変万化>のオリジナルか?」

「そうだ」

「そりゃ随分と喜んだんじゃねえの、あいつも」

「どうだろうな」

「あー、あいつ、天邪鬼なところがあるからな。形見分けでもらうのは本意じゃなかったかもな」


 クロウは昨日、アルクスにも遺品を渡したことを思い出した。

 彼が最初にやってきた午前中には機会がなかったが、夕刻に再度訪れがあった時に渡すことができたのだ。

 アルクスは淡々とした様子であったが……、一体どう感じていたのだろう。

 遺されたもののこと。何より、白竜の、母親の、死のことを――。


「……なんかあいつに言われたのか?」

「え?」


 予期せぬ問いかけに、クロウは目を瞬かせた。

 シュベルトは珍しく真面目な顔で、クロウを覗き込んでくる。


「いや、別に、何も……」

「そんならいいが」


 突然の問いかけの理由が分からず、クロウは戸惑ったが素直に返した。

 その答えを疑わずに、シュベルトはクロウの頭をかき回す。


「……なんなんだ」

「なんとなくだ」


 クロウが嫌そうに男の手を追い払えば、シュベルトは満足そうに笑った。






 ヴィゼは不機嫌だった。

 朝、招かざる客の訪問に起こされ、何故かその客と朝食の席を同じくし――客の席はクロウの隣だった――、さらに今、クロウと客が並んで鍛錬場に向かおうとしている。

 その後ろ姿に、苛々した。


 それを自覚して、ヴィゼは感情を鎮めるように深く息を吐く。

 “クロウ離れ”、と何度も胸中で呟いた。

 ヴィゼにとって嬉しくない客は、クロウにとっては大事な相手だ。

 それを引き離さないでいられる自分に、クロウの家族としてふさわしい自分に、ヴィゼはなりたいはずだった。


「せっかくだ、久々にあいつも出せよ」

「二対一か……。お前、加減を忘れて建物を壊さないか?」

「結界を厚くしときゃ大丈夫だろ」

「……加減をする気はなさそうだな。仕方がない。だが、レインたちが来るまでだ。彼女たちには、写し身のことは教えていない」

「了解。しっかし、それがあるにしろ、お前がすぐに頷くのも珍しいな」

「そう思うなら言うな。……だが、お前には借りがあるから、今回だけは望みどおりにしてやる」

「なんか貸してたか?」


 遠慮なく交わされる会話に、ヴィゼのストレスは溜まっていくばかりである。

 不機嫌を何とか隠すヴィゼと、<黒水晶>の仲間たち、そしてラーフリールは鍛錬場の一角に集まった。

 今日はセーラもやって来ていて、今はラーフリールの頭の上に落ち着いている。

 シュベルトとセーラの遭遇にひやひやした仲間たちであったが、彼の反応は薄く、胸を撫で下ろしたばかりだった。


 ちなみにエテレインたちがいないのは、彼女たちがここしばらく<黒水晶>に泊まるのを遠慮しているからだ。エテレインが泊まるとなれば、護衛も泊まることになる。アディーユ以外の護衛を<黒水晶>メンバーと同じ屋根の下で寝起きさせたくはなく、エテレインたちは街の宿を使っていた。


