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黒水晶の竜  作者: 隠居 彼方
第2部 修復士と復讐の女戦士

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23 修復士と企み①



 その日の夕食は、始終とても静かだった。


 エテレインは部屋に籠ったままで、サステナの席も空いている。

 ヴィゼやゼエン、エイバは表面的には平静を装っていたが、レヴァーレはいまだ消沈を隠しきれていなかった。

 彼女にはエテレインの気持ちが誰よりもよく分かったのだ。

 従姉妹であるということもあるが、それ以上に、過去レヴァーレはエテレインと同じ立場に身を置いていた。

 だからこそ何もできない自分が歯痒く、そして“呪い”を選択したアディーユが悲しかった。

 ラーフリールも、そんなレヴァーレや姿を見せないエテレインが気がかりで、いつものようには振る舞えない。

 クロウはクロウで、そんな皆のことを案じつつ、先ほどのヴィゼの様子が気になって、上の空だった。


 そうして、六人は黙々と食事を終える。


「明日のことは、明日話そう」


 というヴィゼの言葉を受けて、食器を片付けるとそれぞれすぐに部屋に引っ込んだ。

 ちなみにセーラは、食事前にヴィゼが帰ってゆっくり休むように言ったので、もうここにはいない。


「クロウ、研究室に行こうか」

「うん……」


 食堂から出、ヴィゼはその後に続いたクロウにそう言った。

 ヴィゼの部屋の前の出入口から、研究室はすぐである。

 ヴィゼは魔術の明かりで足元を照らすようにして、クロウと共に外へ出た。

 いつの間にか雨は止んでいたようだが、かなり冷え込んでいる。

 思わずふるりと体を震わせたクロウの前で、ヴィゼは研究室のドアを開けた。


「すぐに中を温めるから」


 クロウが体を縮こまらせたのを見て、ヴィゼは申し訳なさそうに入るよう促す。


「う、うん……」


 いいのだろうか、とクロウは躊躇いながら、恐る恐る研究室に足を踏み入れた。

 いつも厳重に他人を拒んでいる部屋だ。

 クロウはあまり中を見ないように、そっと部屋の隅に寄る。

 かなり散らかっていて、行き場がない、ということもあった。


「ちょっと待ってね、今イスを……」


 ヴィゼはドアを閉めると、一つだけあるイスを引っ張ってきてクロウに勧めた。


 次いで、古式魔術で室内の温度を高くする。

 実を言うとこの魔術を本拠地全てに適応させることもできるのだが、そうなると魔力を喰いすぎるのでヴィゼは基本的に使わないことにしていた。

 外出する時等も使えるのだが、この魔術に頼りすぎると逆に体の調子を崩してしまいそうで、便利なのだがあまり使わない魔術だ。


「あるじはどこに座るんだ?」

「僕はこの机の上で」


 ヴィゼは書き物机に乗っていた紙束を適当によけると、ひょいとその上に乗った。


「ごめんね、散らかってて落ち着かないかもしれないけど、ここなら結界があるから……」

「だ、大丈夫」


 さらに言えば、どちらかの部屋ではベッドもあって落ち着かない、というヴィゼの思いがあったりするのだが、もちろんそんなことは口に出せるはずがない。


「それより、何かまずい話、なのか?」

「うーん、ぶっちゃけるとね。こうして企みごとをしてるってのも、なるべく知られない方がいいかなって、ここにした」

「企み?」

「そう。依頼を果たすための企み、だけど」


 ヴィゼは眼鏡のブリッジを押し上げた。

 クロウは軽く目を見張って、己の主を見やる。


「正直なところ……、もう手詰まりだと」


 エテレインには会えない、とアディーユは逃亡した。

 ヴィゼたちを警戒し、遠くへ行ってしまっていて当然だ。

 だからこそ余計に、仲間たちは意気消沈していたのである。

 だがヴィゼは、まだ望みを完全には失っていなかった。


「多分、まだアディーユさんはあの力を長時間は使えない」


 自身の経験(・・・・・)から、ヴィゼはそう告げる。

 それに、もし彼女が呪いの力をいくらでも使えるのなら、魔物の被害は今よりずっと大きくなっているはずだった。


「だからそこまで遠くには行けないと思う。それに、エテレインさんがこのキトルスにいるからこそ、彼女は近くに留まる。そう思うんだ」


 アディーユのためにエテレインがここに来ている、ということに彼女はひどく動揺していた。

 その様を思い出し、ヴィゼは言う。


「何か印を付けられれば良かったけど、そこまでの隙はなかった。だから確かな根拠はまるでないんだけど」

「いや……、分かる気はする。彼女が森で討伐を行っているなら、その危険に余計に心配に思うかもしれないな。ここは森のすぐ側だし、護衛殿が辞めて一月で、新しい護衛がついているならどれだけやれるか、気にかかることは多いはずだ。話を聞く限り、とても真面目で、職務である以上にレイン殿を大事にしていたようだから」


