01 貴族の娘と婚約者候補①
ぱち、と暖炉の中で薪の爆ぜる音がした。
革張りのイスに腰かけたエテレイン・メトルシアは、手の中にある三通の招待状に目を通し、溜め息を吐く。
彼女がいるのは、モンスベルク王国王都にある、メトルシア家の邸の一つ。その書斎である。
例年であれば冬の間は領地で過ごすエテレインだが、今年は王都に滞在することを決めていた。
そうと決めた理由はいくつかあるが、その内の一つに、エテレインは大いに頭を抱えているところだった。
「お嬢様、失礼いたします。お飲み物をお持ちしました」
「ありがとう、サステナ」
はぁ、とエテレインがもう一度溜め息を吐いたところで、ドアが控えめにノックされる。
紅茶を持ってきてくれた侍女サステナを、エテレインは微笑で迎え入れた。
「ちょうど良かった。招待状をいただいたパーティ、三つとも参加するわ」
「かしこまりました。……ですがお嬢様、あまりご無理はなさらないでくださいね」
「……無理でもなんでも、スタートが遅すぎた分、頑張らなければいけないわ……」
どんよりとした空気を隠さず、エテレインは低く言う。
サステナに示した三通の手紙は、いずれもパーティへとエテレインを招くものだ。
ここ王都で、エテレインは舞踏会や夜会などに積極的に参加していた。
それもこれも、結婚相手を見つけるためである。
エテレインはずっと、侯爵令嬢として自分は政略結婚をすることになるのだろうと思ってきた。
侯爵家当主である父か、いまだ影響力の強い前当主の祖父が、家のためになる相手を見つけてくるのだと。
それは、貴族の令嬢としては当然のことだ。
しかし、どうやら、祖父も父もエテレインの想定とは異なる考えを持っているようなのである。
はっきりと確認したわけではないが、おそらく祖父らは、溺愛するエテレインを家から出すつもりがない。かつ、家のためになる人物を引き入れようとしている。
「お前にふさわしい男を探しているから心配するな」
このままではまずいのでは、とようやく気付いたエテレインが父に問いかけてみたところ、返ってきたのはそんな答え。
エテレインはそれに、全く安心などできなかった。
――このままでは、弟に養われる身になってしまう……。
エテレインには年の離れた弟がいる。
侯爵家の後継である弟はエテレインを慕ってくれており、エテレインがずっと家にいても嫌な顔などしないだろう。
だが、いずれ弟の妻となる女性はどうか。
それに何より、エテレインにも姉のプライドというものがあるのだ。
――完全な行き遅れになる前に何とかしなくては……。
父や祖父を責めてばかりではいられない。
結婚について要望を出すことも催促することもしなかった自分にも非はある。
エテレインは自省し、結婚相手を見つけるために行動することにしたのだが――。
上手くいっていない、というのが現状だった。
夜会などに参加して、好感を抱く男性はいるにはいるのだが、そういう相手は大抵「私ごときでは貴方には釣り合いません」と引いてしまうのだ。メトルシアの名とエテレインの美貌に気後れしてしまうらしい。
逆にエテレインに言い寄る男も多いのだが、彼らの目的はメトルシア家の権力や財力であったり、彼女への好色な視線を隠さなかったりする。
いくら焦っているとはいえ、下心丸出しの輩はお断りだった。
――分かってはいたけれど、つらい……。
エテレインの際立った容姿は、良い意味でも悪い意味でも人々の関心を引いてきた。
だからこそ彼女はこれまで社交界に参加することに消極的で、引きこもるばかりだったのだ。
憂鬱なのは今も変わらず、エテレインはここのところグロッキーな日々を送っていた。
――本当のところ、結婚したいわけでもないから、余計に……。
エテレインは、貴族令嬢として結婚しなければならない、と考えている。
結婚したい、のではない。しなくてはならないのだ。
家の役に立てる結婚を。
それが、これまでエテレインを育ててくれた家と領民に返せる、唯一のもの故に。
