08 黒竜と女子会②
皆の興奮がおさまり、クロウはほっとする。
が、目の前で頷き合う三人に、不思議そうに首を傾げた。
「クロやん、今の話はここだけにしとこうな。男どもには内緒や」
「ああ、うん。昔の話だし、妙な勘繰りをされたらレインに迷惑をかけることになるものな」
三人が危ぶむのはヴィゼの反応だったが、自分だけが片想いをしていると信じているクロウはそう納得した。
矛先が自分に戻ってきたエテレインは、再び顔を歪める。
「……クロウさん、あの方との話は流れた方が良いのですけれど……」
「でもレイン、やっぱり悪い相手やないと思うけどなぁ。貴族である程度理想に叶った結婚相手、てのはなかなか見つからずにおるわけやろ」
「あの方であれば、お嬢様の理想に見合うと思われますか」
「うちの勝手な意見やけどな。あのお兄さんには、レインが自由に振る舞うのを許してくれる度量があると思う。社会的にも認められた人やし、貴族相手でも上手く振る舞えそうやし、経済的にも問題なんかないやろうし。何かあった時頼りになるのは間違いないで。何よりお祖父さん公認やから、その辺で面倒が起きる心配もないやろ」
それは確かに、と聞いていた三人共に納得するところであった。
エテレインはレヴァーレの言を認めつつ、真面目な顔つきになる。
「確かに好条件、なのかもしれません。けれど、あの方が本当にメトルシア家のためになる存在なのか……。わたくしはそれを危惧しています。お祖父さまがどういう考えでいるのか分かりませんけれど、あの方の能力は、メトルシア家には過分すぎます。それに、後継になれるわけでもないのに、あの方は婿入りしてどうするつもりでいるのか……、不確定要素が多すぎです」
エテレインの危惧も、最もなものだった。
「……大旦那様が今回そこまで強引に推し進める様子がないのは、そういう理由でしょうか」
「分からないわ。あの方の事情もあるでしょうし……。わたくしもしばらくは様子見をさせてもらいたいと思っています。できればなかったことになってほしいけれど……」
そう、エテレインは虚ろな目になる。
「あの方と人生を共にできる女性なんているのでしょうか? 問題に対処する能力は高いのでしょうけれど、むしろその問題を作り出す性格の悪さというか……。ずっと一緒にいたりなんかしたら、疲れ切ってしまうに違いありません」
「手厳しいな、レイン」
「否定はできませんけれど……、そこまででしょうか」
常にエテレインの後ろでアルクスを見てきたサステナは、彼の紳士的な振る舞いには感心していたので、小首を傾げた。
サステナもアルクスに得体の知れない恐ろしさのようなものを感じているが、それにしてもエテレインがここまで拒絶を露わにするのも不可解だ。
レヴァーレも同じような疑問を持ったようで、彼女たちの視線を受け、エテレインは自分の感じるところを吐露する。
「クロウさんが仰ったことに加えて……、あの方は、特権意識の強い貴族と同じなのだと思えるのです。自分は遥か高みにいる存在だと思っていて、他人のことなど本当は歯牙にもかけていないのではないでしょうか。わたくしのことだって、ちょっと毛色の珍しい猫がいるな、くらいの感覚で……。だから嫌なのです。わたくしはペットになるのは御免です」
凛としてエテレインは告げた。
彼女の人を見る目は確かである、と知っているレヴァーレたちは頷くしかない。
「……そういうところは、あるのかもしれんな。なんせ、人類最強といっても過言ではない一人やからな……」
「ええ……」
しかしクロウは、それに同意しなかった。
彼女も真っ直ぐな眼差しで、己の意見を述べる。
「わたしはそれは、少し違うと思う」
「ちゅうと?」
「あの人が人を見下しているというのは否定できない。あの人は能力が高すぎる。他人に対し、何度も苛立ち失望したことだろう。けれどそれでも、あの人はまだ人に期待している。遥か高みからの視線かもしれないけれど、確かにちゃんと人を見ているんだ。自分に並ぶ者がいるのではないか、自分を引きずり降ろしてくれる者がいるのではないか。あの人は、レインにもちゃんと期待をしていると思う」
「……そうでしょうか」
「多分」
唇を尖らせたエテレインに聞かれ、クロウは少し弱気になって微笑した。
「見る目は確かだと思う。レインを見初めた目は」