 その通りだと、ヴィゼは首肯する。


「だが、たとえ彼女が近くにいたとしても、こちらの行動は警戒しているだろうし、やはり捕まえるのは至難ではないか?」

「そうだね。だけど、アディーユさんに来てもらうことは不可能じゃない」


 クロウはヴィゼのその発言の意味を掴みかねた。

 クロウがその答えを出す前に、ヴィゼは続ける。


「例えば……、エテレインさんが魔物に囲まれたりしたら、アディーユさんは出て来ざるを得ないよね」


 クロウは束の間、絶句した。


「あるじ……それは……、レイン殿を、囮にする、ということか……!?」


 驚愕に染まったクロウの顔を見つめ、ヴィゼは首を縦に振る。

 彼女の表情が軽蔑に変わるのではないか、という恐れから、ヴィゼの意識はクロウから離れない。


「だが、そんなこと……」

「もちろん、実行するならエテレインさんの意思を聞いてからだけど……」


 おそらく、エテレインはやるだろう。

 アディーユがエテレインを大事に思っているように。

 エテレインも、身分や立場の壁を越えて、アディーユを大切に思っている。再会を、切に願っている。

 だからこそ、護衛も連れずにエテレインはここへやってきたのだから。


「……レイン殿はきっと、覚悟を決めるだろう、な……。分かった。その時には、わたしが影で護衛役を務める」


 ヴィゼと同じ結論に達し、護衛に最も適役なのは己である、とクロウは自惚れでなく判断した。ヴィゼもそう考えたこそ、クロウをこうして呼んだのだろう、と。


「……ありがとう」


 真っ直ぐなクロウの眼差しを眩しそうに見て、ヴィゼは頭を下げた。

 クロウはそれに慌てて、こう聞く。


「だがあるじ、レヴァや侍女殿は反対するのではないか?」

「特にサステナさんは職務的にも絶対止めに入るだろうし、エテレインさんを止められなかったらついていくだろうね。だけどそれじゃあ、罠と気付かれる可能性が高くなる」


 今回の場合アディーユには、<黒水晶>がエテレインの側にいない、と思わせなければならない。

 シナリオとしては、アディーユに拒絶されたエテレインが、正常な判断を失って一人きりで飛び出した、という流れが一番相手の警戒心を無くせるだろう。


 もしエテレインが冷静でいるならば、極力己の身を危険に晒すようなことはしないだろうし、アディーユを自分の足で探すとしてもサステナに相談しないということはない。

 サステナと話し合ったなら、留まるか二人で行くかということになるだろうが、もし行くとするならば、やはり<黒水晶>に頼らないわけがなかった。


 よって、エテレインには一人で行ってもらわねばならない。


 エテレインが一人だとしてもアディーユの疑念はゼロにはならないだろうが、かといって背を向けることはできないはずだ。


「罠を罠にするためにも、エテレインさん以外には何も言わないでおこうと思うんだ」


 それに、万が一エテレインに何かあった時――決してあってはならない万一だが――ヴィゼ以外に責任が及ばないように、という考えも彼にはあった。

 その場合、クロウだけは巻き込んでしまうのだが――。


 ヴィゼは少し頼りなく眉尻を下げた。

 彼のそんな内心を見透かすように、クロウはじっと己の主を見上げる。


「……後でみんなに怒られるぞ、あるじ」

「そうだね……。一緒に怒られてくれる?」


 クロウは頼もしく頷いた。


「その時は、一緒に謝ろう」

「ありがとう……」


 エテレインたちのために、クロウは大変な仕事を引き受けてくれた。

 ヴィゼを責めず、側にいると示してくれる。

 そのことが、ヴィゼの胸をいっぱいにした。


 そんなヴィゼの、甘い、と形容して良いだろう柔らかな眼差しを受け、クロウはどぎまぎとする。


「そ、それで、あるじ、具体的にはどう動けばいい?」

「うん。ひとまず明日エテレインさんに話をするとして……」


 ヴィゼはその後のことを順を追って説明する。


 作戦の流れは、単純なものだ。

 皆に知られないよう、エテレインとクロウの二人で本拠地を出る。

 そのまま森に入り、魔物との遭遇を待って進む。

 その際には、放置しておいた綻びも役に立つだろう。

 魔物と出会ったら、後はアディーユを待つだけだ。


 と、述べるだけならいかにも簡単そうだが、エテレインにとってあまりにも危険の大きすぎる策だった。

 ヴィゼは抜け出す時間や方法、森に入ってからのことを詳細に話しつつ、エテレインが感じるであろう恐怖、クロウの負担を思う。


 クロウのようなアビリティが自分にもあったなら、とヴィゼは考えた。

 そうすれば、ヴィゼも二人について守ることができるのに、と。

 魔術で姿を隠すことはできるのだが、今のアディーユには見破られてしまうかもしれず、その手は使えないのだった。


「クロウには、本当に苦労をかけてしまうけど……」

「何を言うんだ、あるじ」


 ヴィゼが謝意を込めて言えば、クロウはきっぱりと返した。


「油断するつもりはないが、レイン殿を守りながら戦っても、わたしには十分余裕がある。苦労というほどのことはない」


 だから自分のことをそんなに気遣わなくてもいいのだ、とクロウは言外に言うのだった。

 頼もしすぎる黒竜に、ヴィゼは目を細める。

 ヴィゼの心を軽くしようとするクロウの気持ちが、嬉しかった。




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