24 修復士と企み②
胸を張った後で、しかしクロウはふと顔を曇らせる。
「あるじ、明日のことは任せておいてほしいのだが……。頼まれていた妙な魔力の件、特段変わったことは感じられなかった。報告が遅れてしまってすまない」
クロウは申し訳なさそうに眉を下げた。
ヴィゼが帰ってきたらすぐに話そう、と思っていたのだが、仲間たちの帰宅直後からのあの雰囲気の中、きっかけが掴めなかったのだ。
「あるじは護衛殿の魔術具のことを察していたのだな」
「……うん」
一瞬息を詰めたヴィゼは、クロウに気付かれないようにそっと息を吐いた。
クロウにもまだ、アディーユの“呪い”のことは話していない。
ヴィゼには話すつもりがなかった。
エテレインとアディーユのことを思えば、クロウも胸を痛めるだろう。だから“呪い”のことは森に入ったメンバーだけの話にしよう。
そう、仲間たちのことも説得済みだった。
ヴィゼは、クロウに“呪い”のことを知ってほしくなかったのだ。
誰にも言えない理由で、彼は“呪い”のことを秘密にしていたかった。
エテレインでも、他の誰でもない、クロウには――。
「アディーユさんには接触できたし、いいんだ。気付かなかったなら……」
それこそがヴィゼの望むところ、だった。
妙な魔力を察知したら教えてほしいと言ったのは、その先のこと――“呪い”を追いかけ、追い詰める役目を、ヴィゼ自身が行うつもりだったからだ。
それをクロウに任せるわけにはいかないと、ヴィゼは強く思っていた。
だから、教えてくれとだけ、ヴィゼは頼んだのである。
けれどそれも、本当は危険な賭けだった。
クロウに“呪い”のことを知られたくないのなら、その可能性が浮上してきた時点で、アディーユとクロウの接触がないよう、ヴィゼは図らなければならなかったのだ。
クロウに頼んだ時点では、“呪い”について確信があったわけではなかった、というのは言い訳だろう。
ヴィゼは、クロウが“呪い”に気付かないことを、確かめたかったのだ。
――なんという愚だろう――
事も心も定まらないままに試すような真似をして、万が一、最悪の事態になったらどうするつもりだったのか。
ヴィゼは奥歯を噛みしめる。
「それなら……いいんだが」
ヴィゼの懊悩を知る由もなく、クロウは悄然とする。
ヴィゼの――仲間たちの役に立ちたい、と常に思っている故に、役に立てなかったと、クロウはクロウで落ち込んでいるのだった。
私的なことで一日休みをもらったことが、いまだに響いてもいた。
「クロウ」
ヴィゼは立ち上がり、そんなクロウの肩を軽く叩く。
「明日、今日の分も活躍してくれるんでしょ?」
「う、うん」
「明日は本当に、クロウだけが頼りだから。よろしくね」
「――任せてくれ、あるじ」
ヴィゼの言葉に、クロウは一気に浮上した。
「絶対、レイン殿を守り抜く。護衛殿が現れたら、二人の再会をサポートする」
「うん」
ぎゅっと拳を握ったクロウに、ヴィゼは微笑する。
だがその笑みには、かすかな自嘲も含まれていた。
クロウがそれに気付く前に、ヴィゼは視線をドアの方へ向ける。
「それじゃあ明日に備えて、僕たちもそろそろ休もうか」
うん、とクロウは素直に頷いて、立ち上がった。
ヴィゼはドアを開けようと、彼女の前を横切る。
研究室は特殊な部屋なので、ドアの開け閉めさえ勝手に行えず、クロウはただ待った。
その時もう一度、クロウはヴィゼの顔を横からじっと見つめて。
気付く。
ヴィゼの深い疲労。苦悩。
誰も目の前にしていないヴィゼは、それらを隠しきれていなかった。
クロウが視界から外れたわずかな時間。
彼は、油断していた。
クロウの凝視にも気付いていなかった。
「……あるじ」
そんなヴィゼの服の裾を、クロウは不意に掴む。
不思議そうに振り返ったヴィゼは、苦しげな色など一切見せず、クロウは怯んだ。
だが、確かに、クロウの目に、ヴィゼはとてもつらそうに見えたのだ。
夕刻、帰宅した時も、そうだった。
彼はクロウを見て……、一層苦しげな顔をした。
そして、謝罪の言葉を、密やかに口にしたのだ。
――どうして……。
おそらくそれは、こうして「企み」にクロウを巻き込むことを考えていたから、だけではない。
クロウはそう直感していた。
「あるじ、何か……、心にかかることがあるのではないか?」
「え――」
「帰ってきてからずっと、苦しそうだ。護衛殿のことだけではなくて……。わたしの気のせいかとも思ったが、そうではないのだろう?」
「クロウ……、」
見透かされていた。
気付かれていた。
そのことに、ヴィゼは顔を歪ませる。
