06 修復士と勧誘①
「皆、今日はお疲れさま! クロやん、ヴィゼやんを助けてくれてほんまありがとな! 感謝の宴や、この名料理人ゼエン御大がつくった料理を堪能あれ! さて、皆飲み物はちゃんと持っとるね。それじゃ――クロやんに、乾杯!」
「乾杯!」
陽が沈み、時刻は夜。
クラン<黒水晶>の本拠地、その食堂で、クランのメンバーとラーフリール、そして彼らの恩人であるクロウが食卓を囲んでいた。
<黒水晶>は四人のみのクランだが、食堂はその何倍もの人数が入りそうなほど広い。
クラン結成の際、メンバーがいつ増えてもいいように、と考えて、あえて必要よりもずっと大きな邸を購入したのである。
ただし、<黒水晶>の結成から十年足らず経過しているが、新たなメンバーの加入はない。
メンバーが増えるかもしれない、とヴィゼをはじめとして考えてはいたが、積極的に増やそうと動くことはなかったのだ。
四人は共に高い実力の持ち主であり、それぞれの能力のバランスがとれていたために、新たな人員を求める必要が生じなかったのである。
――閑話休題。
その食卓には、様々な料理を乗せた皿がずらりと並んでいた。
恩人であるクロウに報いるため、ゼエンが腕によりをかけ、張り切った結果だ。
「本当にすごいな、御大は……。このサラダだけとっても、シンプルだがドレッシングが絶妙でいくらでも食べられそうだ。こちらのパスタも美味しい」
「お口にあったのなら何よりですなぁ。パンもどうぞ」
焼き立てのパンを受け取り、頬張ったクロウは、そのふっくらとした食感と、小麦の自然な甘みに、目をきらきらとさせた。
恩人が大層料理を気に入ってくれたようなので、ゼエンの腕前を毎日堪能している他メンバーもほっとする。
「御大は戦士稼業をやめたとしても、すぐに働き口が見つかるよな、いつも思うけどさ」
もぐもぐと肉を頬張り、その美味さに目を細めながらエイバは言う。
実際、ゼエンには多くのクランから勧誘があった。
その料理の腕前から<天の恵み>などという冗談なのか本気なのか分からない二つ名で呼ばれているくらいで、他クランから引き抜きの交渉役がやってくることもしばしばだ。
もちろん、ヴィゼもゼエンも是と返したことは一度もない。
「はい、ゼエンさま!」
「なんでしょうかな?」
ラーフリールが元気よく手を挙げた。
ちなみに彼女は、ゼエンに勧誘という魔の手が伸びていることを知らない。
知らせてしまえば動揺するだろうという、ヴィゼたちの配慮である。
「せんしかぎょうをやめたら、ぜひ、わたしのところにえいきゅうしゅうしょくしてください!」
アルコールを飲んだわけでもないのに(当然だ)、酔っぱらったかのように真っ赤になってラーフリールは告げ、エイバは酒を噴き出した。
「ら、ラ、ラフ、そりゃ、プロポーズか! ……そういうのは最初はお父さんにするもんじゃないのか……」
エイバががっくりと肩を落とす。
レヴァーレは慰めるように、その背を軽く叩いてやった。
「ありがとうございます、ラフさん。光栄ですなぁ」
ゼエンは穏やかに微笑み、ラーフリールはえへへと首を傾ける。
その光景に、ヴィゼとクロウは顔を見合わせて苦笑した。
そんな風に賑やかに過ごしていると、大量にあった皿の上の料理はいつの間にか空になっている。
「あー、今日はいつも以上に食べたわぁ」
「ラフなんかはしゃぎすぎて寝ちまったぜ。まだデザートが残ってんのにな」
「明日食べてもらいましょうかなぁ」
すやすやと眠るラーフリールを抱き上げ、寝室に連れていくからと一旦エイバは食堂を出ていった。
デザートの用意をしてくる、とゼエンも席を立つ。
残ったレヴァーレとクロウが他愛のない話をしているのを横目に見ながら、ヴィゼはグラスに残った果実酒の残りをゆっくりと口に含んだ。
――さて、どうしよう。
カフェを出てから、ヴィゼはクロウについてあることを提案したいと考えている。
それを、今夜中に告げても良いのか。
それとも、明日以降にした方が良いのか。
もしくはもっと、慎重に検討した方が?