「あるじ、念の為結界を張っておこうと思うのだが、良いだろうか」

「うん、大丈夫だよ。僕がやろうか?」

「いや、あるじの手を煩わすほどのことではない」


 クロウは生真面目に言って、すぐに結界を張った。

 エーデでは彼女の魔力は害になる。だが本拠地では、ヴィゼの魔術があるためそれを気にせずとも良かった。


「すごいね……、これは」

「さすが、やね」


 クロウが魔術を使うシーンは少なく、ついその術の完成をまじまじと観察してしまったヴィゼは驚嘆する。

 クロウの張った結界は、鍛錬場をすっぽりと覆う、非常に強固なものだった。

 並の魔術士が同じことをしようとしたならば、ごくごく薄くすぐに壊れてしまうものとなってしまうところだ。


 さらにクロウは仲間たちを別の結界で囲み、告げる。


「多分これで大丈夫だと思う。それに、もしもの時は写し身が防御するから」

「……お前らはどんだけ暴れるつもりなんだよ?」

「それはあいつに聞いてくれ」


 クロウが結界を張る間に、シュベルトは軽く体を動かしていた。

 クロウが視線を向けると、準備が整ったかと嬉しそうに笑う。

 無邪気な子どものような笑顔だった。


「……では、行ってくる」


 歩き出したクロウの後ろに、従うように<影>が現れる。

 もう一人のクロウにもシュベルトは笑顔を向けて、手を上げた。


「おう、ノーチェ、久しぶりだな」


 ノーチェ、と呼ばれた<影>は、ひとつ頷く。


「また愉しませろよ」

「……うっかり殺されないでね」

「相変わらず言うな、お前は」


 物騒な笑みを交わし合うシュベルトと<影>に、クロウはひとつ嘆息した。

 この二人はいつもこうなのだ。

 シュベルトは戦闘狂、ノーチェは最も攻撃性の高い<影>で、気が合うらしい。

 白竜と共に暮らしていた時も、クロウそっちのけで剣を交わしていたりした。


「……始めるぞ」

「おう」

「お前との手合わせが切りがないから、終わる時間だけは決めておく。決着がつかなくとも、正午までで終わりだ。いいな」

「短くないか?」

「短くないし、お前にはアルクス殿の手伝いがあるだろう」

「そっちは気が乗らねえんだけどな……。あいつの小言もうるさいし、しょうがねえか。分かった。じゃあ、やろうぜ」


 午前中だけ、というのが不満そうだったが、シュベルトは了承した。

 鍛錬場の真ん中で、二人は適度な距離を取って向かい合う。

 そしてクロウの後ろには、<影>。


 合図はなかったが空気がぴんと張り詰めたようで、その重さに、見ている者たちはそれだけで息を呑んだ。


 束の間の、静寂。

 それから――二つの影が同時に動いた。


 動いたのは、シュベルトとノーチェだ。

 シュベルトが剣を抜けば、燦然とした白い光が零れる。

 手にしたばかりの<皓竜>だ。

 対するノーチェの剣身は対照的な黒。

 一瞬にして距離を詰めた白と黒の打ち合いは、凄まじいスピードで行われた。


「……マジか。全然剣筋が見えねえ」

「常軌を逸していますなぁ」


 剣士二人はそれでも食い入るようにその攻防を見つめる。

 ここまでの速さと力を身につけることは、人の身には難しい。

 だが、近付くことはできる。

 強敵と対した際どのように動くのか、考えることも。

 だからエイバもゼエンも、目の前の戦いから目を離さなかった。


 防御を担当するレヴァーレも同じだ。

 ここまでの力量を持った相手に襲われた時、彼女の防御でいかにすれば仲間たちを守れるのか。

 大きな実力差を感じながらも、彼女もそれを考え、目を逸らさない。


 一方、少女たちはただひたすら感動でその瞳を輝かせるばかりである。


「クロウお姉さんがいっぱいですー」

『はい、すごいですね!』


 ラーフリールが言うのは残像のことであって、<影>のことではない。

 エテレインの依頼が完了した後、彼女もクロウの写し身のことは聞いていて驚きはないが、ノーチェの動きに奇術でも見せられたかのように瞳を輝かせた。

 その頭の上で、セーラも身を乗り出すようにして興奮の声を上げる。


『さすがです。人の形でも、竜族の方々の戦いぶりは変わりませんね』

「セーラやんは竜同士の戦い、見たことあるんやね」

