19 黒竜と恋の話③
「……ラフちゃんに、聞いたのですか?」
「ん、ごめんな。邪魔かと思たんやけど、うちも気になっとったんや、例の噂のことはな」
レヴァーレとエテレインの間で進む会話に、クロウは硬直した。
「ヴィゼやんが話すやろと思とったし、話すべきやとも思っとったから、何も言わずにおいたんやけど、レインが特攻したて聞いたもんやから」
「人聞きの悪いことを言わないでください、お姉さま」
エテレインは頬を膨らませる。
そんな様子も可憐であったが、クロウはやはりそれどころではない。
レヴァーレの言を聞けば、やはり彼女もエテレインと同じ懸念を抱いていたようではないか。
そして、そんなレヴァーレについてきたセーラも、もしかするともしかしなくとも……。
クロウはちらりと、かつ若干戦々恐々とセーラに視線を向ける。
微動だにしないセーラは、クロウの疑いを肯定するようだった。
「み、みんな、知っているのか……? わたしの、気持ち……。あ、あるじも……?」
黒竜に想いを寄せられるなんて、迷惑でしかないことだ。
ヴィゼは優しいから、知らないふりで、迷惑なのを隠してクロウを側においてくれているのではないか。
ヴィゼに苦痛を与えてしまっているのではないか。
そんなことには、耐えられない――。
全く見当外れなことを思って今にも泣き出しそうなクロウに、部屋の中の女性たちは慌てた。
「大丈夫やクロやん! ヴィゼやんは朴念仁やから全っ然全く気付いとらんで!」
「そ、そうですよ! わたくしたちが気付けたのは、そう、そうです、女の勘ですから! 男のヴィゼさんは絶対に持っていません!」
『そうです、その通りです!』
「そう、か……」
これまで他人とそういう話をほとんどしてこなかったこともあり、三者から必死に言われたせいもあって、クロウは素直にそれを信じた。
ヴィゼに知られてはいないだろうことに安堵する。
同時に、昨日から彼女を苦しめる未来の可能性が、ぽろりと口から出てしまった。
「女の勘、か……。そうだとしたら、いつかあるじが誰か好い女性を連れてきたら、わたしはここを追い出されてしまうかな……」
それに再度ぎょっとする女性陣。
「なんでそうなるん!?」
「だって、普通、好いた相手の側に、恋敵を置いておきたくないだろう?」
それはそうだが、レヴァーレたちが突っ込みたいのはそこではない。
どうしてそこまで未来を悲観的に考えてしまうのか、とエテレインは困惑の眼差しでレヴァーレの方を窺う。
その視線の先で、レヴァーレは苦い表情を浮かべていた。
ヴィゼとクロウの関係に対して、他の大人たちは基本的には見守る方針だ。
ヴィゼに対しては、揶揄うことも、あまりのじれったさに口出ししてしまうことも多いが、なるべく余計なことはしない、と暗黙の了解がある。
しかしこんな風にクロウが思い詰めているのであれば、もう少し早く話をしておけば良かった、と彼女は後悔していた。
クロウの自己否定的な性格を甘く見すぎていた。
あれだけヴィゼが分かりやすい態度で示しているのに、それでもまだ、いつか自分は見放されてしまうかもしれないという思いから、クロウは逃れられないのだ。
クロウは<黒水晶>にいたいと願い、そのために努力してくれている。
なるべく長くいられるようにと、頑張ってくれている。
一方で、諦めもその心からなくなることがないのだろう。
彼女がこれまで過ごしてきた孤独を思えば、それも仕方のないことではある。
けれど、そんな諦めは捨ててしまえとレヴァーレは思う。
すぐそこに、手を伸ばせば、クロウの望むものがあるのだ。
これまで何も持てなかったのならば、だからこそ諦めずに手を伸ばし続けてほしい。
その思いで、レヴァーレはそっとクロウの手を取った。
「クロやん、うちはクロやんにどこにも行ってほしくないて思っとる」
「レヴァ……」
真剣な言葉に、その眼差しに、クロウは息を呑む。
「クロやんも、ここにいたいて、そう思ってくれとるやろ? ヴィゼやんの隣に、ずっとおりたいんやろ?」
「うん……、でも、」
「そんなら、な。出ていくことなんか考えんで、クロやんがヴィゼやんを口説き落とせばええ」
「く……っ!?」
あまりにも真面目に言われた一言に、クロウは絶句する。