ぐるぐると、彼は悩んでいた。
だが、いくら悩んで行動してもヴィゼの言葉にクロウが頷いてくれる保証はなく。
だからといって何もしなければ、クロウは明日には去っていってしまうだろう……。
どちらの可能性を考えても、ヴィゼの心臓は嫌な音を立てた。
過去、去っていったあの背中を、思い出す。
あっと言う間に小さくなっていった背中を――。
「お待たせしましたなぁ」
その声に、ヴィゼははっと顔を上げた。
食後のデザートの用意を終えたゼエンがティーポットを手に取り、五つのカップに紅茶を注いでいく。
いつの間にか戻ってきていたエイバが手伝い、アップルパイを各々の前に並べた。
バターと、リンゴの甘酸っぱい香りが広がる。
その温められたアップルパイにはバニラアイスが添えられ、とろりと溶けだしており、腹は大分一杯になっているはずなのに、見ているだけで口の中に唾がわくようだった。
「御大は罪つくりだ……」
「ラフはお目が高すぎやねぇ……でもよっく分かるわぁ」
女性たちの零した呟きに、青年二人は危機感を覚えた。
そこへ、にこやかな声がかかる。
「さあ、ではお茶の準備もできましたし、パイが冷めないうちにどうぞ」
待ちきれない様子だったクロウとレヴァーレは、早速フォークを片手にパイを口に運ぶ。
なんだかんだと楽しみにしていたヴィゼとエイバもすぐにそれに倣った。
最初の一口を咀嚼し、胃袋に収めて、四人は表情を緩める。
それを見守っていたゼエンも微笑んで、自作のアップルパイを口にした。
「もっと寒い時期に食べた方が美味しいのですが、ちょうどリンゴをたくさんいただきましたのでなぁ」
「昼間はともかく夜は大分涼しいし、これならいつ食べたって美味いから問題なし!」
宣言したエイバは、いつの間にやらそれをぺろりと平らげている。
他メンバーもそれに同意し、味わいつつも手を休められず、すぐに食べ終わってしまった。
「至福やねー」
「まったく同感」
夫婦が同じように腹をさすっている隣で、クロウとゼエンは紅茶を飲んでいる。
すっかり馴染んでいるクロウの姿に、ヴィゼはつい微笑を零していた。
その瞬間には、ヴィゼの頭に先程の悩みはなく。
だからか、
「……クロウ、うちに入らない?」
その言葉は、何の躊躇も計算もなく、まるで自然なことのようにヴィゼの口から飛び出していた。
――あ、
言ってしまった後で、ヴィゼは頭を抱えたくなる。
焦って集ったメンバーの顔を見渡せば、驚きの瞳が四対、ヴィゼを向いていた。
しかし、その内の三対が落ち着いた色を取り戻すのに、そう時間は必要なかった。
「うちは賛成やで。クロやん真面目やし、かわええし」
「いいんじゃねえの。少なくともワイバーンを倒せる腕前だ」
「良案ですな。前衛職が増えてくだされば、この老いぼれも楽ができそうですからなぁ」
三人はほぼ同時に、賛成の意を表明する。
それがあまりにもあっさりとされたので、ヴィゼは目を瞬かせた。
驚きから冷めないのはクロウで、思わず立ち上がる。
「ちょ……ちょっと待ってほしい。その、あるじが言ったのは、わたしにこの、<黒水晶>に入らないか、ということか?」
「そう。突然で、驚かせてごめん。……嫌だったかな」
「嫌、なんて……。ただ、夢のような、話だ。だって、わたしは、今日初めて――」
「なんならほっぺつまんでやろうか?」
混乱しているクロウにエイバは遠慮なく手を伸ばしたが、冷たい目をしたクロウがエイバの両頬を引っ張る方が早かった。
「いひゃいいひゃいいひゃい!」
「……どうやら夢ではないな」
「お前、容赦なく抓りやがって!」
頬を押さえてエイバはクロウを睨むが、クロウはそれを無視した。
「……夢でないなら、あるじ、どうしてわたしを?」
「理由は三つある」
覆水盆に返らず。
メンバーの賛同も得て心を据えたヴィゼは、落ち着いて指を一本立てて示した。
「一つ目は、クロウの腕前を見込んで。エイバも言ったけど、廃城での一瞬だけ見てもその太刀筋は見事なものだった。有力な戦士を一人でも多く確保したいのは当然だ」
ヴィゼは続けて、指を二本立てる。
「二つ目は、メンバーとの相性。確かに出会ったばかりだけど、クロウは随分うちに馴染んでる、と思う。これなら、戦闘の場面でも上手く連携をとって動けるんじゃないかな。何より今日一日、君と過ごせて僕たちは楽しいと感じたんだ。皆の賛同は、そういうことだと思う。だから、それが理由」
ヴィゼは何となく気恥ずかしくなったが、メンバーはヴィゼの言葉に首肯した。
クロウは、動揺を隠せないでいる。
「それから三つ目」
気を取り直して、ヴィゼは三本目の指を立てた。
「クロウは、その――僕を守りたいと言ってくれたよね。側にいて、守りたいって」
「う、うん」
「だけど僕は、それじゃ嫌だな」
「え」
クロウはあからさまにショックの色を見せ、ヴィゼは素早く続きを言った。
「守られるだけじゃなくて、守りたい。主従じゃなくて、仲間になりたい」
「え……」
「それじゃ、クロウの願いを叶えることにはならないかな。お礼とか恩返し、っていうにはこっちにばっかりメリットがあるけど……。でも、僕は、君と対等でいたい。仲間として、一緒にいたいと思うんだ」
「あるじ……」
クロウの声は震えている。
メンバーは固唾を呑み、彼女の答えを待った――。