「……クロウさんは、わたくしがあの方と一緒になった方が良い、と思われているのですか?」
「レインが、望むような結婚をしてくれればいいと思っている。アルクス殿が、少しでも満たされることが多ければいい、とも思っている。二人がそういうことになるにしろならないにしろ、幸せになってくれるならそれでいい」
「……うー、その言い方はずるいです、クロウさん……」
「すまない。でも、それが本心だから」
だからずるいのだ。
レインは嘆息し、「よく考えてみます」と小さく言った。
「レインに無理強いしたいわけじゃない。本当に嫌なら、レインが確実に断れる手が一つある」
「そんなものがあるのですか!」
エテレインは目を輝かせた。
やはり彼女としては、気が進まないらしい。
レヴァーレとサステナも、興味深くクロウの言葉を待った。
「ああ。だがそれは、絶対に断りたいという時になったら教えることにしよう。その内アルクス殿が自分で言うこと、だとも思うが」
「自分で言う?」
「ああ。その時にはレインにも分かると思う」
エテレインとサステナは疑問符を浮かべたが、クロウはそれ以上言わなかった。
アルクスは、アビリティ持ちであることを隠していない。
けれど竜と人の混血であり、そのために時の流れまで違うとは、さすがに公にしていないことだった。
だが、共に生きていく相手にそれを言わないわけにもいくまい。
彼はいつか告げるだろう。
それをエテレインは、受け入れるだろうか。
受け入れられないのならば、アルクスは潔く身を引くだろう。
そしてその時は、クロウも友人を失うのかもしれなかった。
竜であるクロウとて、アルクスと同じだ。
それを黙っているという罪悪感を、クロウは捨てきれなかった。
<黒水晶>の仲間たちのためにも、エテレインたち自身のためにも口外してはならないと分かっている。
隠し事など誰にでもあるし、何もかも話せばいいというわけではないことも、分かっている。
だが、隠すのと騙すのは違うのだ。
クロウはエテレインたちを、騙しているのだった。
少なくともクロウはそう考えている。
周囲を欺き生きるクロウを、彼女たちはいつか忌避するだろうか。
それとも、変わらずにいてくれるだろうか。
もしかしたら、前者の方が良いのかもしれない。
いずれにせよ、皆クロウを置いていってしまうのだ。
エテレインたちだけではなく、<黒水晶>の仲間たちも、そして、ヴィゼも。
未来のクロウはひとり、取り残される。
皆が去っていくのを見送るよりは、拒絶される方がまだおそらく、耐えられる、と思った。
つらいことに変わりはないけれど、拒絶されることには慣れているから。
けれどただ失うことには――慣れていない。
これまで何も持たなかったクロウは、己が失うことに果たして耐えうるのか、甚だ疑問だった。
――騙しているわたしが、己の傷を気にする資格はありはしないか……。気遣うべきは、レインたちの気持ちだろう……。
「いざとなったら、わたしがアルクス殿をぶちのめすこともできるしな」
屈託を胸にしまって、クロウはエテレインを安心させようと微笑んだ。
その微笑みにエテレインは目を輝かせ、両手を組む。
「クロウさん……、なんて頼もしい……」
やっぱり結婚するならクロウさんと、などと言い出しそうで、隣のサステナはひやひやした。
レヴァーレも、クロウに対する従妹の傾倒ぶりに苦笑する。
その一方で、如何にすればアルクスを遠ざけられるか、クロウが仄めかしたそれを薄々察したレヴァーレは、眉を顰めたくもあった。
クロウとアルクスの抱える事情は同じであろう。
クロウがそれを気にしないことは、有り得なかった。
「――よしっ」
レヴァーレは気合を入れるために声を上げる。
「レインから根掘り葉掘り聞けて満足したし、それじゃそろそろ、本題に入ろか」
「本題?」
「クロやんを応援し隊やけど、ちょっと怠慢気味やったからな。気張ってかなあかんと思うんよ」
「……は!?」
その存在のことを記憶から葬り去りたかったクロウであったが、まさかの復活に開いた口が塞がらない。
「お姉さま、その言葉をお待ちしておりました!」
「張り切って意見出していこか!」
従姉妹たちはこれ以上ない様子で張り切っている。
クロウは助けを求めるようにサステナを見つめたが、返ってきたのは「諦めましょう」という達観の表情であった。