「クロやんがヴィゼやんとそういう仲になれば、なんの問題もないで」
「それ自体が大きな問題だろう!」
思わず、大きな声でクロウは反論していた。
「だって……わたしだぞ? レヴァはそれでいいのか? 許せるというのか」
その台詞は、とても衝撃的なものだった。
黒竜であることが、いかにクロウを呪縛しているのか。
それが痛々しいほどに、レヴァーレにもセーラにも伝わった。
何も知らないエテレインも、その叫びの悲痛さに胸を痛める。
そんな三人を目の前に、感情を露わにしたことを悔やむようにクロウは唇を噛んだ。
「……うちは、すごく、嬉しいけどな」
そんなクロウに、レヴァーレはひどく優しい声で告げる。
それにクロウは、はっと顔を上げて。
「ヴィゼやんはうちらの誇れるリーダーや。そのヴィゼやんを好きでいてくれるちゅうなら、嬉しい以外はないなぁ」
全く予期せぬ言葉が続き、クロウは茫然とレヴァーレを見つめた。
「それがクロやんなら尚更や。いつも一生懸命で頑張り屋さんで、しかも絶世の美少女! うちがおヨメさんにしたいくらいや」
「だけど……、だけど、わたしは……、」
「せやなぁ。それで、クロやんは、うちらの大事な仲間や。やから応援したいて思う。クロやんの想い人が妻子持ちの最低男とかなら止めるけどな。ヴィゼやんならオールオッケーや。クロやんは見る目もある、ホンマええ娘やで。ヴィゼやんにはもったいないくらいや」
悪戯っぽく、レヴァーレは笑った。
その目の前で、クロウの瞳からぽろぽろと滴が零れ落ちていく。
クロウは想いが認められたことに、否定されなかったことに、心から、安堵したのだった。
クロウが竜であることを知る人に、仲間に、受け入れられた――その事実はクロウ自身が思うよりずっと、彼女の心を震わせた。
レヴァーレは握ったままだったクロウの手を引き、その華奢な体を抱きしめる。
――これはヴィゼやんの役目、のはずなんやけどなぁ。
とはいえ、当のヴィゼには絶対に吐露などできない内容だろう。
自分で我慢してほしい、とレヴァーレはクロウの背を撫でた。
クロウは嗚咽も漏らさない。
他者に知られないよう、たったひとりで抱え込んで、だからこんなにも静かな涙なのか。
それは、レヴァーレだけでなくエテレインたちの胸も突くようだった。
けれど、今のクロウの涙は彼女の心が解きほぐされた証でもあって、
やがて涙を引っ込めてレヴァーレから体を離したクロウは、ぎこちないが微笑を見せた。
「レヴァ……その、ありがとう……」
「ん? 当たり前のことを言うただけやで?」
「うん、でも、ありがとう……。あと、すまない。レイン殿にも、見苦しいところを見せた」
セーラにも謝罪の視線を送りながら、クロウは真面目に頭を下げた。
「いえ、わたくしの方こそ……。そもそもの発端は、わたくしですし」
「レインは悪うないで。悪いんはお祖父さんや」
それも否定できない。
エテレインはますます恐縮した。
「いや、わたしはおかげで助かった」
「助かった?」
「ああ。レイン殿が話に来てくれたから、女の勘が侮れないことも分かったし、これからは女の勘でも気付かれないように精進する」
「――んん?」
決意に満ちたクロウの表情に、レヴァーレもエテレインもその結論で良いのか? と顔を見合わせる。
そんな彼女たちの前で、クロウは胸元に手を当てた。
「この気持ちがあったところでどうしようもないし、弱さを露呈してしまうばかりで、消し去ってしまわなければと思っていた。……でも、本当は、殺したくなんかなかったんだ。ようやく気付けた……。それもわたしの大事な一部分だったんだ。それを捨てようとするのは、自分を殺すようなこと、なんだな……」
「クロやん……」
「クロウさま……」
『先輩――』
「これから、どんなにつらくても、わたしはこの想いを離さない。この想いを抱えたまま強くなる。絶対にあるじを、みんなを、守る。だからそのために、この想いをこれ以上誰かに知られるわけにはいかないんだ」
クロウの中で、ヴィゼがいつか自分以外の女性を選ぶであろう、という未来は変わりないようである。
それをどうしたものだろうかと考えながら、レヴァーレは再度言った。