だから、祖父や父が家のためになる相手を本当に連れて来てくれるのならば、その時はその意向に従うつもりだった。
問題は、彼らの条件を満たすような相手がそうそう都合良く現れたりはしないだろう、ということである。
そう結論付けたから、エテレインは焦っているのだ。
――結婚以外に、わたくしにできることがあれば良かったのに……。
溜め息が再度、口から出ていく。
その代わりにするように、エテレインは温かい紅茶を口に含んだ。
その温度に心が少し緩んで、ぽろりとエテレインは零す。
「……レヴァお姉さまやクロウさんと結婚できたらいいのにね……」
ティーカップを見つめ、とんでもないことを口走った主に、サステナは唖然とした。
同性婚はタブーではないが、後継の問題から、貴族女性が公然とできるものではない。
「……お嬢様、レヴァーレ様は既婚ですし、クロウ様も……」
「女の愛人がいても許されるのじゃないかしら」
いっそ無邪気に告げるエテレインに、サステナはおいたわしや、と思った。
これは想像以上に追い詰められている。
「お嬢様、エイバ様はともかく、ヴィゼ様の前でそのようなことは仰らないでくださいね」
「……怒られるかしら」
「収穫祭の時の牽制具合を見るに……その時何が起こるのか、想像したくありませんね。ヴィゼ様は計り知れないところがおありですから」
さすがに本気にしてエテレインの存在を強制的に排除したりはしないだろうが、割と冗談でなくサステナは言った。
エテレインも少し顔色を悪くして、けれど唇を尖らせて返す。
「そんなにクロウさんを大事に思っているのなら、早くヴィゼさまが幸せにして差し上げれば良いのに」
――お嬢様はすっかりクロウ様を懐に入れていらっしゃる……。
エテレインは良家の子女とある程度広く付き合っているが、深い付き合いはない。
そんな主人に心を許せる友人ができたことは、身分差という問題はあれども、喜ばしいことだった。
微笑ましげなサステナの視線の先、むぅ、としたままエテレインはティーカップを傾ける。
しかし、エテレインが紅茶を口に含む直前。
ドアがもう一度ノックされた。
エテレインが首を傾げながら入室を許可すると、恐縮した様子の従僕が顔を見せる。
「お嬢様、お客様がお見えです」
その様子から、エテレインにはその客がどういった人物かすぐに分かった。
「お祖父さまの紹介状を持った方ね?」
「はい……」
従僕に一通の手紙を渡され、仕方がない、とエテレインは立ち上がる。
「せっかくの紅茶が冷めてしまうわね」
「後で淹れ直します」
お客様の応対が終わったら心行くまでゆっくりして下さい、との意が込められたサステナの言葉に背中を押されるように、エテレインは部屋を出た。
「……もう、こんなことばかり。サステナ、今度のパーティを乗り越えたら<黒水晶>を訪ねましょう。もう、お姉さまやラフちゃん、クロウさんの顔を見ないとやっていられないわ」
またですか、と言いかけてサステナは止めた。
例の一件以来、エテレインはしょっちゅう<黒水晶>を訪ねている。
実のところ、彼女の王都への滞在の一番大きな動機は、すぐにでも<黒水晶>に行けるから、なのだった。
<黒水晶>に迷惑をかけてばかりでは、とサステナは思うのだが、エテレインのストレスの溜め込み具合を見るに、あまり厳しくするのは躊躇われる。
割と辛口なところのあるサステナだが、なんだかんだとエテレインに甘かった。
「訪問を知らせるお手紙を出しておきます」
「頼むわね。今から待ち遠しいわ」
ふふ、とエテレインは笑って、それから遠い目になる。
「ねえサステナ、訪ねたらクロウさんが実は男性だった、とかそんなこと、ないかしら?」
「……お嬢様、現実逃避はほどほどになさいませ」
「そうね……。でも、そういう魔術って本当にないのかしら?」
食い下がるエテレインの表情は至極真面目なものだった。
サステナは顔を引き攣らせる。
だがその話題を掘り下げる前に、二人は客を待たせている応接室に辿り着いた。




