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黒水晶の竜  作者: 隠居 彼方
第2部 修復士と復讐の女戦士

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22 修復士と“呪い”



 ヴィゼとエイバが重い足取りで森を出ると、街に入る手前の道でゼエンたちが待っていた。

 アディーユを逃がしてしまってから、合流のメッセージを送っていたのだ。

 ゼエンら三人はヴィゼたちの表情を見、並々ならぬことがあったらしいとすぐに覚った。

 ヴィゼからメッセージが送られてきた時点で何かあったのだろうと心構えはしていたが、だからといってアディーユの姿があるわけでもない。余程のことがあったのだろう、と覚悟する。


 ヴィゼは軽く手を上げ、ゼエンたちと合流を果たすと、すぐに結界を張った。

 第三者に話を聞かれないようにするための結界だ。


「……アディーユさんは、“呪い”を宿していたよ」


 積極的に話したいことではないが、いつまでも躊躇ってはいられない。

 ヴィゼは単刀直入に言った。


 “呪い”という単語に、ゼエンは顔を強張らせ、レヴァーレは蒼白になる。

 レヴァーレの肩からヴィゼの手のひらに乗り移ったセーラだけが、不思議そうに首を傾げた。


『あの、“呪い”って……』


 ヴィゼたちの深刻な雰囲気に水を差すのは申し訳なかったが、セーラは小さく尋ねる。

 それに少し表情を和らげて、ヴィゼは説明した。


 この世界で「呪い」と言った時、それは三種類ある。


  一つは、恨みや憎しみを持つ相手に災難があるよう神に願うこと。一般の人々が「呪い」と言う時は主にこの意味で使っている。


  二つ目は、相手に災厄や不幸が起こるよう古式魔術を行使すること。これが攻撃魔術と区別されるのは、一撃での致死性が低いからである。だが、魔術式の構築が高難度のため、わざわざこの手を使うような人間はそういない。

(虚構の物語で「黒魔術師」が使用したりするため、ヴィゼが己の二つ名を嫌う原因の一つでもある。)


