25 黒竜と貴族の娘①
「それじゃ、行ってきます」
「気をつけて……」
翌日。
クロウは、出かけていくヴィゼ・エイバ・ゼエンとぬいぐるみのふりをしたセーラを見送った。
セーラの力を借り、アディーユを追ってみる、ということになったのだ。
セーラ以外の女性陣は留守番で、特にレヴァーレはエテレインを心配して本拠地に残った。
エテレインはあれから部屋に閉じこもったままで、朝食の席にも現れず、今もその姿だけが欠けている。
皆で何度も声をかけたのだが、ドアを開けてはくれなかったのだ。
「……何かしら朗報を持って帰ってきてくれればええけどなぁ」
出かけていく仲間たちの背が見えなくなり、レヴァーレはそう呟きながら玄関の扉を閉めた。
普段は太陽のような彼女が昨晩見せていた暗い影は、ひとまずなりを潜めている。
「さて、どないして過ごそか。レインが元気になるようなこと、がええよな」
「お母さん、それならおいしいおかしをつくるなんてどうですか? いいにおいがしてきたら、お部屋から出てきてくれるかもしれません!」
「悪くないかもしれませんね。お腹も減っているはずですから」
レヴァーレの問いかけに、ラーフリールが提案し、サステナも賛成した。
何かに取り組むことが三人にとっても救いで、早速取り掛かろう、という話になる。
「クロやんは、なに作るのがええと思う?」
「材料があるなら、食べきれないほど色んなものをたくさん作るのもいいかもしれないな。憂鬱も吹っ飛ぶくらい。帰って来たあるじたちも喜ぶだろう」
クロウの案に、三人はそれは良いと楽しそうに笑った。
キッチンに足を向けようとする彼女たちに空元気を感じるクロウだったが、意気消沈したままよりはずっと良い、と思う。
「……わたしも少し、レイン殿に声をかけてくる。もし少しでも朝食を口にしているようだったらついでに食器を片付けてくるから、先に進めておいてくれ」
「……ん。よろしくな、クロやん」
レヴァーレは微笑にわずかの期待を乗せた。
サステナも「よろしくお願いします」と頭を下げる。
これからエテレインを唆しに行くつもりのクロウは罪悪感を覚えながら頷いて、階段を上がっていった。
エテレインの部屋の前には、埃よけを被せた朝食が置いてある。
いつ気が変わって食べてくれるか知れない、としばらく置いてあるのだが、おかげですっかり冷めてしまっていた。
クロウはそのトレーを持ち上げ、ドアをノックする。
やはり返事はない。
しかしエテレインが起きているのは、気配で感じられた。
さてどうしようかと、クロウは考える。
ヴィゼからマスターキーを借りているので鍵を使って部屋に入ることもできるのだが、ここはひとつ、自分にしかできない型破りをしてみよう――。
そう結論し、クロウは朝食を持ったまま影の中に潜っていった。
布団の向こうに、太陽の存在を感じた。
夜が終わったのだ、とエテレインはぼんやりと思う。
ずっとベッドの中で体を丸めていたが、全く眠れた気はしなかった。
泣きすぎたせいで、目蓋が重く、腫れている。
酷い顔をしているのだろう、とエテレインは他人事のように想像した。
ノックの音がして、また誰かが来てくれたのだと分かったけれど、声を出す気力すら湧かない。
まだ朝ということを実感できない時分にもサステナ達が来てくれたが、身じろぎもできなかった。
今もまた、エテレインはただじっとして、ぎゅっと目を閉じる。
最悪の、一夜だった。
アディーユが辞めたと聞いた時より、もっとずっとショックだった。
期待しないようにしようとして、期待してしまっていて。
改めて、拒絶されて。
エテレインのために会わないことを選んだと言われても、全然納得などできなかった。
別れの挨拶くらいさせてくれてもいいのに、と詰るように思った。
そして、疑念に襲われた。
エテレインのためというのは嘘で、それすらしたくないほどに嫌われてしまったのかもしれないと。
エテレインの側にいたから、アディーユは夫の側にいられなかった。
だから彼女は恨んでいるのかもしれない。
エテレインにもう会いたくないと思って、だから……。
その可能性は、少し考えただけで心臓が刺されたように痛かった。
でももしそうなら、責めてくれればいい。
そうすれば、エテレインは這いつくばって詫びるのに。
そんな再会でもいいから、エテレインはアディーユに会いたかった。
アディーユは、死に向かっていこうとしているのだ。
このまま、会えないまま、ということだって、有り得る。
だが、そんなことには、耐えられない。
アディーユがいてくれることは、エテレインにとって、当然のことだった。
彼女は家族も同然で。
長い時間を共に過ごしてきて。
彼女が離れていってしまうなんて、考えたこともなかったのだ。
それなのに、ふっと突然いなくなってしまうなんて。
何もせず、失ってしまうなんて。
それくらいなら、たとえいくら罵られても、最後に一度だけでも会いたかった。
ずっと守ってくれて、側にいてくれて、ありがとう、と伝えたかった。
それはエテレインのわがままで、自己満足でしかないけれど。
会いたかった。
今だって会いたい。
諦めたくない。
けれど……。
「レイン殿、失礼する」
何度となく繰り返した考えに今一度泣きそうになっていたエテレインだが、ひどく近くで声を聞いたような気がして、涙を呑み込んだ。
「食事は、ひとまずここに置かせてもらうぞ」
静かだが、何かを置く音。
そっとエテレインが布団の隙間から見やると、すぐ近くにクロウがいた。
「ク……っ!?」
思わずがばりと身を起こす。
ベッド脇のローチェストに朝食の乗ったトレーを置いたクロウは、エテレインの驚きぶりを見ても表情を動かさなかった。
「ど、ど、ど、」
「レイン殿と話がしたくて、返事はなかったが邪魔させてもらった。言っていなかったが、わたしはアビリティ持ちで、ドアに鍵がかかっていても、こうやって……」
「~~~~~~っ!」
クロウはエテレインの言いたいことを察し、分かりやすく膝まで影に沈んで見せる。
エテレインはその瞬間、憂いも屈託も全て忘れ、声なき声で叫んでいた。
「……すまない、そこまで驚くとは」
「……いえ、こちらこそ、申し訳ありません」
驚きのあまり、エテレインは一瞬意識を飛ばしてしまった。
今は落ち着いて、ベッドにクロウと並んで腰かけている。
意図したわけではなかったがショック療法がかなり効いたようで、「出て行ってください!」とヒステリーを起こしたりすることもなく、エテレインはクロウがいることを受け入れていた。
アビリティ持ちに対する忌避感もないようで、クロウは内心ほっとする。
「それで、早速なのだが、レイン殿」
「は、はい」
話がしたい、とクロウは言った。
エテレインはそれを、悪い意味に解釈する。
エテレインの願いは叶わない。
クロウはきっとそれを改めて告げるつもりなのだと思った。
聞きたくない。
けれど、クロウの凛とした強い眼差しはアディーユのものにも似ていて、エテレインは耳を塞ぐことができなかった。
「単刀直入に言う。護衛殿に会うために、森に入る覚悟はあるか?」
「……え?」
あまりにも予期せぬことを言われ、エテレインの思考は停止した。




