03 修復士と半竜の双子①
よく晴れた、空気の冷たい朝だった。
<黒水晶>の本拠地、その鍛錬場で体を動かしていれば、けれどその寒さは既に遠い。
カン、カンと音を立てて木剣を打ち合っているのは、ヴィゼとクロウ。
ヴィゼのトレーニングに、クロウが付き合っている(クロウは稽古相手に選んでもらえたと思っている)のだった。
常に魔術研究のために引きこもり気味のヴィゼだが、戦士として体を鍛えることを忘れてはいない。
クロウが<黒水晶>に加入してからは特に、トレーニングを怠らないよう心掛けていた。
今の打ち合いもその一環。
クロウには全く物足りない実力なのは重々承知しているが、それでも彼女が真剣に(本気、ではもちろんないが)相手をしてくれるのが、ヴィゼには嬉しかった。
そしてそんな二人を、ゼエンが少し離れたところで見守っている。
元々クロウと剣を合わせていたのは彼だったのだ。
ヴィゼのために、木剣を自ら譲ったのである。
ゼエンにとっても、目の前のこの光景は歓迎すべきことだ。
クロウの加入から、ヴィゼが鬼気迫る様子で研究室に籠ることはなくなった。
熱心に魔術研究を進めること自体がなくなったわけではないが、以前とは比べものにならない程度である。
クロウには本当にいくら感謝してもし足りない。
ヴィゼが研究に熱中しすぎるのは彼女のせいとも言えるのだが、それでも。
――私の役目はもう、必要ないのでしょうなぁ……。
ゼエンは目を細めて、思う。
最近の二人を見ていると、そのことをよく考えた。
ヴィゼがゼエンに求める役割を、彼はよく理解している。
だがそれも、ヴィゼが仲間を得、さらにクロウを得た今となっては、必要のないものだろう。
そもそもゼエンは、その役割を果たそうとも思ってはいなかったのだが――。
――新しい立ち位置を望むことが、許されるのでしょうかなぁ……。
ゼエンはかすかな憂いをその瞳に浮かべた。
その、目の前。
「あるじ」
ぴたり、とクロウの動きが止まる。
戸惑ったような様子に、ヴィゼは息を切らせたまま首を傾げる。
「どうしたの?」
「客が、来たようだ。わたしに……だと思うんだが」
そう、クロウはどこか不思議そうに告げた。
「クロウさん、お会いしたかったです……!」
玄関のノッカーが客人の訪いを知らせる。
クロウがドアを開けば、エテレインが飛び込むようにして抱きついてきた。
肩にぐりぐりと頭を押し付けられ、クロウは困惑しながらも友人の背を軽く叩き、歓迎の意を示す。
エテレインが結婚相手探しに難儀していることはクロウも聞いていて、それに関してまた何かあったのだろうと推測することは容易い。
エテレインが落ち着くまで好きなようにさせていると、その間に苦笑を浮かべたサステナが玄関ホールに足を踏み入れた。
そして彼女に続いて、一人の男が。
クロウと共に玄関ホールで客人たちを迎えたヴィゼとゼエンは、初対面のその男の姿に目を見張る。
現れた男が、稀に見る美丈夫であったからだ。
銀に輝く鎧を纏う男は、間違えようもなくヴィゼたちと同じ戦士であった。
冷静な黒瞳には底知れぬものがあり、ヴィゼとゼエンは只者ではないという認識を同じくする。
「申し訳ありません、取り乱しました」
やがて、再会の抱擁をといたエテレインは渋々とクロウから離れ、一礼した。
「今日はいつもの通り皆さんに会いに来たのですけれど、もう一つ用事があって参りました。わたくしの新しい期間限定の護衛が、クロウさんのお知り合いと言うので……」
期間限定の護衛、を強調してエテレインは言う。
エテレインの視線を受けて、男は一歩前に進み出た。
「クラン<消閑>のアルクスです。どうぞよろしく」
さすがにエテレインとの初対面の時とは違い、男の――アルクスの口調は砕けている。
彼はヴィゼとゼエンに自己紹介し、それからクロウに視線を向けて目元を和らげた。
彼はクロウと視線を合わせるように膝をつき、首を垂れる。
「お久しぶりです、クロウ殿。壮健なようで、安心しました」
「アルクス殿も、変わらないな。その大仰なのは、どうにかならないのか?」
「あなたを粗末に扱うと、叱られますから」
「揶揄うのはいいのか?」
「揶揄ってなど」
呆れたようなクロウの眼差しにアルクスは心外そうに言って、笑う。
二人のやりとりを、ヴィゼは茫然と聞いていた。
<消閑>と言えば、戦士で知らない者はいないほどの、超有名クランだ。二つ名持ちの高い実力を持ったメンバーが集まり、彼らが達成できない依頼など存在しないだろう、とまで言われている。
――あの<消閑>の、アルクス……。
その名も、無名のものではない。
<消閑>のリーダー。
<滅びの白>や<可視の戦慄>等、幾つもの二つ名で呼ばれる男。
彼の突出した実力は、様々な逸話と共に戦士たちの口から語られる。
有名な話では、魔物の大規模侵攻が起こった際、彼は大きな都市を一つ、たった一人の力で一瞬にして滅ぼしてしまったという。
そのアルクスが、今目の前でクロウと親しげに話している……。
ヴィゼは胸をざわつかせたが、一方でアルクスがクロウとどういう知り合いであるのか、頭の冷静な部分が答えを弾き出していた。
クロウの交友関係は広くない。
ヴィゼたちの知らない彼女の知り合いと言えば――十中八九、アルクスは白竜の一族の者であろう。
噂に聞く男の能力が、目の前の男が醸し出す凄みのようなものが、何よりもそれを裏付けている。
「あるじ、アルクス殿はわたしの……兄弟子にあたる人だ」
立ち上がったアルクスを、ヴィゼの読み通り、クロウはそう紹介した。
エテレインたちの前であるから、白竜の一族がどうこうとは口にできないのだろう。
「アルクス殿、こちらがわたしのあるじだ」
「<黒水晶>のリーダーを務めています、ヴィゼです。お目にかかれて光栄です」
「同じく<黒水晶>のゼエンと申します。お見知りおきを」
クロウがヴィゼたちの名を言いあぐねるのが分かって、ヴィゼは自ら名乗った。ゼエンもそれに続く。
竜ともなると、相手の名を呼ぶ際、強い魔力でうっかり真名をつけてしまったりすることがあるらしい。
クロウはそれ故に、相手の名をなるべく呼ばないよう気をつけていた。愛称であれば本名よりも魂に定着しづらいということで、呼ぶとしても愛称で呼ぶようにしている。
そのことを知っているから、ヴィゼは躊躇いもなく一歩前に出たのだった。
――そのクロウが普通に呼ぶ相手……、つまりはそれだけの力があるということ、か……。
そんなヴィゼの考えを知ってか知らずか、アルクスは意味深に笑みを深め、ヴィゼたちを――主にヴィゼを見つめる。
それはまるで値踏みするような、見定めるような眼差しだった。




