31 修復士と黒竜と収穫祭の朝
翌朝、収穫祭当日の<黒水晶>本拠地、その食堂。
いつもより遅めに始まった朝食の席には、客人も含め全員が揃っている。
まだ筋肉痛がひどいらしいエテレインも、収穫祭のために何とかベッドを抜け出していた。ぎくしゃく動き、時折悲鳴を上げそうになっているが、絶対にベッドに戻るつもりはないらしい。
サステナも、その眼差しに呆れを含ませてはいるが、無理に留守番をさせておこうとは考えていないようだ。
収穫祭に向けて情熱を燃やしているのはエテレインだけではなく、その従姉もひどくやる気に満ちた顔をしていた。
彼女が特に熱意を向けるのは、収穫祭よりもその前のお着替えである。
祭でたらふく食べるということを考慮して朝食の量は少なめだったが、それを誰よりも早く腹に収め、レヴァーレは獲物を見つめた。
彼女が狙いを定める先は、今にも食べられてしまいそうでびくびく怯えている哀れな仔羊――クロウである。
食べ終わった後のことを考えて、全く食事が進んでいない。
男性陣は憐憫をそれぞれの瞳に浮かべていたが、ここでクロウを救おうとしても犠牲が一人から複数に増えるだけだと知っていて、沈黙を保った。
やがて、地獄までの時間が長く続くことに耐えられなくなり、クロウは観念したように皿を空にする。
途端、にこりと笑ったレヴァーレは立ち上がり、クロウの腕をとった。
ヴィゼは泣き出しそうな目で見られるが、非常な難敵を前に見送るしかない。
<ブラックボックス>とて、覆せない局面はあるのである。
そうして女性陣が全員レヴァーレに続いていったので、残された男性三名は、仲間を敵地に送らざるを得なかったことを気まずく思いながら、黙々と朝食の片付けをした。
時折聞こえてくる悲鳴のような声は、聞こえないふりをして。
敵地の真ん中――もとい、レヴァーレとラーフリールの部屋に引きずり込まれたクロウは、服をとっかえひっかえされ、息も絶え絶えとなっていた。
数日前に服は決まっていたはずなのに、何故再び着せ替え人形にならなければならないのか。
クロウにはその理由が全くよく分からなかった。
クロウとて、服飾に関する興味が皆無というわけではない。
しかし、レヴァーレたちほどの情熱はないために、苦痛を覚えるのだった。
――動きにくそうだしな……。
スカートの裾を引っ張り、クロウは眉間の皺を深くする。
クロウが着衣に求めることは、如何に動きやすく丈夫で、目立たないか、ということだ。
だというのに、現在のクロウの身を包むのは、その正反対のもの。
いざヴィゼに何かあった時、これでは不安だ、とクロウは思う。
着せられた服自体は、華やかで美しいものだ。
だが、それに自分が見合わない、ということもクロウを憂鬱にさせた。
彼女は白竜に鍛えられて美的感覚を身につけているが、己の容姿に関する自覚はあまりなく、黒竜であるということで己を卑下しすぎている。
だから余計に、自分がこんなものを着てももったいないだけではないか、などと、レヴァーレが聞けば憤慨するに違いないことを考えてしまい、忌避してしまうのだった。
「よし、服と靴はこれで決まり、にしよか。後はアクセサリやね」
「はい、お姉さま!」
まだ続くのか、とクロウは心の中だけで叫ぶ。
レヴァーレの言葉に、すかさずサステナから受け取った宝石箱を差し出すエテレインがいて、クロウは絶望の眼差しを向けた。
その視線の先で、レヴァーレたちは真剣にジュエリーを吟味し始める。
クロウも好みを聞かれたが、最早心労から宝石の判別もつかない。
力なく首を振ったクロウはそっと視線を逸らし、目の前にある鏡の中の自分を見つめた。
――これであるじが心を動かしてくれたり……する、だろうか?
自信なさげに眉を下げている己の顔を見つめても、到底そんなことがあるとは思えない。
ついつい溜め息を吐きそうになるが、輝くアクセサリを取り囲んでいる面々に注意されそうで、何とか堪えた。
――そう言えば、護衛殿に似ている、と言われたな……。
現実逃避気味に、クロウはそれを思い出す。
森で初めて出会ったアディーユは、美しい人だった。
彼女に似ている、だろうか?