 そして、三つ目。

 人間、幻獣、魔物、動物、植物。

 それらの強い負の感情が、その死などをきっかけに、災いを引き起こすこと。

 それを知る者にとって、現実に最も恐ろしい「呪い」はこれである。

 “呪い”は、その感情の性質によってそれぞれ異なる災いを実現させる。

 共通することは、“呪い”は先に述べた生命体等に憑りつき、それらに苦痛を与え、最終的には憑りついたものを“呪い”そのものに変えてしまう、ということだ。

 憑りつかれたものが“呪い”へ変貌してしまえば、憑りつかれたものの自我も肉体も失われる。

 そして、憑りついた者の力を得て“呪い”はさらに強力となり、また新たな宿主へ寄生するのだ。

 この“呪い”の発生はごく稀であるが、生じてしまった時その対処は非常に困難である。


 アディーユは、この三つ目の“呪い”を身に宿した。

 その“呪い”のもととなったモノは、相当な力を持った幻獣だったのであろう。

 それが故の、あの圧倒的な力だ。


 あのアディーユを捕まえるのは、生半可なことではない。

 さらに彼女を“呪い”から解放するとなれば、困難を極める。

 融合はかなり進んでいるようだったから、尚更だ。


『そんな、それじゃあ……』


 ヴィゼがアディーユの現状も含め、“呪い”について話を終えれば、セーラは絶句した。

 残酷な現実を言葉にできないのは、他のメンバーも同じだ。


 アディーユが“呪い”に支配されるまで、猶予はあまり残されていないだろう。

 それは、アディーユの死は遠くない、ということだ。

 そして、その死を妨げることも難しい……。


 アディーユが生を願ってくれるならば、まだ打つ手はあるのだ。

 しかし、彼女は彼女の意思で、ヴィゼたちから逃亡した。

 エテレインとの、別離を選んだ。

 己の命と引き換えに、力を手に入れ、魔物たちを少しでも多く屠ることを、決めてしまったのだ。


「レインに……サステナさんに、なんて言えばええんや……」


 打ちのめされたように、レヴァーレは言う。


「よりにもよって、“呪い”やなんて……! なんでなんや、なんで……また……」

「レヴァ」


 その瞳に涙を浮かべたレヴァーレを、エイバは力強く引き寄せた。

 レヴァーレはその大きな手のひらに、己の手を重ねる。

 その温度を確かめることが、今の彼女には必要だった。


 ――レヴァさんが、こんなに取り乱すなんて……。


 セーラは、ヴィゼの腕をぴょんぴょん跳ねておろおろとしたが、エイバの腕の中で落ち着きを取り戻していくレヴァーレにほっと息を吐いた。


 肩に落ち着いて視線を転じれば、ゼエンとヴィゼは厳しい表情をはり付けたままだ。


 ――“呪い”と、前にも、何かあったのかな……。


 その疑問を、今はぶつけることはできず、セーラは沈黙するしかない。

 その不安げな視線の先で、ヴィゼは強く拳を握った。

 血が滲みそうなほど、強く。








「雨が強くなってきましたね……」


 サステナが、呟くように言った。


 夕刻、留守番組の女性陣は食堂に集まっている。

 家事等をやりつくして、今はラーフリールの勉強に付き合っているのだった。


 サステナの言葉に、全員がふと顔を上げる。

 窓の外は、ひどく暗い。

 確かに、雨脚が強くなっているようだ。

 それにエテレインは、妙な胸騒ぎを覚えた。


「みんな、だいじょうぶでしょうか……」


 ラーフリールも同じように感じたのか、顔を曇らせる。

 それに、クロウは落ち着いた声で告げた。


「――大丈夫だ」

「クロウさま?」

「今、全員こちらに向かっている」

「分かるのですか?」

「ああ」


 目を丸くするエテレインたちに、クロウは頷く。

 ヴィゼとの距離は、契約のこともあってすぐに分かるのだ。

 全員が戻ってきていると分かるのは、街を見張っている<影>からの報告によるものである。

 だが、全員、一見怪我はないようなのだが、浮かない様子でいるという。


 しかしそのことは口にできず、クロウはざわつく心を抑えて、ほっとした顔を隠さないエテレインとラーフリールを見つめた。

 仲間たちが帰ってくるまでもう少しかかりそうだが、そわそわと、血縁関係にある二人と侍女は玄関ホールへ向かう。


 それは止めずに、クロウはタオルを取りに脱衣所へと入った。

 ヴィゼとエイバが濡れていると聞いたからだ。

 障壁を消すようなトラブルがあったのだろうか、と思えば、クロウはタオルを必要以上の力で強く抱きしめてしまう。

 それに加え、仲間たちが無事であるのに沈んだ表情でいるならば、悪い可能性として考えられるのは、捜索対象のこと。


 帰ってきた仲間たちは、エテレインに何を語るのだろう――。


 それを考えると、玄関に向かうクロウの足は重たくなった。

 もうすぐそこまで、ヴィゼがやってきている。

 主の、仲間たちの無事の帰還は、何よりも嬉しいことなのだけれど。


「お帰りなさい」


 クロウが玄関ホールに足を踏み入れるのと、ラーフリールがドアを大きく開け放つのは同時だった。