『はい。大変なものですよ。何度も、というわけでないのが幸いです。山一つなくなって、泣く泣く引っ越してきた仲間たちもいますから』


「おわっ、えげつねえ!」


 乾いた笑いを浮かべたレヴァーレだが、エイバが声を上げたのは山一つの犠牲を聞いてのことではない。

 いつの間にか影に潜んでいたクロウが、完全なる不意打ちでシュベルトを襲ったのだ。

 それに合わせてノーチェも動く。

 どうやっても避けられないと思われたが、シュベルトはクロウを待ち構えていたかのように、剣を大きく一振りしただけで二人の攻撃をいなしてしまった。

 だがそれは、クロウにも想定内だったらしい。

 次の動きに淀みはなく、そこから、二対一の怒涛の攻防が続く。

 上下左右全ての空間、結界の壁や天井さえ足場に使った戦いに、見ている方は目を回してしまいそうだった。

 戦っている者たちの動作が一瞬でも鈍くならないのが、むしろ不思議な程である。


「これは、結界がなければ本拠地はどうなっていたでしょうなぁ……」

「……これに攻撃魔術の使用が加わったりしたら……」


 不穏な想定に観衆が冷たい汗を流す間にも、クロウとノーチェの不意打ちはなかなかに厳しいというか卑怯なくらいのものが繰り返され、シュベルトはそのスリルを楽しんでいるようだった。

 そしてシュベルトが仕掛ければ、クロウたちは絶妙なコンビネーションでそれを防ぎ切る。

 終わりなどないかのような戦いであるが、戦う方も見守る方も、決して飽きてしまうことはないようだった。


「……あるじ、大丈夫?」


 そんな目の前の手合わせを無言で見つめていたヴィゼは、控えめに服の裾を引かれて視線を下げる。

 クロウの<影>のもう一人が、気遣わしげにヴィゼを見上げていた。


「顔色、少し、悪い」

「そう? 特に体調は悪くないけど……」

「シュベルトのせい?」


 聞かれてヴィゼは、ぎくりとした。


「あんな朝早くに来て」


 そっちか、とヴィゼは内心で苦く笑う。


「……違うよ。大丈夫。多分、ちょっとびっくりしてたからかも」

「びっくり? あれ?」


 三人の戦いを指して、<影>は首を傾げる。


「あれの感想も色々あるけど……。昔……、いや、うん。……名前もさ、知らなかったんだなぁって思って」


 何かを話しかけて止めたヴィゼは、小さな溜め息と共に告げた。


「名前?」

「君たちの名前。聞くこともしてなかったんだよね」

「……それは、」


 <影>は、その顔を曇らせた。

 わずかの沈黙の間、二人は視線を交わすことなく、ぼんやりと目の前の攻防を見つめる。


「……クロウが、言わないように、聞かれないように、していたから」

「――え?」


 予期せぬ言葉であった。

 その内容もだが、<影>がまるで全く違う個を呼ぶように「クロウ」と口にしたから。


「あるじは、優しい。だから、知らなくていいの。私たちのこと」


 <影>は柔らかに両目を細めた。

 それはクロウの持たぬ笑みだ。

 知らなくていいと拒絶するかのようであるのに、まるで優しく包み込まれるようで、ヴィゼは戸惑った。


「でも、どうしても知りたいのなら、クロウに直接聞いて」

「……君の名前も、今聞いたら駄目、なのかな」


 ふふふっ、とクロウの<影>は笑って人差し指を立てた。


「――うん。秘密、ということにしておく」

「残念」


 軽く肩を竦めたヴィゼに<影>は思うところがあるようで、笑顔にわずか、困ったような色を滲ませる。


「あのね、あるじ」

「うん?」

「今みたいに、他の女の人の名前、聞いちゃだめだよ」

「え?」

「何だか口説いてるみたい。クロウが見たら、悲しむ」

「はっ!?」

「クロウにはちゃんと秘密にしておくから、気をつけてね」

「ちょ……っ!?」


 もう一度無邪気に笑って、<影>は再び身を影の中に沈めてしまった。

 混乱するヴィゼを、無情にも残して。




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― 新着の感想 ―
[良い点] ヴィゼやんの暗い過去がまた顔を出しましたね……… 一体ヴィゼやんとクロちゃんの身に何が?! [一言] お久し振りです。 全然読まなくてすみません(苦笑)
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