自分では、よく分からなかった。
しかし、似ている、と言えば――。
クロウは闇の中の光景を脳裏に蘇らせる。
去り際、アディーユはクロウにエテレインを託すように頭を下げた。
その時感じた彼女の魔力に、クロウは違和を覚えたのだ。
誰かに似ている、と思った。
この魔力を、わたしはよく知っているのではないか、と――。
けれどあの時は嘆くエテレインのことでいっぱいで、己の記憶を辿ることもできなかった。
一日以上経ってしまった今では、ますます感覚は解けていくようだ。
気のせいだったかもしれない、とも思うのだが、妙に気になる。
『妙な魔力を察知したら――』
ヴィゼのその言葉が、何故か頭にこだました。
そして、クロウを縋るように抱きしめた、ヴィゼの腕の力を思い出す。
――きっと、あるじに言うほどのことではない……。
迷いを振り切るように、クロウはそれを決めた。
それと同じくして、レヴァーレたちの意見もまとまったようである。
クロウの首に、きらきらとした宝飾品がつけられた。
「……こ、これをつけないといけないのか?」
「もちろん。こんなに似合っとるんやからな」
レヴァーレの後ろで、他の面々も深く頷いている。
四面楚歌の状況に、クロウは何度目と分からない諦観を覚えた。
「……分かった。これで終わりだな?」
「衣装選びはな」
これで解放される、と思っていたクロウは、愕然と振り返る。
「あーとーはっ、お化粧や!」
白粉、口紅、クロウにはよく分からない液体や化粧道具。
それはいかなる凶器より恐ろしいものだ。
それらを手にして、女たちは微笑んでいる……。
逃亡の意思はとっくにくじけていた。
クロウは恐怖を目に浮かべ、敵が近付いてくるのをただ見つめる――。
「お待たせ、準備万端やで!」
女性たちが食堂に戻ってきたのは、昼近い時間になってからである。
収穫祭には皆で出かけようと約束していたが、出発する時間をきっちりとは決めていなかった。
そのため、そろそろかという時刻に、男性陣と喚び出されたセーラは食堂に集まっていたのだが、それも長年の付き合いがなせる業、であろうか。
レヴァーレが意気揚々とやってきたのは、四人が揃った直後だった。
レヴァーレの後に、ラーフリール、エテレイン、サステナ、と続く。
彼女たちの華やかな装いは、食堂で待っていた仲間たちの目を楽しませるものだった。
レヴァーレとラーフリールは、揃いの衣装だ。
ブルーのシャツとシャンパン色のキュロットに、ショートブーツを合わせている。頭の上で揺れるポニーテールが、いきいきと輝くような彼女たちによく似合っていた。
エテレインは、ライトブルーのシャツに濃藍のノースリーブのワンピースを纏っている。街に出た際に購入したのだろう。侯爵令嬢が身につけるにはカジュアルなものだが、祭で過ごすにはちょうど良さそうであった。そんな彼女は長い髪をサイドアップにしていて、耳元で涼やかに光るアクアマリンが眩しい。
サステナは、グレイの薄手のニットに、翡翠色のロングスカート、ブラウンのパンプスを履いている。いつもはきっちりと結い上げている髪を下ろしていて、それだけでいくらか若く、魅力的に見えた。
男性陣は本心からの褒め言葉を次々と口にしたが、やがてヴィゼは首を傾げて問う。
「それで……クロウは?」
女性たちの本命はクロウだったはずだが、その姿だけ見えない。
「クロやんならちゃんとおるで。……って、何隠れとるん。ほら、クロやん」
レヴァーレは後ろを振り返り、腰に手を当てた。
全員が食堂の入口に目を向ける。
ちらちらと、ひらひらとした布が見え隠れした。
エテレインとラーフリールがそれに近付き、ぐいぐいと引っ張る。
しばらく抵抗していたが、やがて諦めて、クロウは姿を見せた。
「あ、あるじ……」
クロウは涙目であった。
可哀想に、という思いがよぎったのは一瞬。
ヴィゼは言葉を失い、クロウに見惚れていた。
まず、目が行くのはその髪型。
いつもは一つに束ねている長い髪は編み込みのハーフアップにされ、コバルトブルーのリボンが揺れている。
次いでまじまじと見てしまうのは、そのスカートだ。
透明感のある薄い生地が何枚も重ねられたようなそれは、普段のクロウならば絶対に着ないようなものである。
ベージュのそれに、上は秋らしい刺繍が一部入ったクリーム色のシャツ。その上には、白いカーディガンを羽織っている。
靴は茶のロングブーツで、いつもの黒尽くめと印象が違いすぎていた。
さらにその首元には、一粒のダイヤモンドが光るネックレス。
アクセサリが高級に過ぎるのは出所からして仕方なかったが、それもよく似合っている。
「や、やっぱりわたしには似合わないよな……?」
声の出ない様子のヴィゼに、クロウはその思いを深めた。
レヴァーレたちの視線が、鋭くヴィゼを射抜く。
慌ててヴィゼは、首を横に振った。
「そ……そんなことないよ! すごく、可愛いよ!」
その言葉は、ヴィゼの心からのものだった。
レヴァーレたちの見立てた衣装と、薄ら施された化粧は、クロウの女性らしい可憐さと、清楚さを引き立たせている。
それがなくとも、クロウは美という形容がつく少女なのだ。
ヴィゼは心拍数が上がっていくのを感じながら、クロウに近付いた。
「綺麗、すぎて……。心配になるくらいだよ。外に出したら、誰かに攫われちゃいそう」
クロウを攫えるような人間はいないだろうが、そんな無粋なツッコミをするような者はこの場にいなかった。
クロウは途端に真っ赤になり、今度は彼女の方が言葉をなくす。
ヴィゼはクロウが落ち込まないように言ってくれたのだ、と思っていても、嬉しさでいっぱいになった。
見守る面々はにやにやを抑えきれないが、今の二人の視界には映らない。
「……そんなら、ヴィゼやん、クロやんが攫われんように、ちゃんとナイト役を務めるんやで?」
いつまでもヴィゼはクロウに見惚れて固まり、クロウはヴィゼの言葉の余韻に浸って動き出しそうもないので、レヴァーレはそう声をかけた。
はっと顔を上げ、ヴィゼは頷く。
「男たちの視線、奪いまくりやろうからなー。気張らなあかんで、ヴィゼやん」
密やかに続けられた言葉に、ヴィゼは神妙な面持ちになる。
それにレヴァーレは含み笑いを浮かべた。
――うちら、ほんまにええ仕事したで。
そう仲間たちを見回せば、全員から同意の眼差しが返ってくる。
それから、クロウのことばかり気にしているリーダーに代わって、レヴァーレは宣言した。
「さ、楽しい楽しいお祭や! 皆で楽しも! レインという名のお財布が今日はおるからな、遠慮はなしや!」
お財布呼ばわりされたエテレインだが、「お任せください」と笑顔である。実際に財布の紐を握っているのはサステナだが、彼女も頷いていた。
そうして――。
<黒水晶>とその依頼人たちは、祭へと繰り出したのである。