 出迎えた留守番組を見て、帰ってきたメンバーは表情を硬くする。

 迎えの挨拶に応じる声も、低い。

 そんな、いつにない帰還の様子に、エテレインたちも何事かあったと察し、緊張の面持ちになった。


 玄関のドアが静かに閉まり、雨の音が少し遠くなる。


「……エテレインさん、サステナさん」


 と、ヴィゼは硬質な声で呼んだ。

 ヴィゼたちの動揺は深く、それはエテレインたちにも伝わってしまった。

 報告を後回しにすることは、互いにとって苦痛でしかないだろう。

 ヴィゼは心を決めて、それを口にする。


「アディーユさんと、会いました」


 はっ、とエテレインたちは息を呑んだ。


「依頼を受けて探していたことを告げましたが、同行を断られたため捕縛に移りました。しかし、逃亡を許してしまい……申し訳ありません」


 ヴィゼは頭を下げる。


 エテレインは蒼白となって、「アディーユ」と小さく唇を動かした。


「……ヴィゼ様たちが、アディーユを捕えられなかったのですか?」

「ええ。面目ありません」


 信じられない、とサステナも顔色を悪くしつつ思わず聞いた。

 アディーユは頼りになる護衛であったが、ヴィゼたちがその実力に及ばないなどとは考えられず、腑に落ちない思いがする。

 それを読み取ったから、というだけではないが、ヴィゼはアディーユを連れて来られなかった理由を告げた。


「……アディーユさんは、強力な魔術具を手に入れていました」


 これはもちろん、嘘である。

 話し合いの末、“呪い”のことは隠そう、ということになったのだ。


 “呪い”の存在を知る者は多くない。

 おそらくエテレインたちも知らないだろう。

 そんなものを持ち出されて、ただでさえ納得いかない状況であるのに尚更納得できないだろう、というのがヴィゼの意見だった。


 それに、“呪い”が遠くない内にアディーユを消し去ってしまうだろうという事実は、あまりにも残酷に過ぎる。

 たったひとりで復讐を挑む彼女と死はそもそも隣り合わせであるが、“呪い”を魔術具と置き換えて伝えた方が、まだ救いがある。

 それは、伝える方にも、聞く方にも。


「その入手経路が、正規のものでない可能性があります。彼女の行為は、戦士たちを……もっと悪くすれば協会を敵に回すかもしれない。アディーユさんは、メトルシア家に、エテレインさんたちに、迷惑をかけるわけにはいかないと考えているのでしょう。彼女はこう言い残して去って行きました……」


 ヴィゼはアディーユが残していった言葉を伝える。

 それを聞き、エテレインは瞳を潤ませ、口元を手で覆った。


「そんな……、そんなの! わたくしは……!」


 エテレインはふるふると首を振った。

 青を宿した瞳から、一筋涙が伝う。

 ぱっとエテレインは踵を返すと、階段を駆け上がっていった。

 その後を、サステナがすぐに追いかける。


 残された者たちは、沈痛な表情でその場に立ち尽くした。


「レインお姉さん……」

「……しばらく、そっとしとくのがいいだろうな」

「そうでしょうな……」


 そう言い合うが、彼らもなかなか動き出せない。


 クロウは静かに歩み寄り、濡れのひどいエイバとヴィゼにタオルを差し出した。


「ああ……、ありがとう、クロウ」


 弱々しく微笑んだヴィゼに、クロウの胸は痛んだ。

 部屋に引き籠もったであろうエテレインのことも気になるが、ヴィゼも何か危うい感じがした。

 自分にできることはあるだろうか、とクロウは思いながら言う。


「湯を、入れて来よう。みんな、疲れているだろうから。侍女殿が、途中まで夕食の下ごしらえをしてくれているが……」


「御大、頼んでいい?」

「ええ。こんな時こそ、きちんと食事はとらなければなりませんからなぁ」


 ゼエンは穏やかに頷くと、ひとまず着替えのために部屋へ向かった。

 エイバとレヴァーレも、着替えのためとエテレインの様子を軽く窺ってくると、階上へ。

 ラーフリールも皆を心配する眼差しでいたが、自分にできることをと、セーラと共にキッチンへぱたぱたと走っていく。


 クロウも早速浴室へ向かおうとしたが、ヴィゼに呼び止められた。


「……クロウ」

「あるじ?」

「後で……、話したいことがあるんだ。夜、休む前に時間をもらっていい?」

「構わないが……」


 不安と困惑の色を浮かべたクロウの頭を、ヴィゼは優しく撫でた。

 ヴィゼの唇がほんのわずかに動いて、何かを告げる。

 それは発した本人にしか聞こえないくらいの音量で、誰かに聞かせるための言葉ではなかった。

 しかし、聴覚の鋭いクロウの耳にはしっかりと届く。

 それを知らず、一番目の入浴の権利を与えられたヴィゼは着替えを取ってくるからと部屋の方へ足を向けた。


 クロウは思わず、その背を目で追う。


 ヴィゼは、「ごめんね」と言ったのだ。


「……どうして、わたしに謝ったりするんだ、あるじ……」




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