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黒水晶の竜  作者: 隠居 彼方
第2部 修復士と復讐の女戦士

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32 修復士と黒竜と収穫祭の昼



 外は、先日までの雨が嘘だったかのような快晴だ。


 収穫祭は既に賑わっていて、多くの人々が露店で買い物をしたり、広場での出し物を見物したりして楽しんでいる。


 その人波を縫うように、ヴィゼたち一行は露店の並ぶ道を進んだ。

 言葉通り遠慮なく、レヴァーレたちは気になったものを次々と買い込んでいる。


 楽しげな皆の様子に、後ろからついていくヴィゼとクロウは、安堵の思いを同じように抱いた。

 アディーユのことを思い、悩むことはそれぞれあるだろう。

 それでもこうして笑い合えていることが、嬉しく頼もしかった。


 ――皆が楽しんでくれているのは、いいんだけど。


 ヴィゼはどうにも、クロウのことを意識しすぎて、落ち着かなかった。

 先ほどからちらちらと横目で窺ってしまって、今はふとその唇に目が留まった。

 薄化粧をしているクロウの唇は常よりずっと艶やかで、目が離せなくなりそうで――。


「あるじ?」

「……うん?」


 赤い唇が動くのを見ていたヴィゼは、反応が遅れた。


「あるじは何か買わなくていいのか?」

「ああ、うん。今は冷やかすだけでも楽しいから。クロウこそ、欲しいものとかないの?」

「……ちょっと疲れていて、わたしも今のところは見るだけで十分だ」

「……お疲れさま」


 ヴィゼは労わりを込めて、その肩を軽く叩いた。

 その瞬間、周囲からの殺気が高まる。

 ヴィゼが落ち着かない理由はもう一つあって、着飾ったクロウを連れ歩いている彼には、先ほどから嫉妬と敵意の視線が集まっているのだった。


 ――想定以上に、クロウのファンが多くなっているんだよな……。


 キトルスを拠点に活躍する戦士たちからの物騒な視線に、ヴィゼは内心で嘆息する。

 それはクロウがこのキトルスに馴染んでいっている証左で、彼女が街の人々に受け入れられていることは、喜ばしいことなのだが――。

 過ぎればヴィゼからクロウを奪う要因となりかねない、などと考えてしまい、このまま踵を返して本拠地に戻りたくなるのを、ヴィゼは堪えなければならなかった。


 特に今は、収穫祭のために街の住民以外の者も多い。

 これまで関わってきた戦士だけでも十分な数がクロウのファンになっているというのに、それに加えて一時滞在者までも、とヴィゼは頭を抱えたくなる。


「……あるじ」

「どうしたの?」


 クロウに向かってしまう己の視線を引き剥がし、周囲を気にすることで紛らわしていたヴィゼは、険しい表情のクロウに見上げられて目を瞬かせた。

 眉間に皺を寄せたまま、クロウは背伸びをして、喧騒の中でヴィゼだけに聞こえるように囁く。


「先ほどからあるじに向かって殺気を向けてくる輩がいる。<影>に対処させようと思うが……」

「えっ、いや、いいよ、放っておいて。害はないから」

「しかし――」


 無自覚なんだよなぁ、とヴィゼは苦笑を浮かべた。

 彼らの理由をクロウに告げて、彼女自身に警戒心を持ってもらいたい気もしたけれど、クロウが彼らを意識するのは癪で、ヴィゼはただ、制止する。


「殺気を向けてきても、一瞬のことだろう? 祭の喧騒で少し箍が外れてしまっているだけで、実力行使に出てきたりはしないと思う」

「あるじがそう言うのなら……」


 渋々とクロウは引き下がった。

 ヴィゼに害意があるというのならその相手をどうにかしておきたいが、ヴィゼの言う通り、そこまでの危険性を感じるものではないし、数も多いので全部をどうにかするには少々難儀しそうだ。

 実際に仕掛けられたらその時にどうにかしよう、とクロウは動き出したいのを何とか堪える。

 