「……やっぱクロやんがヴィゼやんの恋人になる、ちゅうのはなしなん?」
「レヴァが応援してくれるのは嬉しいが……」
クロウは困ったように、首を傾けた。
「わたしは、わたしがあるじから普通の人としての幸せを奪うなんてこと、許せない」
「――クロやん、」
クロウの言葉を今更だ、とは言えなかった。
クロウは、願っているのだ。
本心から、ヴィゼの幸せを。
だが一方で、それは自分にはできないと考えているのだ……。
それが分かってなお、レヴァーレは続ける。
「普通の人と同じやなくてもええやん。ヴィゼやんにはヴィゼやんの幸せがある。それがクロやんと一緒になることやないなんて、決まってないやろ?」
「いや、わたしでは……」
「それにな、クロやんはヴィゼやんのことばっかやけど、うちはな、二人に幸せになってもらいたいんよ。クロやんにも、ちゃんと幸せになってほしいんや」
「わたしは……」
クロウは、また、喉の奥に涙の気配を感じた。
レヴァーレがクロウを仲間としてとても大切に思ってくれているということが伝わって。
けれどそれでも、クロウの気持ちは変わらなかった。
「わたしは、もう、十分に幸せだ。だから、いいんだ」
微笑するクロウの眼差しは、真っ直ぐにレヴァーレを見つめていた。
それにそれ以上は続けられなくなって、レヴァーレは肩を落とす。
「……クロやんの気持ちは分かった。けど、うちはうちで気持ちは変わらん。クロやんは、もっと幸せになるべきなんや。レインもそう思うやろ?」
「は、はい」
突然ふられたエテレインだが、こくこくと頷く。
レヴァーレはセーラの背を撫でて、さらにもう一つ同意をもらった。
「れ、レヴァ? レイン殿?」
「クロやん、うちらはうちらでやらせてもらうで。クロやんを応援し隊、発足や」
エテレインがぱちぱちと拍手する音が妙に部屋に響く。
クロウは口をぽかりと開けて、拳を握ったレヴァーレを見やった。
「作戦その一は、ズバリ、おめかし」
「いいですね、お姉さま」
「お、おい……?」
この流れはまずい。
思わずクロウは声を上げたが、びしっとレヴァーレに指を突き付けられ、固まった。
「クロやんに先輩命令や。収穫祭では、おめかしすること」
「!?」
「いつもより可愛くして、ヴィゼやんのハートをゲットや!」
「あ、アクセサリでしたらいくらでもお貸しします!」
恋の成就への協力を惜しまないという思いはもちろん強いのだが、それと同じくらいクロウを着飾ってみたい、という欲望で従姉妹たちは非常に息の合った様子を見せる。
「いや、あの、」
クロウの意思に反し、勝手に妙な団体が発足して、良くない流れに巻き込まれている……。
クロウは嫌な汗を覚えた。
ものすごくやる気を見せているレヴァーレのおめかしに付き合うのは大変だ、と予想をつけるのは簡単だ。
クロウとしては、いつもの動きやすい格好が一番であるし、服を替えたところで中身が変わるわけではない、とも思うのだが……。
「服、いっぱい買うたのに、クロやん全然着てくれんくって、うち、ずっと悲しかったんやで」
「う」
「嫌とは言わへんよな、クロやん……」
いささかわざとらしいが、悲しげな眼差しにクロウは否と言えなくなる。
結局すぐに、彼女は折れた。
「……収穫祭の時だけなら……」
許しを得て、レヴァーレとエテレインはにこにこと立ち上がる。
それをクロウは、茫然と見上げるしかない。
「よっしゃ、そうとなったら今から服選びやね!」
「わたくし、部屋から色々と持ってきます!」
「あ、あの……」
エテレインは張りきって部屋を出ていく。
レヴァーレは勝手にクローゼットを開けて、服を手に取り始めた。
「あ、クロやん、着替える時以外は寝ててええで」
「あ、ありがとう……?」
その気遣いは果てしなく間違っているような気がしたが、口を挟むことは難しそうである。
クロウは大人しく横になった。
そんなクロウに、ちょこちょことセーラは近付く。
『先輩』
『うん?』
『頑張ってくださいね!』
それは一体、何を応援しているのか。
クロウは聞けず、曖昧に頷いて、それから少し笑った。
クロウの中の問題が全て解決したわけではないのだけれど、ひどく胸が軽くなったことに気付き、思わず笑ってしまったのだった。