一途な瞳の前で、取り繕うことはできなくなっていた。
「その、それを話せというわけではない。でも、あるじが苦しんでいるのをただ見ているだけというのは、わたしにはできない。何か、わたしにできることはないか? 少しでもあるじの心を軽くすることができるなら、何でもするから」
クロウはひたむきな眼差しで、熱心に告げた。
ヴィゼはその姿に、心を揺さぶられる。
何かを言おうと口を開きかけて、できずに、彼は口を閉じた。
目の奥が熱いような気がして、彼は膝をつく。
思っていた以上に追いつめられていることを、ヴィゼは自覚した。
そして、縋るように、手を伸ばした。
「ルキス――」
「あるじ……!?」
彼だけが知るほんとうの名前で、彼女を呼ぶ。
小さい体をぎゅっと抱きしめれば、彼の黒竜は狼狽えた声を出した。
けれど、ヴィゼを突き放したりはしない。
しばらくあわあわとしていた彼女だったが、ヴィゼが抱きしめる力を弱めないでいると、少しずつ力を抜いて、最後にはヴィゼの頭を撫でてくれた。
彼女の言う通りだ。
ヴィゼは独りで、苦しんでいたのだった。
彼には秘め事があった。
仲間にも、たったひとりの家族にも言えないでいることが。
アディーユの“呪い”の正体がヴィゼの知るものでさえなければ、その隠し事を秘めたままでも、ヴィゼはここまで思い詰めなかっただろう。
――どうして、よりにもよって、あの“呪い”なんだ……。
アディーユと再会してから何度となく繰り返している言葉を、もう一度ヴィゼは胸の内に吐き出す。
アディーユの持つ“呪い”の正体を、彼は知ってしまった。
あの“呪い”は、<黒水晶>を壊してしまう可能性を持っている。
あれは、仲間たちを、ヴィゼを、クロウを、苦しめ、傷つける。
ヴィゼが黙ってさえいれば、そんなことにはならないかもしれない。
かといって、隠し続けることが果たして本当に正しいことなのか。
答えは出ず、ヴィゼは独り、いつか来るかもしれない悪い未来に怯えていた。
それを、クロウは見逃さなかった……。
その小さな温かい手は、ヴィゼの背中に添えられ、片方の手は優しく彼の髪に触れている。
その確かな存在に、ヴィゼの苦痛や恐怖は解けていくようだった。
――彼女を苦しめたくない。
ヴィゼは痛切に、そう思った。
言うべきか言わざるべきかの答えは出ないが、少なくとも今、ヴィゼの抱えていることを打ち明けて、彼女を傷つける必要はない。
けれど明日、クロウが気付いてしまう可能性も、ゼロではなかった。
どうか気付かないままでと、ヴィゼは願う。
今日の結果から、気付かない可能性の方が高いと分かる。
だがヴィゼは、楽観的ではいられなかった。
依頼遂行を諦める方が賢い、ということは分かっている。
それでもエテレインのために、アディーユのために、ヴィゼも動かずにはいられないのだ。
ずっとクロウを求め続けてきたヴィゼだからこそ、エテレインに諦めろと言うことはできなかった。
――いざとなったら、僕は、ルキスを――
やがてゆっくりと、ヴィゼはクロウを解放する。
クロウの頬は熟れた果実のように赤く染まっていて、力を入れすぎてしまったかな、とヴィゼは的外れな申し訳なさを覚えた。
「クロウの言う通り、少し、思い詰めすぎてたみたいだ。ごめん、情けないリーダーで」
「……あるじは情けなくなんてないぞ」
「いや、僕は……臆病で卑怯で、すごく、情けない人間なんだよ」
卑下する言葉に、クロウが悲しい顔をすることは分かっていた。
けれど零さずにもおれず、ヴィゼは呟くように言い、クロウから目をそらす。
そんな彼の耳に届いた、クロウの次の言葉は、
「それでも、いい」
――というものだった。
ヴィゼははっと、顔を上げる。
「わたしは、あるじがそうじゃないと知っている。だけど、たとえあるじの言うことの方が正解でも、わたしはあるじの側にいる。だから、あまりひとりで抱え込まないでくれ。あるじ、他にわたしにしてほしいことはないか?」
ひとりで抱え込むなとは、自分が言えたものではない。
クロウは思いつつも、再びそう言い募った。
そんなクロウに、ヴィゼは涙を追いやるので精一杯になる。
格好悪い自分を見せたくない見栄で何とか込み上げるものを呑み込んだヴィゼは、クロウの髪にそっと触れた。
「もう十分に、励ましてもらったよ」
「本当か? 無理していないか?」
「うん、本当に、楽になった。ルキスがいてくれて、良かったよ」
ヴィゼは柔らかな微笑みを浮かべる。
「本当に、ありがとう」
もう一度、心の底から言えば、クロウはますます真っ赤になって、固まってしまったのだった。