「せっかくの祭を、血祭にするわけにはいかないものな……」


 クロウのその呟きに、ヴィゼは思わず吹き出していた。








「いつの間にか、みんなと随分離れてしまったな」


 ふと気付いて、クロウはそう漏らした。

 二人でのんびりと祭の雰囲気を楽しんでいるうちに、他のメンバーとの間にはかなりの距離ができている。

 それでも仲間たちが前方にいることが分かるのは、エテレインやレヴァーレが視線を集めているからだ。


「この人ごみじゃ、追いつくのも一苦労だね。完全にはぐれた感じにはならなそうだし、ゆっくり行こうか」


 慣れた街の中であるし、はぐれたところで問題はないのだ。

 とはいえ、一応全員で繰り出そうと決めたことであるし、向こうは向こうで、クロウに集まる注目でヴィゼたちとの距離を測っていることだろう。

 こうして会話する間にも、クロウを凝視して足を止める人間が続出している。

 老若男女問わずなのがまた困る、と思うヴィゼだった。


 ――普段と違いすぎるのが気になるところだけど……。


 今日の装いが美を意識したものとはいえ、いつもの軽鎧姿でもクロウは高レベルの美少女だ。だが、ここまで注目を集めるようなことはない。


 ――いつもの装備に、隠密みたいな効果があるのかもしれないな……。


 リーダーとして、ヴィゼは仲間たちの装備に関してある程度のことを把握しているが、クロウとはまだきちんと話をしていなかった。

 クロウの高い実力への信頼から後にしているということもあるが、白竜から得たとんでもない装備だったりしたら話すに話せないかもしれないと躊躇しているのがその最大の理由である。

 その内聞けそうなら聞いてみよう、と仕事をことを考えてしまうヴィゼだった。



「――あっ、クロウちゃんじゃないかい? 今日はまた一段と別嬪さんだねえ」


 声をかけられ、クロウは小さく会釈した。


 露店で店番を務めるふくよかな中年女性が、にこにこと手を振ってくれている。

 ゼエンたちと買い出しに行った時などに立ち寄る、パン屋の女性だ。

 彼女の前には、パンはもちろん、軽食や焼き菓子といった商品が並べられていた。


 ヴィゼとクロウは顔を見合わせ、そちらの方へと足を向ける。


「どうだい? 今日は収穫祭限定の商品ばかりだからね、是非見ていっておくれ。クロウちゃんみたいなキレイな子が買って行ってくれたら他の客の宣伝にもなるし、常連さんだからまけとくよ」

「う、うん……」

「特におすすめなのは焼きドーナツ! 祭限定の味だよ! どうだい? そっちは彼氏さんだろ? 買ってあげな、可愛い彼女に」


 別嬪、キレイ、可愛い、と続き、最後にとどめの「彼女」を聞いて、クロウは耳まで真っ赤になった。

 ヴィゼは少し困ったように笑ったが否定はせず、クロウのために焼きドーナツを一つと、土産にしようかと他の焼き菓子もいくつか購入する。


「まいど」


 ほくほく顔の女性に見送られ、ヴィゼとクロウは歩みを再開した。

 クロウは赤い顔のまま、どこかふわふわとした足取りで進む。


 発言の何割かは商売上のお世辞なのだろうが、店の女性の言葉を信じるならば、クロウの今の格好は、本当に悪くないらしい。

 そして、ヴィゼと恋人同士に見えてもおかしくないのだ……。


 実際には悪くないどころではないのだが、戦闘面以外において自己評価の低すぎるクロウは、第三者からの評価にようやく少し自信を持った。


「クロウ、せっかくだし焼きドーナツ食べる? 後にしておく?」

「えっと……、食べる」


 褒め言葉に元気が出てきた気がして、クロウは礼を言ってヴィゼから焼きドーナツを受け取る。それをすぐに、二つに割った。


「あるじ、半分こしよう。ここの焼きドーナツは、本当に美味しいんだ」

「……ありがとう」


 クロウは無邪気にドーナツをヴィゼの口元に差し出し、今度はヴィゼが赤くなりつつ、そのままドーナツにかじりつく。

 確かにその焼きドーナツはとても美味しく、すぐに二人とも食べ終わってしまった。


 それから少し歩く内に、舞い上がっていたクロウの気持ちは幾分落ち着きを取り戻し、物事を冷静に考え始める。

 先ほどヴィゼとクロウは恋人同士に間違われた。

 クロウは嬉しかったが――喜んでいる場合ではない。


「あの、あるじ……、わ、」

「クロウ」


 クロウが呼びかけた時、舗装された道の少しばかり欠けた部分に足を取られた。

 ヴィゼの腕が、倒れそうになったその体を受け止める。


「大丈夫?」

「うん……すまない。躓いた。履き慣れないブーツだからかな……」


 体を離したクロウに、ヴィゼは少し考えて、手を差し出した。


「クロウ、手を繋いでいようか」

「え、」

「そうしたら、転びそうになっても大丈夫だし、はぐれない」


 ヴィゼとしては、もう少し周りを牽制しておこうという意図もある。

 “クロウ離れ”をまだ諦めていないヴィゼだが、それはそれ、これはこれなのだ。

 だがもちろんそれは表に出さず、彼はクロウの答えを待った。


 クロウはしばらく迷っていたが、おずおずとヴィゼの手を握り返す。

 ヴィゼに世話をかけるのは申し訳ないが、はぐれても大変なので、とそれを理由に自分を納得させたのだ。決して己の欲望に従ったわけではない、と。


 そうして、手を繋いで、二人は歩く。


 繋いだ手を、ヴィゼの横顔を見つめたクロウは、またのぼせたようになってしまって、ヴィゼに話そうとしたことをすっかり頭の隅に追いやってしまっていた。




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